【2期】7話 「永遠の隣を歩く」
何か、おかしい。
そう思ったのは、昼を過ぎたあたりからだった。
勇者がやけに静かだった。
静かなこと自体は別に珍しくない。考えごとをしている時とか、剣の手入れをしている時とか、そういう時はだいたい口数が減る。
でも今日は、静かなくせに、妙にこっちを見る。
私がパンに手を伸ばすたびに、ちら、と視線が来る。目が合いそうになると、今度はあからさまに逸らす。
王女様も変だった。
いつもなら、何か一言くらいは軽く刺してくるのに、今日は妙にやさしい。やさしいというか、落ち着いている。落ち着きすぎていて、逆に変だ。
剣士はいつも通り無口だった。でもどうも、こちらをあえて見ないようにしている感じがするというか……。
私はスープを飲みながら、そっと三人を見た。
全員、ちょっとずつ変だった。
うーん。私、何かしたかな……?
昨日の夜、寝る前にパンを三つ食べた。
でもそれは別に迷惑はかけていない、はず。あれ? まさか名前書いてあった?
思い当たることがあるような、ないようなまま昼が終わって、少ししてから王女様に呼ばれた。
「少し時間あるかしら」
あるかしら、という聞き方だったけれど、王女様がわざわざ来て言う時点で、たぶんあるないの問題ではない。
私が頷くと、王女様は「そう」とだけ言った。
そのまま案内された部屋に入って、私はちょっとだけ足を止めた。
パンがあった。
果物もある。
しかも勇者と剣士までいる。
卓の上には、焼き目のきれいな白パンがいくつか並んでいて、果物は皮を剥かれて、食べやすい大きさに切られていた。妙に丁寧だ。おやつにしては丁寧すぎる。
「……何これ」
「何って、おやつだけど」
勇者が言った。
言い方がぎこちない。
「おやつ」
「食べるだろ」
「食べるけど……」
食べるけど、である。
私は部屋の中を見回した。
窓は閉まっている。椅子はちゃんと四つ。剣士が無言で一つ引いた。
こわい。
でも、引いてもらった椅子に座らないのも変な気がして、私はおそるおそる腰を下ろした。すると今度は、剣士が無言のまま果物の皿を少しこちらへ寄せた。
やさしい。
王女様が卓の上に包み布を置く。
「少しだけ、見てもらいたいものがあるの」
布が開かれる。
絵だった。
一枚目。群衆画。
二枚目。別の群衆画。
三枚目。肖像。
四枚目。杖のある肖像。
どれにも、見覚えのある顔があった。
見覚えがありすぎる顔だった。
というか、私だった。
私はとりあえずパンを取った。
こういう時は、食べられるうちに食べておいた方がいい。
「この絵、あなたに似ていると思わない?」
王女様が静かに聞いてきた。
私はパンをちぎった。
「似てる人っているんですねえ」
すぐに勇者が言う。
「一枚だけならまだしも、こんだけ並んでてそれは無理あるだろ」
「世の中には似た人が三人いるっていうよ」
「もっといるんだよなあ」
私は札を指した。
「呼び名も全部違うじゃない。ほら、別人だからだよ」
王女様が札を見下ろす。
「灰花の娘、野葡萄の客人、春眠の魔女……確かに全部違うわね」
「はい」
「違うのに、顔は同じなのよね」
「ご先祖が同じとかじゃないですか?」
勇者が机に肘をついて、深く息を吐いた。
「無理あるなあ……」
王女様は次の札を見せた。
「パンが好き。果物も好き。騒ぎの翌朝には姿を消す」
私は果物を一切れ食べた。
「パンと果物は皆が好きなので」
「そこは否定しないんだな」
勇者がちらっと王女様を見る。
王女様はまだ平然としている。
剣士は黙ったまま机の上の絵を見ていた。
それから、王女様が最後の一枚をこちらへ向ける。
黒い杖を持った肖像画。
私は少しだけ身を固くした。
「この杖は、あなたのものによく似ているのだけれど」
