34 嘘
「いえ。僕もこの前にお茶会で、オレリー様と初めてお会いしたばかりで……それからは、手紙でやりとりをしておりましたが、なかなかお会い出来る場に恵まれず」
トレヴィル男爵は、すました表情で答えていた。
おそらくは、何も知らないオレリーを心配して母が彼と会わないように配慮していたものと思われる。
けれど、姉の住む邸を訪問すれば会えるのではと提案したのは、きっとオレリーね……もう、本当に世間知らずなんだから……!
オレリーは苦手なジュストが突然帰宅して嫌な表情を浮かべているけれど、考えていることが明け透けに見えてしまっていた。
あれでは貴族社会で生きていけないと、実の姉としては頭が痛い。
けれど、これまでのほとんどの時間を一人でベッドで過ごしていたのだから……他の貴族たちに溶け込む社交術を会得するために、ある程度の洗礼を受けるのは仕方ないのだわ。
「へえ。それで……こちらまでご一緒に。驚きました。オレリー様は婚約者の居ない貴族令嬢。周囲から変に関係を誤解されないように努めるのは、男性側の義務では?」
ジュストは公の場で会えないならば、トレヴィル男爵側が我慢するべきだろうと言いたげだ。
普通の男性ならば、そうするわよね……けれど、普通の男性ではないから、私たちの母もオレリーに近づけないと判断したわけで……。
「……申し訳ありません。オレリー様の評判を傷つけるような、そんなつもりでは。ご迷惑をおかけしてしまい、申し訳なく思っております」
「ちょっと! ジュスト。何のつもり? 私はもうすぐ社交界デビューもするのだから。誰と一緒に居ようが、それは私の勝手だわ」
不満を顔一杯に浮かべたオレリーが口を出し、ジュストは長い足を組み替えてにっこりと微笑んだ。
「これはこれは、失礼しました。オレリー様。心の広い僕は自分の邸が貴女方の密会場所として使用されても、一向に構わないのですが、貴族の男女の交際の進め方には、色々と作法がございまして……ミシェルの妹である貴女に親の目が届かない場所で会おうと提案する悪質な男には、僕もあまり良い顔は出来ません」
「……っ! なっ! 何を言うの!」
柔らかな口調であったものの、ジュストはトレヴィル男爵について、自分は歓迎しないとはっきりと告げていた。
オレリーは顔を赤くして怒っていたけれど、私は彼の言う通りだったので黙っていた。
本当よ。本来ならば、放蕩な行いを改めて評判を良くし、私の親に見直してもらうところから始めるべきなのに、オレリーさえ騙して落とせばなんとかなるという気持ちが透けて見えて……とても信用出来ないわ。
「……これは、失礼。では、僕はここで失礼を」
ジュストがどう考えているかを知り、形勢が不利と見て取ったのか、トレヴィル男爵はパッと席を立ち、オレリーに目配せをしてから部屋を出て行った。
はっ……早い! 逃げ足が、速すぎるわ。
それもそうよね。身内の言い合いに巻き込まれるなんて、誰だって嫌がることだもの。
「ジュスト! どうして、あんなことを言ったの? トレヴィル男爵は、いろんな誤解を受けていると言っていたわ。お母様だってお話しすれば、きっとわかってくださるはずよ」
オレリーはもう完全にトレヴィル男爵を、信じ切ってしまっているようだ。
それはそうよね。あの人にとってみたら、世間知らずのオレリーを手玉に取るなんて、容易いはずだもの。
「さて。それは、どうしてでしょうね……ああ。貴女に何かあれば、僕のミシェルが悲しむので。本来なら、二度と会うことなく、無関係でいたいんですけどね。永遠にね」
自分の前に置かれたお茶を飲みつつ、にこにこと微笑んだけれど、ジュストもオレリーのことを嫌いであることを隠そうともしない。
周囲から甘やかされて育ちそんな扱いには慣れていなくて怯んだ妹は、言葉を詰まらせてしまった。
ジュストが護衛騎士であった頃から、オレリーは敵わなかったものね。
身分上の格差を取り払ってしまえば、ジュストは遠慮するいわれもないし……あの子が彼にとって、酷く不愉快な行いをしたことだって記憶に新しい。
けれど、私にとってはどんなに馬鹿な行いを重ねようと、オレリーは大事な家族であることには変わりない。
私ははあっと、大きくため息をついた。
「オレリー……お母様から、あの方とはお会いしない方が良いと言われたのでしょう? 私だってそう思うわ。あの方は女好きで放蕩者として有名なお方。これから社交界デビューをして、出会いを探すことになるオレリーの相手として相応しくないわ」
「それはっ……誤解されていると。アレクセン様は、自分は誤解されやすいと言っていたわ。嫉妬を受けやすいと」
それは……本人はそう言うでしょうね。そして、自分が可哀想な立場だからと、同情を引くんでしょうね。
本当に泣きたいのは、トレヴィル男爵に騙された人たちであるはずなのに。
「誤解も何も……それは、彼の過去の行いが招いたことだわ。私だって、アレクセン様に騙された女性から直接話を聞いたことがあるわ。真偽を確認したいのなら、私と一緒にお話しを聞きに行きましょう。双方から話を聞いてみるべきよ」
トレヴィル男爵は自分に都合の良いことしか言っていないのだから、彼以外からの話を聞けば、オレリーの気持ちも変わるかもしれない。
「……お姉様はズルいです!」
突拍子もない妹の発言を聞いて、私は目を丸くした。
「……え?」
「だって、ジュストは常にお姉様の傍に居て、お姉様を守っていました」
「護衛騎士でしたからね。それが僕の仕事でした」
ジュストは微笑んで答え、話の腰を折られたオレリーは眉を寄せて彼を睨んだ。
「……お姉様は探さずともそういう男性が居たかもしれませんが、私には居ないのです! けれど、私は親に決められた婚約者も居ませんし、社交界デビューすれば求婚者を待つことになります」
「そうね……けれど、オレリー。婚約者が居ないことは、良いことかもしれないわ。貴女は可愛いから求婚者は何人も出て来るでしょうし、そうすれば貴女が選ぶ側になるのよ。よく条件を吟味して自分で選べるのだから、その方が良いのではないかしら」
私と元婚約者ラザールの関係は、途中までは良かった。彼が妹オレリーに婚約者を変更したいと言い出したと知らなければ、私はそのまま結婚していたはずだ。
……今では、彼らの邂逅に誰が裏で糸を引いていたのかを知っているけれど、ラザール本人がそう希望したのなら、私にとっては同じことだった。
「それは! お姉様は良いですよね。長い間両想いだった好きな男性から愛されて、結婚することになって……トレヴィル男爵は、私を特別な存在だと言ってくださったのです。ひと目見た時から、運命を感じていたと……」
駄々を捏ねる妹の言葉を聞いた私は、黙ったままで額に手を当てた。
頭が痛い。そんな見え見えの嘘の口説き文句で、騙されてしまうなんて……もう本当に、オレリーは世間知らずなのだわ。
いいえ。これこそが、この子を甘やかして育てた私たち家族が被るべき罪。向き合って正さなくては。
「それは、嘘よ。オレリー。男性は自分の都合良く、嘘をつくものなのよ」
「ですが、お姉様。本当と嘘はどうやって見分けているのですか? どうやって、ジュストは本当のことを言っていると、わかったのですか?」
「それは、僕からお答えしましょう。オレリー嬢」
言いつのるオレリーに頭の痛い私は、これまで黙っていたジュストへと目を向けた。




