第一話 起点 2
魔法学院の寮は街の中心部に近い、大通りに面した場所にあった。
元々学院があるから発展した街なので、関連した施設は街の中心部に集まっている。
もっとも、それだけに発展性に乏しく、新たに建物が必要になると町外れしか土地が確保出来ないらしい。
入寮の手続きの時、部屋を選べると聞いたアルカとピートは、同室を頼んで鍵を受け取った。
基礎課程を終えると個室の申請も出来るそうだが、それまでは二人部屋が基本になる。
部屋数よりも学生が多かった百年ほど前は、同じ広さの部屋に四人詰め込んでいたと、雑談で事務に教えて貰った。
彼らの入った東第二寮では、新入生と二回生が四割づつ、残り二割は三回生以上の生徒が暮らしている。
中央の大階段を左右に男女が別れているが、行き来に関して特に制限は設けられていないらしい。
もっとも、節度を守れない場合には即放り出されると、同じく事務で脅されたが。
配送を頼んでいた荷物を受け取り、前も足下も見えない状態で、何度か迷いつつも部屋に辿り着くと。
近くの部屋の寮生に挨拶をし、すぐに必要な物だけ荷物から出してから、二人は学院の下見に出かけた。
魔法学院は街の中心に存在し、そこから放射状に八本の道が伸びている。
十字に四車線、二頭立ての馬車が四台通れる大通りが走り、二車線の道が斜めに入っているそうだ。
「四頭立ての馬車の、市内への乗り入れは禁止されています。
街の外から来た人が市内の移動に馬車を使うなら、馬車駅で乗り換える事になりますね」
「俺が利用する機会はねーだろうな」
「まあ、そうですけど。
学院の生徒や教職員なら割引も利きますから。
普段はともかく、怪我人や病人を運ぶ場合には、学生証を出せば安くなると覚えておいて下さい」
「りょーかい」
ピートの説明通り、真っ直ぐに伸びた道の先に、魔法学院の校舎らしき建物が見える。
ただ、八本の道以外は雑然としており、脇道の間隔にも、店や建物の大きさや種類、年代にも規則性というものは無かった。
エメットの街は人口が増える度に詰め込んできた結果、ごちゃごちゃとした町並みになっている。
ここ百年で人口は五倍、特に帝国成立時には十年で倍になったので、無理に押し込んだような区画はあちこちに存在した。
「しっかし、隣街の生まれだけあって詳しいな」
「僕の実家はパン屋なんですが、支店がこの街にあるんですよ。
まあ叔父がやってる店なんですけどね。
それで何度か来た事がありますし、進学するにあたって下調べもしてきましたから」
「恥ずかしい話、迷いそうなんだが。
今はお前がいるからいいけど、もし迷ったらどーしたらいいと思う?」
「ああ、それなら心配いりません。
さっき話した八本の道のどれかに出れば、必ず学院が見えます。
後は標識を頼りにするなり、なんなら学院まで行ってしまえば、なんとでもなります」
「へえ。
なんか、あれな。
都会っ子の知恵って感じがするな、そういうの」
「なんですかそれ」
やや照れくさそうにピートが笑った頃、二人は学院の正門の前に立っていた。
魔法学院は帝国の他の高等教育機関と同様に、前期後期で入学生を募集している。
新年度は前期が一月十日、後期が四月一日の始業となる。
同じ年度生でも半数近くは入学時期が違うので、入学式は行われない。
学院の創立は七百年も前だそうだが、校舎は何度か建て替えられている。
最も古い建物は正面に見える本校舎で、これは三百年前、火災で焼失したのを再建した物らしい。
静まり返った石造りの古い建物は、見る者を厳粛な気持ちにさせるような重厚感に溢れていた。
二人のように下見に来た新入生は勿論、観光客らしき親子連れなども感嘆の息を吐いている。
これから始まる学校生活に思いを馳せながら、アルカとピートはしばし学院前で佇んでいた。
「我々はまだ敷地内に入れませんし、そろそろ行きましょうか」
「何かやってる人もいるみてーだけどな」
アルカの指差した先では、魔法学院らしく黒いローブを着た人物が、長身の生徒に話しかけていた。
黒ローブは頭からすっぽりフードを被っており、男か女かも分からない。
別の場所なら立派な不審者だな、と思いつつピートは肩を竦めた。
「この門の内側は私有地ですからね。
まだ正式に学生ではない我々は、勝手に入ったら不法侵入になってしまいますよ」
「あ、そうか。
十日までは学生じゃねーんだ」
「事務手続きは八日ですので、正確にはそれからですね。
ま、細かい話ですが。
逆に言うと、入試に合格していても八日までに手続きを終えていなければ、生徒になれないわけです」
滅多にいないが、その場合は後期入学に回される。
更に無試験というわけではない辺り、かなり重い罰則だろう。
他の学校よりも、始業などの時間が厳しく扱われているのも、現在の魔法学院の特徴の一つだった。
実のところ、学院の卒業生には、外敵の侵攻時に国軍の招集に応じる義務がある。
創立当時、それと引き換えに国庫から金を出させたからなのだが、規律や実技単位の基準などには、時代それぞれの軍の意向が強く働いていた。
今は帝国軍の要請で、時間厳守が重視されているというわけだ。
「ところで、このまま帰りますか?」
「明け方からずっと馬車で何も食ってねーから、なんか食いたいわ。
ピートが腹減ってないなら、どこか適当な店に置いていってくれていいぞ」
「僕もお昼を食べてないので、御一緒しますよ。
