三十六幕 汧城着陣
四月二日の明け方に槐里城を進発した董卓率いる討伐軍は速度を上げて鮑鴻から知らされた汧水の渡河拠点に向かって進軍を続けた。
「汧水を渡れば休息はできる。時間との勝負だ。部隊から遅れる者は斬れ」
進発の際に董卓は各指揮官にそう厳命した。
泡を食ったのは洛陽から派遣されていた兵たちである。
洛陽で徴兵された彼らは従軍する代わりに家族の税の免除などが約束されていた。戦場で死んだ場合も遺族には国から補償が出る。少しでも家族を楽にするために従軍を表明した者たちだ。
しかし、それは戦場で死んでこそである。
逃亡した者、軍規に違反した者。そういった者の家族には補償どころか罰則すら与えられかねない。
文字通り、死に物狂いで走った。
三日後の四月五日。
董卓の率いる討伐軍は一人の脱落者も出すことなく、一万五千の兵力を保ったままで汧水に到着した。
汧水の岸には既に船が並べてある。
更に川には縄が渡されており、上流と下流のそれぞれに人が並んで立っていた。
対岸には焚火が随所に焚かれており、暖かな光をこちらの側まで届けている。
川の方から三人の男が歩みだしてきた。
「失礼ですがお名前を伺ってもよろしいでしょうか」
そう言われた董卓は、皇帝から下賜されていた印綬を男に掲げる。
「皇帝から任命された討伐軍の中郎将、董仲穎だ」
それを見て取った男たちは董卓の前に跪いて拝礼を行った。
「ご無礼をお許しください。わたくしは陳倉県県長の渡伯楷と申します。左は県丞の孟武虎。右は県尉の辛呑空でございます」
陳倉県県長・渡舟。字を伯楷。
陳倉県県丞・孟于。字を武虎。
陳倉県県尉・辛建。字を呑空。
三人が董卓の前で拝礼する。
「うむ。立ってくれ。早速だが汧水を渡りたい。準備はできているか」
その言葉に三人は立ち上がると、汧水を手で示しながら説明を始めた。
「汧水は御覧の通り、川幅は船であれば半刻(約一時間)で往復できるほどであり、水深も首元までと気を付ければ渡るのには苦労ありません。歩きやすい区画に縄を通してありますので、縄を掴みながら対岸まで歩いて渡ってもらいます。上流と下流には人を立たせており、流れを弱め、万が一流されてしまっても受け止められるように準備していますので安心して渡ってください」
「馬や兵糧などは船に乗せて運ぶことになります。他にも濡れたらまずい物資などは船に積んでください」
「川を渡った後は対岸で焚火を起こしてありますのでそちらで衣服や体を乾かしてください。危険を避けるため、指揮官の皆様には幕舎を用意しております。幕内でお休みください。炊き出しも行っておりますので、川を渡ったら今日の内はお休みになり、明日、ご進発いただければと準備しております」
三人の説明を聞いた董卓は感心したように頷いた。
「見事な手際だ。普段から慣れておるのか?」
「まさか。百人前後の商隊を渡すことはよくありますが、万を超える人員を渡すのは初めてでございます。我々としても万難を排したつもりではありますが、何か至らぬ点があれば仰っていただけると幸いでございます」
渡舟の言葉に董卓は感心する。
太守である鮑鴻があの様だったので、逆に十全に働いているだけで優秀な官吏のように思えるのだ。
董卓は振り返ると全軍に号令を出した。
「背が低い者は泳げ。泳げない者は縄を手繰って進め。忠明。宣高。お前たちは最後尾に残り、物資の運搬を指揮せよ。練武。淑穎。お前たちは儂と共に前線に立ち、渡河の指揮を執る。川を渡れば明日の朝までゆっくり休め。よいな」
