33 帰宅
「……ミシェル様」
片眼鏡をした執事シモンは、苦い表情を顔に浮かべていた。彼とて私が招き入れた人物が、自分の主人であるジュストが好まない人物であろうとわかっているのだ。
ザカリーも真顔かつ無言のままで腕を組み、気に入らない様子だった。彼の立場では私には何も言えないけれど、故意ではなくこの事態を引き起こしてしまうことになった私にこれから何が起こるかわからないと言いたいのかもしれない。
サラクラン伯爵家に居た時には、私は守られた娘で、両親からは邸で誰と会うかも管理されていた。
……けれど、これからは自分で何もかも見極める必要があった。
「ええ。わかっているわ……私は、ほんの数分前まで、オレリーは一人で訪ねて来ると思っていたの。あの子は……その、幼い頃から病弱であまり人とも会わずに、世間知らずでわかっていないのよ……」
オレリーはつい最近ベッドに寝たきりでもなく立って歩けるようになり、ようやく社交の場にも出て行けるようになったのだ。
あの人が女性が決して近付いてはならない類の男性であるとは、思ってもいないに違いない。
「あの方は……ミシェル様の妹君には、とても扱えるような男性ではありません。ですので、先んじて遠ざけておくことをお勧めいたします」
これまでに黙っていたザカリーは、腕を組んだまま低い声でそう言った。元婚約者であるラザール・クロッシュの元従者であったので、彼は私の実家サラクラン伯爵家にも良く出入りしていた。
そこでは、ジュストをはじめ使用人たちとも仲良くしていたようだし、寝たきりになっていたオレリーの話も聞いたことがあったはずだ。
彼はこのままであれば、何も知らないオレリーはトレヴィル男爵に騙されて利用されてしまい、あの子はとんでもない悲劇を迎えるだろうと忠告してくれている。
私にだってそう思うもの。
「ザカリー、ありがとう。私も突然のことで少し動揺してしまったけれど、とにかく二人の今の状況を探ってから、無理なく遠ざけられるように働きかけてみるつもりよ……もしかしたら、こういった心配が取り越し苦労に終わるかもしれないし……」
そこで、シオンとザカリーは目を合わせた。
「……であれば、一番良いのですが。あの方は、私たちも知る程に、とても有名な方ですので」
シオンは言いにくそうに言った。ええ。ええ。使用人たちにまで、悪名名高いということよね……!
本来ならば、両親が先んじて危険性を知らせるのだけど、おそらくは社交に出たてのオレリーが、そういった話をどこまで話して良いかとか、まだそういうことを何も知らない。
だから、偶然会った誰かにそれを明け透けに話してしまうかもしれないし、お母様もふんわりとしか伝えられなかったんだわ。
そうなのよね。幼い子どもであれば仕方ないと許されるような些細な無作法でも、オレリーの年齢ではもう許されない。
あの子が病でベッドの中に居た間に、他の貴族令嬢たちは段階を踏んで、得てきた知識であるはずなのだ。
「わかっているわ。とにかく、二人と話してみます」
胸に手を当てた私は彼らに向かって大きく頷き、応接室の扉を大きく開けた。
そして、楽しげに笑い合い、どう考えても距離が近すぎる私の妹と悪名高い女たらしの男爵が見えて、くらりと目眩がしそうだった。
「あ! お姉様」
気が付いて無邪気に微笑むオレリーに対し、私はいくつも言いたいことがあったけれど、今は言ってはならないと我慢をした。
「……お待たせしてしまったわね。オレリー。貴女はもうすぐ社交界デビューするのよ。異性とは一定の距離を保ちなさい。貴族令嬢としての嗜みよ」
「……わかりました。お姉様」
私の言葉を聞いてから、ようやくオレリーは寄り添っていたトレヴィル男爵から渋々離れた。
不満そうな表情に、不安しか感じないわ。
「申し訳ございません。ミシェル様。僕が年長者であるのだから、どう見られてしまうか、気を付けるべきでした」
「あら。そんなこと! 私の勝手ですわ。アレクセン様のせいではありません」
すまなさそうな彼の発言はどう考えても確信犯であるけれど、ここでそれを指摘してしまうと、初めての恋に盲目になっている妹ミシェルの暴走を助長してしまいかねない。
「いえ。わかってくださったのなら、それで良いわ……二人はどういう出会いをしたのかしら?」
私は微笑みながら、彼ら二人の仲を探ることにした。頭ごなしに反対なんてしたら、何も知らないオレリーは姉の私の言葉にも耳を傾けなくなるかもしれない。
