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第1話「僕だけが、妻を知っている」

世の中には、いろいろな幸せの形がある。


結婚だって、その一つに過ぎない。


結婚しなくても幸せになれるし、誰かと一緒に暮らさなくても幸せになれる。


それでも、やっぱり結婚って最高だと思う。

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「周りでも結婚している人がいませんね...というか好きなアイドルとか推しに時間とお金を使いたい人が多いと思います!特にコロナ後は恋愛する人も少ない気がします~。」


夕方の情報番組で、20代半ばの女性アイドルが、40代、50代のアナウンサーやコメンテーターを相手に、結婚に興味を持たない理由を活き活きと語っている。


近年では3組に1組が離婚をし、離婚率が上昇しているらしい。


また結婚しない人、結婚をしても結婚式を挙げない「ナシ婚」のカップルも増えており、他にも同性婚や未婚率・離婚率の上昇など、結婚を取り巻く社会状況が複雑化している模様だ。


テレビの中では、今日も誰かが結婚について語っていた。


「今日も壮観だね!」


仕事が終わると、僕はいつも妻の入院している病院へ向い、17時半には病院に到着する。


それが、僕の日課だった。


妻と一緒に夕日を眺めながら、その日にあったことを話す。


今日は仕事でこんなことがあった。


昼飯はこんなものを食べた。


テレビでこんなニュースをやってる。


そんな、どうでもいい話をする。


それが僕たちにとっては、何より大切な時間だった。


「隣のベットにいた工藤さん、あまりにも夕日が明るいのが嫌だからって、東棟の方に移られたみたいなのよ。せっかくお話相手になってくださると思っていたのに、残念...」


「まあな。秋の夕日は目が痛むほど明るくなるから、ご老体には眩しすぎちゃうのかもな...」


白い壁に掛けられている草原を走る馬の絵画。


白い花瓶にマーガレットが3輪。


白いクマの人形。


いかにも緩和ケア病室だ。


それなのに、窓の外には、明日への希望を抱かせるような燃える夕日が広がっている。


それは、ここにいる人たちにとって、あまりにも眩しいものなのかもしれない。


妻の話によれば、隣の工藤さんは旦那さんに先立たれ、お子さんも遠方に住んでいるらしく、

一度も誰かがお見舞いに来ている姿を見たことがない、と妻は言っていた。


だからなのだろう。誰かと一緒に見る夕日は綺麗でも、1人で見る夕日は、少し寂しい。  


工藤さんは、夕日を嫌ったのかもしれない。


「明日も早く、来てちょうだいね!明後日は大雨みたいだから、明日も夕日を一緒に見ようね!」


妻が言う。


「分かった。明日は金曜で16時上がりにさせてもらったから、17時ぐらいに病院に到着できると思う」


「良かった~。やっぱり春樹が横にいてくれないと寂しいもん」


妻の浮腫んだ手を握りながら、必ず17時迄には来ると約束した。


俺が強い思いを持ちながら約束していることも知らずに、妻は不思議そうに情報番組を見ている。


彼女にとって俺と結婚をしたことは、後悔はなかったのだろうか...


面会終了時間の19時が迫る中で、僕は彼女はこの僕と結婚しようと思ったのか、どうしても聞きたくなった。


「ねぇ。どうして僕と結婚しようと思ったの?」


「どうしてって?」


「君なら、もっと条件のいい人とも結婚できただろうにさ」


妻は少し考えるような顔をした。


そして、いたずらっぽく笑った。


「なんでよ……言いたくないよ」


「なんで?」


「春樹が一番最初にプロポーズしたからだよ」


「それだけ?」


「うん。早い者勝ち。私って人気だから、すぐ取られちゃったの」


なんとも言えない回答だった。


僕は、結局満足できなかった。


けれど、面会時間は終わった。


僕は妻の頬に軽く口づけをして、病院を後にした。


---------------------------------------------------------------


翌朝。


台風の前日だからなのだろうか。


朝から雨が降る予報だったが、驚くほど快晴だった。


朝はコーヒーにシャウエッセンのソーセージと食パン。昼は立ち食い蕎麦。


そして16時きっかり。


僕は予定通り仕事を終えた。


「新山さん、いつも仕事ほんとに早いですね~。今日も奥さんのところに行くんすか?」


16時28分の電車には絶対に乗りたいところ、いつもの調子で隣席の鈴木さんが無駄話をきいてくる。


「はい。妻が一人で待っているので。」


「いや~毎日、奥さんの為に昼休憩なしで仕事をされていて尊敬しちゃいます。俺なんてどうせ家に帰っても一人だし、気にしてくれる人もいないのでだらだらと仕事をしてますよ。昨日なんて、コンビニでご飯買って会社で食べて、仕事したら会社を出たのは、10時でしたよ~。」


