45 獲物
「王都から、距離があるのね……」
私は馬車に揺られながら、流れていく小さな窓の風景を見ていた。
こんなに長い間馬車に乗って移動するのは、あの時、家出をしてジュストの生まれ故郷のアンレーヌ村へと向かった時以来だわ。
行きは乗り合わせの辻馬車でとても緊張していたし、帰りは思いを通い合わせたばかりのジュストと色々と話しながら帰って居たから、窓なんてまったく見ていなかった。
なんだか、不思議。
あれからまだ時はそう経っていないというのに、私はもうすぐジュストと結婚するんだわ。
私たち二人は父が迎えに来たオレリーの願いを聞き入れ、いまにも騙されそうなベイリー侯爵夫人へ対面で危機を知らせるつもりだった。
話したこともない人間の忠告の手紙などより、直接会って話した方が良いだろうと、ベイリー侯爵の本邸で開催される夜会へと行くことにしたのだ。
私は正式な夜会ドレスを早い時間から着ているので、すでに今もう疲れを感じてしまっている……いつもは王都にある王城や邸へ赴くだけなので、移動には時間は掛からないのだ。
「……ええ。ベイリー侯爵家の領地は、オレリー嬢が辻馬車に乗ろうとしていたほど、王都から距離がありますからね。亡きベイリー侯爵の葬儀から、王都の邸へは夫人は帰っていないようです。いきなり夫に先立たれたのですから、それも仕方のないことかもしれませんね」
隣に座るジュストは漆黒の夜会服を着ていて、トレヴィル男爵の調査結果の書かれた書類を何回か読み直しているようだ。
オレリーが彼をアシュラム伯爵邸へ連れて来た日から、彼のことを調査をさせていたようだけど……何が書かれているというのかしら。
「ジュスト。トレヴィル男爵の調査書って、一体何が書かれているの?」
どうしても、私はそこが気になってしまった。人物に対する調査書なんて、これまでに見たことがあるはずがない。
それに、ジュストは『調べさせた』と言っていたけれど、一体その書類の内容は誰が調べたの……?
サラクラン伯爵家での調査担当はジョンだったかもしれないけれど、そういう調査員って普段は一体、何をしているものなの?
知らないことばかりだわ。
「……ミシェルは見ない方が良いですよ。あの男がどの夜に誰とベッドを共にしたかなんて、知りたくないでしょう」
書類から少し目線を上げて微笑むと、ジュストは言った。
「そ、そんなことまで……!? しっ……知りたくないわね」
私はふいっと窓の外へと視線を戻した。流れていく緑の光景。私は黙ったままで自分の額を押さえた。
爛れた夜の生活を送っていそうなトレヴィル男爵の魔の手から、可愛い妹を守ることが出来て本当に良かったわ。
……なんたって、オレリーはあの年齢になるまでのほとんどの時間をベッドの上で過ごしたのだ。
いわば、筋金入りの世間知らずよ。その辺の子どもでも騙せそうなのに、本職の詐欺師なんて絶対に駄目……!