「え? 似てますか?」
私は首をかしげた。
「私には違う杖に見えますけど……」
勇者が額を押さえた。
「そこからかよ」
「杖だからって、見た目で判断するのよくないと思う」
「逆ギレするな」
「ちゃんと一本一本見てあげて」
王女様は少しだけ間を置いてから聞いてきた。
「では、どう違うの?」
私は絵の杖と、自分の杖を見比べた。
うん。
似ている。かなり似ている。というか同じだ。
でも、ここで頷くのはよくない気がする。
「その、ご先祖が同じ杖なのかもしれないですし」
勇者がついに机に突っ伏した。
「杖の先祖って何だよ……」
王女様が口元を押さえた。
笑ってる。そこ笑うところなんだ。
私は少しだけ椅子を引いた。
「でも、私って切ってもあんまり面白いことは分からないと思うんです」
勇者が勢いよく顔を上げた。
「だから誰も切らねえよ!」
「切らないわ」
王女様が即答した。
剣士も一度だけ頷く。
私は三人を見た。
「本当に?」
「本当よ」
「……そうなんだ」
切らないらしい。ちょっとだけ安心。
王女様は、絵を机の上で静かに揃えた。
「それよりこの頃は、どのパンが一番おいしかったのかしら」
「え?」
「だって、気になるじゃない。絵だけだと味なんてわからないもの。知ってるなら教えてほしいわ」
私は王女様を見た。
そこなの?
でも王女様の顔は真面目だった。
追及でもない。ただ、普通に聞いている。
「港町のは、焼きたてならおいしいですよ。ちょっと塩が強いけど」
王女様は笑顔で頷いた。
「やっぱりそうなのね。南の果物は?」
「あっちは甘いけど足が早いんです。朝のうちに食べないと、昼にはちょっとだめになるし」
「服は着やすかった?」
「風通しはいいけど、砂が入るからあんまり好きじゃなかったかなぁ……」
そこまで言ってから、私は少しだけ首をかしげた。
……あれ? なんか、王女様、普通に話してる。別に私が昔のことをいろいろ知ってても、全然不思議そうじゃない。澄ました顔してるし。
これは……ひょっとして、知ってる? だから驚いてない。
「……いつから気付いてたんですか?」
私が聞くと、王女様は果物を一切れつまみながら答えた。
「ずっと前からよ。ね? そうよね?」
そして、勇者と剣士が揃って重々しく頷いた。ちょっとぎこちない気もしたけど、王女様がそう言うなら、そう、なの?
私はぱちぱちと瞬いた。
なんだ。
それなら、そんなに身構えなくてもよかったのかもしれない。
私は少しだけ肩の力を抜いた。
勇者が、まだ整理できていない顔のまま私を見る。
「……お前、今いくつ?」
さすが勇者である。開口一番、デリカシーの欠片もない質問だった。
「世界樹よりは若い……よ?」
「は!? 世界樹より上なのかよ!?」
むむ。すぐバレた。でもなんだか言い方がちょっと意地悪。
「何その言い方。ひょっとして、私が前に『どっちかと言えば年上が好きかな~』って言ったの根に持ってるの?」
「いきなり俺の心の柔らかい部分を攻撃してくるのやめてくれる?」
そして、部屋が静かになった。
勇者が止まる。
王女様も、果物に伸ばしかけた手を止めた。
剣士だけが、無言でこちらを見る。
「……それは、人で言えば何歳だ」
短く問われて、私は困った。
五千年が、山の上から見たふもとの村くらいで。
残りは、空の向こうまでくらいある。
じゃあ、人で言えばどれくらいなんだろう。
私は少し考えてから首をかしげた。
「たぶん……すごく若い、ってほどではないと思うんですけど。でも、そんなに大人でもない……?」
王女様が、ぽつりと呟く。
「五千年どころか千年でも、私には想像の外だわ」
「ふふ、千年くらいなら、そのうち過ぎますよ~」
「そう……ね……?」
不自然に、王女様の語尾が上がった。
