16.暁の魔女と皓月将軍 <前>
たき火の炎の向こうに立っていたのは、ルスティナよりひとまわりほど小柄な娘だった。
薔薇色の髪が夜目にも鮮やかに燃え立ち、健康的な小麦色の肌が星明かりの下で艶めいている。顔立ちは美しいと言うよりは愛らしいのだが、妙に肌の露出の多い踊り子のような服装をしている。やたら肉感的でメリハリのついた体つきを、わざと強調しているらしい。こんな閑散とした場所よりも、大きな街の歓楽街の方が似合いそうな娘だ。
「盛り上げるって、あいつらになにかしたのか?」
グランは右手を剣の柄にかけながら、娘を見据えた。
こんなに近寄られるまで気付かない事が既におかしいが、それ以上におかしいのは、娘の右肩の上で羽ばたく小さな鳥だった。何色と聞かれたら、炎の色と答えるしかない。その小鳥は、燃えさかる炎で形作られているようにしか見えなかった。
「ちょっと眠らせて、灯りを消してきただけよ。もう少し脅かそうと思ってたのに、あなたって妙に勘が良いのね、“漆黒の刃”さん?」
髪と同じ色の唇が、揶揄するように笑みを作った。ルスティナがいつでも剣を抜けるように体の位置を動かしたのが、グランの視界の端に見えた。
「どこのどいつだ? 何の用だ?」
「んー……」
右手の人差し指を可愛らしく唇に当て、娘は軽く考えるように小首を傾げた。その目がいたずらっぽくひらめいて、ルスティナに移る。
「皓月将軍に対抗して、暁の魔女とでも名乗っておこうかな?」
そこまで言うと、娘は唇に当てていた指を右肩の前に動かした。まだ唇は動いている。声はかすかにしか聞こえないが、彼らの理解できるもののなかにはない、聞いたことのない言語を口にしているようだった。
その言葉と一緒に、娘の目の前の空中に、赤い文字の羅列が時計の文字盤を書き付けるように、弧を描きながら浮かび上がった。そこに透明な板があって、誰かが炎で文字を書き付けているような、ありえない光景だ。
どういう理由でか、口にした言葉が文字になって浮かび上がっているのだ。
言葉は心当たりがないが、浮き上がった文字には見覚えがあった。それがなにかとグランが思い出す前に、文字の始まりと終わりがくっついて、大きめの円が空中に描き上がった。
娘の手がグラン達を指さすように前に伸びた。娘の右肩の上で蝶のように漂っていた炎の小鳥が、大きく羽ばたいて円をくぐる。
文字の円をくぐったとたん、小鳥程度の大きさだった炎の鳥が、一気にカラスほどの大きさになって、三人に向かって滑るようにつっこんできた。かなり速い。
グランは左に、ルスティナは右に、剣を抜く間もなくほぼ同時に転げるように避けていた。抜いたところで炎相手に効果があるかは判らない。炎の鳥は、背中から引き抜いた剣を体の真正面で盾のように構えたエレムの、刃の幅広の部分にぶつかると、炎を散らしながら剣身の上を撫でるように背後の宙へと飛び抜けていった。
熱を含んだ風が一瞬グランの顔を撫でた。理屈はさっぱりわからないが、どうやら本物の炎らしい。
「無茶するな!」
グランは言いながら、背後に通り抜けた炎の鳥を目で追いつつ素早く起き上がった。旋回して戻って来るかと思ったのだが、炎の鳥はエレムの背後に通り抜けた瞬間に、闇に溶けるように霧散して、すぐに姿が見えなくなった。
はっとして振り返ると、さっきと同じ、小鳥ほどの大きさに戻った炎の鳥が、再び娘の肩の上でふわふわと羽ばたいている。
「お、ちゃんと反応したわね。えらいえらい」
娘は楽しそうに微笑んだ。グラン達が体勢を整えるのを待つ余裕があるらしい。というか、これは遊ばれているのだ。
エレムは剣を構えた姿勢のまま、肩で息をつきながら視線だけグランを見て小さく頷いた。ちょっと焦げたような匂いがするが、怪我らしい怪我はしていないようだ。横に避けていたルスティナも戻ってくる。
エレムを真ん中にして、三人は顔と体を娘に向けたまま、体を寄せて小声で囁いた。
「……詠唱四秒、半秒置いて法円完成です」
「鳥がくぐるのに一秒。発動まで六秒か。五秒あればいける」
「私は四秒」
「遅れたら俺が斬る」
「判った」
声は聞こえなかったろうが、三人の視線が揃って自分に向いたのに気付いたらしい。娘はいたずらっぽく小さく舌を出し、またさっきと同じように右手の人差し指を唇に当ててから、あの言葉を呟き始めた。言葉の始まりから一拍おいて、空中に文字の円が描かれ始める。それを合図に、グランとルスティナは同時に地を蹴った。
いきなり反撃に出られるとは思っていなかったのだろう、娘の瞳が動揺の色を見せた。だが言葉は区切らない。二人は躊躇なくたき火を踏み越え、左と右から娘に向かって体ごと突っ込んだ。僅かだがルスティナの方が速い。
多少口調を早めたのか、二人が娘の体に触れる直前に法円が完成してしまった。炎の鳥が法円をくぐるのと、マントを盾にするように掴んだ左腕を顔の前にかざしたルスティナが、娘の体を突き飛ばしたのはほぼ同時だった。行くべき方向を見失った炎の鳥は、銀色のマントの表面を撫でてそのまま霧散した。
甲高い悲鳴と一緒に、突き飛ばされた娘が背中から地面に叩きつけられた。勢いで草の少ない地面をいくらか滑り、やっと動きを止める。肩もむき出しだから、傷の程度はともかくかなりの痛みだったろう。それでも急いで立ち上がろうと、地面についたその右手を、グランは容赦なく踏みつけた。
「いっ……!」
声を上げようとした娘の唇が、凍り付いたように動きを止めた。横たわって動けないままの娘の喉元で、グランの剣の切っ先が冷たく光を放っている。