私のものを欲しがることしか楽しみを見いだせなかったこの子が広い世界に出て、たくさんの楽しみを知るということは喜ばしいことだけれど、あまりにも選んだ相手が悪すぎるわ。
今の状況を把握してから、両親に報告……そして、オレリーには相応しい男性を早急に紹介してもらえるようにお願いしなくては。
「お茶会で話し掛けていただいたのです! 私もお母様と一緒に出席したのですが、まだお友だちが居ないので、話し掛けていただけて、とっても嬉しかったですわ」
「……そ、そうなの」
一番最初に話し掛けてきた方が、トレヴィル男爵であるのなら、その後は誰にも近づけなかったでしょうね。
「僕もサラクラン伯爵家に、こんなにも可愛らしいご令嬢がいらっしゃるとは思いませんでした。初めてお会いした時は驚きました」
オレリーはこれまで社交界に顔を出さなかったので、それはそうだと思うわ。
「妹は幼い頃から先天性の病を患っていて、特効薬が開発されたのですわ。最近立って歩けるようになったのです。あまり人と会わずに過ごしていたので、少し子どもっぽいところがあると思いますわ」
私はここで『妹は貴方が手を出すような女性ではありません』と言いたかったのだけれど、トレヴィル男爵はにっこりと微笑んだ。
「世俗にうとくまるで妖精のような女性だと思っていたら、そういう事情だったのですね」
それはそれは……騙しやすいと思っているでしょう! 今の私は自分が口元が引き攣って、不自然な笑みを浮かべている自覚があった。
トレヴィル男爵になんて、絶対に引っかかっては駄目よ! もう……なんて人に目を付けられてしまったの。オレリーったら!
「そうなのですわ。トレヴィル男爵。私の姉の婚約者のお父様が、その病の特効薬を作ってくださったのです。とても高名な学者の方で、義理の兄になる方は実は大富豪なのです」
「……それは、凄いですね」
そこで、トレヴィル男爵の目の奥がキラリと輝いたのを、私は見てしまった。
サラクラン伯爵家に一人残ったオレリーと結婚すれば、その夫はサラクラン伯爵となるだろう。
私が元婚約者のラザールと結婚するとなっていた時は、私の子をサラクラン伯爵にするつもりだったのだけれど、今ではオレリーの身体は医者も驚くほどに驚異的な回復をしていた。
それに、姉である私の夫になるジュストは、数々の特効薬を開発した学者ドレイクお義父様のおかげで大富豪ではある。それを、もし彼が知ってしまったとしたら。
「そうなのです。ジュストは元々、サラクラン伯爵家に仕える護衛騎士であったのですが、お姉様への愛のために伯爵位を手に入れたのですわ!」
「……待ちなさい。オレリー。そういうお話しは……」
彼は身内ではないのだから、詳細な事情を明け透けに話すべきではないのに、この子はまだそういうこともわからない。
現に私に窘められても、何が起こったのかわからないようで、きょとんとした表情になっていた。頭が痛い。
「素晴らしいですね。ミシェル様。王妃様のお気に入りであるアシュラム伯爵のお話は僕もお聞きしておりましたが、そういう経緯があったとは……」
「……ええ。それは」
もう。何て言えば良いの。困ってしまったわ。
どうしようかしら……このままでは、彼はオレリーにますます興味を持つばかり。
……こういう時に、ジュストが居てくれたら良いのに……トレヴィル男爵なんて、私の敵う相手ではないわ。
その時、私の隣に優雅に腰掛けた人が居た。
「……これはこれは、トレヴィル男爵。なんだか、とてもお久しぶりですね。再会がこんな時になるとは、思いもしませんでしたけど」
「え。ジュスト……?」
まさか、ここで帰って来るなんて思って居なくて、私は驚いてしまった。
仕事で数日は帰らないと聞いていたのだけど、貴公子然とした服装を身につけたジュストは現に私の隣へと腰掛けている。
「アシュラム伯爵。お邪魔しています」
突然のジュストの登場にも、トレヴィル男爵は動じない。にこやかに微笑み頷いて、彼を迎え撃つ構えなのかもしれない。
「ええ。それで、アレクセン殿。ミシェルの妹オレリー嬢とは、一体どういうご関係で……?」
足を組んだジュストは、余裕の表情で全員を見回した。
おそらくは、この後、怪しい人物を邸に入れてしまったので、私は絶対に叱られてしまうだろう……けれど、私の心の中は安堵で満たされていた。
オレリーほどではないにせよ世間知らずの私では太刀打ちできないけれど、ジュストが傍に居てくれるなら大丈夫。
これまでもこれからだって、彼はそう思わせてくれる人だった。




