4-2 依頼人
体が宙を舞う。
向かう先は、高さだけでいえば、三階下。
計算上は届くはずだが、このまま地上に叩きつけられれば、この体でもバラバラだ。さすがに、少し怖い。
蹴りあげた力でほんの少しだけ上昇した体は、物理法則に則って、落下し始める。
両手足を伸ばし、腹――重心――を中心にくるりと一回転。窓に向けて足を伸ばした格好のまま、私の体は放物線を描いて落下し続ける。
重力はねっとりと私の体に絡みつき、大地に抱き留めようとする。
物と物は愛し合いすぎていて、引きつけずにはいられないのだと、どこかの学者が言っていたっけ。
ビル風がびゅうびゅう吹いて、私の描く放物線をゆがめていく。
手を縮めて、体を切りもみ状に回転させた。風を巻き込みながら、落下、落下、落下し続けて。
……衝撃が足元から体中に伝わった。
盛大な音を立てて、生体材料と固定力場からなる窓を突き破り、床の上にごろごろと転がった。
体中に走るのは、痛みよりも衝撃と熱。
感覚処理をカットしようとする誘惑に耐えて、体の芯にじくじくと響く熱を実感する。
転がりながら、左腕の武装を『召喚』。空間に折り畳まれていたブレスレット状の武装が、手首に現出する。
両手で床を叩き、体を上に伸ばす。垂直に跳ね上がり、回転の力を殺しながら、床に降り立つ。
勢いを御しきれず、たたらを踏んで、ようやくとまった。
部屋の隅の大ぶりなフロートデスクの前で、目を丸くしている女に向けて左腕をかまえ、口をすぼめて小さく呼気を吐く。それと一緒に手首に連なった矢が発射され、女がうめきをあげて倒れた。
即効性の麻酔弾。死ぬことはない。
部屋の反対側で、もう一つ動きがあるのを感じとりつつ振り向く。あっけにとられた様子で立ち尽くす男が一人。
「ちっ」
舌打ちひとつ。
居すくまれては、予定が狂う。
数瞬ためらって、彼の足元に矢を打ち込んだ。
「ひっ」
情けない声をあげて男が飛び上がる。
そのままわたわたと逃げ始めるのを見てほっとした。
本人はとんでもない速さで逃げ出しているつもりだろうが、端から見るとこっけいなほど鈍くさい。
がくがくと震えている上に、腰がぬけかけて、極端に重心が下がっているので仕方あるまいが。
やれやれと思いつつ、叱咤する様に、矢を放つ。彼からだいぶ離れた床に三本続けて突き刺さった。
声にならぬ悲鳴をもらして、足を速める男。
その間に、部屋の中を確認していた。図面で調べた上に、向かいのビルからの光学観測で何度も確かめてあるが、思い込みで動くことほどおそろしいことはない。
それに、余裕もある。
フロートデスクが二つと、細々とした調度があるだけの、ごくありふれた個人オフィス。所有者は先ほど眠らせた女性。いま逃げているのは、彼女の秘書だ。
……ああ、ようやく扉にたどりついた。
女性が上体を倒れ込ませたデスクに歩み寄り、彼女の体を持ち上げると共に、デスクの上面に展開されていた立方体の小箱型インターフェイスを操作する。
プロテクトを外したのを確認して飛び込んできたのだから、望みの操作に到るまでの過程はスムーズだった。
空気の圧搾音が小さく聞こえて、背後――ちょうど頭の高さで、小振りなパネルが開く。
振り返り、壁に仕込まれた金庫の扉をさらに押し開けて、中を探る。機密書類なんてものもあって興味をそそるが、今回は必要ない。
「あった」
金属製の丈夫そうなボックス。ひねるようにすると上半面がずれて、内部がさらされる。
小さな不透明のカプセルをそこから慎重に取り出し、空いたほうの手で、自らの太股を叩いた。
ボディスーツがはらりとはがれおちると共に、ネオチキン製の外殻がはねあがる。人工筋肉の間に潜んでいた信息虫が顔を覗かせた。
巨大な一つ目に透き通った羽のついた信息虫は、小型の臓脳を収めた、便利な道具だ。
知る限りでは、エイダが、自ら設計した信息虫の技術を他人に譲り渡したことはない。
ぽかりと開いた目玉の中にカプセルを入れこむ。するとうれしそうに羽を震わせ、ぶぶぶと音をたてて私の周りを飛び回る。
動きだけを観れば、本物の昆虫の様だ。三度ばかり周回したあと、窓にあけた穴から空へと飛び立っていった。
それを見届けたとき、ちょうど警備員たちがどやどやと部屋に入り込んできた。
そして、私は破壊された。
†
臓脳をまっさらに戻し、識空間に帰投したモルフェウスの意識を優しく抱き留める。
体を失った意識は心細げに震えていて、私の意識と融合するのに少しだけ抵抗があったが、余裕をもって、それが薄れるのを待ち続ける。
