135話 すべての満足
――S級依頼・『一日料理長』。
依頼内容は、ダンガロ一の名店である高級料理店『ル・リオン・エール』そこの一日料理長を務める事。そして、達成条件は『全てのお客様を満足させること』。
半年先まで予約で埋まっていると噂されるこの店を目当てにわざわざ遠方から足を運ぶ人も居る名店だ。そこの一日料理長?ビスカの用意した依頼だ、どう考えても居るだけのお飾り料理長なはずが無い。
階段の下で足が止まる。そして、シーラがそんな俺の袖を引く。
「早く行こ。私、料理とか運ぶから」
相変わらず楽しそうに、ワクワクした様子でシーラは階段の一段目から俺を引く。
「あぁ、そりゃ心強いな」
「ふふ、でしょ」
階段を登り切り、案内係の人が重厚な扉を恭しく開くと、待ち構えていたかのようにこの店のオーナーシェフであるミゲイロさんの姿。いつも通りのコックコート姿。だが、その左手は三角巾で釣られている。
「ようこそお越しくださいました、リューズさん。依頼、受けていただけると言うことでよろしいでしょうか?」
恰幅のいい料理長はまるで出会った時のような挑発的な笑みで俺に問い、俺は間を置かずコクリと頷く。
「では、具体的な条件をご説明いたしましょう。ご存じかもしれませんが、当店は常に予約で満席の人気店です。当然私一人ですべての料理は作れないので、他にも5人の優秀な料理人を雇っています。ですが!彼らはあくまでも補助!料理の基本工程は今でも私自身で行っているのです」
テーブル席は12席。それと別に最大四人の個室席が三つ、同じく最大四人のテラス席が一つ。原則ディナーのみの営業と聞いて一瞬『ん?』となったが、よっぽどのVIPが飛び込みで来た場合はその限りではないらしい。俺がシーラに連れられて来た時は例外的だったらしい。
とにかく、一日最大28名が彼の料理を求めてこの店を訪れるのだ。
「あいにく利き腕をやってしまいましてね。休業も考えましたが、半年前から当店の料理を心待ちにしてくれたお客様を思うとそれも忍びない。……そんな時に、ビスカさんからあなたが街に戻ってきた事を聞きましてね。これだ!と」
話をしながら俺たちは個室に移動する。
「……これだ、って。客はあんたの料理を楽しみに来ているんじゃないんすか?」
「それはもちろんです。だから休業も考えました。ですがね、今から休業を伝えようにも遠路はるばる当店を目指すお客様に伝える方法がないのですよ。無駄足踏ませてしまうのは変わらない。そこで――」
熱の入ってきたミゲイロさんは、テーブルをバンと叩き言葉を続ける。
「私も足りない頭を捻りました。一つ、来店したお客様には無条件で最速の次回予約を行う。当然、これは昼だろうが夜だろうが時間を問いません。二つ、来店時には私が負傷して厨房に立てない旨と本日は料理長代理が料理を行う事を告げる」
そして、ミゲイロさんが三本目の指を立てる。
「そして、三つ。もし満足できなければお代はいただかない。要するに、28人の全員がきちんとあなたの料理に価値を見出して代金を支払う。これが任務達成の条件です」
ちなみに、当店の平均客単価は13万ジェンです。と彼は付け加えた。
「果たして、あなたの料理にその価値はおありになりますでしょうか?」
挑戦的にミゲイロさんはそう言った。その瞬間、俺の隣からふっと息の漏れる音がした。――ずっとおとなしくしていたシーラだ。
「ふふっ、なんだ。そんなの簡単すぎる」
シーラは立ち上がり、両手を天井に向けて伸びをする。
「……簡単に言いますなぁ」
俺のぼやきを聞いて、シーラはきょとんとした顔で振り返り、俺を見下ろす。
「うん。だってリューズのシチューは100万ジェンだから。余裕くない?」
それを聞いてつい口元がにやけてしまう。俺はテーブルに手を置き立ち上がる。
「そうだな、シーラのいう通りだ。ミゲイロさん。ディナーのスタートは何時だ?」
俺の表情を見てミゲイロさんは満足そうに頷く。
「19時でございますな」
チラリと時計を見ると、現在時刻は正午を40分ほど回っていた。残り時間は6時間。
「全部教えてくれ。料理の事。コースの事。他の料理人への指示の出し方!」
ひんやりとしたテーブルに置いた手からじわりと汗が滲んだ。
――そして、6時間の間。俺たちはこの高級料理店の事を1から叩き込まれた。
調理器具や皿の入っている場所から始まり、コース料理のレシピ・味付け・盛り付け。それと個室向けのアラカルトのメニュー。厨房を支える五人の料理人の名前、得意料理、好み。それから直接客席と交流を持つサービススタッフ。全体を指揮するマネージャーを筆頭に、個室専門のスタッフや、ワイン専門のスタッフや受付スタッフ。そして、厨房の料理を直接客席まで運ぶスタッフ。全9名のサービススタッフの名前も役割もしっかり覚えなければならない。
当然、そのスタッフ全員が俺に好意的なはずはない。特に厨房の五人はいい気はしないだろう。
それはそれで構わない。でも仕事でありプロなのだから、そこは割り切ってやってくれると信じている。出来上がった料理の味はミゲイロさんがチェックしてくれるとの事だが、あくまで今日の彼の役割は『味見係』。オーナーシェフではない。
気が付くと、あっという間に時刻は17時を回っている。
一旦小休止。サービス側の仕事を教えられていたシーラと数時間ぶりに合流して、互いに炭酸水を飲みながらふぅと一息。
「お疲れ。覚えることいっぱいでたくさんだろ?」
「別に。覚えるのは得意」
こともなげにシーラはそう言って、出会ってすぐの頃このレストランでシーラが俺の名前を初めて呼んだ時の事を思い出す。
「俺の名前は憶えてなかったくせに」
「ん?興味なかったからね」
「あぁ、そうね……」
自分で言ってダメージを受ける俺を気にせず、炭酸水の入ったグラスを両手で口に寄せながらシーラは言葉を続ける。
「興味ある事は忘れない」
そんな言葉だけで単純な俺はつい嬉しくなり、隣に座るシーラの頭を無造作にワシワシと撫でる。
「わはは、そりゃ結構」
「わ。なに急に。せっかくセットしてもらったのに」
「うわっ、マジか!?悪い、気づかなかった!」
シーラは髪を手櫛で整えながら、冷ややかな視線を俺に向ける。
「マヤは絶対気づかないって言ってた。当たりだった」
マヤ……、と一瞬考えてしまってサービススタッフの一人の若い女性の顔が浮かぶ。シーラより少し年上。栗色の髪で長身の女性だ。
「あ、あー……。内緒にしといて」
「それは無理」
開店時刻は刻一刻と迫ってくる。
「シーラ。一つアドバイス」
「なんだろ」
俺はシーラに出来ないことがあるだなんてこれっぽっちも思ってない。だからこそのアドバイスだ。
「ここは俺たちの店じゃない。ミゲイロさんの店だ。だから……、シーラはいつも通りの接客をしようとするな。お前は――」
俺の言葉を聞いたシーラは一瞬驚いた顔をした後ですぐにクスリと不敵な笑みを見せる。
「わかった。簡単」
やがて店内に澄んだ鐘の音が響く。それは開店30分前の合図。
「さて、そろそろ持ち場に付くか」
「だね」
俺は右手のひらを上げてシーラに向けると、シーラは間を置かずに俺の右手をパンと打つ。
「行こっか」
「おう」
――そして、19時。戦いが始まる。




