117話 約束された未来の日記
――『神殺しの魔窟』に潜り43日目。
俺とシーラは驚異的なペースで魔窟を進む。ルートや注意点を記した12年前の手記があり、直感的に最奥部への道がわかるシーラがいて、直近で挑戦した『魔断』が道中の魔物の多くを狩りつくしており、そして、……八本腕の魔物も多くの魔物を狩っていたから。
それだけの要因に助けられ、体力や資材を温存しつつ、以前の半分近い期間で魔窟の最奥部に近づいていた。
「うわぁ」
口を開けて見上げるシーラが感嘆の声を漏らす。
地上から遠く離れた『神殺しの魔窟』の奥深く、薄暗いダンジョン内、通常より高いその空洞の天井は闇に覆われて見えはしない。その天井から、勢いよく水が流れ落ち、滝を形成している。滝は、さらに下の空洞へと流れ落ちていくが、闇に満ちたその空洞のそこがどこにつながっているのかは誰も知らない。
「どうだ?すごいだろ」
「すご。ド迫力」
重量感のある音を立てて、滝壺は水を下層に送る。おそらくは、地上のどこかにここに通じる穴があって、押し出された雪が落ちる途中で水になり、滝になったのだろう。想像だけど。
古びた黒革の表紙で覆われた12年前の探索日記。分かりやすく見開き2ページを一日分として書かれたこの探索記も、残すところ2ページ。
つまり、冒険の終わりは近いのだ。
レオンと、バルドと、マリステラと、俺。四人でこの滝を見上げた12年前。見上げた三人の輝く瞳を、今でも昨日のことのように思い出せる。
そのあと、俺は一人でこの道のりを戻ったはずだ。血にまみれたボロボロの衣服で、確か上半身は裸で、一人で何か月も掛けて地上へと帰り着いた。滝なんて目に入らず、時折魔物に襲われながらも一人地上を目指した。なんだろうな?【不老不死】の祝福の影響なのか、よっぽど俺はまずいのか、必要以上の危害は受けなかった。あるいは、それすらも呪いなのか。
「なぁ、シーラ」
滝の水しぶきが俺の頬を濡らし、シーラはそれを見てクスリと笑う。
「なに」
シーラの持つ探索記を見て、言葉を続ける。
「それ、まだページ余ってるだろ?」
「ん。だね」
パラパラと捲ると、最後の記録から20ページほど白紙が続く。
「続きはお前が書いてくれよ。旅の記録を、お前のきれいな字でさ」
一瞬キョトンとした顔をしたかと思うと、シーラはすぐに得意げな笑みを見せて、どこからともなく取り出したペンを器用にクルクルクルと高速で回転させ、左手でビシッと持つ。
「へぇ。いいの?今いい?」
「え、今?」
いつだってシーラが俺の想像に収まったことなんてない。
一瞬のためらいもなく、シーラは12年前の手記にサラサラとペンを走らせる。
しばらくの間、シーラは自動書記のようにペンを走らせる。リズミカルに聞こえるペンの音が心地よくて、滝の音を背景音にしらばくその光景を眺めていた。
どれくらいの時間が経ったのかわからない。シーラのペンの音が止み、得意げな顔をしたシーラが俺にページを見せつけてくる。
「ん。できた」
「へぇ。どれどれ……」
そこには、整ったシーラの字で、旅の続きが記されていた。
――『三食おやつ付き』は守護者を倒して、『神殺しの魔窟』をクリアする。【祝福】は邪魔だからもういらない。そしたらリュージとルーシーを連れて王都の家に帰る。イズイも、セレスティアも、ビスカも、ミアリアも、みんな全員呼んでパーティをする。リューズは全員のご飯を作るから忙しい。
バルハードに行って、魔窟にあったなにかをお墓に埋める。おやすみ、『神戟』。戻ってきたらしばらくはゆっくりして、おいしいものを食べたり、一緒にお風呂に入ったり寝たりする。きっともうリューズはうなされない。ぐっすり眠れる。
畑には芋も野菜も全部植える。レストランも開く。私は笑ったりするのも得意だから、料理も運べる。
リューズのごはんは世界一。だから、きっとお店も世界一。すごすぎるお店――。
「……ははっ。なんだよ、すごすぎるお店って」
最後の一文で笑わされてしまう。
滝のしぶきはページを濡らさずに俺の頬だけを濡らす。
「お前の字は本当にきれいだよな」
よしよし、と頭を撫でるとシーラは得意げに胸を張る。
「当然。お母さんが教えてくれたからね」
「もしかして、テーブルマナーも?」
「そう。よくわかるね」
「そりゃわかるさ」
シルフィーナさんがどれだけシーラを大事にして、シーラがシルフィーナさんをどれだけ大切に思っているのか。
「それはそうと、店の名前はどうするんだ?」
問いかけると、シーラは何を馬鹿なことをとばかりに俺を白い目で見つつ冒険記を閉じる。
「は?そんなのもう決まってる」
「……決まってますかぁ」
滝の間を超えると、次第にダンジョン内の様相が変わってゆく。薄暗い岸壁はほのかな光を発して辺りを優しく照らし、明確な線引きはなく、気が付くと周囲の風景は人工的な建造物に見えてくる。
音もなく、魔物もいない回廊を、俺の靴音だけが響く。
両脇に篝火が揺れ、ここが魔物の住処では無いことを知らしめる。
隣を歩くシーラが収納魔石を開き、わしづかみにした魔石を口いっぱいに頬張る。
「大丈夫。これで終わりだから。終わらそ」
「あぁ」
シーラの身体を魔力が巡るのが目視でわかる。まるで電気が弾けるように、シーラの周囲を魔力が迸る。
そして、俺たちは遂にそこに至る――。
神殿のような開けた空間。その広間の一番奥に、彼はいた。
その姿がそこにあるだけで、もうこの空間が周囲と間断された異空間と感じてしまうほどの異質な存在感。何をするでもなく、まるで石像のようにただ、そこにいた。
穢れ一つない純白の身体に六枚の翼を持ち、下半身は馬のようで、腕は六本。その全てにシーラが持つような聖遺物の武器を携えていた。背後に浮かぶ光輪。それもシーラの【全属性同時解放展開】を思わせる。
不思議と恐怖はなかった。
「……よう、久し振り。俺のこと、覚えてるか?」
起動するように、返事をするように、広間を耳障りな高音が小さく響き、守護者の瞳が青く光る。
「忘れ物、取りに来たぜ」




