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15.月夜の番人<後>

「副司令に登用されても、やはり変わらなかったよ。もちろん喧嘩もしたし、議論もしたし、謝ったり謝られたりもあったが、それは仲間として当然だと思っていた。そのおかげで、互いの得手不得手も判って、補い合えるようになれたのだ。話の矛盾や誤りを指摘されたことはあっても、女だから黙れと言われたことは一度もなかった」

「……」

「さすがに白弦の総司令にと言われた時は驚いたし、一番年の若い自分が上に立つようになったら、今までうまくやってきた副司令の皆も快く思わないのではないかと心配もした。でもふたを開けてみたら、全くそんなことはなかった」

 フォルツやエスツファを見ていたら、そうなのだろうなとグランも思う。全く部外者のグラン相手にもあんななのだから、長く一緒にやっているルスティナの立場が上になろうが、いきなり態度が変わることもなさそうだ。

「この前の、これにしてもそうだが」

 言いながらルスティナは、グランからまた受け取った葡萄酒の瓶を軽く示した。交互に飲んでいるうちに、いつの間にか中身は半分ほどに減っている。

「エスツファ殿だって、ああやってふざけているように見えて、皆の気分を盛り上げたり、見込みのある者を見極めようとしているのも判っているのだ。それでも周りに、ただの悪ふざけに思われぬように、無粋を承知で私が口を出さねばならぬ時もあるのを、理解してくれている。副官のなかで一番年長で経験もあるエスツファ殿が私をたててくれてきたから、ほかの者らもよくまとまってくれた。今も、黒弦の総司令になったからといって態度を変えるわけでもない。全く私は、良い仲間に恵まれたものだと思う」

 一息つき、渇いた喉を水で湿すような顔で葡萄酒を飲んでいる。なんだかよく判らないが、グランは少し不安になってきた。

「だがこれが、私が王妃の側仕えの騎士としてではなく、いちからの兵士としてであったら、全く違っていたのかも知れない。ヘイディア殿の言われるように、ただ女だからと、機会も与えられず、なにをしても正当に評価されないままということも、あり得たのかも知れない。そう考えたら、私はヘイディア殿の言うような形での苦労は、あまりしてきていないのだろうか、などと少々考えていた」

「んなこたねぇと思うけどなぁ……」

 やっと瓶を受け取ると、さっき渡した時よりも中身がだいぶ減っている。

 ルスティナは少し饒舌になっている程度で、顔色も口調も変わっていないが、酒が顔に出ない者ほど周りが状態を判断できなくて危ないのだ。このまま飲ませてもいいものか、それともここでさりげなく取り上げるべきか、判断に困る。

「俺には、あのヘイディアって奴がいう『苦労』ってのが、どんなことを指してるのか、よく判んねぇけどさ。同じような苦労をしても、あんたは『こういう仕事だからこういう思いをすることもある』って受け取ってきたものを、ヘイディアは『自分は女だからこんな思いをさせられる』って思ってきただけじゃねぇの」

「そうであるのかな」

 グランは片手で、どこに置いたか見失った瓶の栓をさりげなく探しながら、視線だけはルスティナに向けて続けた。

「ガキじゃあるまいし、同じ仕事場にいる奴に、女だから男だからってだけでいちいち言ってたらなにも始まんねぇ。あんたも、あんたの周りの奴らも、それをちゃんと判ってただけだろ。それに、あんたがほかの奴よりも苦労してないなんて思ってる奴なんかいねぇだろ。だからみんなついてくるんじゃねぇか」

「……そうか」

 ルスティナは右手で自分の両膝を抱くと、左手で頬杖をついてグランを見た。栗色の髪が流れるように肩から滑り落ちる。

「やはり私は、人に助けられてきたのだな。有り難い話であるな」

 子供のようににっこりと笑われて、グランはなぜか言葉に詰まった。

 ルスティナはそのまま視線をそらさずグランを見ている。なにか続きがあるのかと思ったら、全くそんなこともなく、にこにこと微笑んだままだ。

 グランは無理矢理視線を外して、栓をするつもりだった葡萄酒を口に流し込んだ。まだルスティナの顔がこっちに向いているのが気配で判るのだが、目が合うのがなぜか気恥ずかしい。

 逃げるように視線を空に泳がせたら、大きな光の筋が夜空を横切ったのが目に入った。流星だ。

「……星が」

 言いながら思わず視線を向けると、ルスティナは顔だけはこちらに向けたまま、膝を抱えた姿勢で気持ちよさそうに寝息を立てている。

 ……やっぱり酔ってたんじゃねぇか。

 一気に力の抜ける思いで、グランは背後の木の幹にもたれかかった。

 自分だってルスティナと同じだけ飲んでいたはずなのに、いっこうに酔いも眠気も差してこない。二人が眠ってしまったら、グランが夜中までは起きていなければいけないから、別に良いのだが。

 ……こいつを白弦の総司令に据えたのは、ルキルアにとって大正解だったんだろうなぁ。

 ルスティナの寝顔を眺めながら、グランは息をついた。

 どんなに口ではものわかりのいいことを言っても、やはり年の若い、しかも女の上役だ。自分にはそれなりに実力があると思っている男ほど、従うのには抵抗があるはずだ。

 でもこれをやられたら、たいていの男はなにも言えなくなるに決まっている。仕方ない、できることは協力してやろう思ってしまうだろう。

 とりあえずこの状態をどうするべきか。少し考えて、グランはルスティナの荷物袋を引き寄せた。膝を抱いて座った形のままのルスティナをむしろの上に横にして、荷物袋を頭の下に入れてやる。

