5-3 聖なる王
「くう……」
すさまじい情報の奔流の中に、私はいた。
まわりでは、『星図』が飛び回って、その膨大な情報を放射している。
それが結界になって私は守られているが、それでも滲み込んでくる情報だけで、私という存在の根底がゆすぶられ、読み取られ、吸収され、書き換えられそうになる。
それに耐えるために、私は自分の外形を物理次元の体とほぼ同じにしていた。体という概念にすがりつかなければ、意識がバラバラに引きちぎられそうだ。
「これが、凍結図書館……?」
長城の中の整然とした豊穣さはここにはない。あるのは荒れ狂う混沌とした嵐の海の様な情報の対流だけ。
……嵐?
ふと思いつき、より情報濃度の高い方向へと意識をむける。星図を押し立ててじりじりと進んだ。
ますます激しく吹きつける情報の波に、時に押しやられ、時にくるくるとその場で回転させられながらも、歩を――ここには大地などないけれど――進める。
だんだんと、情報の移動が減り始める。
まるでねばねばとした蜘蛛の糸の間を通り抜けている様な感覚。空間に刻み込まれた情報の濃度が高すぎて、対流の起こりようがないようだ。
その濃度が最高潮に達し、息苦しいほどの粘度にあがった時――それは現れた。
†
それは唐突にそこにあった。
あらゆる色に輝く空間の中で、白亜の色を傲然と主張する完璧な立方体。
私は確かめるまでもなく、それが一分の狂いもなく正確に正六面体をなしているのを直感する。
それは、物理次元の凍結図書館のより完璧な――完璧というものに段階があるならば比べ物にならないくらいの段階を隔てた現し身だった。
いや、この立方体の不完全な模作こそ、物理次元の凍結図書館にほかならないのだろう。
あまりの完璧さに見とれるあまり、肩のあたりを飛んでいた星図のひとつにひびが入るまで動けずにいた。
ぴしりという音で我に返る。
データを放出しすぎて、崩壊が始まっているのだ。
内心冷や汗をかきながら、その立方体へと近づく。
ほうと溜め息のような息を――それも情報の渦に消えていく――吐き、うっとりとその表面を眺めながら、近づいて行く。
どんなレベルでも瑕のない平らかな感触。
「あうっ」
指が触れた場所から体がねじまがり裏返ったかに思えた。
体中の意識を覗かれ、切り裂かれ、こね繰り回されて、また再構成される快楽。
刹那のようにも永遠にも思える感覚に、私はへなへなとへたりこんだ。
へたりこむ?
周囲を見回せば、そこには先程までの乱流のごとき空間はなかった。あるのは柔らかな光に照らされた、真っ白な部屋。
床にはふわふわとした豪奢な――おそらくは手織りの――絨毯が一面にしかれ、床以外の五方からは、柔らかな光が降り注いでいる。
あの立方体の内側だと直感した。私は立方体に取り込まれてしまったのだ。
「やあ、いらっしゃい」
部屋の真ん中あたりでそんな声がした。
見上げれば、大きなテーブルの影に、誰かがいる。
ここからでは椅子に座る足元しか見えないけれど、どこか聞き覚えのあるような声。
立ち上がろうとする体の周囲に、星図がぽとりぽとりと落ちた。情報を吐き出し尽くし、黒かった石が、漂白されたように薄汚れた灰色と化している。
「シュ……ア……?」
立ち上がった私は、呆然と呟く。天然木から切り出したように見える一枚板のテーブルについて優雅に白磁のカップを傾けている影は、私が愛した――病院でうなっているはずの――男にしか見えなかった。
「シュア? ああ、やつは君にそんな風に名乗っているのか。それは剽窃だな」
香りを楽しむようにつぶっていた眼が開く。その両目が赤く赤く輝くのを見て、男がシュアではないことに確信を持った。
その色よりも秘められた力が全く違う。
「ま、お座り、お嬢さん。積もる話もあるだろう」
いつの間にか彼の正面に、もうひとつのカップがおいてあった。ゆったりと湯気をたて、ふくよかな香りが鼻に届く。
その香りそのものに、信じられぬくらいの情報が詰め込まれていることに愕然とする。
香りを味わうだけで、テラ脱出前から現在に至るあらゆる紅茶のデータが私の頭に流れ込んできた。
神経を張りめぐらせてみれば、あらゆる場所に圧縮された情報が宿っているのがわかる。
現れ方は違えど、やはり、ここも凍結図書館なのだ。
「ああ、それは正確ではないね。ここが……この場所こそが凍結図書館なんだよ。外は……まあ、余波みたいなものでね」
動こうとしていた体をぴたりと止め、彼をまじまじと凝視する。
それに逆に驚いたような顔をして、次の呼吸で照れたように微笑んだ。
「すまない。未生と会話してしまったか。とにかく座ってくれ。話にくくてしょうがない」
未生?
