番外編 その④
キャラクター深堀りと世界観深堀り。本編だけでも楽しめます。
アランとヨハネが親友になる過程、アラン視点での各エピソード、シェルの過去、などなど。
【アラン・ルフェーブル視点】
《魂》=《魔力》。
魂はエンジン、魔力はガソリン。
無能力者の俺でも魔力はある。本曰く魂が実在するなら魔力もあるわけで、実際やってみたら《魔術》を使えてしまった。だから《魂》が実在するのも確定してる。
けれど《魂》には性能差がありすぎる。能力階級による能力差はおそらくここだ、魂そのものが違うんだろう、俺とヨハネのようにな。
本日のペネロペ様は地下の特務機関の食堂で大量にシチューを食べ、上質なパンを頬張っていた。彼女は竜だ、腹を満たすには一食で三人分の食事を常に必要とする。竜の幻獣種はそういうものだと軍も認めていて、普段の配給ですら三人前をご用意。他の能力者も、カルロですら俺の一・五倍は貰えている。
やっぱり『食事に含まれる魔力』を食べて補ってんのかな? 魔術の研究はじめてから俺も腹がへって腹がへって仕方がない。大佐殿が用意してくださった四日に一度の豪華な食事がなけりゃ間違いなく飢えていた。
ペネロペ様は最後にシチューの牛肉を食べ、ゆっくりと味わうと。
「はーッ! 食べた」
笑顔がわいいーーーッッッ!!
俺がデレまくってると、お誕生席にいたシェル様が腕を伸ばす。気づいたペネロペは立ち上がった。
「ん、なに食べる?」
「そこのソーセージお願いします」
「ハァイ」
シェル様は『豚の血のソーセージ』を仕上げに食べるらしい。
シェル様はお皿を受けとると、一口サイズの輪切りを前に眉間にシワを寄せた。
「正直あんまり好きではないのですが……」
「だから最後に残すんじゃなくて、最初に食べてしまえばいいのに」
「気分よく食べ始めたいので最後がいいです」
「変なところで頑固」
一ヶ月に一度、シェル様はヨハネと同じ量の血液をぶんとられている。明らかに小さな十二歳の体してるのに、俺より体格のいいヨハネと同じ量をだぞ? 血液作るためにも、シェル様はせめて毎食毎食そのソーセージ食った方がいい。
貧血ってようは負傷兵と同じだからな。見た目にケガがないからわからないけど。
でもさぁそこのヨハネさんよ。シェル様の《魔力》ちょっと弱ってませんかね? なんででしょうね、血液って魔力と深く関係あるんじゃないか?
食べ終えたペネロペ様はシェル様と談笑開始。俺はヨハネと目配せで会話をし、今夜はその件について話すことにした。
夜九時になりヨハネの部屋を訪れる。
さっそく、ソファで晩酌中のヨハネ様が、足を組みながらつらつらとフランス語で語った。
「俺の考察。血液は『魔力が最も濃く溶けている“燃料”』説。実際に、人体の体は血液が酸素や栄養を運ぶ。理にはかなっている」
俺は扉を閉めながらソファへ向かう。
「それは俺もうっすらと思ってたんですけど、じゃあシェル様もヨハネも体が欠損しても再生するのは、アレなに? 血液が足りないから弱る、はわかるけど、体を自己再生できるヤツが血を抜かれただけで弱るの矛盾では?」
ヨハネの対面席に座ると、干したプルーンをつまみにワインをお食べになっていた。いいなぁ寄越せ。
ヨハネは肘掛けに肘を添え、口を隠す。
「……やっぱそこだよね」