董卓の言葉に全軍が声を上げて返事をした。
「あ、あの大丈夫ですか? 県丞殿、顔色真っ青ですけど」
段煨の視線は陳倉県県丞・孟于に注がれている。
段煨の言う通り、孟于の顔色は真っ青だ。
「体調でも悪いのかい? 確かに、重要な渡河作戦だ。緊張してしまうのもわかろうものだけどねぇ」
臧覇もそんな孟于を不信気に眺める。
臧覇、段煨は現在、汧水に浮かんでいる大型の船・楼船に物資を詰め込む指揮を行っているところだ。こうして話している間にも、陳倉県の兵たち(川に並んでいる者たち以外)が討伐軍の兵站部隊と協力して船に荷を積み込んでいる。
「あ、ああ。大丈夫ですよ。彼は船の操舵に関しては超一流です。安心してお任せください」
陳倉県県尉の辛建がそう言ってくる。
それを受けて、臧覇と段煨は半信半疑の面持ちで孟于を見つめた。
「ジュジュ。儂の肩に乗れ。なるべく服を濡らすな。お前の裸体、他の男に見せるつもりはないぞ」
「お気遣い有難く~。とはいえタク様~。服を濡らすなとは無理を仰る~。あなた様の肩に乗っても濡れないのは無理でしょ~。幸いなことに、幕舎を用意してくれています~。服を乾かすのも~幕内であればできるでしょ~」
「それでも濡らすな。お前が濡れ鼠になれば、他の男の目の毒だ」
「いやいやいやいや~。この起伏のない身体を見てドギマギする男など滅多にいません~」
そんな風にいちゃつきながら、董卓は李儒を肩に乗せると、汧水に分け入った。
大柄な董卓の胸元にまで水がくる。
じゃぶじゃぶと汧水に入り、左手で左肩に乗った李儒を支え、右手で汧水に渡されている縄を手繰る。上流にも陳倉県の兵たちが並んでいるため、流れが多少穏やかになっているように感じる。
これならば、脱落者もなく渡れそうだ。
董卓は内心で陳倉の官吏たちを誉めながら川を渡った。
「………………」
牛輔は、というより、下級指揮官組はまだ成長途中の少年たちだ。
川底を歩いて水面から顔が出るのは李蒙しかいない。
その李蒙ですら、顔を上に向けていなければ呼吸もままならない。
他の面々―――牛輔、樊稠、王方、周毖は縄を手繰りながら泳ぐしかなかった。
具足をつけているので重い。
当時の鎧とは、普段使いの平服に小さな鉄の板を縫い付けた魚鱗甲と呼ばれるものだ。紐を通す穴を開けた円形や楕円形の鉄板を服に多数縫い付けたもので、まるで魚の鱗のように見えることからこう呼ばれる。
安価に製作が可能で、一般の兵たちは皆これで防御力を上げるのだ。
製鉄技術が進んだ漢代では軽量化が進んでいるとはいえ、数多の鉄の板を服に縫い付けているのだ。当然重い。
沈まないように必死に水をかきながら縄を手繰ることでようやく前に進んでいける。
「こりゃ、縄が、無ければ、どれだけ、脱落、していたかね」
樊稠が苦しげに呼吸をしながらも、会話をする。
少しでも余裕があるように見せることで、樊稠は周りの人間を鼓舞する。
「そう、だね」
そんな樊稠の心遣いを感じ取り、牛輔も必死で返事を返した。
「それじゃあ、物資輸送を開始しましょう。武虎さん。よろしくお願いしますね」
陳倉県県長・渡舟が物資を積み込み終わった楼船に孟于を誘う。
孟于は嫌そうな顔をしながら、ため息を吐いた。
「段殿。臧殿。お二人にも乗り込んでもらいます。物資を限界まで積み込みましたので、他の兵站部隊の方々は徒歩で渡河してください」
覇気の感じられない声でそう言う孟于に、臧覇と段煨は顔を見合わせる。
