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17.暁の魔女と皓月将軍 <中>

「名前はいっぱいあるけど、今はキルシェって名乗ってる」

「短くて結構なことだ。で、なんの用なんだ?」

「用って……あたしはただ、『ラグランジュ』が土と風を動かしたって聞いたから、どんな持ち主を見つけたのかと思って見に来ただけよ」

「『聞いた』?」

 三人は揃って顔を見あわせた。

『ラグランジュ』のことは、ルスティナ達に話してはあるが、当然ながら他言無用と前置きもしてある。ものがものだし、シェルツェルと『ラステイア』の関わりもあるから、変に話が広まってもいいことがないのは、ルスティナ達だって変わりはないはずだ。

 彼らの訝しげな顔に気付いて、キルシェはぱたぱたと両手を振った。

「『聞いた』っていっても、あたしの情報網はあなたたちのとはちょっと違うの。世間では精霊とか、妖精なんていわれる存在のつながりなんだけど、説明が大変だから、文字通り、風が噂を運んでくると思ってくれればいいわ」

「精霊、ですか……」

 なにか思い当たることがあったのか、エレムが記憶を探るように腕組みをしている。

「しばらく様子を見てたら、なんでかあなたたちだけ部隊から離れて行動してるじゃない。自己紹介がてら、ちょっと驚かしてみようかなーって、思っただけなのよ。ほんのお茶目ないたずらだったのに、本気でかかってくるんだもの」

「なにがお茶目だよ。お前、ルスティナに感謝しろよ」

 どうやら本当に、もうなにもする気はないらしい。グランは剣を鞘に収めて、同じく構えを解いたルスティナに視線を向けた。

「ルスティナが先にお前を突き飛ばしたから、これで済んだんだ。でなきゃ俺が殺してた」

「……」

「殺意がなさそうなのは判ってはいたが」

 さすがに表情が硬くなったキルシェに、ルスティナは頷いた。

「グランとエレム殿には、形の上とはいえ、私の護衛という立場もあるからな。状況によっては警告なしでも斬るだろうと思っていた。剣を持っている相手に攻撃をしかけるというのは、そういうことだ」

「……悪かったわよ」

 キルシェはしゅんとした様子で頭を垂れる。得体の知れない力を扱えても、人と戦うこと自体はあまり経験がないのかも知れない。

「……で、『ラグランジュ』が土と風を動かしたって、なんのことだ? 風は判らないでもないが、ルアルグの法術は昔からあるものだろう?」

「それをいうなら、土だって昔からあるわよ。レマイナは大地の女神」

「あ、ああ……」

「でも今まで法術で人を攻撃したり、逆に人を攻撃から直接護ったりって話は、聞いたことがないでしょ」

 言いながら、顔を上げたキルシェはなぜかエレムに視線を向けた。どういう情報網を持っているのか皆目判らないが、この娘はこの間の一件について、グラン達と同じだけのことは知っているらしい。エレムは戸惑ったように頷いた。

「法術は、神の力を借りてるって建前だから、政治や軍事に直接影響を与えるような使われ方は、制限がかかるようになってるの。ルアルグの法術師を、エルディエル軍が軍隊に編入しないのも、レマイナの法術師が各国の軍で衛生兵として徴収されないのも、もちろん教会の思想もそうだけど、その辺りの法則的な事情もあるのよ。この前のは、エルディエルの政治的な目的がある攻撃じゃなくて、賊に公女を利用されることを防ぐっていう守護的な目的と、誤解によって攻撃された人たちを護るっていう事情があって、双方の制限が一時的に外れたんじゃないかなと思うんだけど、普通は法術同士のぶつかりあい自体、なかなか見られないのよね」

 あれだけ強力なルアルグの法術が軍事力に用いられないのは、力を貸している神の側の事情もあるという事か。ということは、エレムがあの力を自在に扱えないのも、やはりどこかで制限がかけられているのかも知れない。神様の事情もなかなか複雑なようだ。

「『ラグランジュ』は存在自体が世界の理を越えちゃってるから、普通にはあり得ないことも割と簡単に起こすのよ。でも『ラグランジュ』の具現に合わせて法術の法体系にまで影響が見られたって話は、あたしも聞いたことがないの。これは、よっぽど面白い人の手に渡ったのかなぁって」