シェル様は下半身を失っても再生した。俺はその現場を見ちまったから知ってる、大佐がさりげなく上着で隠してあげていたからな、紳士だよな~。でもちらっと見えましたよ、シェル様の下半身は『白い帯がしゅるしゅると巻かれて、ヒトの形を作り上げていた』とこ。
俺はヨハネの深海のような青い目を見た。
「それにヨハネはぴんぴんしてるのに、明らかにシェル様の方が弱ってる」
ヨハネの部屋にいてもわかるぞ、シェル様の部屋の方角見るとそこに『暖かい日差し』のような魔力が常にそとに出て……。
ヨハネを見た。こいつは『深海の底のような濃縮された』ように感じる。だけどシェル様は、ヨハネの言葉を借りると『まるで太陽』だ。
俺は片手を軽くあげた。
「最悪なこと言っていい?」
「どうぞ」
「シェル様、実は常にエンジンフル稼働してる説」
ヨハネもシェル様の部屋を見た。
俺は自分の言葉に納得しながら続ける。
「そういえばカルロも常に外に出てる感じがする、アイツ東部前戦でも常にぽかぽかで、体温高くて、ああうん、常にエンジンふかしてる、って感じだ。けどヨハネはちゃんと停止してる感じ?」
ヨハネは俺の言葉を一つにまとめあげてくれた。
「慢性的に消耗している上で、ガソリンの燃料を抜かれ、血液を生産させるために大量の睡眠を欲していた?」
シェル様は最近十時間ほど寝ているらしい。負傷兵もそうだよな、重いケガを負ったヤツはとにかく寝て回復させる。
「ああ……これは俺の感覚だけど《アイギス》と戦った後、明らかにいつもより疲労感があった。内臓潰されたショックでね、でも治ったよ。緊急時のスイッチが入ると急速回復、はありえるな」
ヨハネの思考は止まらない。仮説に説得力がありすぎたからだろう。
「常に放出してるから間に合ってないなら、ああ! シェルにどうにか放出止めさせないと本格的にまずいんじゃ。けど、どう伝えればいいんだこれ、俺ですらシェルとなにが違うのかわかってないのに」
「大佐殿は」
俺は、ふと頭に浮かんだあの人の《魔力》について伝えた。
「大佐殿は、俺からしたらまるで『水晶玉』みたいに《魔力》が内側に閉じ籠ってる感覚がする。外に漏れてるのが異様に少ない」
あの人の魔力をよーく、よ~~~く感じ取ろうとしたら、分厚すぎる殻に閉じ籠ってる感じがした。性格的にも合ってるよなぁ、あの人は外に感情を出さない、完全に理論で動く人だ。……ヨハネに狂う時はパリンッてひび割れたようにちょっと漏れ出してたけど。その漏れたヤツめっちゃ綺麗で透き通ってたなぁ。
「……その差がわかれば、常にエンジンフル稼働の彼女にブレーキを教えられるかもしれない。解明してから伝えよう」
「いきなり『貴方は常にエネルギーを無駄に使いまくってます』って伝えるようなもんだからな、じゃあどう止めればいいですかって話」
俺はシェル様の部屋を見た。ヨハネの部屋に繋がる少し長い廊下があり、その先にリビングルーム、更に廊下を進んだとこにシェル様がいる、なのにハッキリとわかるんだ彼女の強すぎる《魔力》が。今思えばこれってダダ漏れそのものじゃねぇか。言い換えたら大佐殿はかなり節約してガソリンを使っていたんだな。
ヨハネから聞かれた。
「カルロ・モレッティも暖かい、って言ってたよね?」
「暖かい。ルカも暖房代わりにして寝てました、アイツも多分ダダ漏れタイプ」
「ペネロペ・コスタは東部前戦でシェルと常に一緒に寝ていた。まるで『暖をとるように』ね」
もしかして、シェル様も常にポカポカだった??
