139話 一皿とデザート
――ダンガロの目抜き通りを見下ろすテラス席。
時刻は真夜中と言って差し支えない時間。通常であればすでに勤務時間を終えていたビスカだが、この日は時間外勤務でギルドに残っていた。仕事が残っている訳ではない。この日は初めからそうするつもりだった。
リューズとシーラが血の流れない戦場で戦っていると言うのに、彼女自身がその結末を見届けずに家路に就くなどできるはずがない。リューズも彼女のその性格を知っていたから、ギルドにいると確信して帰宅途中のマヤをギルドに向かわせたのだ。そして、店に来るようにと促した。
店に向かう道すがら、この依頼は自身が仕込んだとバレている事は想像していた。そして、そうなると報酬も受け取らないと言う事も予想していた。伊達に18年の間リューズと言う人間を見てきた訳ではない。
だが、この展開は予想していなかった。
街を見下ろす最高級のテラス席。客単価10万ジェンを超えるこの店で最も高級な席である事は当然ビスカも知っている。ギルド受付嬢の収入では本来到底座れる席では無い。
「ん。レモン水。おいしいよ」
気配もなく現れたシーラがビスカの前にレモン水を置く。普段通り置いたように見せてグラスの下にはしっかりとコースターが敷かれている。
「ありがとうございます」
ビスカにレモン水を提供したシーラはさも当然とばかりにビスカの向かいの席に座り自分もレモン水で喉を潤す。
「今リューズが作ってるから」
以前リューズがダンガロを発つ前夜、後輩パーティ『満月の夜』と一緒にこの店での食事会への誘いを受けた。だが、リューズたちの査定を行った身として、彼らの評価が正当な物だと示す為に、その誘いは断った。後悔は一週間尾を引いた。
「何を作ってるんですか?」
ワクワクした様子で問いかけると、シーラは首を傾げる。
「わかんない。コースじゃないみたいだったけど。銀ピカのお皿出してた」
「じゃあ来てのお楽しみですね」
ビスカはそう言ってクスクスと笑う。
「大丈夫。絶対おいしいから」
自信満々にシーラは宣言する。一点の曇りも、疑いも、嘘も偽りもない完全なる宣言だ。
「シルヴァリアさんは……、変わりましたね」
――『黒姫』シルヴァリアの逸話と伝説は都度ギルド全体に通達されていた。それは当然ヴィザの闘技場での惨状も含まれる。もはや黒髪の忌み子などと言う昔話の言い伝えなどよりも、シルヴァリア自身の名に世の中は畏怖を覚えていた。
自分にも他人にも関心を持たず、ただ機械のようにダンジョンに潜り踏破する。公爵令嬢である事実はギルド内でのみ共有されていた。
ビスカの言葉にシーラは首をかしげて唇を上げる。
「そう?じゃあ多分リューズのせい」
シーラは楽しそうに言葉を続ける。
「リューズは普通じゃないからね」
そう答えてテーブルに身を乗り出す。
「ねぇ。もっと昔のリューズを教えて。知りたい」
推し語りはオタクの冥利。ビスカは得意げに眼鏡に触れて微笑む。
「いいんですか?長くなりますよ?」
「それは嫌。短く」
「無理ですね。では、まずは私が初めて『神戟』を知った――」
「や、それはいい」
遠慮なく話を遮ったり、それでも無理やり話したり。ダンガロの街を見下ろすテラス席は弾む声のやり取りが月夜を彩る。
しばらくして、銀色に輝くクロッシュを載せたトレーを手にリューズがテーブルを訪れる。
「こらこら、お前迷惑掛けてるんじゃないだろうな。料理できたからあっち行っとけ」
「は?うっさ。今それどころじゃない」
話に興が乗っていた様子のシーラはジト目でリューズを振り返り抗議を示す。
「あっちにクリームブリュレあるぞ」
「それは先に言うこと」
ヒラリ、と綿毛のように軽い身の動きでシーラは席を立ち、リューズの示す厨房の方へと跳ねるような足取りで消えていく。
シーラがテラスから姿を消すと、そこはようやく時間相応の静けさを取り戻す。席に着き、自身を見上げるビスカを見て、何となく気恥ずかしい気持ちでトレーをビスカの前に置く。
「あ、あー。一応断っとくぞ。この料理はこの店のメニューにはないからな?俺が考えて、俺の手順で作った料理だ。だから店の名誉とかそういうのは一切関係ないから悪しからず」
予め張られた予防線。ビスカはにやける口元を手で隠す。
「リューズさんの考えた、料理ですか」
「考えたって程手が込んではいないけどな。ま、ご賞味くださいな」
期待に満ちた視線を受けながら、リューズはビスカの前にカトラリーをセッティングする。そして、グラスをレモン水で満たし、いよいよ満を持してトレーに乗る銀色の半球を取る。
見るからに高級感のある白地に銀細工が施された皿。その中心には銀鱗魚のソテー。そして、目を引くのが中央に位置する魚よりもその左右を満たす二種類のソース。左側は煮出した蝶豆で色付けした爽やかな水色のムースソース、そして右側はワインをベースにビーツで色付けをした目の覚めるように赤いソース。その全体にはふんだんに金箔が散りばめられている。