「お帰り、モルフェウス」
そうして、彼女は、私となる。
「……逃げるつもりはなかったわけだな」
体を離したシュアが、何事かを思案しているような声でそう呟く。
「ええ。あそこに彼女の体を残すことそのものが仕事。カプセルは……ある宗教団体の教祖の受精卵だけど。まあ、ついでね」
彼の体の上からどいて、横に座りなおす。
「目的は、星国時代の躯体を残し、解析させることか?」
「あの会社は、大企業体――十八貴族の中でも最近落ち目のレクセル、その中核企業の一つよ。メインの躯体技術の開発が行き詰まって、最近生体技術に鞍替えしようとしていたけれど、これで新しい技術の開発に弾みがつくはず」
躯体の成型技術は、軍事、医療、生活全般に応用可能な非常に有用な技術だ。
使いようによっては、社会全体のメリットになる。
レクセルは企業体の中では比較的堅実だから、期待してもいいだろう。
「エイダのメリットは? 株式? いや、特許か」
「あたり」
モルフェウス達の体に秘められた技術は、この百五十年間で解析し、各国で特許を取得済みだ。
しかし、それを流通させるだけの基礎体力が私にはない。
しかし、レクセルは落ちても十八貴族のひとつ。彼らにかかれば世間に浸透させることなど造作もない。
あとは、こちらが取得した特許にしたがって、儲けの一部を支払ってもらえばよい。
「直に売り込むのは?」
「買いたたかれるのがオチよ。一時的な儲けは大きくても継続して安定というわけにはね。それに……」
にやりと笑ってみせる。シュアがなんとも渋い顔をした。
「何かしこんでるな、お前」
「えへへ」
正確に言えば、しこんでいる上に、まだ彼らには渡していない重要技術があるということくらいだ。
わざとらしく笑ってなにも答えないと、あーあと彼は天を仰いだ。
「たしかに俺は、情報商人を誤解していたな。予想より、よほどあくどい」
「ひどーい」
泣きまねをする。あまりにわざとらしいと思ったが、男は皮肉げに頬をゆがめた。
「ほめてるんだよ」
どっちもどっちねと聞こえない様に呟いた。
†
んーと伸びをする。そろそろ体が鈍ってきたような気がしてきた。
中央星域に長くいすぎたのかもしれない。
あてがあるという訳でもないが、出かけようか。
そんなことを考える。
旅立つにしろ、留まるにしろ、あと一歩決定的な要因がない。何か依頼でもあればそれを理由にできようものを。
シュアは相変わらずなにが面白いのか、大昔の本を読みふけっている。
ずりずりとソファの上を這って、彼の座っている所まで移動してみた。新しく納入させたソファベッドは大ぶりなので、落ちたりしない。
本に集中している横顔を見上げる。尺取り虫みたいに腰をつきあげている自分の姿も忘れて、しばし見とれてしまった。
なんだかそれが悔しくなって、ちょいとお腹をつついてみた。
ん? と私とつつく指を見比べる彼の顔が少し面白い。
「えい」
力を少し強める。お腹に気合いが入った。
「えい、えい、えいっ」
最後の一拍で、本気で手刀をたたき込んだ。腰が入っていないから本気といっても最大限というわけでもないが、結構な強さのはずだ。
だが、気合いを入れた彼の筋肉にはじき返される。
「いったあぁ」
打ち込んだ私のほうが手を痛める始末。
「いきなりなにするんだか」
ちょっと意地悪な微笑を浮かべながら、青年はようやく本を置く。
座りなおして、お互いにもたれかかるような感じ。
「一段落したのか?」
「一応ね。まだ返答待ちとか、トップの承認待ちなんてのはあるけどね」
問題はその程度の事は、旅立ちながら待っていたっていいということだ。中央星域から出るまではタイムラグも無視できる程度しかないのだから。
「そうか」
にっこりと笑いかけてくる。至近距離で見ると、もう見慣れたはずなのに、いい男だとうっとりしてしまう。
あ。つい、うっかりキスしてしまった。
唇を重ね合って、お互いの体温と体液と感触を貪り合う。
時々思うのだけれど、こうして絡め合う唾液や相手の舌が、甘いはずなどないのに、甘く感じてしまうのは何故なのだろう。
甘く甘く金木犀の香りのようにしびれるほどに甘い何かが、体と心を支配していく……。
とろけていく意識を切り裂くように、無粋なアラームが鳴った。私の個識に接触しようとしている者がいるのだ。
全くもう、と心の中で舌打ちし、通常回線のシャットダウン動作を行う。自動応対のエージェントがたいていのことは処理してくれるはずだ。
それでも鳴り続けるアラーム。
なんで緊急回線が繋がってるのよ!