ヨハネは確信を抱いた上で告げる。
「聞いてみるか」
──翌日、すぐに答えが出ました。
「シェルも『指先まで常にほかほか』らしい」
これで確信した。シェル様は常にエンジンフル稼働、だから血液を抜かれると一気に衰弱してしまう。
ヨハネはシェル様の《魔力》を見ながら決意を固める。
「……一年以内に《魔力》と魔術について可能な限り解明しよう。でないと、先に《魔力》が枯渇した場合」
「……魂と魔力がイコールなら、ええ、死ぬ」
シェルピェン・ザウェクが魔力を枯渇して死んでしまう前に、延命措置の方法を解明する。まさかこんな形で彼女の命のタイムリミットがうっすらとわかってしまうだなんて、俺も思わなかったよ。
【シェルピェン・ザウェクが死んだ日】
【ヨハネ・ド・ブジョワ視点】
起きたのは朝の七時半頃。
毎日この時間に起きて、八時の朝食時間には食堂室へ向かう。今日のメンバーは誰だったっけな。なんて寝ぼけながらベッドから足を下ろし、乱れた髪を整えるためクシへ手を伸ばすと。
ぴた、と空中で手を止める。
俺はシェルが居る寝室の方角を見た。いつもならハッキリと太陽のように巨大な《魔力》を抱える彼女のそれが、どこにも見当たらなかった。いつもなら毎朝『ああ今日も大きすぎる気配だな』と思いながら、眠り続ける彼女が起きる。だが、無い。空虚になったかのように、無い。
すぐに靴を履き部屋から飛び出した。駆け足で廊下を進み念力で扉を開け、リビングルームのもう一つの扉を開け、また廊下を進み、シェルの部屋の前に立つ。彼女は女性なので念のため扉にはカギがかかっている。
──コンコン。と扉を叩く。
すると、廊下の向こうからペネロペ・コスタの気配がして、扉が開かれる前に目線を向ける。がちゃ、と竜姫が顔を出す。
「あらブジョワ少佐、どうなされて?」
「シェルの気配が無い」
「えっ? 朝普通に居たのに?」
ペネロペ・コスタは軍靴を鳴らす。俺が扉を譲ると彼女はポケットから『シェルピェンの寝室の鍵』で扉を開けた。その鍵を持つのはペネロペ、大佐、そしてシェルピェンご本人だけ。だが大佐が持つ鍵は緊急用、別の棟に置いてあり管理者は別の隊の指揮官だ。シェルの部屋を開けられるのは事実上ペネロペだけ。
扉を開けると彼女は室内を覗く。俺も中を見せて貰ったが、あの銀色の髪はベッドの上にいた。
「えっ?」
「居るじゃない。会いたい口実にしては下手くそがすぎない?」
そんな、そんなわけがない。確かにシェルピェンはそこにいる、ああ、そこにいたよ。けれど彼女からはなんの気配もないし、あの眩しすぎる心地よいアレが、たった一夜でこんなにも消え去ることなんてあるのか?
俺の異変に気づいたペネロペは、一度扉を閉めて鍵をかける。
かちゃ、と手首を捻りながらペネロペは俺を見た。
「ヨハネ・ド・ブジョワ少佐、貴方って髪の毛の手入れ綺麗よね、風呂上がりもしっかり乾かしてる」
なんの話だ? なんの脈絡もないが、頷いておいた。
「え、ええ、身だしなみは大事かと」
「貴方、もしも女性の髪をタオルで乾かしてあげるならどうする?」
黒と白のオッドアイを向けられた。
「もちろん丁寧に丁寧にやりますよ、相手が女性ならばね。男性相手なら痛がろうと乱雑にやります」
「そう、ならいいわ。私は朝の七時にも確認した、シェルの様子をね。焦らず待ってあげなさいよ……寝過ぎていて心配なのはとてもわかるけれど」
過ぎ去る軍靴へ、俺はハッキリと「はい」と返事を返す。
気のせいか? しかし、寝ているシェルを起こすのも気が引けるし、ペネロペ・コスタが様子を見たのなら……うん、これ以上はやめよう。
足音が止まる。
「ああそういえば」
ペネロペは振り向き俺と目を合わせた。
「明日の朝まで大佐殿は居ないから」
「どちらへ?」
俺も廊下を進みながら話を聞く。
「気分転換に出掛けるって。そのまま明日まで帰ってくるなと伝えたわ、あの男何ヵ月施設から一歩も出ずに過ごしてるか知ってる? ヨハネとシェルの軟禁開始からずーっと。さすがにあの堅物でも病む」
「英断だと思います。しかし、大佐殿は休暇中に何をするのでしょうね?」
「ちょっといいホテル借りて酒とか?」
「趣味が仕事のつまらない男が」
ペネロペ・コスタは俺の一言に「カッハッ」と息を吹き出し、肘で口許を隠して、震えながら顔を伏せていた。楽しんでいただけたようでなによりです。
──だが夜になり、俺の部屋にアランが慌てて訪ねてきた。
バンッ、と扉が開き、アランの声が部屋に響き渡る。
「ヨハネ! シェル様の気配がどこにもない!」
「知ってる」
「えぇ?」
俺はソファに居ながら念力でアランの腹を掴み、室内に招き入れて扉を閉める。
「知ってるよ。俺が気づかない訳がない」
「じゃあ、え? まさかどこかへ輸送?」
「いいや、居る。部屋にいたところを俺も見た。ペネロペ・コスタが定期的に確認しているから、シェルはそこにいるのは間違いない」
