1.極秘
その求人には、二つの条件があった。
—— 口が堅いこと。
—— 手際がいいこと。
仕事内容は、侯爵令嬢の身の回りの世話。
そして住み込みで、給与は相場よりかなり高い。
(…あまりにも怪しい)
それが、エマの第一印象だった。
「前職では、伯爵家の侍女をしていたそうね」
「はい。五年間勤めておりました」
「辞めた理由は?」
「伯爵家のお嬢様がご結婚なさり、嫁ぎ先に連れていけないと言われましたので」
「口は?」
「堅い方かと」
「手際は?」
「悪くはないかと」
面接を担当した年配の侍女、マーサは、エマをしばらく見つめた。
「急な来客があった場合、十分で令嬢を人前に出せる状態にできますか?」
「…元の状態によります」
正直に答えるとマーサは少しだけ笑った。
「そうね。では、十五分ではどう?」
「それならば可能です」
「採用です」
「…ありがとうございます」
あまりにもあっさりと決まった。
その日のうちに、エマはグランヴェール侯爵家の令嬢、アデライン付きの侍女となった。
——アデライン・グランヴェール
社交界に詳しくないエマでも、その名は知っている。
美しいだけではなく教養があり、立ち居振る舞いは完璧。誰に対しても礼を失することなく、かといって媚びることもない、いつも少しだけ顎を上げ、ツンと澄ました顔をしている。
外見から冷たい印象を持たれることもあるが、困っている者を見捨てることはなく、使用人にも理不尽な要求はしない。
まさに、侯爵令嬢の鑑、令嬢たちの憧れそのものだった。
そんな人物に、なぜ極秘で侍女を募集する必要があるのか…。エマは、少しだけ緊張していた。
「では、引き継ぎを始めます」
先ほどエマを面接したマーサはアデラインに十五年仕えた前任者だった。結婚する娘夫婦と暮らすため、領地へ戻ることになったらしい。
「まず、アデライン様は朝が弱いです」
「はい」
「予定のない日は、特に」
「承知しました」
「起きても、着替えを嫌がります」
「……はい?」
「予定がないから必要ない、とおっしゃいます」
エマは瞬いた。
「ですが、朝の身支度は——」
「嫌がります」
「…はい」
「髪も梳かしたがりません」
「……はい」
「湯浴みも嫌がります」
「お身体が弱いのですか?」
「いいえ」
「では、湯を怖がるとか」
「いいえ」
「何か、肌に問題が?」
「ありません」
前任者は淡々と言った。
「面倒なだけです」
「…はい」
「早々に諦めることも手です。」
「………」
エマは聞き間違いかと思ったが、マーサの顔は真剣だった。
「アデライン様に湯浴みを勧めて『したわよ』とおっしゃった場合は」
「はい」
「まず疑ってください」
「……疑う?」
「十中八九、していません」
「なぜ、そのような嘘を?」
「本当のことを言えば、湯浴みを勧められるでしょう?」
「…はい」
「それが面倒だからです」
「…………」
あまりにも、しょうもない。
エマは、思わずそう言いかけて口をつぐんだ。
「それから、急な来客があった場合はこちらのドレスを」
マーサは何事もなかったように衣装部屋へ向かい、一着の青いドレスを示した。
「着付けに時間がかかりません。髪はこちらの形に。装飾品は最小限で構いません」
「……はい」
「十五分で」
「できます」
「頼もしいわ」
マーサは満足そうに頷いた。
エマは、ようやく募集条件の一つを理解した。
——手際がいいこと
どうやらこの屋敷では、急な来客に備え、侯爵令嬢を十五分で仕上げる必要があるらしい。
では、もう一つは?
「マーサさん、募集要項にあった口が堅いこと、というのは」
思い切って尋ねると、マーサはエマを見て
「今にわかります」
それだけだった。
———翌朝
マーサは領地へ向かい、エマは正式にアデライン付きの侍女となった。
緊張しながら私室の扉を叩く。
「アデライン様。失礼いたします」
「どうぞ」
澄んだ声が返ってきた。
エマは扉を開けた。
「…………」
そして、立ち尽くした。
(汚ったな!!!)
とにかく、汚い。
床には脱いだままの服が落ちている。
長椅子には本が積まれ、その隙間に菓子の包み紙が挟まっている。テーブルには、いつのものかわからないカップが三つ。片方だけの手袋が、なぜか窓辺にあった。
寝台の上では、グランヴェール侯爵家が誇る完璧な令嬢が、寝間着姿で本を読んでいた。
髪はぐちゃぐちゃに乱れている。
着ている寝間着は、少しくたびれているが、顔だけは、ツンと澄ましていた。
「あなたがエマね」
「……はい」
「マーサから新しい人が来るって聞いたわ。今日からよろしく」
「はい。よろしくお願いいたします」
エマは部屋を見回した。
もう一度見回した。
見間違いではなかった。
……汚い。
「どうかした?」
「いえ」
エマは答えた。
——口が堅いこと
なるほど、早くもその意味がわかった気がした。
「では、アデライン様。まずはお着替えを」
「嫌よ」
「…」
「今日は予定がないもの」
アデラインは、ツンと澄ました顔のままページをめくった。
マーサは、何一つ大袈裟に言っていなかったとエマは悟った。




