勇者逃亡 ⑩
アーゲン国からフュルト国へ行く最短ルートは、船で川を渡るルートである。
迂回すれば旅程が延びて旅費がそれだけかかる。しかし、川を渡るには船賃がかかり、どちらにしてもかなりの金額かかかってしまうという事実を知り、打ちのめされている私です。
心の安寧のため、小次郎をバックハグして深呼吸しよう。
「仲のいい姉弟だな」
護衛冒険者のエンリケさんが顔をくしゃっと崩して大きく笑う。眩しいその笑顔を見ても、私の心の憂さは晴れない。
あ~お金、どうしようかな……。
エンリケさんにそれとなく船賃を聞いてみたが、大金貨を出すほどの金額でもなかったので、手にある大金貨の使い道はまだない。ちっ、あのアホ神め。
寝静まった馬車の中で兄や姉とコソコソと相談しているが、やっぱりアーゲン国へ行ってみないと何もわからないようだ。働く場所があるのかとか、フュルト国へ行く馬車があるのか? それとも冒険者の護衛を雇って行くのか? もっと重要なのはアーゲン国で、私たち家族が泊まれる安宿はあるのか?
う~考えることが多すぎて頭が痛いし、神への信仰心が益々マイナスに傾いていく。
橘一家が川越の術も見つからず意気消沈していた日の暮れ、馬車の旅にも慣れたころにトラブルは起きた……。
「こっちに来ないでおくれ。汚らしい!」
カランと皿が立てた硬質な音と年老いた女性の罵声が、みんなの視線を集めた。夕食にと運んできたシチューの皿を払い退けた手をそのままに顔を真っ赤にして怒鳴るのは老女で、もう一人の若い孫と思われる女性はオロオロとしている。
一方、夕食運びを手伝っていたのはモーリッツさんの上の子のウッツだ。獣人は差別されているとわかっていても、直接なじられたことでピキンと体が固まってしまっていた。慌てて母親のレオニーさんが抱きしめるが、ウッツは静かに涙を流し唇を震わせる。
何も悪いことなんてしていない。むしろ、みんなのためにとお手伝いをしている子どもに、あんなヒドイことを言うなんて! カーッと頭に血が上った私が一歩前に出ようとして、兄の手に止められた。
「お兄ちゃん!」
「いいから」
強い力で掴まれた腕は痛いぐらいだ。兄だって怒っているのに。
「そうだ、そうだ。狭い馬車の中、獣臭くてかなわん。獣なら外を走ればいいのに」
馬車にはもう一人、モーリッツさん一家を疎ましく思っている奴がいたのを忘れてた。がっしりとした体つきの男で、最初からモーリッツさん一家を侮蔑していたイヤな奴だ。態度には出しても言葉にはしていなかったが、お婆さんに便乗してきやがったわね。
「あの野郎……」
殴りにいきたい私と止めたい兄で攻防を繰り返していると、その横を小次郎と手を繋いだ姉がスタスタと通り過ぎていく。
「お……お姉ちゃん?」
「桜、小次郎?」
姉と小次郎は、まずお婆さんの前に立つと無言で落とされた皿を指差した。
「お皿を拾ってください」
「へ? な、なんだってあたしがそんな……」
「お皿を拾ってください! あと、食事を作ってくれた人や食材を譲ってくれた人に謝ってください!」
姉の大声なんて……カラオケでアニソンを歌う以外で初めて聞いたかも……。姉の隣に立っていた小次郎はタタタと小走りで獣人を獣と揶揄したおじさんのところへ。
「謝って。ウッツちゃんたちに謝ってください。獣人族は獣じゃないよ。ウッツちゃんとロッツちゃんは僕のお友達なんだ! ちゃんと謝ってください!」
小次郎の叫びは最後は涙声になってしまったけど、他のみんなもうんうんと頷いて聞いてくれた。高校生ぐらいの若い男の二人組は、小次郎の肩に手を置いて「おじさん謝りなよ」と言い出すと、三人の子どものお母さんと乳飲み子のお母さんが、泣いているウッツとレオニーさんに駆け寄り慰めつつ批難めいた視線をお婆さんへと向けていた。
モーリッツさん一家を毛嫌いしていた二人は、場の空気が徐々に向かい風になっていくのを感じて顔色が悪くなっていく。そこへ、先に夕食を済ませていた護衛の冒険者パーティーが加わった。
「へぇぇ、獣人は馬車に乗っちゃいけねぇのか」
タンク役のチュイさんは巨体だ。それは熊の獣人だからで、頭には丸くて小さいもこもこの耳が付いている。
「外を走ればいいんだってさ」
ギラギラと殺意が籠った目で二人を睨むのは、片目眼帯でスタイル抜群美女のニルダさん。パーティーの斥候役で身のこなしが軽い。彼女は猫の獣人でピンと立った耳としなやかな尻尾がご自慢だ。
「あ……あんたたちのことじゃ……」
「そ、そうだ。冒険者は関係ないだろ」
オドオドと二人が反論するが、チュイさんとニルダさんに睨まれてぐっと言葉に詰まる。私と兄は姉と小次郎に先を越されてようやく冷静になれた。
「……レオニーさんたちも夕食はまだですよね? 先に済ませてしまいましょう。小次郎も早く食べて」
ポンポンとレオニーさんの背中を叩き、慰めてくれていたお母さんたちにも食事を勧め、小次郎にも声をかける。小次郎は若い男たち二人と一緒に焚火のほうへと移動していった。
「お姉ちゃん」
「……うん」
唇を悔しそうに噛んでギュッと拳を握っていた姉の手を取り、夕食へと誘う。だが、私だって言いたいことがあるんだ!
「お婆さん、おじさん。アーゲン国は人族だけじゃないよ。私たちはアーゲン国にとったら余所者です。今度はあなたたちが拒否られる側になるってこと覚えておいて」
唖然とした二人にくるっと背中を向けると、チュイさんの口笛とニルダさんの笑い声が聞こえた。
ふんっ、まだ言い足りないしブン殴ってやりたいよ!