見合わせるが、孟于の言葉に否やはない。
楼船は本来、水上部隊の指揮官や大将が乗る大型の船だ。
防御力も高く、乗船可能人員も数百人の規模が乗れる。
数百人を乗せて戦闘ができる。つまり今回のように渡河するだけであればもっと乗れるのだ。それを利用して、喫水線が船べりに来るほどに積み荷を乗せた。本当にギリギリである。それでも一万五千人分の食料や武器を一度で運べるほどではない。
これから二度、三度と往復する必要がある。
一応、小型の船も動員して荷物を積んでいるが、そちらは小型であるがゆえに多くは積めない。やはり、楼船を往復させる必要があった。
孟于、臧覇、段煨に加え、楼船の漕ぎ手四十名と孟于の補佐に一名。それ以外を乗せられないほどに荷を積んでの出航だった。
深く、重いため息を吐いた孟于は、船に一歩足を乗せる。
その瞬間、彼の身体が傾いだ。
「お、おいおいおいおい」
臧覇が泡を食って孟于を支えようと手を伸ばす。
その手が孟于に届くその寸前。
孟于が足をだん、と舟板に付けて、倒れるのを防いだ。
そして。
「早く乗れ。左舷一番から二十番まで全力で漕ぐ。右舷。一番から五番までだ。都度調整する。指示を聞き漏らすな」
孟于はそう言うと、臧覇と段煨が乗り込んだのを確認し、岸に繋がせていた縄を解かせた。
楼船が汧水を動き始める。
「やあ。これは凄い。流れがあるというのに、流れに呑まれずまっすぐに進んでいるよ」
「―――――――――」
「宣高殿? どうしました? 酔いましたか?」
段煨は黙ってしまっている臧覇に声をかけた。
臧覇は顔色を少し青くしてひきつった表情をしている。
「私たちも船は初めてですからね。酔ってしまったのであれば船べりにいきますか?」
なおも心配げにそう言ってくる段煨に、臧覇はゆっくりと頭を振った。
「………………いや、さっきの県丞殿、白目を剥いていたんだがね」
「――――――え?」
「さっき倒れかけていただろう。あれから立ち直った時からずっと、白目なんだ、彼。あれ、気絶してるんじゃないかい?」
「………………………いやでも、喋ってますよ? 指示も出してますよ?」
「あれたぶん、うわごとだねぇ」
「うっそでしょ!?」
そんな二人の絶望とは裏腹に、孟于は気絶しているとは思えないほどの指揮で見事に汧水を渡ってみせた。
陳倉県県丞・孟于。字を武虎。
船が苦手で乗ると気絶してしまうほどの拒否反応を示す彼の不幸は、気絶して恐怖がなくなってしまえば、船から伝わる振動でどう漕げば船を目的地に進ませられるか直感的に理解し、それをうわごとのように呟くことができる才能を持っていたことだった。
孟于の補佐が、孟于が呟いたうわごとを周囲に伝える。
それだけで、どんな荒れた川でも、どんな重い荷物でも、目的地へ向かって水上輸送することができるのだ。
その異才故、孟于は乗れば気絶してしまうほど苦手な船と切っても切れない関係になってしまっているのだった。
対岸に辿り着いた討伐軍は陳倉城の民たちが行ってくれている炊き出しを有難く頂戴していた。
楼船三往復によって気疲れの限界に達した臧覇と段煨が合流する頃には、既に腹を満たした兵たちが休み始めていた。
「ご苦労だった、宣高。忠明。食べて休め。明日、一気に汧城まで駆けるぞ」
「お言葉に甘えます、仲穎様」
「そうさせてもらいましょうかねぇ。それでは、仲穎さん。失礼しますよ」
二人はそう言うと、ふらふらとしながら董卓の前を辞した。
(忠明はまだしも、宣高まであれほど憔悴するとはな。船は船で違った疲れがあるのやもしれん)