勇者も、何も言わない。
剣士も黙ったままだ。
そんなにおかしいかなと思って、私は果物をもう一切れ取った。
「千年……」
王女様が、深刻な顔をして、小さく繰り返した。
そのまま勇者と顔を見合わせる。勇者も、少し遅れて同じ顔になった。剣士は黙ったまま、二人を見ている。
そして王女様は、私を振り返り、軽い口調で話し出した。
「あなたのことについて、3人で整理したいことがあるの。悪いけれど、少しだけ外してくれる?」
「え? 3人でですか?」
「そう3人で。ほら、果物持って行きなさいな」
王女様になかば無理やり部屋を出されてしまった私は、ふらふらと神殿内をさまよった。私のことについて話し合うのに、私は呼ばれないんだ……。
私は困惑しながら、果物をひとつ摘まみ、口に入れた。
甘かった。
* * * * * * * * *
扉が閉まったあと、部屋はしんと静まり返った。
卓の上には、食べかけの白パンと、半分ほど減った果物の皿。
それが妙に生々しくて、誰もすぐには口を開かなかった。
王女は、卓の上を見つめたまま目を伏せる。
『――じゃあ千年後に、みんなでまた掘り出しましょう!』
かつて自分の発した軽い声が、まだ耳の奥にこだましている。
千年後。
浜辺で掘り出そうと、自分が軽い冗談のつもりで口にした約束。
あの子は、きっとそれを覚えている。
その日には、自分はもういない。
それでもあの子は、きっと約束の場所へ行くのだ。
どうしてあの時、それがどんな意味を持つか考えなかったのだろう。
後悔が胸の奥で鈍く沈んだ。
剣士は、杖の描かれた絵から目を離さなかった。
怖いのは今ではない。
その確信だけが、喉の奥に硬く残っている。
十年前は、まだ探せば届くと思っていた。
剣の届く場所に危険があると思っていた。
だが“長命”は、終わらない。狙う理由が、終わらない。
研究者も、権力も、宗派も、世代を渡って標的を引き継ぐだろう。
斬れる敵なら、いくらでも想定できる。何百通りでも勝ち筋を描ける。
だが、時間は、斬れない。
時間の向こうに並ぶ無数の手から、どうやってあの小さな背を守るのか。答えはどこにもない。
勇者は、拳を握ったまま俯いている。
“ずっと一緒にいる”という言葉の意味が、音もなくひっくり返っていた。
同じ景色を見て、同じ道を歩いて、隣で笑う。
それが自分の思う「ずっと」だった。
けれど、彼女の「ずっと」は違う。自分がいなくなった後も、そのまま先へ伸びていく。
守るつもりでいた。
隣にい続けるつもりでいた。
なのに、先に消えるのは自分の方なのだ。
部屋は重く静かで、誰もまだその重さに名前をつけられない。
それでも三人とも、同じ場所に触れてしまったのだということだけは分かっていた。
そんな中、最初に立ち上がったのは王女だった。
「じゃ、私は行くわ」
その一言で、止まっていた部屋の空気が動いた。
勇者が顔を上げる。
「……どこに」
王女は振り返る。金の灯りを受けた横顔は、さっきまでと同じ顔のはずなのに、もう少し鋭く、冷えて見えた。
「千年後も一緒にいる方法を探すに決まっているでしょう」
あまりにも真っ直ぐな言葉だった。
冗談も、慰めもなかった。
王女は記録を抱き直し、短く息を吐く。
「ただ待つのは、もうごめんよ」
その声に、剣士もゆっくりと立ち上がった。
「少し、当たりたい相手がいる」
勇者が思わず眉を寄せる。
「そっちもかよ……」
王女と剣士は、ほんの一瞬だけ顔を見合わせた。
そして申し訳なさそうに、同時に視線を伏せる。
「今考えてる方法は、私にしかできないと思うわ」
「俺もそうだ」
「マジかよ……」
こぼれた声は、勇者が自分で驚くほど弱かった。
王女はそのまま部屋を出ていった。