何か希望は?」
「んー、安くて腹に溜まるもんがいいわ」
「分かりました。
ではうちのパン屋、というのは風情が無いので、その近くの飯屋にしましょう。
各種のパイが揃ってますから、ちょっと女の子を誘うのにも便利らしいですよ」
「どーかな。
興味が無いとは言わないが、学費稼ぎと勉強で忙しくなんだろうし。
時間の余裕が出来るまでは、積極的になるのは無理だろーな」
「おや、お好きですか? 女の子」
「嫌いな奴は男じゃねーよ。
ああ、都会には同性愛者なんてのもいるのか」
「田舎にもいるんじゃないですかね、それ」
くだらない話をしつつ歩き出したところで、アルカが校舎を振り仰ぎながら尋ねた。
「そういや、隣町だったら知り合いも来てんのか? ええっと、新入生にさ」
「友人知人には一人もいません。
同じ街出身の人といえば……カール・ケルドルフ君がいましたか」
「なんか有名な奴なのか?」
「ええ。
おそらく、同世代では一番名の売れている人物だと思いますよ。
彼の家は魔法を使った剣術で有名でして、本人も少年の部ながら皇帝杯を取っています。
今後は一般部門でも期待されるでしょう」
「はあ。
いわゆる選良、えりぬきってやつか」
「そうですね。
また、冒険者としての活動もしていて、幾つかの件では褒賞も貰っていたはずです」
「冒険者?」
首を捻ったアルカは、思い当たったのか頷いて続けた。
「ああ。
遺跡荒らしとか、何でも屋の事だな」
「ルカ君、彼らに対して前者の呼び方は禁句です。
わりときつい蔑称なので、喧嘩を売っていると取られかねませんよ」
「物騒だな、おい」
田舎では平気で使われていても、都市部では問題になる言葉がある。
アルカも知識として知ってはいたが、実際に遭遇すると面倒臭いとしか思わなかった。
この辺り、人が多い故に軋轢を避けようとする都市部と、昔からの顔馴染みで回る田舎の違いであろう。
そういうのも覚えなければならないか、とげんなりするアルカに、気を取り直すようにピートは続けた。
「他に新入生で抜群の知名度を誇る人といえば、ニーナ・ダフトベルクさんでしょう」
「何だ?」
答えた声は、隣ではなく前方から聞こえてきた。
すらっとした少女で、肩の辺りで切り揃えられた金髪が、振り返った彼女の動作でさらさらと揺れている。
女らしい丸みの少ない、無駄の削ぎ落とされた体つきは、細身の剣を思わせた。
かなり整った顔立ちをしており、やや目つきが鋭い以外は、まず美人と言って間違いがない。
ただ、身につけている物が女性用にしては装飾が少なく、男物と言われても頷けそうな色気の無い物ばかりだった。
総じて、とっつきにくい美少女だろうか。
そして、そういう人が睨みつけると、怒っていないと分かっていても凄みがある。
完全に飲まれたピートが、しどろもどろにしか言葉を発せないでいると、ますます彼女の目つきが鋭くなってきた。
「あー、もしかして、あんたがニーナ・ダフトなんとかさん?」
「そう、ダフトベルクだ。
今、呼んだだろう?」
話しかけたアルカに視線が向いた事で、緊張が緩んだのだろう。
ピートはなんとか釈明しようと口を開いた。
「いやその、ええっとですね。
つまり……なんと言っていいものやら。
いえ、決して何か悪評を、いや、違います。
そうではなく、ああっ」
焦りに焦りまくって、何を言っているのか分からなくなってきたピートの肩を、ぽんと叩くと。
気軽な調子で、アルカが代わりに答えた。
「単に、新入生の有名人について話してただけなんだ。
なんだっけ、カールなんとかって奴とか」
「お前、人の名前覚えるのが苦手なんだな」
「村じゃ新しく人の名前を覚えるのなんて、年に何度もあるこっちゃ無かったからなあ。
それはともかく、俺もこいつも別に悪気はねーんだ。
もし気を悪くしたんなら謝るから、許しちゃくんねえか?」
「別に構わん。
ああいや、元から怒ってはいないぞ。
それだけか?」
なんとかやり過ごせそうだとほっとしかけたピートに、アルカの能天気な声が聞こえてきた。
「俺達も新入生なんだが、これから……おっと、俺がアルカ、こっちはピートな。
で、これから飯でも食いに行こうとしてたんだけど、良かったら一緒にどうだ? なんでも、ちょっと女の子を誘うのにも便利な、パイの美味い店があるらしいんだが」
だよな、と話を振られて、ピートはこくこくと頷いた。
目の前の美人さんの様子を伺いながら、横目でアルカを探るように見る。
まるで物怖じしていない新たな友人に、ピートは少なくない戦慄を覚えていた。
「高い店か?」
「ふっ、俺が金持ちに見えるかい?」
前髪をかき揚げながら、気障ったらしく答えたアルカに、ニーナの口元が少し緩んだ。
もしかしたら彼女なりに笑っているのかもしれない。
「分かった。
付き合おう」
「よし、決まりだ。
こっち来て早々に美人さんと知り合えるなんて、俺もついてるな。
ええっと、ダフベ……ダベル……ニーナでいいか?」
「構わんが、失礼だから早目に覚えろ。
ダフトベルクだ」
「悪い。
名前を間違えるってのは、本当に失礼だよな。
ダフトベルクね、ダフトベルク。
ダフトベルク、ダフトベルク……書いておこう」
失笑しながらも目つきから険の取れたニーナが、手帳に書き込みながら歩きだしたアルカの隣に続く。
しばらく呆然と見守っていたピートは、自分が遅れている事に気づいて慌てて駆け寄った。