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14.湖上の城主と皓月将軍<前>

 オルクェルはヒンシアの町のことを、「水の都レネーシアのよう」と言っていたが、実際は半分あたりで半分は外れといったところかもしれない。

 話に聞くレネーシアは、町の半分ほどが水の上で、徒歩よりも船で移動する方が容易い町らしい。ヒンシアはどちらかというと、狭い水路が多い町という感じで、船で移動が可能なのはそのなかのごく一部の水路だけという。全体の水位は人工湖の水門で調整しているから、雨が続いたりして川自体が増水しても、町中の水路で水位が上がることはまずないのだという。

 ヒンシアの町自体は、結構古い。だが人工湖ができた当時に、当時の町並みの三分の一ほどが水没しているので、その時に無事だった地区と、その後に町として広がった地区とは建物の様式に年代差がある。

 いろいろ小難しい建築様式の名前があるのだろうが、グランにはそのあたりの関心がないので、石畳の形があっちと違う、水路の石垣の作りが違うように見える、という程度しか判らない。それでもぶらぶら歩くだけで、趣がそれなりにあって楽しめるものだ。

 グランより文化的なものに知識があるはずのルスティナは、並んで歩きながら、物珍しそうにあちこちに視線を巡らせている。これで服装が軍人のものでなければ、ただの田舎者のように思われそうだ。

 エレムと二騎の騎兵を送り出し、ルスティナが書類を片付け終わって、ヒンシアの町に入ったのは昼もだいぶ過ぎて太陽が天頂から降りてきたのがそれと判る頃だった。町の中にも緑が多く、日差しを遮ってなかなか過ごしやすい。

「水際で生きることの知恵なのだなぁ……」

 行き来可能な水路では、移動しながら食料や生鮮品を売り歩いている船もある。水路の脇から手を伸べ、船上の売り子から直接果物を受け取っている老婆や子ども達の姿を見て、ルスティナは感心したように声を上げた。

「あれなら、足が悪くてなかなか市場まで行けない者も買い物がしやすいな。道を荷車を押して歩くのもできるが、船なら運ぶのにそれほど労力はかからぬからな」

 聞けば、船の出入りが多い水路の脇には逆に、飲食の屋台などもあって、船から降りずにものを買うこともできるらしい。商売をする人間はなかなか逞しい。

 荷ではなく、普通の市民を乗せた船がたまに通るので声をかけてみたら、町の人間の為の乗合船だという。

 狭い水路をすれ違わないといけないから、町中の水路で使う船の幅はきちんと決まっていて、そのぶん細長い。よくて大人三人が並んで座れる程度の幅だ。

「町役場の近くを通るってさ」

 観光客相手も兼ねてるのだろう、つばの広い派手な麦わらの帽子ををかぶったひげの男が船頭をしている。異国とはいえ軍の高官の服に銀色のマントを羽織ったルスティナの姿を見れば、ただのよそ者ではない事は判るから、船頭は物珍しさを隠そうとせずに、ふたりを快く乗せてくれた。

「ゆったりしているようで、意外と速いのだな」

 座って船の中から見上げる町並みは、ただ歩くのとまた視野が変わって不思議な感じだ。視点が低いので、狭いはずの水路もそれなりに広く見える。楽しそうに辺りを見上げるルスティナに、ほかの乗客達もどことなく優しげな目を向けている。

「アルディラも、この程度の船にしておけば乗せてもらえたんだろうになぁ」

 クフルで、川を遊覧する船に乗れなくてむくれていたアルディラを思い出し、グランは思わず呟いた。意味を察したルスティナが、静かに笑みを見せた。

「自国ならともかく、異国の船だと乗せたがらないだろうな。乗れる警護の人数も限られてくるし、水上でなにかあっても陸に残っている者はすぐに手出しできない」

「そうなんだよなぁ。オルクェルもちゃんと説明してやればいいのに」

「判っていて、わがままを仰っているような様子ではあるな。気の強さがどうしても目につくが、アルディラ姫はあれでなかなか聡明でお優しい方だよ」

「……聡明でお優しい方が、ああやって周りを振り回すかねぇ」

「ただあの年頃では、自分の持つ身分や責任が窮屈なのであろうな。カイル王子もそうなのだが、自分が持っているものやできることよりも、できないことの方にどうしても目が向いてしまうらしい。私たちにはできないことが容易くできる立場なのに、その価値にはなかなか気付かないのだ」

「だなぁ……」

「だからグランは、姫に気に入られているのかも知れないな」

「はぁ?」

 なんでいきなりそういうことになるのだ。思わず声を上げると、ルスティナはグランの剣の柄にちらりと視線を向け、肩をすくめた。

「世の多くの者が今も追い求めているものを手にしているのに、当の本人は『邪魔だ、いらない、返品だ』なのだろう? 身分や状況は違えど、言っていることは変わらないではないか」

 ああ、『ラグランジュ』のことを言っているのか。グランはすぐにはなんとも言いようがなく、船縁に頬杖をついた。

「……まぁ、正体はあんなもんだしな」

「自分で望んで手に入れたものではないから、厄介に思えるだけかもしれぬよ。その気になれば自分だけではなく、周りの多くのものも幸せにできる存在なのかも知れぬ」

「うーん……」

 もちろん、どうしても叶えたい望みがあって、そのために伝説の『ラグランジュ』が欲しいと願うものは多くいるだろう。望みを叶えるためなら、どんな試練もいとわないと思うものだっているのだろう。

 だがグランには、『ラグランジュ』は、そういう者たちの手にはなかなか渡らないもののような気がした。なんとなく、だが。

「……ひょっとして、あんたももし機会チャンスがあれば、ラ……あれを手に入れてみたいとか、思ったりしてるのか?」

「どうであろうな」

 ルスティナは少し考える素振りを見せ、曖昧に首を振った。そういえば、カイルもエスツファもルスティナも、ランジュが『ラグランジュ』でグランがその持ち主だと聞いても、態度を変えなかった。

「今のところ、大きな問題も片付いて、それなりに順調ではあるから、たいして欲しいと思わないだけかも知れぬ。私自身、人よりは力ある立場でもあるしな。もしこれから先、自分達では手に余るような事が起きたら、どう思うようになるかは判らぬが」

 そこまで言って、ルスティナはグランの顔を見返し、くすりと笑った。

「でも、やはりあれはグランにこそふさわしいもののような気がする」

「なんでだよ」

「理由など判らぬよ、気がするだけだ」

 意外にいい加減だ。

 話しているうちに、目的地の近くについたらしい。船頭が長い棒を使って、器用に船を水路の脇に寄せる。水路を使ったので、町のどの辺に当たるのかぱっとわからないが、だいぶ湖が近いようだ。風の中の水の匂いが、ひときわ強く感じられた。

 教えられた脇道からひとつ出ると、馬車も通れるような広い石畳の通りに出くわした。少し先には広場があって、通りに面して比較的新しい様子の、石造りの建物が多く建っている。

 のんびりと役場の建物の前に立っていた二人の衛兵は、最初、うさんくさそうにグランを見た後、一緒に階段を上がってきたルスティナに気付いて、さすがに慌てた様子だった。

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