少し体をひねる。名残惜しげに離れていく舌先が、火照っていた。
上唇同士を器用にくっつけあい、睦言をつむぐように言葉を発する。
「ごめん、仕事だ」
「ん」
そう呟き返しながらも、一向に体を離してくれようとしない男を、不思議そうに眺める。
「識空間で対応するんだろう? その間、抱きしめてる」
あまりの言葉にきょとんとした顔で見上げてしまう。
どうしたというのだろう。これまでそんな事を冗談でも言ったことなかったのに。
それでも、少し――いや、実を言えばかなり――うれしかったのも事実で、言葉にせずに頷く。
余計な媚を含まずにきちんと頷けたろうか。
「待ってて、ね」
それだけ言うと、私は意識を空想識空間の中へ飛翔させた。
†
抱きしめられている暖かさを感じながら、識空間へと降り立つ。中央星域では、空想識空間そのものも広大で深く、情報対流も大きい。
けれど、ここは私だけの空間だ。
アレクサンドリアと私自身の臓脳で構成された個識は、周囲の空間から絶え間なく情報を引き込みつつその境界線を広め、最大限まで伸びきると圧縮を行い小型化する、という脈動を繰り返している。
その中央部、中心回廊と名付けた場所に、最近設定した化身、杖つき猫の姿で現れた。
物理空間の姿で現れてもいいのだが、現在は数十年単位で訪れる、空想識空間内のセキュリティ悪化の時期なのだ。
個人空間とはいえ、気を抜いていられない。
「さて」
私は呟いてあたりを見回す。中心回廊は、長く長く続く廊下と、その両側に等間隔で存在する扉の群れでできあがっている。
それぞれの扉がありとあらゆる場所への通路となっているのだ。
アラームを鳴らし続ける扉は、すぐわかった。
数歩先に控える重厚な紫檀の扉だ。
「厄介事かなあ」
その扉は、中央星域での権利申請や、訴訟、資産運用を任せてある法律・経済集団に繋がるもの。
コツコツと二回だけ杖をついてから、ひとつ首をひねり、肉球のついた手でその扉を押し開けた。
「やあ、エイダ。ようやく出てくれたか」
野太い声が出迎えてくれた。ついでに大きく広げた腕と、分厚い唇を歪めた笑みもおまけについていた。
緊急回線を使ったわりに全くあせりの色もない。さすがは法律屋だ。
「いろいろ忙しくて」
肩をすくめてみせると、相手も同じように肩をすくめた。
鏡にうつしたように同じ動作だが、巨大な黒人の姿でやられると威圧感がある。
「で、何かな。資産運用の利回りが落ちたことのクレームの処理?」
少し不機嫌そうに言ってやる。
緊急の回線を使ってまで呼び出されるような事じゃなかったら文句の一つも垂れないことには気が済まない。
「違うよ。君にも興味深い話のはずだよ。それにそのクレームの件は既に詳細なリポートをまわしてある。すぐ処理されるだろう」
ミゲルはにやりと頬をゆがめて見せる。両手を広げてゆったりと振っているのは少しやりすぎのような感があるが。
杖を振って先を促す。
「急いてるな。少しはつきあってくれよ。次にあうのは何十年後かわからんのだろう?」
そういえば、以前逢った時は、彼も駆け出しの若造だったっけ。
「まあ、いい。手早くいくとするか。狙いは『司法艦隊』。報酬は二億プラーナ。……どうだ?」
ぴくりと大きく尖った耳が動く。
もちろん、アバターの動きなのだから、意識的なものだが、興味をひかれたのは間違いない。
司法艦隊とは……。
「わかったわ。依頼人とやらにこちらにくるよう言って頂戴。ありがとう、ミゲル」
音声信号にアドレスを乗せて送る。より個識に近いところに呼び寄せるためだ。個識に近づけば近づくほど、思考を加速できる。
「また会えることを祈っているよ」
認識できるぎりぎりの時間だけ風景がぶれ、ミゲルがいた場所に一人の少女が現れる。
これが依頼人とやらだろう。無事に私の指定したスペースにアクセスできたということだ。
少女をつかのま観察する。アバター、ムルクスタイプL2系列。珍しくカスタマイズをしていない。
いや、隠しきっているのか。
「はじめまして、お嬢さん」
「セラフ。セラフ・スイーフ」
簡素な自己紹介がかえってきた。信号の圧縮率が異常に高い上に癖がある。
『情報貴族』というやつか。
「オーケィ、セラ。依頼の内容をどうぞ」
「受けていただけるのかしら?」
「確約はできない。でも、内容を知らなきゃ、間違いなく断るわ」
少女の整った顔を真正面から見据える。負けん気の強そうな瞳の色をしていた。
「いいわ。目的は司法艦隊。動機は、復讐」
ナイフの様な声が、そう囁いた。