「そうでしょうね……僕は、入り組んだ貴族社会での、裏の人間関係を覚えておかねばいけませんので……」
「裏の……?」
「ええ。表向きは一切交流せず仲が悪そうに振る舞っていても、裏で通じているなんてことなんて良くあることですよ。とにかく、トレヴィル男爵とグルになって騙そうとしている連中を避けねばなりませんし、そのお仲間も……」
片目を瞑ったジュストが当然のように口にしたことは、おそらくは貴族社会の常識。
私だってサラクラン伯爵家の娘で、貴族がただ華美に着飾り、会話を楽しみながら悠々自適に生きていくだけの人種ではないことは知っているのだ。
醜い足の引っ張り合いに、激しい権力争い。そんな中で、夫を亡くしたばかりなのに貴族としての務めを果たさなければならない夫人は、どれだけ心細いことか。
「そうね……ベイリー侯爵夫人は、大変でしょうね」
「まあ、それは確かにそう思います。未亡人の女侯爵となられても、僕の義母のように上手く立ち回れる女性は珍しいでしょうね」
ジュストの義母フィオーラ様は元女優で、本当にお美しい。トリアノン侯爵家の後妻となった彼女は、知的で頭の回転も速く自らの才知のみであの地位へのし上がったと言われれば、その通りだった。
おそらくは、ベイリー侯爵夫人は元貴族令嬢で、夫が健勝な時は女主人として邸内のことは切り盛りしていた程度だろう。
だとすると、精神的に弱っているところを詐欺師たちが狙っても、おかしくないかもしれない。
「私は……オレリーのしようとしたことは、正しいと思うわ。ジュスト。あの子は人助けをしたいと思ったのよ……ベッドの上で、ただ誰かの物を欲しいと言っていたあの子が、馬車を一人で乗ったことのないあの子が……誰かのために、家出までしようと思ったの。姉として、願いを叶えてあげたいわ」
そうだ。物知らぬオレリーは純粋すぎるがゆえに、利益なども考えず苦境にあるベイリー夫人を助けてあげたいと思ったのだろう。
ジュストは仕方なさそうにふうと息を吐いて、私の肩を抱いた。
「わかっていますよ。ミシェル。僕は出来るだけ、愛する君の願いを叶えてあげたいです。それに、狐狩りは貴族の娯楽ですし、今回の狐は良い毛皮が採れそうですからね」
顔を近づけて、お互いに見つめ合った。ジュストはいつも私の意向を気にしてくれる。願いは叶えてくれようとする……妹オレリーの病気を治してくれたことも。
幼かった私が妹の危篤状態にどうか天使に連れて行かないでと、泣いてお願いしていたことを知っているからだ。
「……まあ。トレヴィル男爵を獲物に狐狩りをするの?」
私にしてみれば、トレヴィル男爵は女の敵であり、妹を騙そうとした極悪人だ。
女性の心を弄んで傷つける以外に、また違う罪を犯しているのなら、法律に則って償うべきだと思うわ。
「そうですね。今日の狩り場は、狐は一匹ではなさそうですから……」
ジュストは手に持っていた書類を揺らした。きっとそこには、今回捕まえるべき悪人たちの名前が連なっているのだろう。
「……狼が狩り場にやって来たら、狐は逃げてしまわない?」
私はそう思った。捕食者を見て、驚いて逃げ惑う狐たちが目に浮かぶ。
「これはこれは、お嬢様。良いところにお気づきになられましたね。僕がもし彼らにとっての狼なら、羊の皮でも被って行くところでしょうね……実は、今夜の夜会の招待状の宛名は、僕ではありません。ミシェル」
ジュストはそう目配せしたので私は驚いた。通常は、招待状に書かれている人物が夜会会場に入ることになるけれど……。
「どういうこと……?」
「特別な方法で偽名で用意してもらった招待状です。詐欺師たちを前に、僕たちが真実を大事にする必要などありましょうか。今夜の僕はブラウン子爵です。義母の持つ従属爵位のひとつです……誰とも会ったことがないので、誰にも気が付かれないでしょう」
ジュストはまさしくこれから、羊の皮を被った狼になろうと言うのだ。夜会に来ていないはずの彼が多数の人に紛れ込めば、誰なのかわからないはず。
「ジュストを知る人が居るかもよ……?」
「ああ……はは。今夜はトレヴィル男爵くらいでしょうね。僕は貴族位をいただいて、そう日にちは経っておりませんから。顔見知りにならねば、そうは詳しく人の顔を覚えていないものですよ」
ジュストはにっこりと微笑み、私は曖昧に微笑んだ。
「もし……トレヴィル男爵にすぐ会ったらどうするの?」
「彼が首尾良く逃げないように、祈ろうと思います……狐の行く先は神のご意志に従いますよ」
ジュストは軽く肩を竦めて、窓の外へ目を向けた。そこには、荘園の中に佇む邸……辿り付いた、ベイリー侯爵邸。
本日は純粋培養令嬢竹コミ!8話更新日です~♡
おめかしかわいいミシェルとキメキメジュストとラザールのバチバチが見所です(ページ下部にリンクあります)
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