この男はいったい何を言っているのだろう。なにより、何者なのだろう。
疑問がわき上がっているのを表面には出さないようにしながら、示された椅子に腰掛けた。求めるものを探り当てるには、冷静になる他ない。
カップをとり、紅茶らしきものを口に含む。
かぐわしい香りと、舌先に残る苦み、口中に広がる甘みと共に、先程とは比べ物にならぬほどの濃密な情報が記憶に書き加えられていった。
想像もつかぬほど太古に生きた人々の声、遥かな遠い星の下生えの香り。
「おいしいかね?」
「紅茶そのものは。こめられた情報は、未整理で何ともいえないわね」
男の優しげな声に、つい本音をもらす。
あまりの情報量に感覚が麻痺して、ともすると目の前にいるのがシュア本人だと錯覚しかねない。
「そこは本職。整理整頓はお手の物だろう。情報商人のお嬢さん」
「よくご存じね。エイダ・リィプルと、いまは名乗っているけれど」
「エイダか。よい名前だ。シュアを追っていて、君のことは何となくきいていたのだが……。そうか、エイダ君か」
うんうんと大仰に頷く。
そういう動作をする時、確かにこの男は、シュアに似てはいても全くの別人だと感じる。
「あなた……何者?」
「鵲。あるいはジュナークと呼ばれているよ。シュアと名乗ってるのはうちの息子だ」
くふっと喉で変な音が鳴った。
鵲とは、この銀河で最も有名な名前だ。そして、ジュナークは、スーラの言葉で聖なる王を言う。
聖院鵲。私が追い続ける相手。
取り落としそうになったカップを、受け皿に戻す。ほとんど音が鳴らなかった事を、自分で誇りに思った。
「……あまり驚かないね」
つまらなさそうに彼――銀河系の支配者だった男は口をすぼめる。
子供染みた表情に、思わず殺意が芽生えた。
「ほんの少しだけ予想していたからね。彼は『アーキ』……王族なんでしょう? あなたの映像……といってもピンぼけのぶれぶれのデータだけど……にも似ていたし」
「ふむ」
眉根をよせて、困った顔になる聖院猊下。
この図はなかなか貴重かもしれない。持ち帰れたならば。
「じゃあ、これは知らないだろう。あいつを狙撃させたのは、僕だ」
言葉が神経に行き渡る前に、両手が二つの銃を抜き放ち、彼の額につきつけていた。
物理次元の銃と同じ形をしたそれは、惑星単位の識空間さえ吹き飛ばすほどの論理爆弾だ。
「撃てばシュアが死ぬよ」
落としかけた撃鉄を、その言葉が止めた。何でもないことのような呟きが、しんしんと心の底に冷たくしみ入る。
「どういう……こと?」
肩をすくめて、とぼけた表情を浮かべる鵲。ずきりと左手首が痛んだ。
あの『リング』が。
「どういうことか、教えてくれないかしら。そうでないと、感情に負けそうよ?」
銃口で額を小突く。
不快げな顔も見せず、いやらしい笑みを浮かべる彼に、ぎりりと唇噛みしめた。
「すでに負けているんじゃないかな。ここでそれを撃てば、君も巻き添えだ。他の分身がたどりつくか、賭けてみるかね?」
ふんと鼻をならす。大きなお世話というものだった。
確かに、分身の中でこれほど核心に近づけているものはいない。また、これほどの危ない局面にあるものもいない。
聖院は、不思議な顔をして私を見上げた。
まるであどけない幼子のように、純粋な疑問の眼。
「うちの息子は、そんなにいい男かね」
「そういう問題じゃないわ」
言い放ってから、その言葉が自らの心のうちをすさまじく的確に表していることに気づいた。
そうだ、そんな問題ではなかったのだ。
「やつもそう言っていたがね」
「え?」
「シュアだよ。やつには君を人質にしたと伝えてある。まあ、実際こうして僕に見つかった時点で、いつでも君を『焼き切れ』るわけだしね」
そのとおりかもしれない。分身がいくらいても私は私本体につながっている。
凍結図書館の識支配力から考えれば、バックアップを用意してあるとはいえ、かなり危うい。