早く行きたいという間接的に伝えたつもりだが、伝わっていないのか。


「彼女作って、家でご飯作って待ってくれる環境を作らないと、定時に帰るなんて無理だな。かといって彼女、作る気ないんですけどね。工藤さんは料理とかすんすか?」


「いちおう。ごめん、乗りたい電車があるので明日」


無駄話が続きそうなので、急ぐのでという理由で会社を飛び出た。28分の電車には乗らなくてはいけない。


夢中に新宿駅構内を駆け抜けた。


ぎりぎり間に合うか…限定のイチゴ大福買わなきゃ…


階段を駆け上がり、2番線ホームに赤いランプが点滅している電車が見えた。


ぎりぎり駆け込み乗車に成功。時間を確認すると”16時30分”。


遅延しているのか、28分の電車に乗ることが出来たようだ。


空いている席を探し、16時50分にバイブ音用のタイマーをセットした。


「20分は寝れるな...」


全力疾走したのと、1週間の疲れが一気にあらわれたのか僕はすぐに電車に揺られながら眠りについてしまった。


---------------------------------------------------------------


「♪品川~品川~ご乗車の際は足元をお気を付けください。」


稲妻が落ちるように背筋が戻り、カッと冴えるように目を開けた。


やばい


完全に寝過ごした.....


今何時なんだ、今どこの駅だ...


