12.お兄様対元騎士様<後>
アルディラの世話係であるリオンは神官見習いだが、それなりに法術の素質がある。
「リオンの場合は、城を見て『不気味だ』『雰囲気がよくない』という程度で、湖に近づいても気分が悪くなるまではならないのだが、それでも城をじっと見るのはなぜか嫌なようだ」
エレムと同じだ。エレムは、自由に使えこそしないものの、強力な法術を扱う素質がある。ヘイディアやリオンと同じようなものを、エレムも感じているのかも知れない。
だが、グランやエスツファは城を見ても、「よくない雰囲気」というものが判らない。たぶん、大半の人間がそうだろう。オルクェルも、自分では城を見てもなんともないから、ヘイディアの話が今ひとつぴんと来なくて、誰かに意見を求めようと思ったのだ。
「姫はこの三日間は市長の邸宅に泊まる予定で、あさっては領主であるクレウス伯爵夫人より湖上の城での晩餐に招かれている。だがヘイディア殿もリオンも、あの城を訪れるのによい顔をせぬのだ。知っての通り、天空神ルアルグはエルディエルの守護神であるから、その神官であり、法術も扱えるふたりが揃って同じ事を言うからには、やはりなにかよくないものがあるのだろうとは思うのであるが……」
そう言いつつも、オルクェルはやはり困惑した表情を隠せない。
「ヒンシアの市長はクレウス伯の長男でもあるのだ。息子の厚意には甘えられるのに、その母でありなにより領主という立場でもあるクレウス伯の招きには応じられない、というわけにもいかない」
「確かに、なんの裏付けもなく、ただ雰囲気が悪く感じられるから断るというのも難しいな。子どもの言葉そのものには、いまのところ確たるものもないのだし」
言いながら、ルスティナはなんとなくといった様子でグランに目を向ける。グランは腕組みしてなにやら考えていたが、
「……リオンはその、クフルの町の子どもが言っていたことを、知ってるのか?」
「いや、私がこの話をヘイディア殿に聞いたのは、さきほど姫が市長の邸宅に落ち着いて、市外の隊の様子を見に戻ろうとした時だ。この話は姫もリオンも知らぬ」
「ふうん……」
ヘイディアとエレムだけなら、子どもの話から受けた先入観で、ということもあり得るだろう。だが、リオンはそうではないわけだ。
深い理由は判らないにしろ、法術の素質のある三人が揃って同じ事を感じているなら、できれば関わらずにいたほうがよさそうなものだ。もちろんそれができないから、オルクェルは困っているのだろうが。
「せめて、時間か場所を変えてもらうわけにはいかないのか。晩餐といったら夜だろ、天気の変化も予測しづらいし、浮き橋になにかあって島が孤立したら、夜だと船を出すのも難しいんじゃないか」
「なるほど、せめて時間をか……」
グランの言うことなど軽くあしらうかと思ったのだが、オルクェルは意外に素直に頷いた。ヘイディアは、オルクェルがまともにグランの相手をするのが気に入らないらしく、咎めるようにオルクェルを見ている。
「湖上の城だし、今急に場所を変えろというのは、向こうの支度の関係もあって難しいであろうが、時間ならこちらが理由をつければなんとかなりそうであるな」
「でも、できれば行かないに越したことはないと思うのです」
「それができぬから、こうして悩んでいるのだ、ヘイディア殿」
オルクェルは苦笑いを見せた。
「姫が自分の気分だけで、カカルシャの見合いに向かう旅の隊から逃げ出した事は、エルディエルやルキルアだけではなく、この周辺諸国にも知れ渡っている。今回の相手はこの付近一帯の領主であるし、ないがしろにはできぬ。一度招待に応じておきながら、正当な理由もなく断るような事が再びあれば、更に姫の信用も落ちるし、ひいてはエルディエル公族の信用にもかかわってくる。さすがに大公も見過ごしてはくださらぬだろう」
「そうではありましょうが……」
不服そうにヘイディアが言い募ろうとしたが、
「ヘイディア殿、オルクェル殿がけしてそなたの意見を軽んじているわけではないのは、私にもよく判る」
なにを思ったのか、ルスティナがふと気遣うような表情を作った。
「これが他国の、我々のように無理解な軍人であれば、そんなものは子どものいたずらで、城に対しての印象は気のせいと一笑に付して終わるところやも知れぬ」
「ルスティナ様が無理解など、そのようなことは……」
「いやいや、私もエレム殿の法術を実際に見ていなければ、このように耳を傾けようとは思わなかったであろう。ましてやオルクェル殿は、ルアルグを守護神と仰ぐエルディエルの武人だ。私が思う以上に、ヘイディア殿の意見を重く受け止めているに違いない。しかしオルクェル殿は、アルディラ姫のお立場も配慮せねばならぬ身でもある」