 ついでにマントを体に掛けてやったが、本人はすっかり寝入っていて目を覚ます気配がない。

 自分なんか相手に、こんなに無防備でいいんだろうか。それだけ、信用されてるってことなんだろうが。

 顔にかかったルスティナの髪を耳元までかきあげてやってから、グランはまた木の幹にもたれて空を見上げた。月はいつのまにか中天から傾いて、辺りをいっそう青白く染めている。

 そういえば、ルスティナの二つ名は皓月将軍だ。

 月の色に染まったマントにくるまって寝息を立てるルスティナを見やり、グランは瓶にわずかに残っていた葡萄酒を飲み干した。



 直接こちらからは見えないが、物置の陰で、今もしっかりと起きて見張りをしているらしい兵士の気配が感じられる。ほかに人が来る様子など全くないのに、感心なことだ。

 星の動き具合から、夜もほぼ半ばになったのを見計らって、グランは立ち上がった。

 そろそろ燃えるものが尽きかけて、たき火の炎もだいぶ小さくなっている。月はもうじき山並みの陰に隠れようとしているが、目が慣れて周りを見るには全く不自由はない。それでも屋外で火があるのとないのでは気分的に違うものだ。

 あらかじめエレムが集めていた枯れ枝やらを、改めて火に放り込む。全く眠くはなかったが、夜が明けて死体を巡回の衛兵に引き渡したら、今度は歩いてエスツファ達のいる本隊に追いつかなければいけない。休息は必要なのだ。

 ルスティナは、このまま朝まで寝かせておけばいいだろう。そろそろエレムを叩き起こそうかと振り返ると、むしろの上に体を起こしたルスティナが、大きく伸びをしているのが目に入った。

「先に寝てしまったようですまなかったな、交代しよう。先に井戸で顔を洗ってくる」

 まったく酒が残っていない様子でそう言われて、グランはあっけにとられたまま頷いた。なにか変なことを言わなかったか、などと聞こうとする素振りもない。ルスティナは眠り込むまでに自分の言ったことを、きちんと覚えているのだ。きっと、グランの反応も。

 ルスティナはしっかりとした足取りで、物置に向かって歩いていく。グランは少しの間目を閉じて額をおさえると、なんとも言いようのない今の感情をつま先に込めて、安らかな顔で眠っているエレムの脚をすくい上げるように蹴り飛ばした。

「え? なに、なんですか?」

「なんでもねぇよ、交代だよ」

「ああ、すみません、先に寝ちゃったんですね僕」

 おたおたと起き上がったエレムは、眠気を払うように両手で自分の頬をぺしぺしとはたいている。

 少し気が晴れて、グランは腰を伸ばして空を見上げた。だいぶすっきりした顔つきで手足を動かしながら、立ち上がったエレムも同じように空を仰いだ。

「やぁ、いい星空ですね。外で寝るのも久しぶりな気がします」

 そういえば、ランジュを拾った日の夜以来である。あれから半月ほどしか経っていないはずなのに、いろいろなことがありすぎて、短かったようなひどく時間が経ってしまったような、不思議な感じだった。

「ルスティナさんは……」

「顔洗いに行ってる。小屋の裏手に井戸があるだろ」

 ほかにも済ませることはあるだろうが、言うだけ野暮というものだ。

「ルスティナさんが戻ってきたら、僕も顔を洗ってきますね」

「ついでにこれに水も汲んできてくれよ。喉乾いちまった」

「いいですけど……って飲んじゃったんですか、それ」

 すっかり空になった葡萄酒の瓶を拾い上げたグランに、エレムが呆れた様子で目を丸くした。

「いくらいいお酒でも、それは飲み過ぎですよ」

「半分はルスティナが飲んでたぞ」

「えー?」

「おや、エレム殿も起きたのか。もう少し寝ていても良かったのに」

 露骨に疑わしそうな顔をされてしまったところに、当の本人がごく普通の顔つきで戻ってきた。更にエレムがグランを疑わしそうな目で見る。

 ルスティナは水滴の残る前髪を軽く払いながら、二人の様子を見て首を傾げた。

「……とりあえず、僕も顔を洗ってきますね」

 言いながら、物置の建物の方を見たエレムが、なにに気付いたのか動きを止めた。

「あれ、あっちのほうで、灯りをつけてませんでしたっけ?」

 言われてみれば、建物の陰の、死体を置いた掘っ立て小屋のあるあたりから灯りが漏れてこなくなっている。さっきまでは見張りの兵士が起きて動いている気配もあったのに、それもない。

「おかしいな……今声をかけたばかりなのだが」

「油でも切れたんでしょうか、ついでに見てきますね」

 離れたところの人の気配までは判らないエレムが、呑気に足を踏み出そうとする。グランはその肩を掴んで首を振った。油が切れたら切れたで、起きているならもう少し慌てている様子がありそうなものだが、それもないのだ。

「俺が行ってくる。危ない感じはしないんだが、なんか妙だ」

「妙って……」

「私も行こう」

 言いながら、ルスティナは自分の剣の位置を無意識に確認している。グランは頷いて、置いたままだった剣を拾い上げてきなおした。

「……それなら三人で行ったほうがいいな」

「はい」

 少し戸惑った様子ながら、エレムも剣を背負い直している。

 三人で行くと荷物番がいなくなるが、どうせなくなって困るような高価なものは持ってはいない。そこまで考えてグランは、なぜか第三者がいることを想定して動こうとしているのに気がついた。彼らのほかには誰の気配もしないのに。

 とにかく様子を見に行こうと、先に立って数歩ほど進んだ時だった。不意に背後に妙なものを感じて、グランは振り返った。それとほぼ同時だった。

「もー、もう少し盛り上げるつもりだったのに、台無しじゃないのー」

 少し拗ねた様子の若い女の声だった。グランに一拍遅れて振り返ったルスティナとエレムが、揃って目を丸くした。

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