アランは首をかしげていた。では何故なんの気配も感じないのかと、俺と同じ疑問を抱いているのだろう。
「俺は一旦様子を見ることにしたよ。ペネロペ・コスタを疑う理由もないし、それに、大佐殿も今はここに居られない。明日の朝には帰ってくるらしいから、それまでは《鍵開け》の魔術も使わない」
あの本には《ファブ級魔術──鍵開け》もあった。もちろん遊びで一度使ったことのある魔術で、単純な構造の鍵なら開けられる。けれどそれは強行手段、やるとしても明日だな。
アランも頷いていた。
「大佐殿居ないなら下手に動くのもなんですね」
「でもどうして《魔力》がないのかの推測をずーっとしてる、どう?」
お前は何か原因か、もしくは心当たりでもあるかと話を振った。
「俺に聞かれても。本には『万物に魔力がある』的なの書いてませんでした? 俺はシェル様の気配なんも感じなくてビビってこの部屋来ましたけど、近づいたら実はあったりとか? ほら、大佐殿も外に漏れてるの少ないのに、内側に濃縮されてる感じがするので、あれの極端バージョン? でもだとしても無さすぎるというかなんというか……?」
この男は頭の回転だけは速いね。
「そういえば確かに、シェルの部屋には入ってないし近づいてもいない」
魔力の気配は遠ざかりすぎると感知できなくなる。俺の場合は鉄の扉の向こう側から数メートル先はなにも感じない、アランはリビングルームから俺の部屋までが限度、一般的な一軒家範囲が彼の限界だ。
アランは眉間にシワを寄せ目線を伏せながら告げた。
「でも俺スッゲー嫌な予感します。無能力者ですら確かにあるし、生き物と物の魔力も明らか違うし、でも、でも……あの部屋には生き物特有のものすら無かったというか……嫌な予感する」
「ああ、うん。俺も胸騒ぎが止まらない」
アランの言うとおり『近づかないとわからないほど魔力が内側にある』それならそれでいい。《魂》と《魔力》はイコールだ、ハッキリとそこにあると確信さえ得れたらそれでいいんだ。
なら、これしないよな。
「アラン、君がシェルの部屋に入って確認してきて」
「俺ですか?!」
「《鍵開け魔術》使えるだろ?」
「だとしても俺ですか?!」
「鉄の扉の向こうまで誰が来たか《魔力》を把握できる?」
アランは口を閉ざす。しばらく固まった彼は、心底嫌そうに続けた。
「……リビングルームからヨハネとシェル様の部屋までが限界です」
「だろ? 監視は俺が適任だ、君が確認してきて」
俺は時計を見上げる。夜の九時か、なら。
「深夜の二時にやろう、巡回は十二時と朝の三時だから」
「だとしても女性の部屋へド深夜に忍び込むのはさすがにちょっと」
「お願い」
俺は立ち上がり、アランとまっすぐ目線を合わせた。
「……お願い」
ああくそ、まるで泣いているような声になってしまった。けれど、どうしようもなく心の奥が叫んでいて苦しい。何かがおかしいと朝から感じていた、だがアランの言葉で最悪な未来を予感してしまったんだ。
あの部屋にいるシェルピェンは、脱け殻なんじゃないかって。
俺は自分の腕を強く掴み、暴れそうになる念力の力を握力として流して押さえ込んだ。
アランの目が俺の右手へ向く。
「わかりました」
「メルシー」
《魂》は明確に《魂》がそこにあるとわかる。そのヒトの核だからね、最も濃くそこにあるのは当然だ。魔力と魂は明らかな差がある。
だからこそ、もし、もしも……いや、確認してからにしよう。
──深夜の二時。
俺は一人、リビングルームで他人の《魔力》を探る。鉄の扉の前には警備が一人、室内には俺と、アランだけ。アランの魔力が動く感覚がした。魔術を使ったんだろうな。
俺はソファの上で前屈みになり、両手で口許を隠す。誰も来ませんように、どうか杞憂でありますようにと祈りながら、静かに深呼吸を繰り返した。
◇
【アラン・ルフェーブル視点】
扉に紙を押し付けるように添え、体内の『熱』を紙に流し込む。ヨハネは『血液を動かすような感覚』だと表現していたが、俺にとっては『体内の熱を動かす感覚』がする。
──ジジッ、とインクをなぞり赤い炎が走る。手に触れても熱くない炎だ。
カチャ。と鍵が開く音がした。俺は扉に添えた紙をポケットへねじこみ、ドアノブをひねる。
暗闇の室内。ここは地下室だ、窓はあるが月明かりすら届かない、やけに冷たすぎる部屋。俺はもう一枚紙を取り出して《魔術展開》。
《ファブ級魔術──炎属式・灯火》
ポワッ、と球体のランプのように光が灯り、部屋を照らしてくれた。なんて便利なことでしょう、ランタンなんて無くても暗闇を照らせるなんて、こんなの軍が最もほしい革新的技術
だ。油も鉄もなにも必要ないんだから。ああ、紙とインクと《魔力》は必要だけど。
俺は少し急いでベッドへ近づく。灯火も連れ添うように俺の視界を照らしてくれて、シェルピェン・ザウェクの幼すぎる顔と銀色の髪もまるで夕陽のようにオレンジに染め上げてくれた。
……ん? 息が、ある? 呼吸の音が微かに聞こえる?