オルクェルがここぞとばかりに頷いた。ルスティナはなぜか、こういう講釈めいた口上を人に聞かせるのが上手い。
「アルディラ姫の身を案じる思いは、オルクェル殿もヘイディア殿も同じであるはず。次善の策を取らねばならぬからこそ、オルクェル殿にはヘイディア殿の助力がいっそう必要であろう」
「その通り。さすがルスティナ殿、私の思っていることを私以上にうまく言葉にしてくれた」
感慨深げに頷いて、オルクェルは真面目な顔でヘイディアを見た。
「ルアルグの法術師の中でも、抜きんでた才覚のあるヘイディア殿だ、きっと歯がゆい思いをさせているのであろうが、ここはしばし辛抱して、姫がこの町で何事もなく過ごせるように協力してほしい」
「もったいのうございます」
やっと気分が持ち直したのか、ヘイディアは申し訳なさそうに頭を下げた。
「私こそ、オルクェル様のお立場もわきまえず、偉そうな事を申し上げてお恥ずかしゅうございます。姫が城への招きをお断りできぬのであれば、その中で私も最善を努めさせて頂きたく思います」
オルクェルとヘイディアの心温まるやりとりに、ルスティナは安心した様子で目を細めた。
少し蚊帳の外にいるような気分で、グランは息をついた。
なんだか大層な話になってるが、クフルでの子どもの件にしろ、ヘイディア達が城に感じる印象にしろ、目に見えて裏付けになるものはなにもないのだ。グランはエレムの話を聞いていたから、こうやってまともに考えてはいるが、でなければ笑い飛ばして終わるような話だ。
「では、早速時間の変更をクレウス伯に打診してくるゆえ、我々は失礼いたす。ルスティナ殿、グランバッシュ殿、本当にありがとう」
「いや、少しでも役に立てたのならよかった」
率直に頭を下げたオルクェルに、ルスティナが笑みを見せて答えた。グランも頷いた。
オルクェルはグラン相手でも、頭も下げられれば礼も言える。いい奴ではあるのだ。
二人を見送ろうとルスティナも立ち上がったので、グランもなんとなく後に続いた。オルクェルに続いて天幕を出ようとしたヘイディアが、ふと思いついたようにルスティナに向き直った。
「あのレマイナの神官殿も、法術を扱うのですよね? 確かに素質はあるようでしたが、それほど強力な法術師であるのですか?」
「エレム殿は、今のところ自由には扱えぬようであるが、かなりの素質を持っているようであるよ。私が見たのは一度だけであるが、エレム殿のおかげで多くの者が助けられた」
やっとエレムの存在を認める気になったらしい。ヘイディアの問いかけに、ルスティナは応えながらグランに目を向けた。
「今こうして、ルキルアとエルディエルの部隊が協力し合えるのも、エレム殿とグランの力があってこそなのだ。カカルシャへの旅の間は、またヘイディア殿と会う機会もあるであろうし、あまり気負いなく接してくれるとこちらも助かる」
やはり、グランに対するヘイディアの態度が変なのは、ルスティナにも判っているようだ。だがヘイディアはグランをちらりと見ただけで、黙ったまま静かに頭を下げて天幕を出て行った。気配と一緒に錫杖の澄んだ音が遠ざかる。
「……リオンあたりが、俺の悪口でも吹き込んでるのかね。やりにくいったらねぇ」
「グランは見目がよいのに口が悪いから、ヘイディア殿も判断に困っているのではないかな」
ほめられているのかよく判らない。グランの表情を見て、ルスティナは可笑しそうに口元を緩めた。
「性格もあるのであろう。人と打ち解けるのに時間のかかるお方なのかも知れぬ。あまり悪く取らず、こちらは普通に接して差し上げるのがよかろう」
「まぁ、あんまり人付き合いに慣れてる風ではないな」
「ところで、グランには、今の話になにか心当たりでもあったのか?」
脇に寄せていたテーブルを元の場所に戻そうとしながら、ルスティナが聞いてきた。グランも手を貸しながら頷く。
「心当たりもなにも、クフルで子どもがヘイディアに話しかけたってあれ、エレムが一緒だったんだよ」
「ほう?」
残っている書類を片付けようとした動きを止めて、ルスティナが首を傾げる。詳しく話そうとしたら、外でまた人の気配がした。
「失礼します、閣下」
さっきの兵士がまた、天幕の入り口から顔をのぞかせる。
「昼食の準備が整ったのですが」
「ああ、もうそんな時間なのか。昼までには片付ける気でいたのだがなぁ」
ルスティナはテーブルの上に乗ったままの書類の山を見て、小さくため息をついた。