「面白いって、俺は珍獣かなにかか」

 グランは不満そうに眉をひそめたが、

「どんなに口じゃ欲がなさそうなことを言ってたって、なんでも願いが叶うって言われたら、五歳の子供だってなにかしら望むわよ。大人ならなおさら、たとえその場で思いつかなくたって、しばらく保留にして自分が手に入れて一番得をするものを考えようとするものじゃない。それを、利用せずただ返品しようだなんて、たぶん前代未聞よ? しかも当の『ラグランジュ』がそれを受理してるんだから、これは法体系も混乱するわよね」

「そんなたいそうなもんかぁ?」

 思わず呟いたグランを、キルシェはしみじみ呆れた様子で見返した。

「確かに面白そうな人だけど、なんでこんな人に渡ったのかしら……」

「俺が聞きたいよ」

 グランは答えながら、美しい月長石が輝く剣の柄を無意識に撫でた。

 グランが欲しかったのは、この剣の柄だった。グランにとっては、『ラグランジュ』の力もランジュの存在も、これについてきた厄介なおまけに過ぎない。

 二人が揃ってため息をついたところで、興味深そうに話を聞いていたルスティナが首を傾げた。

「そうすると、そなたの使っていた火の力は、法術とは違うものなのか?」

「んー……。似て異なるもの、というか、異なるけど同じもの、というか……。そっちの坊やはなんとなく判ってるんじゃない?」

「ぼ、坊や?」

 見た目は自分より年下と思えるキルシェに、そう言われたのが心外だったのだろう。多少むっとした顔をしたものの、エレムは気を取り直すように頷いた。

「あの法円の文字は古代文字ですよね。あなたが使っているのは、古代魔法と呼ばれるものではないですか」

「ああ」

 見たことがあると思ったら、そうだったのだ。

 グランの剣の柄にも古代の文字が刻まれているのだが、通常知られている古代文字よりも使われていた時代が古く形が違う。まぁどっちにしろグランには読めないが。

「てことは、あのわけが判らない言葉は、古代文字の発音なのか?」

「厳密には少し違うけど、だいたいそんなかんじ」

 言いながらキルシェはやっと立ち上がった。肌がむき出しになった部分についた小石や砂を、おそるおそる払っている。ルスティナはひっそりとした物置の建物に目を向けた。

「……あの死体の服が焼け焦げていたのは、そなたの仕業なのか?」

「えー? あたしだったらあんな中途半端なことはしないわよ。それに、あんな人となんの関わり合いもないし、あれは別物」

「であろうな。だがなにか心当たりはあるのではないか?」

 視線を戻したルスティナは、ふと気付いたように自分より小柄なキルシェの肩に手を伸ばした。

 敵意はなさそうだとはいえ、腹の中でなにを考えているか判らない相手に、あまり不用意に近づくのは危険だ。グランは思わず止めようとしたが、ルスティナ自身は全く無意識な動きらしい。

 逆に身をすくめたキルシェの肩から背中にかけて、キルシェ自身が落とし切れていなかった土汚れや小石を、そっと払ってやっている。

 暁の魔女と皓月将軍、ここは皓月の貫禄勝ちと言ったところか。キルシェは、埃を払い終えてルスティナが自分から離れるまで、気後れしたように顔をそらしていた。ルスティナはそれも気にする様子がない。

「……あれは、古代魔法でも法術でもないと思う」

「ほう?」

「今の時代の魔法は、三層構造なの」

 言いながら、キルシェは自分の手の平を水平に向かいあわせた。

「一番上の層にあるのが、今の主流の法術。これは一部の神官達の使える神の力ね。一番下の層にあるのが古代魔法。一般にはあんまり知られてないだけで、まだまだ現役よ。この、法術と古代魔法の間に挟まれて、肩身の狭い思いをしてるのが、各地の民話や伝説として語り継がれてる、精霊だとか妖精だとか魔物だなんて呼ばれてるものに属した魔法。精霊魔法とか、伝承魔法とでも呼べばいいのかしら」

 言いながら、向かいあわせた手のひらの間を、ぎゅっと狭める仕草をしてみせた。

「精霊魔法は、条件が揃うとたまに妙に強い力を持った使い手が出ることがあるのよ。神官でもないごく普通の人が、突然預言者を名乗って奇跡としか思えない力を使う話がたまにあるでしょう? あれはだいたいそう」

「へぇ……」

「見た目の発動の仕方は法術に似てるんだけど、土着の精霊や魔物と契約して、その力を『借りて』使うっていう点では、仕組みは古代魔法に近いかな。法術は先天性の素質が必須だけど、精霊魔法は契約者さえ見つかればなんとかなっちゃう。ただ、精霊魔法の使い手は、自分がなにかと契約してるって事にも気付いていない場合が多いのね。そういう人は、契約者に騙されるとか、利用されてるかしてるだけなんだけど、本人は自分自身に備わった力だと思って調子に乗っちゃう」

