第四話 猫と少女 1
エメットの街を襲撃したツコ・ガバーニの部隊は、隊長の戦死と副長の錯乱により、ひどい混乱をしながら撤退した。
市街で同士討ちも発生し、ばらばらに逃げ惑った末に、大半が管区の軍に捕縛されたらしい。
これは帝国軍が優秀だったというより、逃げ場が無かったせいだろう。
北部平原で両軍が衝突し、ツコ・ガバーニ軍が敗北。
エメットの街で騒ぎが起きた頃には、既に本隊は退却を始めていた。
両国の間にあるスード海峡は、船で一刻もあれば渡れる距離だ。
しかし、敵の妨害を受けながらの海上輸送は容易な事ではない。
過去に幾度も繰り返されてきたように、今回も海を越えて侵攻した側が、補給が続かずに敗北するという歴史をなぞっていた。
街の各所で発生した戦闘による犠牲者は、警邏隊や学院関係者を中心に、四十人近くに及んだ。
敵側に与えた被害は少し多いぐらいだが、慰めにもならないだろう。
アルカが面識ある中では、サラ・ディオールと、鏡の儀式の時に居た助教授が亡くなっていた。
助教授は学院奪還戦に参加し、そこで命を落としたそうだ。
他にも北の野営地でダンや伍長が戦死しているが、アルカがそれを知るのは秋になってからになる。
襲撃から十日。
慰霊祭が行われ、壊れた建物の修理が始まる頃には、街も落ち着きを取り戻しつつあった。
とはいえ、まだまだ外出を控える者が多く、アルカとニーナが入った角の喫茶店も空席が目立っていた。
昼時を避けて少し遅めに来はしたが、夏季休暇中なのを考えると、もっと混雑していてもおかしくはなかった。
帝国の他の街は、国旗や戦勝記念の幟を立てているが、エメットの街では半旗が掲げられていた。
警邏隊の詰め所と魔法学院の前には献花台が設けられ、たくさんの花が供えられている。
店の外の通りにも、胸に喪章をつけて弔意を表す人が大勢見えた。
「客足も減ってるから、うちの店も夏休みは長めに取るそうだ。
というか、商店街連合会で決まったらしいから、勝手は出来ないだろうけど」
「店舗以外も自粛するところが多いな。
夏祭りも中止だそうだ」
「まあ予定は合わせやすいだろうし、どこか遊びに行くか」
「そうだな」
話しながら、二人は飲み物のお代わりを頼む。
注文を取った店員が戻ってくるまでは、当たり障りのない会話をしていたが。
運ばれてきた紅茶に口をつけてから、ニーナは表情を改めて言った。
「あまり気負うな。
多少変わった事に巻き込まれていようと、お前一人に出来る事など、たかが知れているのだから」
「大丈夫だ。
そこまで思い上がってはねーよ」
「ならいいんだが」
少し疑っているらしいニーナに、アルカは肩を竦めてみせた。
確かに、サラの死に過剰な責任を感じたりはしていないようだ。
勿論、友人が死んで悲しいし、助けられるものなら助けたいだろう。
だが、もし方法が分かったとしても、アルカに過去に戻って彼女を助けるつもりは無かった。
それでサラを助けたところで、彼女が死んだ事実は覆しようがないのだから。
「仮に過去を変えられても、自己満足にしかならねーんだよな」
「だが、意図せず過去に戻ったとしたら、助けられるように動くのだろう?」
「そりゃそうだろ。
見ず知らずの奴ならともかく、知ってる奴が死ぬのが分かってるのに何もしないとか、そっちの方がしんどいぞ。
なんというか、こういう場合には正しい行動じゃねーのかもしんないが、俺には無理だ」
「事の是非は私にも分からんが、お前はそれでいいと思うぞ」
口元を綻ばせたニーナに、アルカは思わず見惚れた。
単純に綺麗な笑みだったのもあるが、恋い焦がれる人に似た表情だったのだから、彼の反応も仕方ないだろう。
もっとも、似ているもなにも本人なのだが。
同じ人でありながら別人であり、それでも彼女は同じ人なのだ。
ぐるぐると同じところを回って、一歩も進めないアルカの思考を、横からの声が断ち切った。