歩き出しは静かだったのに、扉の向こうへ消える頃には、もう迷いなく早足になっているのが足音で分かる。
剣士も続いた。こちらは、いつも通り静かで、だからこそ止めようのない足取りだった。
バタン、と扉が閉まる。
残された静けさが、急に重くなる。
さっきまで三人で向き合っていたはずなのに、もう自分だけが同じ場所に取り残されたみたいだった。
王女はもう調べ始めている。剣士はもう動いている。なのに、自分だけがまだ。
胸の奥が、じわじわと冷えていく。
「……何かしないと」
声に出してみても、何をするのかは分からない。
分からないまま、それでもひとつだけ、頭に浮かぶ場所があった。
――世界樹。
魂が集まると伝えられると聞く、あの場所。
そこに答えがある保証なんてない。まともに考えれば、ただの縋りつきだ。けれど今の自分には、あそこしか思いつかなかった。
勇者は立ち上がる。
「……行ってみるか」
自分に言い聞かせるみたいに呟いて、扉へ向かった。
その頃には、王女はもう魔法都市の石畳を走っていた。
通りを行く人々は笑い合い、屋台からは甘い香りが流れ、街全体が祝祭の最中みたいに輝いていた。しかし、王女の胸の内を満たしていたのは、悲しんでいる暇はないという切迫感だけだった。
通信魔法の光が指先に灯る。
「聞こえるでしょう。王都研究班、至急こちらに集合しなさい」
返事が重なる。ざわめく声の向こうで、誰かが王女の切羽詰まった息づかいに気づいたらしい。
『殿下? 何が――』
「説明は道中でするわ。今すぐ動いて」
『どちらへ?』
王女は不敵に笑った。退く気のない時の顔だった。
「『銀環の村』よ。以前見た古文書を、全部解くわ。手元の資料は、必要不必要を問わず全部持って来なさい。総員招集よ」
足は止めない。
夜の街を切り裂くように走りながら、王女は最後に低く付け足した。
「きっと、長丁場になる」
一方、剣士は神殿の回廊を静かに歩いていた。
白い石床に靴音が落ちるたび、香の煙が薄く揺れる。人影の少ない夜の神殿は、昼より広く、冷たく感じられた。だが剣士の足取りは止まらない。
ほどなくして、白巫女の姿が見えた。
灯火の下で、いつもと変わらぬ穏やかな顔をしている。まるで、剣士がここへ来ることまで、少し前から知っていたみたいに。
剣士は白巫女の前で足を止める。
「死後に魂を残す方法があると、以前言っていたな」
白巫女は何も言わず、小さく目を細めた。
「教えてほしい」
言葉はそれだけだった。
だが、その短さの中に、剣士がどれだけ切羽詰まっているかは十分に滲んでいた。
白巫女は面白がるような顔で、剣士を見上げる。
「仮に残すのに成功したとしても、できることは限られますよ。多少の干渉はできても、話すことはできないかもしれません」
「問題ない」
剣士は即答した。
「まずは、全く同じ動作を20年繰り返すのだったか」
白巫女の眉がほんの少し上がる。
「ええ。少しの狂いもなく、毎日、同じ場所で、同じ動作を、20年。できます?」
「問題ない。その後は?」
白巫女は顎に手を当て、しばらく黙って彼を見上げた。
その沈黙のあいだにも、剣士の中ではただ一つの思いだけが、刃のように研がれていった。
時間は斬れない。
だから、斬れないものに対する方法を、今のうちに知っておかなければならない。
神殿の外では、勇者が一人で世界樹への道を急いでいた。
答えになるかは分からない。
ただ、立ち止まっているよりはましだった。
王女は記録へ向かう。
剣士は未来の守り方を探す。
そして勇者は、まだ名も形もない希望に縋るように、もう一度あの樹の下へ戻っていく。
誰も口にはしなかった。
けれど三人とも、同じことを知っていた。
ただ待っているだけでは――奇跡なんて起きやしないのだと。




