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第八話 呪いと毒 4



 しばらくしてやってきた理事長は、死体の確認後も、念入りに学校周辺を調べさせた。

 だが他にジャガーノートは発見されず、この件は決着したものと思われた。



 体育祭や夏季休暇を終えても、新たな発見などは何も無く。

 再開された授業を漫然と受けながら、学祭の前日を迎える事となった。



 その夜、アルカの部屋には同室であるピート以外に、ニーナも来ていた。



 他で事情を知っているカヤは、学院近くの酒場で待機してくれている。

 マスナダ助教授が宿直当番で、学祭の準備に残っている生徒の監督の為に学院に居るのだ。

 呪いが発動したら、連絡を受けた彼女が、助教授を呼んでくる事になっていた。



 ピートも立候補したが、『風の声』(リプス・ウォクス)を仕込んだ符の扱いに不安があるので却下された。

 申し訳なさそうにする彼に、適材適所だとカヤは言っていた。



「あまり遅くなると心配ですね」


「余計な心配だと思うがな」


 冷淡にも聞こえる声で、ニーナが断言する。

 この街が夜でも安全だからだとピートは受け取ったらしく、やや不安そうに同意した。



 しかし、ニーナが言っているのは治安の事ではない。

 おそらく、カヤなら大陸で最も犯罪率の高い区画でも、平然と歩いてのけるだろう。

 少なくとも、この部屋に居る三人よりは慣れているに違いない。



「カール達を手伝っていた時間は、そろそろだな。

 二人共、部屋から出てくれ」


「そうですね」


 素直に立ち上がったピートとは違い、ニーナは眉間に皺を寄せた。



「ニーナ」


「連絡役の私が巻き込まれたら、助けを呼ぶのが遅れるかもしれない。

 それは分かっているが、やはり気に入らん」


「頼れるのは、お前だけなんだ」


「いや本当、すみません」


 アルカの説得とピートの詫びに、ふうと息を吐いてニーナは立ち上がった。

 ほっとしたアルカに、ずいと顔を近づけて告げる。



「いいか、何がなんでも持ちこたえろよ」


「分かってる」


 じっとアルカの目を見てから、ニーナは頷いて部屋を出た。

 ピートも後に続くが、ドアは開けたままだ。

 廊下に持ち出した椅子に腰掛け、二人は兆候すら見逃さないように部屋を監視した。



 ベッドに寄りかかったアルカは、二人と話しながら容疑者について考えた。



 有力なのは、ピートがマスナダ助教授への言い訳に使った、ツコ・ガバーニの人間だろう。

 戦場の習いとはいえ、王女を討たれたのだ。

 恨みに思った者達が、復讐を考えるのはあり得る話だった。



 だが、海を越えてまで攻めてきておいてそれは、随分と勝手な言い草だ。

 そんなに大事なら、王宮の奥にでもしまっておくべきだろう。



 しかし、他の人間となると、まず動機が分からない。



 ピートは、戦場での活躍に嫉妬した誰かという可能性も挙げていたが、それも考え難い。

 妬みや嫉みが無いとは言わないが、呪い殺せるだけの実力を持つ術者が、そんな事で行動に移すだろうか。



 仮にアルカを殺せても、呪術は短剣よりも証拠が残るので、まず術者は捕まる。

 自分の破滅と引き換えてでも、アルカの死を望むほどの嫉妬は、今まで感じていなかった。



 陰口を叩くぐらいで、足を引っ掛ける程度の嫌がらせすら受けていないのだ。

 それは反撃が怖い、つまり自分の身が可愛いからで、自分諸共というのは考え難い。



 では一体誰が、とアルカが頭を悩ませていると、天井が不快な音を立てて軋んだ。



「ニーナ!」


「もうやっている!」


 符を起動させたニーナが、カヤに連絡を取る間にも、部屋の空気は重さを増していった。

 どこからともなく、大勢の人間の怨嗟の声が聞こえてきて。

 窓は無数の黒い手に叩かれ、部屋のあちこちから人の気配がする。



 黒い靄がピートにさえ見えるほどの、濃厚な瘴気だ。

 強い魔力を呪いとして結実させた結果が、部屋には表れていた。



 戦場でだって、ここまでの怨みの念は残らないだろう。

 部屋の四隅と、念の為にアルカが懐に入れた厄除けの札が、音を立てて震えている。

 頬を引きつらせたアルカは、冷や汗をかきながら、札が耐えてくれるように祈った。