董卓はそう評する。
知る由もない。
臧覇と段煨の疲れが、毎度の船に乗る度に気絶する孟于に対する気疲れだということを。
目の前で気絶され、あまつさえ気絶したままの状態の男に命を預けなければならない。
そんな精神的な負担に三往復もの間晒され続けた二人は、食事もそこそこに眠りについたのだった。
翌日。
四月六日。
早朝。
董卓は全軍に進発の号令を下した。
一夜、ゆっくり休んだ董卓部隊は気炎を上げて進軍を再開。
汧水を渡った地点から汧城までの距離は約百五十里(約60㎞)。騎兵部隊だけで全速行軍すれば一刻(約二時間)で到着する計算だ。
しかし、それは最大速度の話である。
仮に実行した場合、歩兵は大きく引き離され、馬も疲れ果てている状態で敵軍と対峙しなければならない。
夜間の戦闘行為が危険である以上、敵も強行してこないはず。ならば日暮れ間近に布陣するのが最適解か。
「本陣を汧城から十里(約4㎞)離した地点に構築する。斥候を出して現地の確認を行わせろ。宣高。本陣構築はお前に任せる。斥候を指揮してよい地点を探れ。先陣は練武。次いで忠明。二人は騎兵千ずつを率いて常歩で行軍するように。宣高の本陣構築を補佐せよ。儂は後軍として兵站部隊に速度を合わせて移動する。日が落ちての合流となろう」
進発する前に董卓は上級指揮官を集めてそう指示を出していた。
臧覇、華雄、段煨は過不足なくその通りに動き、往復する斥候によってもたらされた情報から臧覇が本陣の構築を進めていると、華雄と段煨が戦場に到着した。
時刻は十六時。
四月の暦ではまだ陽が落ちる前である。
華雄と段煨はついに汧城をその視界におさめる。
「こ、こりゃあ」
「なんという………」
小さな城が、十万もの大軍に包囲されているその現状を、遂に漢軍は視認した。
最初に異変に気付いたのは上洛軍の新しき王・宋建だった。
彼は、汧城の西に布陣しており、城を攻める攻囲部隊とは距離を取って、上洛軍の本陣を構築している。故に、余裕があり漢軍が布陣し始めたのに気づけたのだ。
「ふむ。さすがは漢軍。随分と早いことだ。援軍が来るより前に汧城を落とすことは叶わんかったか。さて、どれほどの将が派遣されたのやら。それとも、あの数だ。陳倉からの援軍の可能性もあるのか?」
そう言いながら、宋建はその可能性を既に破却していた。陳倉から援軍を出すのであれば十日は前に来ていなければおかしい。あれはそんな間に合わせの軍ではない。とすれば、洛陽よりの援軍が到着したのだろう。
汧が攻められたことへの対処として動いたのであれば早すぎる。
(ならばあれは恐らく、涼州の混乱を鎮めるために派遣された軍だ。大方、三輔侵入を阻むことを目的としたもの。隴を抜く前の上洛軍の情報であれば三万に対処する軍、といったところか。漢が上洛軍をただの賊徒と侮っているならば、多くても同数の三万。恐らくは二万から一万五千といったところ。その程度であれば、この新しき王が蹴散らしても良いのだが―――)
宋建がそこまで考えていると、布陣した漢軍が旗を上げた。
『華』『段』『臧』。
そして、『董』。
「ふは」
宋建はその旗を見て思わず笑みを浮かべた。
華、段、臧。そしてそれを率いる董。
その組み合わせは聞いたことがあった。
「これはこれは巡りあわせだ。北宮玉に教えてやらねばなるまいよ。奴に黙って動けば、奴はへそを曲げよう」
そう呟くと、宋建は各城壁を攻めている指揮官たちに伝令を送った。
