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32.小さな城の大きな秘密<6/6>

 エレムの剣には刃がない。だが、大陸最強の強度と硬度を誇るサルツニア産鋼鉄でできている。ものを斬れないだけで、強力な打撃武器にはなりうるのだ。

 グランは自分も剣の柄に手をかけながら、エレムを止めようとした。

 夫人を始末するというなら、それは自分の役目だ。相手が化け物だろうがなんだろうが、もとが人間である以上、手を汚すのは自分だけでいい。

 だがエレムが駆け寄ったのは、赤黒い球体を載せる、銀の台座の方だった。

 薄手だが幅広の鋼の剣を両手で持つと、エレムはそれを台座から床に伸びる無数の管に突き立てた。

 どういった素材でできているものか、つながった管は竹が割れるような軽い音を立て、刃を引き抜く前にあっさりとへし折れた。

 夫人が絶叫した。

 折れて割れた部分から、赤黒い粘度のある液体のようなものがこぼれだしてくる。一見人の血のようにも見えたが、その液体は空気に触れるそばから、細やかな光の粒になって空気の中に溶け込んでいく。

 前に、こんな光景を見たことがある気がした。色こそ違えど、ランジュを遺跡の中で拾ったときのあの光にも、月花宮で溶け消えていくイグの放っていた光にも、よく似ていた。

「なんて……なんてことを……!」

 呪詛のような悲鳴が、美しい唇の間から響いた。

 その間にも、エレムは容赦なく、二度三度と、周りの管に刃を突き立てた。そのたびに管が割れて折れ裂け、こぼれた赤黒い液体が光に変わって霧散していく。

「もう無理です、離れて!」

 ヘイディアの声に、取り憑かれたように管を破壊していたエレムの動きがやっと止まった。球体を形作っていた赤黒い寒天のようなものが、銀杯の上にゆっくりと溶け落ち、その縁からあふれて持ち手部分にまで流れ始めたのだ。まるで、壊された部分を塞ごうとでもするように。

 あの寒天のようなものに体が触れたら、力を取り込まれてしまう。グランはエレムの腕を掴んで台座から引き離した。

「人が……」

 エレムは我に返った様子で、夫人と一緒に球体の中から吐き出された、もう一人の人間の体に目を向けた。

 グランは首を振った。

 性別も年齢も判らない。肉は失われ、骨ばかりになった体にかろうじて皮膚がまとわりついている。髪すら抜け落ちて、かつて服だったらしい布きれも、もう原形をとどめてはいない。

 明らかに命が失われて久しい死者の体から、まだなおこの城は養分を吸い上げていたのだ。

「おのれ……許さない……私の……」

 のたうち、顔を覆う夫人の手には、目に見えた皺が老いの影となって差し始めていた。ふつうに歳を取っていても、四〇代五〇代であれほどの皺にはならない。城を守る力から特権を得ていたつもりだったのだろうが、夫人自身も城に利用され、消費される存在なのは明らかだった。

 三人は、文字通り風穴を開けられた壁際に駆け寄った。

 ここが島のどの位置に当たるのかはよく判らなかったが、真下に岩場はなく、夕暮れの空を映した湖面が波打っていた。少し離れたところで、何隻かの小舟が停まっている。そのなかのひとつからは見覚えのある薄青色の法衣を着た小柄な人影が、大きく手を振っているのが見えた。

「いいから先に行け」

 浅くはなさそうだったから、島から離れた場所に飛び込めばなんとかなりそうだ。

 自分が先に行かないとグランもエレムも降りないのを察したヘイディアが、勢いをつけて飛び出した。水しぶきが上がり、合わせて近寄ってきた小舟が浮きになるものを投げかけている。

 赤黒い球体だったものは、グラン達が離れた間に大部分が下に溶け落ちていた。銀の台座の上には、球体の芯であったらしい、朱色に輝く固まりが支えるものもなく宙に浮いて、まるで生き物の心臓のように脈打っていた。あれが球体の吸い上げた魔力を蓄えている、核の部分なのかも知れない。

 抜け落ちた寒天のようなものは、破れた管の部分に覆い被さって、流れ出す魔力が霧散していくのを防いでいるようだった。

「なんだか……あの中央に異様な力が」

 ヘイディアの体が小舟に引き上げられるのを待っていたエレムが、背後の気配に気付いて振り返った。

 中央で脈打っていた芯の部分が、周囲に赤黒い火花を散らしながら、目に見えてふくれあがっていた。ここからはだいぶ離れているのに、グランの手のひらで、ちりちりとした痛みが強まってきている。

 ヘイディアを乗せた小舟が下から離れ始めたのに合わせて、二人は揃って飛び下りた。


 飛び下りた直後、彼らの頭の上を、熱を帯びた赤い風が大きく横に伸びた。

 なにかが破裂するような音がしたのかも知れないが、飛び下りるときの風の音でほかの音は全てかき消され、すぐに視界は湖の水で覆われた。

 水を含んでまとわりつく服の重さに閉口しながら、必死で湖面に顔を出す。待ちかまえていた小舟から複数の腕が伸びて、あっというまにグランの体を引き上げた。

「水も滴るいい男とはよくいったものであるな」

 この期に及んでくだらないことをいいながら、水を飲んで咳き込むグランの背中をさすっているのはエスツファだった。ほかにこの船に乗っているのは、船を操る者以外は、見慣れたルキルアの兵士ばかりだ。

「よく、俺達があそこから出てくるって判ったな」

「リオン殿が、ヘイディア殿の起こした風がこのあたりを巡っていると教えてくれたのだよ」

 エスツファの視線の先で、エレムとヘイディアを引き上げた船に乗ったリオンが、グランに向かって得意げに手を振っている。グランは力なく笑い、軽く片手を上げて応えた。

「夫人は、古い城だから迷ったのだろうなどと言っていたが、三人揃って長時間迷うほど広い城でもなさそうだったしな。これは、ただでは帰してもらえないようななにかがあったのだろうと、だだをこねる姫君をなだめて先に町に戻ったのだよ」

 エスツファがのんびり説明している間に、三人を回収した小舟は一様に急いで岸に向かっている。

「で、誤って湖にでも落ちたのかも知れないと、市長殿に無理矢理頼んで船を出してもらったのだが……いったいなにをやらかしてきたのだ?」

「なにをっつーかなぁ」

 話しながら彼らは揃って、遠ざかる湖上の城を見上げた。

 いったいどういう作用であんなことになっているのか。三人が飛び出してきた部屋の壁から吹き出した赤黒い炎が、巨大な蛇のように天に伸び、こちらを睨むように鎌首をもたげていた。

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