ほっ、と胸を撫で下ろした。なんだ、息がある。ちゃんと聞こえてる。肺だって動いているからこそ肩が上下してんだ。念のため体温確認するか。手首に触れた。うん、死体の体温じゃない、死体の体温はもっと冷たくて、硬くて、もっと人形みたいになっている。これはちゃんと生きてる暖かさだ。
だが、俺は違和感を覚えた。手首から手を離して首に親指を添える。心拍を一切なにも感じなかった。弱々しい、なんてものじゃない、一切感じなかった。
は? 待って? どういうことだよ待ってくれ。なんで息はあるのに脈を一切感じないんだ? そんなのあり得るか? というか《魔力》が本当になにも感じない。いや、《魔力》そのものは確かに肉体側にある。けど、けど、肝心の『中身』らしい『中身』を何一つ感じない。
ぶるりと悪寒がはしる。思わず息を止めながら、一歩、二歩、ゆっくりと後退し、背中を押されたように走り出した。急いで扉を閉めて《鍵閉め魔術》を展開。カチャ。の音を聞いてから廊下を走りリビングルームの扉を押し開く。
バンッと開いたが、ヨハネは俺へ一切目を向けず、背中を丸めて両手で口許を押さえ続けていた。
「ヨハネ……ッ! ヨハネ、ッ、あ……!」
なにも、なにも言えなかった。なんていえばいいんだよコレ、どう伝えたらいいんだよコレ。
だけど、これだけはどうにか捻り出せた。
「……脈が無かったのに、呼吸はあった」
「はっ?」
ヨハネは顔をあげる。矛盾した単語に、青い目が揺れ動いていた。
「息は、あった。けれど脈動がゼロ。魔力は……なにも」
「どういう、え?」
ヨハネは立ち上がり、衝動のままに走り出し俺の隣を過ぎ去っていく。あーあ、せっかく俺がしっかりと鍵をかけておいたのに、ガチャッて開く音がしたよ。
しばらくその場で待っていると後ろから足音がした。
「どういうことだ本当に息はあるのに脈はなくて魔力はなにもないなんて医学的にありえるのかどういうことだじゃあどうし」
ヨハネは髪の毛をかきあげ、ぱさりと前髪を落とすと俺と目を合わせる。
「え? あれは、じゃあ、なに?」
「……なんなんだろう、な?」
ヨハネという冷静沈着な天才ですら取り乱す未知の事象。その目には混乱、恐怖、得体の知れないなにかを見てしまった動揺、全てが詰まっていた。
俺達は黙ってしまった。一分、二分、五分以上も、喋らず動かず目線も合わせず、ただ時間が過ぎ去っていく。
先に動き出したのは、口を開いたのは、俺だ。
「……ペネロペに確認して貰おう、息だけじゃなくて『脈を確認してくれ』って。彼女に医者を呼ばせるのはどうだ」
「アリだね。けどその言葉は不自然すぎる、あまりにも目覚めないから医者を呼んでくれと、アラン、君が言って」
「また俺ですか」
お前がやれよ、の顔をされたが否定しよう。
「俺はシェルピェンのことが好きすぎる」
仮に俺がペネロペにお願いしたとしよう。うんざりされて無視されるだけろうし、俺は今、感情のコントロールができる気がしない。いつものような態度を維持できる気がしない。
アランもそれをすぐに理解してくれた。俺の乱れすぎた魔力を感じているんだろうな。
「まぁはいそれは、はい。わかったよわかりましたよ」
「メルシー。ごめん、こんな役すら押し付けて」
アランは無言で俺の肩を叩く。何も言わずともわかったよ、アランが腹を括ってくれたことを。
──翌朝、さっそくアランはペネロペに言ってくれたんだろう『念のため医者に診て貰えないか』と良い感じに。朝の八時頃から知らない気配が動きまくり、俺も髪の毛すら整えずシェルピェンの部屋へ向かった。
異変を聞き付け集まり始めた特務機関の隊員たちと共にシェルの部屋に行くと、ああ、やっぱり、軍医が三名も集まり彼女の体を確認している。
シェルを見ていたアランと視線が合う。眉間に深いシワを寄せ、歪んだ顔で俺を見ていた。