 ある程度、冷静な目で見られたから、アルカにも分かった。

 これは無理だ。



 札は効力を発揮しているのに、周囲から伝わる怨念だけで息が詰まりそうだった。

 死神の手が肩にかかっているようで、ツコ・ガバーニの大男、フリードと対峙した時以来の濃厚な死の予感が這い寄ってくる。



 部屋の外で見守るニーナとピートにも、まるで余裕は無いようだ。

 焦りを募らせた様子で、廊下の先を何度も見ている。



 ぎちっ、ぎちっと、無理に押し込もうとするような音が響く。

 耳鳴りと頭痛に、アルカが頭を押さえたところで、ようやく足音が近づいてきた。



「ティフタット、無事か!」


「ええ、なんとか」


 険しい顔で声をかけるマスナダ助教授に、アルカは辛そうに頷いた。

 助教授の後ろに見えるカヤは、絶句して立ち尽くしている。

 彼女をして、言葉も出ないほどに濃厚な死の気配が、部屋に満ちていた。



「これより呪詛返しを行う。

 お前達、少し下がっておれ」


 マスナダ助教授は、部屋の外の三人が距離を取ってから、服の裾を払って呼吸を整えた。

 懐から何枚かの札を出しつつ、かなり古風な呪文を唱えていく。

 呪いを解析し、それを組み換え、術者に跳ね返すものだ。



「人呪穴二、一度試死、周遍天下、帰還詛道、急々如律令」


 呪いとは力技で叩き潰したり、打ち消すよりは、成就させる方が容易である。

 上手く標的をすり替えてしまえば、術者を犠牲に呪いを終わらせる事も出来た。



 勿論、失敗すれば助教授にも災いが降り掛かるだろう。

 現に部屋に満ちた瘴気は、横槍を入れた助教授を食い殺さんと、彼に禍々しい風を吹きつけている。

 しかし、マスナダ助教授は生徒を救う意思を胸に、決然と立ち向かってみせた。



「喝っ!」


 最後に助教授が気合いを入れると、上手くいったらしい。

 汗だくで額を拭う助教授の前で、部屋を満たしていた重苦しい気配は、急速に薄れていった。



 力が抜けたのか、倒れかけたアルカを、駆け寄ったニーナが抱き留める。

 今は休めと声をかける彼女に、アルカも頷いてベッドにもたれた。



「なんとかなったな。

 しかし、いくらなんでもティフタット一人を殺すには、あまりに過分というものであろう」


「術者は分かったんですか?」


 尋ねたピートに、助教授は頷いた。



「多少なりとも呪術を学んだ者になら、誰にでも分かろう。

 というより、事の露見を恐れておらぬようだった。

 あれだけの魔力を用いて呪ったにも関わらず、ちと杜撰過ぎる気がするな」


「暗殺だとしたらおかしいですね。

 そういうのは、誰が犯人か悟らせないようにするものでしょう」


「私の見たところでは、少なくとも呪術に精通している者ではないな。

 呪い殺すのでも、もっと効率の良い方法はいくらでもある。

 まるで素人だ」


「なんというか、違和感がありますね」


「ルカさんを移動させた方がいいかもしれません。

 これで終わったとは限らないというか、陽動だった可能性もあるんじゃないでしょうか」


 カヤの指摘に、ピートと助教授も充分にあり得る話だと同意する。

 話を聞いていたアルカは、ニーナの手を借りて立ちながら、助教授に尋ねた。



「それで先生、術者は?」


「知らない者故、誰かまでは分からん。

 場所は掴めたが」




 人気の無い夜の街を、アルカは息を切らせて走っていた。

 焦りに突き動かされるまま、石畳を蹴って角を曲がる。

 その後ろから、ようやく追いついたニーナが声を掛けた。



「ルカ!」


 答える余裕も無いのか、返事もせずにアルカは走り続ける。

 気ばかり急いて、足がついてこない気がしていた。



 舌打ちしたニーナが更に速度を上げ、隣に並ぶ。

 同じ距離を駆けてきたにしては、彼女の呼吸にはまだまだ余裕があった。

 彼女も体力のある方だが、男のアルカには及ばないはずなのにである。



 ピート達も来るような事を言っていたが、姿が見えないのは遅れているのだろう。

 だが待てないと目を向けるアルカに、ニーナは端的に助言した。



『水中呼吸』(アーテム)を使え。

 この魔法が呼吸を助けてくれるのは、水の中だけではない」


 頷いたアルカが、乱れた呼吸で強引に魔力を操り、詠唱を開始した。



「春を告げる西風よ、我に宿りて、彼の地へ導け。

 『水中呼吸』(アーテム)