「……殺す以外の方法はあるか?」
グランの問いかけに、こわばった顔であえぐように娘が口を動かした。少し言葉が足りなかったようだ。
「あなたを殺す以外に、あなたが僕たちに危害を加えないと確信できる方法はありますか?」
後ろから近づいてきたエレムが、グランの代わりに言い直した。
普通の場合と違い、武器を取り上げれば無力化できる相手ではなさそうだから、口約束だけで解放することはできないのだ。場合によっては喉を潰すくらい必要かも知れないが、死ぬよりはマシだろう。もちろん死んだ方がマシだと言われたら、そうするよりほかはない。
娘は戸惑ったように視線をさまよわせた。再び現れた炎の鳥は、娘に近寄ることができないらしく、行き場を探るようにグラン達の少し上をふわふわ旋回している。
この状況でもまだ、いつでも剣を抜けるように構えているルスティナと、いっこうに力を緩めないグランを見比べて、娘は観念した様子で目を伏せた。
「……約主の名前を」
「なんだ?」
「契約主の名前を、聞いて、あたしに」
足りない空気を喉から求めるような声だ。意図が飲み込めずグランは一瞬戸惑ったが、変な素振りを見せたらもう後はないと、娘も判っているはずである。
「……お前の契約主の名前を明かせ」
「……」
娘の口が、何かに操られるように動いて、ひとつの言葉を口にした。
言葉としてだけなら、『セッラファ』という発音が一番近い。もちろんグランに意味は判らない。
その言葉が吐き出された瞬間、全く自分の意思とは無関係に、グランの唇が動いてそっくり同じ言葉を口にした。
グランは自分で驚いて、娘の顔を見返した。娘がまた妙なことをしかけたのかと思ったのだ。
だが娘は観念したような表情のままだ。特になにか企んだわけではなさそうだった。
「……完了したわ。契約主が共有されたから、フィリスの力はあなたの守護に回る」
「フィリス?」
「その子の名前」
娘は上で旋回している炎の鳥を目で示した。形は変わらないが、いつの間にか二匹に増えている。増えた分、心なしか小さくなっているようだ。
「そっちの二人にはまだ有効なんだけど、あたしがあなたになにもできなくなったから、もうなにもしないわ。こればっかりは、信じてって言うしかないんだけど」
「……」
「大丈夫であろう」
娘を解放していいものか判断しかねているグランに、炎の鳥を見上げながらルスティナが声をかけてきた。
「片方の鳥がグランの方に降りたがっている。その娘を放せば、味方だと完全に判断されるのではないか」
グランは娘が変な動きをしないように警戒しながらも、彼女の手を踏みつけていた足をどけた。自分の喉元から剣が離れると、娘はばつの悪そうな顔でそろそろと起き上がった。その目が恨めしそうにグランを映す。
「……ひっどいなー、女の子相手になんてことするのよ」
「いきなりあんなことをやらかしておいて、なに言ってやがる」
拗ねたような声だが、口で言うほど声に勢いが感じられない。ぺたんと座り込んで、右手をさすっている娘の肩に寄り添うように、炎の鳥がふわふわと降りてきた。もう一匹は、遠慮がちに距離をとりながらグランの周りを旋回している。
「……これはなんなんだ?」
「私の契約主の力が、目に見える形をとってるだけ。邪魔ならこうすればいいわ」
娘は言いながら、踏みつけられて赤くなった右の手のひらを上に向けた。娘の近くでふわふわ漂っていた炎の鳥は、木の枝に休むような姿でその手のひらに飛び移ると、そのまま吸い込まれるように見えなくなった。
「お、俺もそれやるの?!」
「だってもう、あなたの力の一部になっちゃったんだもの。他人の契約主の名前を奪うっていうのは、その力を奪うって事なのよ」
「奪うとか人聞き悪いなぁ……」
妙なことになってきた。確かに危険な感じはしないが、このままほいほい従っても良いのだろうか。それに、こんなものを目の前にしていても、怖いともなんとも思わない自分の方がまずい気もする。
一連のことで既に感覚が麻痺しているのは、ルスティナとエレムも同じらしい。二人とも、娘の動きに注意しつつも、興味津々といった感じで上空を漂う炎の鳥を目で追いかけている。
グランは渋々左手を広げて上に向けた。炎の鳥は、休む所を見つけたとでもいうように、ふわふわ飛び移ってきた。ほとんど触れるほどなのに、全く熱くない。
観察する間もなく、そのままかき消えるように姿が見えなくなった。
「だ……だいじょうぶなんですか?」
「痛くも熱くもねぇし、変な感じもないな……」
「さっきは確かに本物の炎であったのにな。あの妙な文字の輪を通らなければ平気なのか」
「もー、なんなのよあなたたち」
地面に擦れて傷ができている肩や背中から砂を払いながら、娘はグランの手のひらをわいわい眺めている彼らを、むっとした様子で眺めている。
「怯えるとか、慌てるとか、恐れおののくとか、もうちょっと反応の仕方ってあるじゃない」
「そんなことを言われても」
エレムが苦笑いを見せる。相手がこちらに危害を加えようとしていると判断した時点で、それなりの対応を講じられないようでは、命がいくつあったって足りない。
「お前こそなんなんだ?」
「あたしは……」
「魔女とかいいからまず名乗れ。呼ぶのに面倒だ」
「むー」
娘はおおげさに唇をとがらせた。不必要に可愛らしい仕草だが、グラン達がなんの同情も示さないので、あきらめた様子で息をついた。