『漢軍来たる。指揮官は并州刺史・董仲穎』と。
同じ頃。
汧城城内でも漢軍の先発部隊を目にした者が現れた。
南側城壁守備部隊の指揮を執っていた汧城県尉・毛洪だ。
「誰か。あの旗を読んでもらえますか?」
老齢である毛洪は長年の経験からすぐに十里(約4㎞)先に布陣する漢軍を見つけた。しかし、毛洪の両眼は長年の酷使により遠くの文字を読めるほど若々しくはない。
「『華』、『段』、『臧』、『董』とあります!」
傍にいた兵のひとりがそう答える。籠城を開始して十五日。彼も、毛洪も、その他の皆も。大小の怪我を負っており、無傷の者はほとんどいない。
「角楼に伝令を。県長様に伝令を。援軍到来。指揮官は并州刺史・董仲穎と―――」
毛洪の言葉に先ほど旗を読んだ兵が拱手して復唱した。そして駆け出す。
一刻(約二時間)の後。
援軍到来の報が各城壁に届けられ、汧城守備軍は気炎を上げて鬨の声を発した。
それが、籠城十五日目の終わりだった。
「宋建! 董仲穎が討伐軍を率いてきたというのは本当か!?」
陽が落ちると、汧城の各城壁を攻めていた指揮官たちが本営に集まってきた。
幕内に入って開口一番、そうがなりたてたのは上洛軍羌族派閥の北宮玉だ。
「おいおいおっさん。来て早々デカい声出さんでくださいよ。小っちゃくて可愛い桃里ちゃんがびっくりしてるじゃないの」
「黙ってください黥布。少し驚いただけです。あなたこそむやみやたらと噛みつくのをやめなさい」
「いやいや俺、桃里ちゃんのためを思ってさぁ」
「私のためを思ってくれるのであれば、どうかぜひ、次は見て見ぬふりを。驚いた事実を大げさに言われるのは恥ずかしいですから」
幕内には既に、宋建の配下たちが集まっている。本陣に近い辺章も既にいた。
北宮玉、李文侯も空いている場所に座る。
「にしても、旦那? 董仲穎ってのはどんな奴なんです? 俺ぁ、寡聞にして知らねえんですが」
座ると同時、李文侯は北宮玉に尋ねた。
上洛軍の面々で直接董卓の指揮する部隊と干戈を交えたのは北宮玉だけである。
「ふん。任地を所狭しと走り回って我らの邪魔をすることしか能のない奴よ。この上洛軍であれば、恐るるに足りん」
そう言ったところで幕舎の入り口が外から開けられた。
上洛軍の残りの指揮官、韓遂と李垠である。
「あー、遅れてすんません。漢の討伐軍が着到したとか」
「カンハク。そうなんだ。今、その指揮官のことを北宮玉殿に聞いていたところだ」
「誰だよカンハク。もはや半分影も形もないんだけど。お前、頑として俺の名前呼ばないね」
「呼んでるじゃないか、カンハク」
「いねえよそんな奴」
軽口の応酬を行いながら韓遂と李垠も座った。これで全員が揃ったことになる。
韓遂のもとに桃里が近寄る。
「韓殿。あとを任せてしまい申し訳ありませんでした。何か変わったことはありましたか?」
「いやないよ大丈夫。距離を取って、見張りを立てて、休む奴は休む。そんな指示に指揮官何人もいらんしょ」
「そうですか。お気遣い痛み入ります」
「なになに、桃里ちゃん、随分と韓殿と仲良くなってるじゃないの。妬けちゃうなー」
そんな韓遂と桃里に英狼が割って入る。
割って入ってきた英狼を、桃里は真顔で見返した。
「韓殿は頭も切れますし、それに懐の深いお方です。黥布も仲良くなれると思いますよ。それよりも」
言って、桃里は半眼になる。
「私は李殿が来ていないのにあなたが来ていた理由も気になりますが」
じろりと睨まれたじろぐ英布。今度は李垠が弁護に回った。