「こちらは、彼が人質かどうか、まだ信じていないわ」
銃を構える腕に力をこめて告げる。
「シュアを確保してるなんてハッタリにのると思う? 脳を焼き切られる前に、ここで論理爆弾を破裂させて、混乱の中で情報をかっさらうくらいのことはできるわよ」
ぐぐっと引き金をしぼる。
「君こそ、はったりはいい加減にしたまえ。本気でそう思っているなら、とっくにやっているはずだ。……それはともかく、証拠がほしいなら、みせてあげよう」
鵲の瞳が、私のそれと向き合った。
視線が圧倒的な力をもって意識に侵入し、あっと言う間に視角野の一部が彼の――あるいは凍結図書館の――支配下に入ったことを私は悟る。
「くっ」
「見たまえ」
眼前にスクリーンが生じたように視界の一部が切り取られ、そこに映像情報が流し込まれてくる。
なかば自動的に、圧縮されたそれを展開していた。
「なに……これ」
そこには確かにシュアがいた。
おそらくはリアルタイムの映像なのだろう。真黒い装束の人々の群れの中に、ただ一人輝くような純白の長衣を纏ったシュアが、自然石から切り出したのであろう巨大な玉座に傲然と座っている。
いつ病院を離れたのだろう。
けれど、ただホッとした。動けるようになったのだと。
顔までも覆った二人の人物が彼の脇に立ち、彼らは三人で黒い波で覆われた大広間を見おろしている。
「死者の座、だよ。知っているだろう?」
知識としては知っている。
聖院がこの星に来たりし時につく玉座。
星国の奥深く、王族だけが近づける場所に、古の王のためだけに何千年と守られてきた場所。
「ありゃ拷問だよ。石造りのあんな椅子、座ってるだけで尻が痛い。しかも、戴冠の儀は半日かかるんだからね。正直、あいつ……シュアに代わってもらってよかった」
シュアの見おろす向こうに、黒の衣装をつけた人々の群れが立ちつくしている。
識空間で脳の処理速度を数百倍にしているせいで動きなどほとんど見えないが、ゆっくりと気づかぬくらいの早さで、なにかの動きをしているようだ。
ただ、シュアとその脇の二人だけが動かない。おそらく、あの二人は聖院の共同支配者であり妻である竜鱗の女皇帝と、次代の星帝その人であろう。
「シュアがあなたの身代わりしているのはわかったけれど、だから?」
「僕が連絡しなければ、彼は放置される。解毒はまだ完璧じゃないんだよ」
「……自分の息子じゃないの」
噛みしめた奥歯がきしんだ。現実空間でも噛みしめすぎたマウスピースがちぎれるのを感じる。
「関係あると思うかね?」
私はなんともいえない目つきで彼を睨んでいたことだろう。
視線で人が殺せるのならば、含まれた毒で、大量虐殺ができたに違いない。
「取引をしましょう」
銃を下ろし、ようやく言った。視界にうつるシュアの姿は良く見ればまだ危うい。
あまりに張りつめたその姿は、いつ割れるかしれぬ硝子の様に映った。
青白い顔が透き通る様で、その美しさに涙が出そうだ。
「ごめんだね」
条件をあげる前につっぱねられた。かたんと音をたてるようにして椅子に座り込む。
「君のほうから条件が出せる様な状況かね? 君たち二人は僕の手中にあるというのに」
「……で? 私に何をさせたいの?」
あきらめた様に、私は紅茶をすすった。
ふてくされた顔を見せながら、自分から小さなエージェントをいくつか切り離す。
細心の注意をはらって、少しずつ、少しずつ自分を削っていく。
「そう警戒することはないよ。ただ、選択をしてくれればいい」
「選択?」
「そう。……シュアか世界か。どちらかを選べばいい」
†
沈黙が落ちる。ゆったりとカップを傾ける彼の姿は、こんな時に見なければ、優雅にも見られたろうが、いまはただ苛つかせるものでしかない。
「やつには逆にこう言っておいた。君か世界か、どちらかを選べと」
世界……世界とは何のことだろうか。
私の欲する知識か。では、シュアのそれは?