俺は、俺は、おれは……こんな部屋の光景を、まるで一種の映像のように見ていた。感情が一時的に電源が落ちたように動かなくなり、なんだか夢を見ている心地でここに立っていた。実感がない、というやつかもしれない。頭はひどく冷静で、俺の能力すらやけに落ち着いている。
そんな中、あの男の低い声がした。
「退け!」
我らがヴェークテルン・シュミート大佐殿が部屋に現れると、全員の視線が彼へ向く。
俺は一人、ただ、シェルだけを見ていた。
とある軍医が指揮官に報告。
「……残念ながら」
兵士が来た。リビングルームに関係者が集められていく。
憲兵らしき男が手帳を開き、ペネロペに何かを問い詰めている。
「最後に被検体と接触したのは?」
「昨晩の警備の配置は?」
事務的で冷たい単語が飛び交うが俺の耳にはそれが酷く遠く、ガラス越しに交わされる雑音のようにしか聞こえなかった。
見知らぬ将校がアランの顔を覗き込んで口を動かす。
「貴官はいつ異変に気づきましたか?」
その問いかけに対し、アランはドイツ語で「気づいたというよりは、さすがにおかしいよなと思い、コスタ少佐殿に進言致しました」と音を発していた。
「そこまでだ」
低く、しかし絶対的な大佐の声が部屋を制圧した。
「彼女は最高機密の被検体だ。これ以上の詮索は特務機関の管轄外への情報漏洩と見なす。軍医の診断が出た以上、一般兵は直ちに退室しろ」
ぽん、と擦るように肩に感触がした。目線を向けると、大佐殿がいつもの厳格な金色の目を俺に向けている。
「……三回呼んでも反応がなかった。意識はあるか?」
「し、失礼しました」
「部屋に戻れ」
「はッ」
いつの間にか部屋には俺と大佐殿以外誰もいなかった。そもそも俺は名前を呼ばれていたのか? いや、呼んでくれていたんだな。大佐殿はそんな変な嘘はつかない。
しかしどうにも動けなくて、足が他人の足のように言うことを聞かなくて、もう一度肩に感触がしたなと思った時には、大佐殿の手で強引にソファへ座らされていた。
水の向こうから言葉がする。誰と誰の声かすらよくわかってなかった。
「アラン! アラン・ルフェーブル伍長居るか! 戻れ! ブジョワ少佐の護衛!」
「はッ!」
「───軍曹! ───大尉! 警護としてザウェク中尉の部屋に居ろ! 誰も通すな!」
「はッ!」
「はッ!」
怒声のような指示すら、俺にとっては全てが映像の向こうの出来事のように聞こえた。
「ルカ・ロッシ中尉! 変身しろ! ブジョワ少佐が暴走した場合お前が時間を稼げ!」
「はッ!! ……いや無理だろ竜しか太刀打ちできねぇにきまってんだろうよなんでだよ。あー、くそ、おいアラン服持ってろ」
「いちいち脱ぐの大変だよなお前ら」
「ほらヨハネ様よ、アニマルセラピーいかが? ……なぁこれ見えてる? これ俺のこと見えてる?」
「ダメだ、完ッ全に飛んでる。もしもパニック起こしたら俺は逃げるから、ペネロペ様の聴取終わるまで頑張れ」
「は~ぁ。マジで国がクソ。死ねやドイツ人」
「それ大佐殿の前で絶対に言うなよ?」
──次に意識を取り戻したのは、ぞわりと肌を撫でるような『知らない気配』を無数に感知した時だった。水底に沈殿していた思考が警告音と共に急速に浮上。
俺は何も言わず、ただ機械のようにソファから立ち上がり、分厚い鉄の扉の向こうを透かして見た。誰かが来る。アランでもルカでもペネロペでもない。俺たち特務機関の隊員ではない、ひどく強欲で、無機質で、冷酷な気配の群れだ。
静寂に包まれていたはずの地下の廊下の奥から、やがて乱暴な多数の軍靴の音が響き始めた。しばらく扉を眺めて待っていると、案の定、無数の『黒い軍服』を着た将校たちが押し寄せてくる。彼らの胸に輝いているのは軍の上層部であることを示す冷たいバッジだ。
彼らの目的は一つしかない。
「直ちにこの部屋から退出しろ。ご遺体は我々が管理する」
違うだろ? 管理なんかじゃないだろ? シェルピェン・ザウェクの『脱け殻』から残された血液を一滴残らず搾り取り、その特異な肉体を解剖台へ乗せて切り刻むのが目的なんだろ?