「英殿は私が言って先行してもらったのだ。討伐軍が着陣した以上、警戒をしなければならないだろう。本陣の指揮官を増やすのは当然のことだ」
「そうそうそういうこと」
「そうでしたか」
「ところで北宮玉」
ここでそれまで黙っていた宋建が口を開ける。
「『頑固者』はどうした? 姿が見えんが」
「ああ。あいつなら、陣に残って物書きの続きだとよ。話し合いはこっちで勝手にやってくれと」
「まったくどいつもこいつも。絶好調ではないか。まあいい。北宮玉。洛陽より遠路はるばる来たる董仲穎なる男について、知っていることを詳らかにせよ。この新しき王も含め、ここにいる面々は董仲穎と会ったことがない故な」
そう言われて、北宮玉は顔をしかめた。
「そうは言うがな宋建。俺から言わせれば、董仲穎という男、大した男ではない。最も、直接顔を合わせたことは、俺もないがな」
そう前置きをして北宮玉は自身の知り得る情報を話し始めた。
董卓。字は仲穎。
対異民族戦線で活躍した男だ。
出身は涼州。はじめは盗賊を取り締まっていたが左右どちらの手でも弓を放てるという特技に注目されて、攻め込んできた羌族と対峙する部隊長に選抜される。
そこで千を超える首級を取り、武名を上げた。
洛陽に推挙されて中央官職を歴任。さらに現場に戻され西域の対異民族戦線に力を入れていたが免官。
しかし気づいたら并州刺史となっていた。
そんな男だ。
「大方、洛陽に召し出されて腕がなまり、現場で失態を犯したのだろう。并州刺史というのもな。軍権をもたない役職だ。過去の遺物というやつだろう。諦め悪く私兵団なぞを率いて我らの邪魔をしていたが、その規模も五、六百。領内を対処しきれておらんかったわ」
その言葉に、辺章や李垠は納得する。
大物を指揮官に抜擢するということは、それだけ漢が現状を重く見ているということでもある。しかし、年を重ねただけの将軍にそれを一任するというのは、それでもまだ、上洛軍を舐めているという証左でもあった。
漢は現状を重すぎず、軽すぎず、捉えている。
まだまだ付け入る隙がある。
そう言うことに他ならない。
場が、そういう空気に浸ったその時。
空気を読めない男がそろりと手を上げた。
「それで、北宮玉殿は董仲穎の私兵団と戦ったんですよね。どうでした? 勝てましたか?」
「勝てたさ。私兵団を足止めしている間、他の地は無防備も同然だったからな。俺たちに脅かされた地は、并州には多いぞ」
胸を張って言ってくる北宮玉に、韓遂はいやいや、と手を顔の前で振った。
「じゃなくて。北宮玉殿が指揮する部隊と、董仲穎が指揮する部隊がぶつかったんですよね? 勝てましたか?」
「………………奴は、羌族に対抗するため、対騎馬部隊に特化した部隊を育てている。二倍や三倍の騎兵で奴の育てた歩兵にぶつかっても抜くことはできん。こちらも被害を受けはしないが、防衛に徹せば奴の方にも被害はなかろう」
「五百とか六百で二千近い騎兵を止める、ね。それは何とも化け物じみてる。俺は、董仲穎。警戒すべきだと思いますがねぇ」
「俺は警戒するに値しないと言ったのだが?」
韓遂の言葉に北宮玉が韓遂を睨みつける。
睨まれた韓遂は「おう、おひゅ」と変な息を吐きながら目線を左右に泳がせオドオドと落ち着かない様子を見せた。
「韓殿。お話を伺っても?」
「カンハク。何を掴んでる?」
「二流役者よ。話してみろ」
桃里、辺章、宋建の言葉が重なる。それで北宮玉も韓遂を威圧するのをやめた。
韓遂はオドオドとしながら話し始める。