思いは千々に乱れる。選択しろというのだから、選択肢にはそれぞれのメリットとデメリットがあるはずだ。
「君が何を求めてここに来たのかは、わかっているよ。星国崩壊の真実は確かにここにある。それを選べば君は自らの記憶すら演繹できるだろう」
かっと体温が数度上昇した様な気がした。
私の、記憶。
追い求め、追い続け、ついに手に入れられなかったもの。
わなわなと震える体。
口の中がカラカラに乾く。動悸が激しくなり、その奏でるビートが脳に響いた。
「ただし」
火照った体に突き刺さる寒風の様に、その言葉が響く。
「シュアの記憶は失ってもらおう。この十年、君は一人で仕事をしてきた。そう改竄させてもらう。もちろん周囲の人々の記憶も同様だ。たいていは死んでいるから楽だがね」
呆然とする私を面白そうに眺めながら、彼は続ける。
レイプすると脅された様な恥辱に余計に体が震えた。
何たる厚顔。
けれど、確かにそれだけの力を彼は備えているのだ。しびれるような恐怖が背筋を這いのぼる。
「逆にシュアを選べば、君はなにも手にしない。ただ、彼自身を解毒し、解放しよう」
「シュアの……側は?」
溜め息のように呟く。左手首が……シュアのくれたリングがずきりと痛んだ。
「君を選んだら、君は解放される。世界を選べば……彼は星帝となる。君の記憶は失われるけれど。ああ、一つだけ言っておくが、二人共に世界を選べば二人はそれぞれに安全を保証されるよ」
「囚人のジレンマ」
あまりに古典的で――だからこそどうしようもなく強力な――馬鹿馬鹿しいほど冷徹な条件に、思わず笑いだしそうだった。
解はたった四つしかない。
一つ、お互いがお互いを選ぶ。そうすればお互いが解放される。なにも手に入らないが、命の保証はされる。
一つ、私がシュアを選び、シュアが星帝となることを選択する。彼は至上の権力を得、忘れ去られた私は立ち枯れていくだろう。情報商人が情報を手放すということはそういうことだ。
一つ、シュアが私を選び、私が記憶を取り戻したなら、無事情報商人を続けられるが、シュアは毒により死んでいくだろう。
最後に、二人共に、世界を選べば、お互いがお互いを忘れたまま、二人は違う道をゆく。インタビューくらいはするかもしれない。
「そうだね。しかも、どちらを選ぶかは、そう簡単じゃない」
「裏切り即マイナスではないのが意地が悪いわ」
シュア、そして、己が生きていたはずの年月。自らの命。
天秤にかけるものが多すぎた。
尻の位置を浅く前に出し、椅子の背もたれに深く沈み込む。
くいと左手をあげ、両目をまぶたの上から強く押した。いつの間にか、シュアの映像は消えていた。
「……解毒が本当にできるかどうかは?」
「組成式を提供しよう」
言葉と一緒にデータが飛び込んでくる。
そのデータをシュアの体から取り出した毒物の組成と組み合わせてシミュレート。
……確かに有効な解毒剤のようだ。保護がかかっているせいで、組成式を記憶にとどめられないのが口惜しい。
「さて、そろそろ答えをもらいたいものだが」
じっと目をつぶったままでいたら、そう問いかけられた。
私は黙っている。
獲物を狙うハンターの様に、静かに、しかし神経を張りめぐらせたまま。
「エイダ君。僕がお茶を飲み終えるまでに答えてくれなければ、問答無用で脳を焼かせてもらうよ」
「もう一つだけ教えてよ。あなたのメリット」
「シュアを星帝にしたい。やつは見どころがある」
「ははっ」
私は乾いた笑いをたてた。こいつの思考の中では、私など興味の対象ではないのだ。
シュアをいかに星帝にしたてあげるか、その取引材料にすぎない。
そろりと薄目を開けて彼の顔を盗み見ると、私の笑声に怪訝そうな顔をしていた。
本当に私などただのもの扱いなのだろう。
「もう決まっているわよ」
居住まいを正し、彼に正対した。しっかりと相手の目を見つめる。その赤い瞳が輝き、すいこまれそうな気がしてしまう。
折れそうな意識をひきしめ、言葉を口にのせる。
私は待っていたのだ。
待ち続けていたのだ。
この言葉を舌にのせられる瞬間を。
「シュアを選ぶ」
ほっとした。なんとか答えを口に出せた。
「……そして、私は世界を選ぶわ」
もう一つの声がだしぬけにかかった。
聖院の顔が驚愕にゆがみ、私の顔が笑みで彩られた。