その一皿を見て、その鮮やかな色彩にビスカは目を奪われる。
しばらくの間声も出ず、カトラリーに手も伸びなかった。それでも何とか声を絞り出し、リューズに問う。
「こ……、この料理の名前は?」
意図が伝わったことに気が付いたリューズはビスカの向かいに座り、照れくさそうに頬杖をついて顔をそむける。
「名前?別に普通に銀鱗魚のソテーだよ。割と珍しい魚なんだぜ?」
銀、金、水色、赤。それらは18年前にビスカの心を奪った『神戟』四人の髪の色だ。
ビスカは優しく微笑むと、両手を合わせて呟く。
「いただきます」
「おう、召し上がれ」
銀鱗魚のソテーをフォークで抑え、ナイフで切る。その身は力を入れずともすっと裂けるような柔らかさ。そして、どっちのソースにつけるか少し思案して、まずは水色のムースソースにつけることにした。
僅かな酸味とほのかな甘みが香ばしくソテーされた白身とともに口の中に溶ける。
「おい……っしい」
「わはは、だろ?デザートはコーヒーゼリーあるからな」
「ふふ、こんな時間ですけど……。今日くらいいいですよね?」
「いいんじゃね?」
月明り、少し涼しい夜風が日中の喧騒を遠くに流していく。時折ほのかに銀食器が触れる音が聞こえ、共通の友人であるイズイの話で盛り上がる。
少しして、思い出したようにリューズが問う。
「そういえば。……あんなキーホルダーいつの間に作ったんだよ」
――『三食おやつ付き』S級昇級記念100個限定シリアル入り純銀製キーホルダー。
一瞬間を置いて、ビスカは微笑んで答える。
「あら、ご存じでした?あれはセレスティア様が作って送ってくださったんですよ。100個限定で。この際だから言っちゃいますけど、出資者の皆さんにはお礼としてお配りしています」
「へぇ、ビスカも持ってんの?」
軽くリューズは問いかける。すると、仕事用の表情に戻ったビスカは首を横に振る。
「いいえ。それは出資者の方への御礼品ですから。私はギルド職員。公私混同は私の主義に反します」
それはほぼリューズの想定していた通りの答え。リューズはコトリ、と音を立ててビスカの前に純銀製のキーホルダーを置く。おそらくそうだろう、と事情を説明してミゲイロから譲ってもらったシリアル番号1番のキーホルダー。
「だと思ったよ。これ、貰ってくれる?仕事じゃなくて個人的に。ビスカに持ってて欲しいんだ」
「え……えぇ?」
感極まり、ビスカはポロポロと少女のように泣き出してしまう。
「おっ……推してて……、よかったぁああああああ!」
「うるさっ、んな大げさな」
あきれ笑いを浮かべるリューズは意外にまんざらでもなさそうな様子だった――。
◇◇◇
――テラス席へと向かう階段付近。
クリームブリュレを手にするシーラとミゲイロ料理長は遠巻きにテーブルの様子を眺めていた。
「あれだけ喜んでもらえたら譲った甲斐もあるというものですな」
「そういうもん?それよりクリームブリュレがうますぎる。まるで魔法のようにうまい」
ガリガリ、とキャラメリゼされた表面をかみ砕きながらシーラは満足げに感想を述べる。そして、思い出したようにミゲイロにチラリと視線をやる。
「あ、そうだ。私さ、リューズの料理しか味がしないんだ」
唐突に荒唐無稽な言葉が飛び出してきて、ミゲイロは腕を組んで首を捻る。
「うむむ?どういうことです?」
「は?言葉通り。だからミゲの料理は味がしない」
冗談とも思い、少し考える。けれど、シーラがそんな冗談を言うタイプには思えない。となれば、それは真実だ。彼が思案する間にもシーラの言葉は続く。
月明りにブリュレの入った容器を宝石の様に掲げながら、満足げに、続く。
「けど、ミゲのレシピで作ったこれは最高にうまい。だから、きっとあの時のシチューもおいしかったはず」
チラリと横目で見ながら、ほんの少しだけバツが悪そうに呟く。
「まずいって言ってごめんね」
その一言でミゲイロ料理長は感極まり、身体が震える。そして、奮える心は声になり現れる。
「うっ……うぉぉぉぉぉお!シルヴァリアさぁあああん!」
反射的に抱き着こうとするミゲイロをスイっと最小限の動きでシーラは回避する。
「わ、きもっ。近寄んな」
騒ぎを聞いてリューズもすぐに駆けつける。
「シーラっ!どうかしたか!?」
「別に。ミゲが急に抱き着いてきた」
その一言で、一瞬でリューズの怒りは沸点に達する。
「はっああああ!?ざけんな、この野郎!憲兵に突き出すぞ!」
「えっ、ちがっ……。いや、違くは……ないのか?」
「よーし、認めたな!シーラ憲兵だ!」
「わかった」
「わからないでくれませんか!?」
時刻は真夜中を程すぎる頃。街を見下ろすテラス席、その喧騒は翌日多くの苦情をもらう事になるが、それはまた別の話――。