「根拠は三点。まず、董仲穎は前年の黄巾の乱の折、黄巾軍に一度敗走させられています。黄巾軍は騎兵のいない歩兵部隊だったとか。対騎兵に特化していた董仲穎はそれだけでは対処できない戦闘を経験した」
韓遂は指をひとつ立てた。そして、二本目も立てる。
「次に、董仲穎は軍費を着服して、私兵団の軍拡を行ったそうです。并州内を私兵団だけで守れるように。州内の豪族や太守、県令にも私兵団維持の協力を仰いで、現在は一万弱の兵力を有していると言われています」
そして、最後に顔をしかめながら三本目を立てた。
「軍拡を行った董仲穎は并州内の賊徒を討伐し、羌族の侵入も防いだとか。まあその時には北宮玉殿はもう并州を去った後でしたが」
韓遂はため息を吐きながら、立てた三本の指をもう片方の手で握った。
「つまり、黄巾の乱で敗れたことから対騎兵特化を反省し、軍拡と共に調練を行って歩兵である賊徒も騎兵である羌族も打ち破れる力を手にしたと考えられる。その練度の私兵団を連れてきているのであれば、難敵となるだろうな。少なくとも、北宮玉殿の知ってる董仲穎ではないと考えた方がいいだろ」
韓遂の言葉に、一同が納得の表情をする中、北宮玉だけが不満げに鼻を鳴らしていた。
四月七日。
薄明の頃に討伐軍董卓部隊と上洛軍が向かい合っていた。
上洛軍は汧城包囲に予備隊も含め三万の兵力を割いている。それでも、未だ七万の軍勢を擁しており、董卓部隊に対応するように本陣から三万の兵が董卓部隊の行く手を遮るように布陣している。対する董卓部隊は夜の内に全軍が追い付き、一万五千の兵力で布陣した。
汧城を救援するには、三万の上洛軍を蹴散らさなければならない。万全を期すならば、更に敵本陣を襲い、四万の敵兵を撃滅する必要がある。三万を蹴散らして汧城に向かっても、無傷の四万が討伐軍の背後を突きかねないからだ。
「十万の敵兵。真だったか。しかし練度はどうだ? 烏合の衆ならば問題はないが………。賊・異民族・元官吏。三種連合の軍をどれほど運用できる?」
董卓は苦虫を噛み潰したようにしながら冷静に戦場を観察していた。
兵の乱れ。装備の質。旗の動き。
練度が統一されているとは到底思えない動きだ。これを操るのは並の指揮官では難しい。そこを突ければ、まだ勝てるかもしれない。
「ふ。宮仕えの窮屈なところだ。援軍を要請するにしても、戦う前から要請することはできんからな。数に圧されて惰弱な物腰といわれてはかなわん。まずは一当て。全力でぶつかるとしよう」
そうして董卓が指示を出そうとしていると、敵の群衆の中から一騎、歩を進めてきた者がいる。
「并州刺史・董仲穎。よもやこのような地で相見えようとはな。俺が并州を出た後に、随分と暴れているそうではないか」
北宮玉だ。
「噂では、俺の娘を鹵獲したらしいな。異民族の醜女を連れ帰るなど、よほどの物好きと見える」
董卓は歯を軋ませる。
董卓のもとには以前食客として趙雲という男がいた。その趙雲の侍女である恋々(れん)は、北宮玉の娘だ。北宮玉が戦場で孤立した恋々を見捨て、自軍退却の囮として使ったのだ。恋々は父に捨てられ、恋々も父を捨てた。そして、趙雲と共に董卓の私兵団に一時所属していた。
鉄門陜で董卓の部隊が奇襲にあった時、趙雲と恋々が身を挺して董卓たちを救ったのだ。
それを考えれば、恋々を捨てた北宮玉に董卓は礼を言うべきかもしれない。
しかし。
恋々が味わった心労を思えばこそ、董卓は北宮玉に言い返さざるを得なかった。