完全に外が明るい。電車に乗る際はすでに夕方で徐々に暗くなっていたはずなのに、こんなに明るいわけがない。とりあえずあたりを見渡してみる。


今、どこを走っているんだ...新橋は通り過ぎたのだろうか


とりあえず、一旦次の駅で降りて確認する必要がありそうだ。


「♪次は田町、田町です。お出口は右側です。山手線、渋谷・新宿方面はお乗り換えです。」


まだ、田町か。しかし山手線を何周したのだろうか。


何故、外が明るい。


まさか、一晩この電車で寝てしまい、今日はすでに土曜日なのか。


「♪まもなく浜松町、浜松町です。お出口は右側です。東京モノレール羽田空港線、都営地下鉄大江戸線はお乗り換えです。」


外はお天気雨だけど、今日は実は土曜日で台風が来たということか。


いや、の訳ないだろ。


流石に駅員が乗客は終電と始発の際に俺に気づかないわけがない。


「♪次は新橋~新橋~お出口は左側です。地下鉄銀座線、都営地下鉄浅草線、ゆりかもめはお乗り換えです。」


とりあえず金曜であろうと土曜であろうと一刻も早く妻の元に行かなくてはという思いで、電車の扉が開くのを待つ。


どうして電車の扉というものは、降りたいと思っているときに限って、こんなにも開くのが遅いのだろう。


やがて、扉が開いた。


雨が止んだ。


新橋駅。


僕が電車を降りようとした、その瞬間だった。


ピンク色のブラウス。


白のロングスカート。


手には紺色の傘。


その女性が、僕の乗っていた電車に乗り込もうとしていた。


――妻だった。


いや。


電車を降りたものの、いるはずのない妻がどうしてここにいるのだろう疑問を抱く。


そもそも彼女は今外には出れないはずだから、他人の空似の可能性が高い。


「ドアが閉まります。ご注意ください。」


きっとそうだ。


扉が閉まり、電車が発車する。


僕は電車が過ぎる瞬間まで見入ってしまった。


世の中にはドッペルゲンガーが3人はいると聞いたことがあるが、ここまで似ているのか。


夫である自分でさえ、妻が入院している事実がなければ危うく声をかけるところであった。


自分のドッペルゲンガーに出会うとお互い死んでしまうといった迷信を聞いたことがあるな。


――もしかしたら、さっきの人は本当に妻だったのではないか。


そんな馬鹿げた考えが頭をよぎる。


無駄な考え事をしながら17時ぴったりに病院の入り口に到着した。


いつも3階受付にいる、40代ぐらいの看護師の神林さんがいないかった。


珍しく、どうやら今日は欠勤みたいだ。


変わりに若い看護師さんが担当のようだ。


「すみません。西棟の302号室の新山ちはるの家族です。見舞いに来ました」


「こんにちは。302号室ですね……」


若い看護師がパソコンを操作する。


「……あれ?」


「どうしました?」


「すみません。302号室ですか?」


「はい」


「新山さんですよね? いつからご入院されているんですか?」


「え?」


僕は笑った。


「もうずいぶん前からですよ。3か月くらい前に、こちらの病棟に移ってきました」


若い看護師は画面を見つめたまま、あからさまに眉をひそめている。


「おかしいですね……」


「何がですか?」


「実は今、302号室は空室なんです」


「……え?」


「新山さんという方も、いらっしゃらないみたいで……」


「いやいや。そんなわけないでしょう」


若い看護師が困った顔をする。


「すいませ~ん。少々お待ちくださいね。まだ新人さんで慣れていないこともあるので!私が代わりに調べますね。」


どうやら、この若い看護師さんは新人でまだ慣れていないようだ。


面目なさそうに先輩と一緒にパソコンを覗き込んでいる。きっと後で怒られるんだろう。


しかし、先輩看護師さんもなにやら長く画面を見ては、何かのリストの紙を見ている。


「やっぱり。鈴木さん。ありませんよね!302号室は空室ですし、新山さんという方も入院されていませんよね!」


先輩も困った顔をしている姿を見て、自分のミスではないと安心したのか、少し声を高げて言った。


「すみません、新山さん。当病棟だけでなく、この病院には新山ちはるさんという方は入院されていないようです」


「……」


「また、申し訳ないのですが、当病棟は入院患者さんのご家族や関係者以外の方を原則として、病室へお通しすることができません。一度、ご確認いただけますでしょうか」


「いや、そんなことは絶対にありません」


自分でも声が大きくなっているのが分かった。


「昨日もこの病棟に来ましたし、妻にも会いました。新山ちはるです。『にいやま』は新しい山。『ちはる』は、ひらがなです」


「調べたんですけど、そんな方はいらっしゃらないんですよ。ですので、一旦奥様本人にご連絡していただけますか?」


この静かな病棟には、自分の声が大きかったのか、他の看護師もこちらを凝視している。


ここで声を上げ続けても、視線を浴び続けるだけだ。


何より、このあと誤解が解けたとしても、こんな騒ぎを起こしてしまえば、ちはるがここに居づらくなる。


僕は、それ以上何も言わなかった。


静かに病院の外へ出た。


外は、先ほどからずっと雲一つない快晴だった。


「……なんていい天気なんだ」


今日も早く仕事を終わらせて、病院にやって来たのに何て日なんだ。


それにしても、新山ちはるが病棟にいないなんてふざけているな。


毎日、来ているのに。


受付に神林さんがいれば、こんなことにならず今頃ちはるに会えていたはずなのに。


僕は何かの間違いと確信しながら、ケータイを片手に冷静に電話帳を開き、ちはるの連絡先を探した。


「……あれ?」


ちはるの連絡先がない。


何度探しても、ない。


ちはるだけではなかった。


会社の連絡先も。友達の連絡先も。


僕の携帯電話に登録されているのは、父、母、大学時代の唯一の友人である海介くらいだった。


「なんだよ……これ」


携帯電話が初期化されたのか。最悪だ。


すると突然、ケータイにバイブがした。


「おい。新山。お前どこにいるんだよ。」


「もしもし?」


「おい、新山。お前どこにいるんだよ』


「え? 海介?」


「俺、さっきからずっと渋谷駅のB7出口の改札で待ってるんだけど」


「……え?」


「どこにいるの?」


「病院だけど」  


「なんで?」


「そんなことよりも、悪いんだけど、ちはるの連絡先、今すぐ教えてくれないか?」


「……ちはるって誰だよ」


「……え?」


「俺、ずっと待ってるんだけど」


「今日、会う約束なんてしてた?」


そんなわけがない。


僕は人との約束があれば、必ず携帯電話のカレンダーに予定を入れる。


それなのに。


画面を見る。


そこには、


『海介と17時半、渋』


と表示されていた。


「……?」


僕は、しばらく画面を見つめた。


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