115話 異形の魔物
金色のたてがみを揺らし、岩に溶け込むような灰色の巨躯で、鬼は咆哮を上げる。空気が揺れ、地面が揺れ、ダンジョンが震える。並の冒険者ならその咆哮だけで身動きが取れなくなるだろうが、ここは七獄・『神殺しの魔窟』。ここに並の冒険者はいない。
すでにシーラは地を蹴り、音もなく駆ける。飛ばず、身を低くして、地を這うような体勢から大きく大剣を振り上げる。その斬撃は使い古された三本の大剣に止められる。そして、舌打ちをする間もなく、左下から残るもう一本の大剣がシーラを襲う。飛べず、武器も使えない。
シーラはタっと冷静に大剣の平を蹴り、斬撃を回避すると、そのまま鬼の顔面に蹴りを放つ。だが、腕は八本。残る四本の腕はシーラを捕えようと迫り、やむなく大剣を収納。いったん距離を取る。
息をするのを忘れてしまうような一瞬の攻防。
「リューズ。『まだん』ってのは大剣だよね?」
「……あ、あぁ。そうだな。四人全員、大剣使いの魔法剣士だ」
「そっか」
収納魔石を開き、魔石をガリガリと食べて魔力を補給したシーラの手には黒い双剣。
「じゃああの剣をお墓に入れよう」
死を前提としたシーラの言葉は不謹慎に聞こえるかもしれない。だが、今この状況を見て、彼らが生きている可能性は限りなくゼロに近いだろう。守護者ではない、八本腕の異形の鬼。『魔断』は、ツァルは、この鬼に敗れたのだろう。
「あぁ、……仇、取ってやろうぜ」
「ん」
捕食されれば骨も残らない。ならばシーラのいう通り、彼らの象徴でもあったあの大剣を持ち帰ろう。遺された人に、故郷に。
双剣を手に再度鬼と切り結ぶシーラ。片手で振り下ろされる超重量級の大剣はさすがにシーラでも受け流しきれない。受け止めると動きが止まる。となれば残るは回避しかない。狭まる選択肢。
「これはいい練習」
死地でなお、シーラはそう言って笑う。
「リューズ。まだ治癒は要らない。ピンチの練習」
「……そんな練習あるのかよ。一発でも食らったら治癒だからな!わかったな!」
遠く安全圏から声を上げ、その場に座る。シーラはああいうが、即座に【超速即時治癒魔法】が使えるように準備はしておく。まずはシーラの安全。考えるのはそれからでいい。
小枝の如く軽々と振り回される『魔断』の大剣はその一撃が致死ダメージ、それが四つ同時にシーラを襲い、間隙を縫って武器を持たぬ四つの腕が迫る。まるで暴風雨のように降り注ぐ死を、シーラは紙一重に交わしきって反撃を刻む。だが、不安定な足場で放つ双剣の斬撃は鬼に深いダメージを与えるには至らない。
「なんで手は二本しかない」
攻撃をかわしながら理不尽な文句を呟くシーラ。
戦いのさなかに一瞬目を見開く。そして、独り言のように呟く。
「え?それあり?へぇ」
誰かと会話するようなやり取り。それを終えたシーラの瞳にはワクワクと高揚した光が宿っている。距離を置き、武器をしまって一度屈伸運動を行う。屈伸を終えると再び両手には黒い双剣。魔法でも収納魔石でも【祝福】でも無いという、まるで召喚術のような武器の出し入れ。
ふっと短く息を吐くと、シーラは俺に見えぬ速度で距離を詰める。大剣をかわし、屈み、伸び上がりざま双剣を切り上げる。大振りなその動きは二本の大剣に止められる。
――瞬間、シーラの手の動きに合わせてどこからともなく現れた二又槍が勢いよく下から上へと鬼の腹を貫き、そして消える。
恨みのこもったうめき声を上げ、燃えるような赤い瞳でシーラを睨む。その間はもはやシーラにとっては隙だ。
剣を振る。受ける。体のそばから勢いよく飛び出す大剣が腕を一本落とし、消える。まるで手品か魔法だ。シーラの動きに合わせて無数に召喚される聖遺物の武器たちは現れては鬼を刻み、やがて消える。もはや一対一の戦いには思えない。
大剣が、刀が、槍が、短刀が、シーラの所有するありとあらゆる武器が動きに合わせて神出鬼没に現れ、鬼を貫き刻んでいく。手を動かさずとも、身をひねるだけでそこに武器が現れ、身を屈ませれば元いた場所には大戦斧が廻る。
八本の腕は七本になり、五本になり、そして、断末魔とも思える最期の力を込めた咆哮と共に、最後の一本の腕が大剣を振るい、シーラが両手で振るう剣はその大剣ごと鬼の首を刎ねる。
赤黒い血が噴きあがり、首のない鬼は、真ん中から鋭利に両断された大剣をぎこちなく振り下ろし、シーラがそれを左手で受け止めると、その巨躯はプツンと糸が切れたように倒れ、土ぼこりを上げた。
その手には、最後まで固く大剣が握りしめられていた。
それを見てシーラはハッと神妙な顔をする。
「やば。剣も切っちゃった。いいか。墓に入れば」
深紅の血だまりのすぐ隣でシーラはのんきな声を上げる。俺はまだ状況が呑み込めていない。
「え、えーっと……。今のは?」
「ん?別に手に出さなくてもいいみたいだから。武器。パッと出してすぐしまう。それを繰り返しただけ」
鼻息荒くどや顔で、パッとトールハンマーを宙に出してすぐにしまうシーラ。
「召喚術……ってこと?」
「だから収納魔石だってば」
聞けば聞くほど意味が分からない。首を捻りながら治癒魔法をシーラにかけると、シーラは嬉しそうにほほ笑んだ。
「……本当、とんでもねぇやつだよ」
「リューズ。剣四本。しまっておいて。お墓に入れるから」
シーラはそう言っていそいそと鬼の解体を始める。初めて見るタイプの魔物、どこに魔石があるのかは見当もつかない。
「お、あった。レアだ」
弾むようなシーラの声に目を向けると、シーラの手のひらには濃紺と金色の二色が入り混じった魔石があった。
背筋が、ゾクリとした。
気が付けば、口を開けて早速それを食べようとしていたシーラの手を咄嗟につかんでいた。
「なに?」
手が震え、思いがけず力が入ってしまう。
「い、いやぁ……。それ、珍しいから食べないほうが、いいんじゃないかなぁって。ははは……」
シーラは少し考えて納得したように収納魔石にそれをしまう。
「それもそうか。セレスティアに見せよう」
かわりとばかりにほかの魔石をボリボリと頬張る。
俺の心臓は強く、大きく拍を打つ。手は、足は震える。四本の大剣を持つ異形の鬼、その体内からは金と紺の二色が混じった珍しい魔石が獲れた。
四人全員が大剣使いの魔法剣士で構成されたS級パーティ『魔断』そのリーダーのツァル。彼の髪は濃紺と金の二色という珍しいものだった。髪の色は、その魔力の質に由来する。
それ以上、今は考えたくは無かった。残った腕で破損した剣を握りしめたまま絶命した鬼。大剣を取ろうとしたが、その手は今なお強く固く握られていた。
「……もう、いいんだ。お疲れさん」
涙声を抑えて声を絞り出すと、その手は緩み、剣は落ちた。手を握ると、その手は分厚く、大きく、涙が止まらなかった――。
鬼は、『魔断』のツァルだった。