「は~~~。本来、言葉戦に乗るのは愚策なのですがね~。タク様同様、私も人の親としてあの男には言いたいことが山ほどあります。タク様。どうぞ、ご存分に」
本来止めるべき立場の李儒が、董卓の隣でため息を吐くと、爛々と燃える瞳で董卓を促した。
それで董卓は誰に止められることもなく最前線に向かう。
「皇帝より中郎将を任命された董仲穎である。北宮玉。まずは礼儀を知らぬ貴様に教えてやろう。名乗らねば誰かわからぬ。『娘を鹵獲』と言われてようやく貴様のことを思い出した。そも、鹵獲などと、恥を知れ北宮玉! 貴様は戦場で、娘を使い捨てただけだろうが。兵を退かせるために娘を前線に投入し、その隙に貴様は娘を置いて撤兵しただけだ。娘は快く我が私兵団の食客になったぞ。儂も彼女に命を救われた。安心しろ北宮玉。彼女は愛する男を見つけ、今は儂のもとを去り、穏やかな日常を送っておろうよ。これが羌族の戦か。娘を囮にしてよくも堂々と恥ずかしげもなく戦場に未だ立っているものだ。父を逃すために命を賭した子に対し、醜女などとよくも言えたものだ。貴様は父としても、将としても、人としても失格だ北宮玉。このような男が指揮官などと、程度が知れるわ、上洛軍。恋々を親不孝にさせぬため、親である貴様をここで討ってやろうぞ!」
董卓はそう言うと、両手を広げた。
「練武。宣高。忠明。蹂躙しろ!」
「言うに事欠いて、恋やんをあそこまで悪し様に言うたぁなぁ。はっは。虎の尾を踏んだで」
華雄が武器を握り、
「彼女がいなければ仲穎さんは生きていない。彼女は、そして子龍くんは董私兵団の恩人だ。我が軍の士気を上げてくれて助かるよ」
臧覇が手を上げ、
「子龍殿と恋々殿が抜けるまでの間、どれだけ楽ができたか。我が私兵団の貴重な知性派をよくも侮辱してくれましたね」
段煨が手を振り下ろした。
各三千。
董卓私兵団を指揮する上級指揮官たちが一斉に突撃を敢行した。
上洛軍側。
「ふは。ふはーっはっはっはっはっは。北宮玉め。士気を高揚させるから言葉戦を挑ませろと言ったのにもかかわらず、逆に敵の士気を上げおったわ」
宋建が本陣から両軍を眺めつつ、傍に侍っている兵に陣太鼓を叩かせた。
「おのれ。おのれおのれおのれおのれ!! 娘を鹵獲したことを正当化しおって。李文侯。迎え撃て!!」
「うっわぁ。言い負かされた。ていうか、北宮玉最低じゃない? 可愛い娘にその仕打ちとか、ひくわー」
「っしゃぁ! ついに実践だぁ! 姫将軍、俺のとこに来てくれなかったからなぁ。ようやく暴れられるぜ!」
宋建から出撃命令が下ると、北宮玉、韓遂、英狼も討伐軍を迎え撃つため進軍を開始した。
シーズン0の北宮玉VS董卓の話はこれを書けるかもしれないから書いたものでした!!
まあ、恋々がメインキャラに昇格したりしたので、予定外のこともありましたが。
陳倉県の高官三人がしっかり出てきましたね。
この三人はランダム性格決定表でダイスを振ってキャラを作ったものでした。
陳倉県県長の渡舟は物腰が柔らかく、誰に対しても腰が低い男です。
本人は丁寧に接しているだけなのに、周りから偉い人に腰を低く接されて怖がられるキャラです。
陳倉県県丞の孟于は船が苦手で船に乗ると気絶してしまいます。
しかし、気絶すると途端に抜群の操舵技術で、どんなに荒れた川でも事故を起こさないキャラです。
陳倉県県尉の辛建は普段は臆病なのですが、酒に弱く、酔うと果敢な男になります。
孟于と組ませれば、どんな荒れた川でも恐れず突き進む水軍になります。