「お待たせしました」
自分も紅茶を頼んでから、ピートが席に着く。
彼の為に場所を空けてやったアルカは、ほっとしたような顔をしていた。
「すみません、僕の方からお呼び立てしたのに遅れまして」
「何か分かったのか?」
「ええ、まあそれなりには」
飲み物がやってきたところで、一息入れてからピートは話しだした。
先日の襲撃を指揮していた赤毛の女騎士の名は、ルイーザ・セス・アウルス。
その家名は、『熊の王に任じられた』という意味を持つ。
熊の王とはツコ王を指しており、彼女は現在のツコ・ガバーニ王の実の娘なのだそうだ。
「なんだってまた、お姫様が少数で、この街に攻めてきたんだ?」
「やっぱり、そこは気になりますよね。
申し訳ないんですが、僕が調べた限りでは分かりませんでした。
どうも政府の方では、お家騒動が絡んでるんじゃないかと思っているようですが」
「お家騒動か。
今回の戦争のきっかけも、公主の存在だったな。
ガバーニ王の正統としては、公主の方が現ツコ・ガバーニ王より上位にあるとか」
「元々が、二つの王国を少々無理に統合した国ですからね。
今回の出兵だって、有力貴族の幾つかは協力を拒んでいます。
いや、拒むどころか、ツコ・ガバーニの輸送計画が洩れてきたそうですから」
島南部のガバーニ王国が、大陸への対抗として島北部のツコ王国と連合を組み、取り込んだ結果出来上がったのがツコ・ガバーニ王国である。
正式には現在でも連合王国と名乗っているが、ツコ王国は名前ぐらいしか残っていないようなものだ。
ところが流行病でガバーニ王の血筋が絶え、直系の子孫は大陸にしかいなくなってしまった。
帰還運動も行われたそうだが、ツコ王の末裔を担いだ対立派閥が勝利し、そこから現在の王室に続いている。
ぐだぐだなのはここからで、ツコ・ガバーニ成立後に起きた幾つかの戦争によって、国王派閥の貴族達は当主が死亡したり、経済的に大きな痛手を負った。
彼らが弱体化した事で、かつて公主を旗印に掲げた貴族達が、勢いを盛り返しているそうだ。
王太子を廃嫡して、旧ガバーニ王室傍系の男子を立太子しようという動きが活発化しているとか。
つまり、ツコ・ガバーニ王の足元は敵だらけなのである。
「まあ根本のところは領土問題なので、遅かれ早かれ戦争になったでしょうけどね。
旧公国の周辺は、千年前からガバーニの大陸の飛び地だとか言ってますし」
「襲撃を受けたのは、警邏隊と学院に寮、それ以外だと市長と理事長の屋敷ぐらいだったな」
少し考えていたニーナが、指折り数えていった。
ツコ・ガバーニの部隊は街全体を攻撃するのではなく、それらの拠点に狙いを絞っていた。
明らかに、何らかの意図が感じられる行動だ。
そもそもエメットの街には魔法学院があるぐらいで、軍事的な価値はほとんど無い。
帝都との間に堅牢なエージュ要塞があり、街を占領しても首都への攻略拠点になどしようがないのだ。
他の重要拠点にも、エメットを押さえたからといって有利に運ぶような場所は無い。
係争地の旧公国は論外で、街からは南西に百カリムテラ(約97キロメートル)近く離れた沿岸地帯にある。
ツコ・ガバーニからなら、海から直接行った方がよほど近かった。
「理事長って、公主の末裔だったりすんのか?」
「どうでしょう。
そんな話は聞いた覚えはありませんが、もしかするかもしれません。
少し調べてみます」
「なんにせよ、傍迷惑な話だ。
お姫様は好き勝手やって死ねて、本望だったかもしれんが。
巻き込まれたこちらとしては、たまったものではない」
冷淡に呟くニーナからは、強い侮蔑が感じられた。
ピートと苦笑し合って宥めつつも、アルカの内心は罪の意識に苛まれていた。
なにせ、彼はニーナ・ダフトベルクの反対を押し切り、好き勝手やって死んだ馬鹿を知っているのだから。