第三話 襲撃 5
フロート助教授から解放されたのは、日が落ちてだいぶ経ってからだった。
既に夕飯時も終わり、街も静かになってきている。
いまだ灯りも騒がしさも衰えないのは、盛り場ぐらいのものだろう。
校門へと向かう二人を、建物の隙間から猫の光る目が見送っていた。
アルカの様子がおかしい事に、ピートも流石に気がついていたようだ。
彼の顔色が少しはましになったところで、申し訳なさそうに頭を下げた。
「なんかすみませんでした」
「いや、お前が謝るこっちゃねえだろ。
単に、自分が馬鹿だったのを改めて思い知らされただけだ。
どんなに変えたい過去があっても、例え過去に戻ったところで変えようは無いんだよな」
「主観的には変わるって事じゃないですか?」
「あっちで俺の葬式に、お前は出たと思うんだが。
今ここに俺が生きてるからって、あっちのお前が墓参りに行くのは変わらないだろ」
「あー……なるほど。
それは確かにそうなりますね」
いまだ半信半疑だからなのだろう。
アルカの身になって考えた事など無かったピートは、言われてようやく理解した。
そして、妄想でもなんでも、本人は確かに過去に戻ったと思っている事も分かった。
ピートは疑り深いというより、証拠も無いものを頭から信じ込む性分ではない。
だが、仮に何らかの方法で立証出来る事なら、全世界に否定されても彼は揺らがないだろう。
彼が隣の少年を友人だと思っているのも、確かな事であるように。
励ます方法を考えていたピートの前で、アルカの足が止まる。
ピートが様子を伺ってみると、アルカは冷や汗をかきながら息を飲んでいた。
彼の耳が拾ったのは、大勢の人間が整然と進む、訓練や戦場で聞いた覚えのある音だ。
耳を澄ませるうちに、悲鳴や怒鳴り声も聞こえてくる。
それに気がつくと、戦場の真っ只中にいるような重い空気がのしかかってきた。
「まさか、冗談だろ」
「ルカ君?」
聞き間違いなのを願った彼の耳に、誤魔化しようもない爆発音が届く。
驚いて顔を向けたピートの肩を掴んで、焦りながらアルカは言った。
「逃げろ、ピート。
敵襲だ」
「え?」
「どこか安全なところを探して、隠れておけ。
俺は行ってくる」
「いや、どこへ行こうっていうんです」
ピートの呼びかけに答えず、アルカは走り出していた。
どこへ向かうのかは決まっている。
例え、あの彼女と同じ人ではなかろうが、ニーナを喪ってから後悔するような事だけはしたくなかったのだから。
校門を抜けたところで軍服を見かけ、アルカは街路樹の陰へとしゃがみ込んだ。
そっと伺ってみるに、どうやらツコ・ガバーニの兵らしい。
だとすると、平原での戦闘で帝国軍は負けたのだろうか。
もしそうなら、新聞などが黙っていたとしても、街の噂にぐらいなっていてもおかしくはない。
そもそも負けたのなら、敵より先に逃げて来るはずの帝国の兵士達は、どこへ消えたというのか。
ツコ・ガバーニの兵士達は数人単位で行動し、互いに連絡を取り合っては、また方々へ散っているようだ。
出会した街の人間に銃を向け、建物に入っていろと怒鳴りつけるものの、略奪に来たという感じではない。
何かを捜しているようだが、適当なのを一人捕まえて聞き出せるような腕も経験も、アルカには無かった。
そもそも、彼らの目的がなんだろうと関係ないのだ。
兵の姿が見当たらなくなってから、物陰を伝うようにアルカは移動を始める。
騒ぎに起き出した人々が、何事かと顔を覗かせる窓の下で、アルカは路地裏の暗がりを走っていった。
エメットの街の西側にある警邏隊の詰め所では、激しい銃撃戦が行われていた。
三階建ての建物の壁や、入り口の門は穴だらけになっている。
敵味方双方が吹き上げる白煙により、辺りには視界を遮るほどの靄がかかっていた。
ツコ・ガバーニ兵の中心に、厳しい顔をした大男が立っていた。
周囲の兵より頭一つ高く、短く刈り込んだ頭と顔に刻まれた傷が、歴戦の兵だと物語る男だ。
歳の頃は、中年に差し掛かったほどだろうか。
身奇麗な士官らしき若い男と、戦場とは関係のない娼館の話なんかをしている。
肩にかけた斧槍は、かなりの重さがあるはずだが、まるで苦にしていないようだ。
仕草には粗暴さが垣間見え、正規軍人として出世してきたというよりも、傭兵のような少し崩れた雰囲気があった。
「報告! 南寮にて、立て篭もった学生と交戦。
援軍は必要ないと、大隊長は仰っていました。
あ、北寮の包囲は完了しております」
「お嬢ちゃんは?」
「大隊長は、その……南寮にて戦闘中でして」
「何やってんだ、おい」
がしがしと頭を掻いて、大男、フリードが睨むと、伝令兵は身を竦ませて頭を下げた。
若い士官が苦笑しながら伝令兵を行かせ、なだめるように声をかけた。
「兵に怒っても仕方がないでしょう、副長」
「柄じゃねえんだよ。
こういう役職は、お前がやりゃあいいだろうが」
「殿下のご采配に、私ごときが口を挟めると? ご冗談を」
気障ったらしく笑う士官を、フリードは胡散臭そうに見ていたが、相手をするのも面倒なのか懐の地図を取り出した。
街の中央、魔法学院は残っていた警備と学生を拘束し、制圧済みだ。
確保にはこだわらず、抵抗が激しいようなら撤収しろと命じてある。
東側の三寮は元から放置の予定だが、変装させた兵に一応監視させていた。
街の有力者であるティレン家や市長の屋敷では、派手に交戦させているが。
これも陽動で、無理はするなと言ってある。
この部隊の隊長は、自ら学院の制圧に向かったはずだが、現場の指揮はどうなっているのか。
そもそも北の寮を囲んで投降を呼びかける手はずだったのに、なぜか南の寮で戦闘になっている。
どうにも上手くないと、フリードはうんざりした顔で夜空を見上げた。
彼らは北部平原での睨み合いから、戦場を抜け出す形で単独侵攻した大隊だ。
公文書には五百名と記録されるが、そもそも最初から定数を満たしてはいない。
更に途中で帝国軍と戦闘になったので、三百名近くにまで減っていた。
隊長としても不本意な命令だったのか、ひどく苛立たしい顔をしていたのをフリードは覚えている。
事情はともあれ、敵地で後詰も受けられないのでは、速やかな撤収が出来なければ捻り潰されるだろう。
この人数では、街一つを制圧する事など最初から不可能だし、救援が来る前に逃げ出さなければ全滅も免れまい。
大きく溜め息を吐いたフリードは、斧槍の柄を握り直して、若い士官に言った。
「ここは任せた」
「どちらへ?」
「旦那にお守りを頼まれてっからな」
放っておいて帰りたいという本音を隠そうともせず、フリードは夜の街を南へと歩き出した。