第四話 猫と少女 2
帝国の暦は、大陸西部で普及している太陰太陽暦を採用している。
十二刻で一日、十日で一週、三週で一月、十二ヶ月で一年。
月の満ち欠けの周期、朔望月は平均して約30.24日あり、年末に三日前後の閏日が設けられていた。
この閏日が何日になるかは、それぞれの国の元首の専権事項とされている。
時空の支配者というのが、古来より王の権威の裏付けとなってきた為だ。
ただ、他国とずれが生じると不便なので、一月一日は各国で揃えるという取り決めがされている。
実のところ、閏日が国によって違った例は、八百年以上も前に遡る必要があった。
近年では、より正確な暦の制定を目指し、各国の天文学者合同による研究会も開かれていた。
この暦の元になる、夜空に輝く大きな月を表月。
軌道の反対にある為に、主に昼間に見える小さな月は裏月と呼ばれていた。
占いでは、双方の月の満ち欠けなども、大きな意味を持つらしい。
年によって日数が違う事もあり、慣例として年末閏日の前には商店は閉まる。
年越しの買い物もあって、どこの店も駆け込み需要で忙しくなるものだ。
もう来週には年末繁忙期になるというその日、アルカは買い出しを頼まれて街に出ていた。
肌を刺す冷たい風に、消耗品を入れた紙袋を抱え直して、お古の外套の中で身を竦める。
後もう少し、角を一つ曲がればラメール魔導具店が見えるというところで、彼の視界に白い物が舞い降りてきた。
見上げたアルカの髪、飾り付けられた街路樹、子供達の広げた手袋、街の至る所に雪が降ってくる。
歓声と溜め息が半々に聞こえる街を、アルカは小走りに駆けていった。
鈴を鳴らしながら入り口を開けたアルカが、急いで扉を閉める。
内部の暖められた空気を吸って、彼は人心地ついたように息を吐いた。
「戻りました。
寒い寒いと思ってたら、降ってきましたよ」
「お帰り」
「あ、こんにちは」
アルカを出迎えたのは、店主の娘のマリーと、学院生のカヤだった。
長い黒髪の少女二人は、雑談でもしていたのかカウンターを挟んで近くに立っていた。
「ただいま。
すっかりカヤも常連だよな。
うちの店、そんなに面白い?」
「えーと……それも無いとは言いませんが、私の場合、ほとんどマリーさんと話しに来てるだけですから。
すみません、冷やかしで」
「いや、謝る必要はねーよ。
でも、本当に仲良いよな」
「無神経なルカさんには分からない、女同士の絆ってやつがあるの」
「はいはい。
あ、それじゃ俺は奥行くから」
口を尖らせるマリーの頭を撫でてから、アルカは荷物を持って事務室に向かっていった。
適当にあしらわれたマリーが、しばらくむくれた後で溜め息を吐く。
愚痴でも聞いて欲しいんだろうと察して、カヤは年下の少女に話を振った。
「どうかしたんですか?」
「ルカさんがうちの店に来て、そろそろ一年になるけど、なんかずっと子供扱いのままなんだよね。
もっと、大人っぽくなれないかなって」
「どうですかね。
これはうちの母の持論ですが、『よそはよそ、うちはうち』とも言います。
変に背伸びしても、マリーさんの魅力が損なわれてしまうだけでしょうし、何より無理をした付き合いなんて長く続きませんよ」
「学校じゃどうなの? まあルカさんだし、モテないとは思うけど」
ぐでっとカウンターに突っ伏しながら、ちらっと見上げてマリーが尋ねる。
そんな彼女に苦笑を返して、カヤは自分の記憶を探ってみた。
「確かに、女の子に群がられてたりはしませんね。
もっとも、そんな人、見た事ありませんけど」
「なんか筆記試験が常に一位の人とかいるんでしょ。
その人も?」
「ピートさんですか? 『勉強出来てすごい』とは言われてますけど、それだけですね。
いえ、私が知らないだけかもしれませんが」
細身で眼鏡の似合う、いかにも知的な雰囲気を持つピートだが、学院の女子には色気が足りないと評されていた。
