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あなたの一度の口づけで、どうにか生きてる私の話  作者: 桜井ゆきな


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龍と水曜日に3時間ホテルで過ごす以外の私の時間は空白だ。本を読んだり散歩をしたり、20歳なのに何もしていない、こんな私を怒ったり心配してくれる人間は誰もいない。

もうすぐ水曜日になる。私は池袋に行く勇気はきっとない。龍が来ない現実を見つめる勇気は、ずっと逃げてきただけの私にはないんだ。

そんなことを考えながらぼんやり歩いていたときに突然声をかけられた。

「中村さん?」

私はとても驚いて声の方を見た。

だって声をかけられることなんて、私の世界はとてもとても狭いから突然名前を呼ばれることなんてありえない出来事なんだ。

私を呼んだ彼には見覚えがあった。高校の時、なぜだかこんな私を好きだと告白してくれた人だ。

先生に恋をしていた私はもちろん断ったけれど、どうして話をしたこともない私を?と、ひどく驚いたことを覚えている。

「‥‥‥久保くん?」

「名前っ!覚えててくれたんだっ!!」

「うん。」

「そっか。‥‥‥ありがとう。」

「「‥‥‥」」

「‥‥‥中村さんは、今は何をやってるの?」

「‥‥‥何も。」

「いやっ、今って、この瞬間とかじゃなくてさ、大学とかさ、どこに進学したんだっけ?」

「だから何も。私、進学はしてないし、働いてもいないから。」

久保くんはフリーズした。

同級生がニートになってたら確かにびっくりするだろうなぁと私は軽く考えたけど、久保くんの次の言葉に今度は私がフリーズした。

「それは、伊藤先生のことが‥‥‥。」

あのビラには「教師X」って書かれてた。だから久保くんがビラ事件を知っていたとしても、相手が伊藤美樹先生だなんてわかるはずがないんだ。

「あっ。」

疑わしい目を向ける私に気づいた久保くんは声をあげた。

私は、この時、3年前の自分の間違いに気づいた。

先生はビラ事件の犯人なんかじゃない。

「中村さんは、俺の憧れだったからさ。」

「はっ!?」

「小学校の時、親に連れていかれたピアノコンクールで初めて中村さんの演奏を聞いてさ、なんていうか大袈裟かもしれないけどさ、心が震えたんだ。」

私のピアノ?

「それからずっとさ、中村さんを見てた。

中村さんが自殺未遂をしたときからずっとさ、俺が中村さんを支えたいって思ってたんだ。」

自殺未遂じゃないけれど。

「だからさ、許せなかった。伊藤先生とのことはさ、許せなかったんだ。

でもさ、俺のビラが原因で伊藤先生が学校を辞めてさ、怖くなって俺は中村さんを見ることを止めたんだ。だからさ進学してないことも知らなくて‥‥。俺のせいでごめん。」

久保くんは一気に話した。

「先生は私が面倒臭くなっただけだから久保くんのせいじゃないよ。」

私は言った。

決して彼を慰めるためではなく、私が今現在ニートであることに彼は関係ないことを強調するためだ。

ビラ事件の犯人である彼のような人に私の人生を左右する影響力はない。

「面倒臭くなった?伊藤先生はさ、担任の山田が中村さんに言った暴言を取り消せって戦って、山田からの嫌がらせで退職せざるを得なかったんだよ?」

「‥‥‥はっ?」

「俺の従姉妹がさ、その時教育実習してたからさ、間違いない情報だよ。」

先生が私への暴言を取り消させるために戦っていた?それなのに私はその時、先生を疑っていた。

「中村さん、今更だけどさ、本当にごめ‥。」

「もういいよ。」

私は久保くんに最後まで謝らせないように途中で言って、そのまま背を向けて歩きだした。

謝らせないのはささやかな仕返しだ。

だけどそれでおしまい。私は久保くんを憎まない。

先生には醜い感情は似合わないから、だから私もそんな感情は捨てるんだ。

いつだって先生は私の行動の指針だった。

先生を疑って、失った、その事に気づいた今でさえも。


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