 魔法が発動した途端に、焼け付くほどだった肺が少しは楽になったようだ。

 大きく息を吸ったアルカが、謝罪と感謝を込めてニーナを見た。



「すまん、助かった」


「心配なのは分かるが、少しは話を聞け」


 苦笑して返したニーナが、前を向いて足を速める。

 まったくだと頷いたアルカも、目的地へと急いだ。



 マスナダ助教授が突き止めた術者の位置は、ちょうど教会の辺りだった。

 心配になってアルカが飛び出したのも、無理はないだろう。

 彼の命を狙う人間が、知り合いの近くにいるかもしれないのだから。



 教会というのは、魔法の行使には都合の良い場所だ。

 信者達の祈りや、様々な儀式により、魔力を扱い易い環境が整えられている。



 他にも祈り、つまり集まった人間の精神に感応し、高められた魔力を蓄積する機構が、多くの寺院には備わっていた。

 怪我人や病人が出た時、高度な魔法を使うのに必要な大量の魔力を、普段から少しづつ貯めているのだ。

 部外者が勝手に使えないよう、安全装置はかけられているものの、絶対ではない。



 エメットの街の教会も、作られてから数百年は経っている。

 その魔力を全て使ったならば、呪術に関して素人でも、離れた場所に居る人間を呪い殺せるだろうと助教授は言っていた。



 術者が人質を取るなどして、教会の魔力を提供させた可能性は高い。



 問題は、ろくな隠蔽工作もされていなかった事だ。

 成功、失敗に関わらず、終わった後の教会関係者の身が危ない。

 大人しく従っていたとしても、犯人を見てしまっている者を、生かしておくとは限らなかった。



 二人が駆け込んだ時、教会は騒がしくなっていた。



 念の為に窓から様子を伺ったものの、侵入者が立てこもっていたりはしないようだ。

 乱暴にドアを叩いて呼び出したアルカに、司祭が沈鬱そうな顔で現れた。



 事情を聞いたアルカが顔を歪め、ニーナもやりきれなさそうに頭を振る。

 司祭に案内されるまま入った礼拝堂には、僧服姿の者達が集まっていた。

 尼僧の服の裾を掴んで、しゃくり上げている子供もいる。



 彼らが道を開けた先には、床に倒れたカリーナと、年嵩の尼僧に肩を抱かれたフレデリカの姿があった。



 アルカに気づいたフレデリカが立ち上がり、彼の胸に飛び込んでくる。

 彼女を抱き止めながら、アルカは遺体に目を向けた。

 誰かがカリーナの目を閉ざしてやったようだが、ひどく苦しんだらしい。

 指は彼女の死後も、胸の辺りを掴んだままになっていた。



「何があった?」


「分かんない。

 猫を抱いた私を、ルカが殺すんだってカリーナが言ってた。

 それから、なんか怖い物が押し寄せてきて……殺すの? もしそうなら、痛いのや怖いのはやだよ」


 返事の代わりに、アルカは彼女の背中を撫でてやった。

 安心したのか、次第にフレデリカの肩が震え始める。



 ニーナも泣かせてやった方がいいとは思ったが、これだけは確かめておく必要があった。



「教会の周りで、猫か何かの子供を見なかったか?」


「みんなで餌をやってた猫が……今朝から見て、ない……けど」


 無理に言葉を絞り出しているフレデリカの肩に、アルカが優しく触れた。



「もういい。

 いいんだ」


「うわあああん!」


 アルカの服を掴み、きつく彼の胸に顔を押し付けて、フレデリカが泣きじゃくる。

 教会の中では、カリーナに一番懐いていたのだ。

 色々と規格外な彼女は、年少組にとっては呆れた大人であると同時に、頼れる姉貴分だった。



 フレデリカを頼めるかと目で聞いてくる司祭に、アルカは無言で頷き返す。

 ニーナを見ると、何も言わずとも彼女は説明役を引き受けてくれた。



 夜の礼拝堂から、フレデリカにつられた子供達や、修道士達の泣き声が聞こえてくる。

 年若い尼僧を送る物悲しい響きは、いつ果てるともなく続いていた。



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