「法術と見た目は似ていても、法術とは違って悪用もありってことか?」

「そういうこと。それに、精霊や魔物と対等以上の立場で使役契約してる人は、ほとんどいないんじゃないかな。なにかと契約してる自覚がないひとが大半だから、契約にどういう代償が伴ってるかも知らない人が多いのよ。もしあの死体の焼けこげの原因が気になるなら、このあたりの住人に、土地の昔話なんか聞いてみるといいわ」

 エレムは妙に真剣な顔で話に聞き入っている。ひとしきり話すと、なぜかすっきりしたような表情になって、キルシェは三人を見回した。

「そろそろ、さっき寝かせちゃった兵隊さんが起きる頃だけど、続ける? そこの坊やはまだ聞き足りなそうだけど」

「だから坊やって」

「あなたたち面白そうだし、今度はゆっくりお茶でもしながらお話ししましょ」

 言いながら、可愛らしい仕草で唇に人差し指を当て、小首を傾げて片目を閉じた。同時に、背後で何かが爆ぜるような音がして、反射的に三人は振り返った。

 グランとルスティナが踏み越えたせいで、ほとんど火の消えかかっていたたき火が、風もないのに再び燃え上がっている。

 はっとして視線を戻すと、さっきまで手の届く距離にいたはずのキルシェの姿が見えなくなっていた。近くに隠れているような気配もないし、そもそも人が隠れられるような場所もない。

 ルスティナが妙に感心したようすで、

「……グランと一緒にいると、いろいろ面白いものを見る機会に事欠かなそうだ」

「お、俺のせい?」

 グランが声を上げる横で、エレムはキルシェがいた辺りをなにやら真剣な表情で眺め、

「坊やって……、僕、そんなに子供っぽく見えるんでしょうか」

「いや、お前のは今に始まった事じゃ……」

「エレム殿、ひょっとしてそこ、焦げていないか。火傷はしていないか」

「あ……」

 ルスティナが示したのは、キルシェの最初の攻撃で、エレムの剣の上を滑っていった炎の鳥が撫でていった場所だ。エレムは驚いたように指を伸ばし、甲の部分が軽く焦げた白い手袋を眺めている。法衣の袖口も多少黒ずんでいるから、やはりあの鳥は本物の炎だったのだ。

「表面が焦げているだけですから、大丈夫です。革の手袋でよかった」

「……って」

 グランははっとして、ルスティナの髪に手を伸ばした。キルシェに突っ込んだとき、ルスティナはマントで腕と顔をかばってはいたが、髪だけはいくらかマントの外に出ていたはずだ。案の定、左側の髪の毛先がいくらか焼けて縮んでいる。

「焼かれちまってるじゃねぇか」 

「ああ……これくらいなら構わぬよ。切ってもおかしくはない」

 当の本人は、グランが触れてたぐり寄せた髪の先を見ても、のほほんとしたものである。

「そうじゃねぇよ。ほかに怪我してないか、耳とか平気か」

 グランはため息をつきたいのを堪えながら手を伸ばし、ルスティナの耳元の髪をかき上げた。星明かりの下ではあるが、銀の耳飾りのついた形のいい耳も、その近くの頬や首筋の肌にも特に異常はないようだった。

「自分のことももう少し気にしろよ、どうもあんたは自分より他人を……」

 驚いたようなルスティナの瞳がグランを見返した。

 グランはそこで、ルスティナの顔の間近に自分の顔を寄せていることに気付いた。さっきまでなんとも思わなかったのに、指の隙間に流れる栗色の髪がやけに柔かく感じたとたん、不覚にも言葉に詰まってしまった。

「……と、とにかく、あんたになんかあったら、困るのは俺達なんだからな」

「あ、ああ、……気をつける」

 ルスティナの表情を確認するより、自分の顔を見られたくないのが先に立って、グランはすぐに手を放して顔をそむけた。そのまま踵を返す。

「グランさん?」

「水飲むついでに、あいつらの様子を見に行ってくる。ルスティナに眠ってるところを見られたら、あいつらだってきまりが悪いだろ」

 念のために先にエレムを井戸に行かせて、手を冷やさせた方がいいのかも知れない。だが自分がどんな表情をしているか想像もしたくないのに、人に見られるなどとても耐えられなかったのだ。

 こんなことで動揺してるとか、十代の小僧か俺は。訝しげにエレムがこちらを見ているのが気配で判ったが、グランは構わず早足で物置の方に歩き出した。

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