もっと落ち着きが醸し出されるようになると、ぐっとくるとかなんとか。
アルカの方は、人当たりの良さと話しやすさで評判は良かった。
ただ、弟には今すぐにでもなって欲しいが、恋人にするには少々物足りないらしい。
「容赦ないですな」
「男の子達もそうでしょうけど、女子の間で話す分には、ばっさりですよ。
二人とも、十年ぐらいしたらモテそうとは言われてますね。
まあ、ルカさんの場合は、親しい人が親しい人なんで敬遠されてる部分もあると思いますけど」
「学院のルカさんって、どんな人と親しいの? ああ、女の子限定で」
「まず私ですね」
「カヤちゃんはいいから。
だって、ルカさんのこと、まるっきり男として見てないでしょ。
なんか、親戚のお兄さんと話してるみたいだもん」
「いやまあ、確かにそうですが。
こちらが一方的にというだけなんですけど、昔から知ってる人なんですよね。
なので、今更ルカさんも男の人だと言われても、はあそうですかとしか」
「ルカさんって有名人なの?」
「ごく一部では。
なにせ、魔法人形と一緒に暮らしてた人ですから」
なるほどねえ、とマリーが納得したのを見て、カヤは話を戻した。
学院の女子の中では、彼女はアルカと話している方だろう。
といっても、突っ込んだ話をした覚えはなく、ほとんどが世間話だが。
「ルカさんの一番親しい女性は、ニーナさんという人です。
あそこまで綺麗な人、私は他に知りません。
もしルカさんに興味がある女の子がいたとしても、お近づきになろうとするには、よほどの勇気が必要でしょう。
だから安心……出来るかは分かりませんが、まあ学院でルカさんがモテる事は無いかと」
「知ってる。
店で話してるの見た事あるもん」
あれが相手かあ、と両手を髪の毛に突っ込んだマリーが、そのまま額をカウンターに打ち付けた。
かなり良い音がしたので、カヤは心配そうに見ていたが、マリーは平気そうに両手の上に顎を乗せた。
「ま、ルカさんが好きになっちゃっても、あんな美人に相手にされないよね」
「これが慢心ですか」
「ふふん、なんとでも言うがよい。
若さでは勝ってる」
「それは勝ってる部分なんですかね? どうもルカさん、妹さんがいるせいか、年下を異性として見てない気がするんですが。
いえ、私は応援してますよ。
ただまあ、部外者が関わる事ではないので、あの二人の邪魔はしませんけど」
そこで一端言葉を切ってから、カヤは不思議そうに呟いた。
「それにしても、あんな美人とどこで知り合ったのやら」
「カヤちゃんも通ってる学校でしょうに」
ぼけぼけなんだから、と肩を竦めるマリーに、カヤは笑って誤魔化した。
どうも違う理由からの疑問だったらしいが、彼女の思考は玄関の鈴に遮られた。
入ってきたのは厚手の外套を着た、毛深い青年だった。
もみあげが濃く、もじゃもじゃの毛が胸元から覗き、手の甲も毛だらけだ。
あだ名は熊なんだろうな、とマリーが思っていると、隣でカヤが声をかけた。
「こんにちは、熊先輩。
買い物ですか?」
「ああいや。
ええっと、俺を知ってるって事は、君も学院生だよな。
ちょうどいい、この店にアルカ・ティフタットって奴がいるはずなんだが、知らないか? 副会長に呼んでくるよう頼まれてさ」
彼の身元を確かめるようにマリーが見ると、カヤは頷き返した。
「会長が飼い主として有名な、生徒会所属の熊先輩です。
この人のおかげで、会長は熊使いとして恐れられ、学院で権力をほしいままにしてるとかしていないとか」
「いや、いないからな?」
冗談です、とさらっと言ってカヤは奥に呼びかけた。
別に他意は無かったが、マリーが目を向けると、熊先輩は会長の弁護を始めた。
素晴らしい人格者だとは言えないにしろ、会長が学生に楽しく過ごして貰おうと務めているのは間違いないと。
自分でも何故やってるか分からない彼の熱弁とマリーの困惑は、アルカがやってくるまで続けられる事になった。