お前らのような薄汚い手で、あの子に触れさせるわけにはいかない。
気づけば俺は能力を展開していた。目に見えない念力の壁を廊下に構築し、彼らの動きを強引に塞き止める。
アランが声を上げた。
「お待ちくださ、ッ!」
直後、俺の念力を弾き返そうとする別の念力を感じた。黒軍服の中に、同じ能力者がいる。それもかなりの魔力量を持つ能力者だな。くそ。
不可視の念力と念力が狭い空間で正面から激突する。
バチバチバチッ!! 凄まじい摩擦熱が生じ、何もない空中でバチバチと火花が散った。
お互いに一歩も譲らない純粋な魔力と魔力のぶつかり合い。空間そのものが軋むような圧迫感が場を支配する。だが、不意に出入り口の向こうから見知った魔力を感じた。カルロ? カルロだ! なんでこういうときにかぎって!
黒軍服の背後から彼が駆けつけてくる気配を察知した瞬間、敵の能力者が廊下側へ振り向き、カルロへ向かって明確な殺意を向けたのが分かった。
舌打ちをして、俺は念力の壁を解除するしかなかった。念力は壁の向こう側への干渉ができない、あの男に手を出させるわけにはいかないから、解除するしかないんだ。
俺が力を緩めた隙を突き黒軍服の群れが雪崩れ込んでくる。土足のままズカズカと上がり込んでくる上層部とその部下たち。彼らは冷たくなったシェルの遺体を取り囲もうと、まるで腐肉に群がるハゲ鷹のようにゾロゾロと寝室へ侵入してきた。
だが、そのハゲ鷹どもの前に分厚い『肉の壁』が立ち塞がった。
俺、ルカ、アラン、そして合流したカルロたち特務機関の隊員たちが、反射的にベッドの前に横一列に並び、あの子を守るように立っていた。
いつもは飄々としているカルロが引き攣った顔で両手を大きく広げ、上層部の将校へ向かって悲痛な声を張り上げる。
「遺体の解剖とおっしゃっておりましたが! でもッ、その体はその後、どこへやるおつもりでしょうか!」
「口を慎め下士官。軍の重要機密資産の回収だ。貴様らごときに答える義務はない」
「しかしッ!」
上層部の男が冷たくあしらい、強引にカルロの肩を突き飛ばそうと手を伸ばす。
俺は一歩前へ踏み出し、男の目を真っ直ぐに射抜いた。
「血液を全て搾り取るおつもりであれば、先にこの場の指揮官を通すべきでは?」
俺の口から出た声は自分でも驚くほど淡々として、氷よりも冷たかった。俺なら指先を一つ動かずとも、見えない念力でこの部屋にいる黒軍服どもの首を全て同時に捻り折れる。それか青い炎で骨の髄まで焼き尽くしてやろうか?
俺の全身から漏れ出した特級の殺意にあてられ、傲慢だった上層部の男たちが僅かに息を呑み本能的な恐怖でじりっと後ずさった。
ふと。
背後の廊下から、酷く濃縮された奇妙な『魔力』が近づいてくるのを感じた。
視線を扉へ向ける。規則正しく、しかし重たい軍靴の音と共に現れたのは──我らがヴェークテルン・シュミート大佐殿だった。
ハッ、と。彼と視線が交差する。
俺が殺意を込めた言葉をピタリと止めたことで、室内にいた上層部も、俺たち部下も、全員の目線が一斉に扉に立つ大佐へと向いた。
水を打ったように静まり返る部屋。数多のどす黒い欲望と、俺たち部下の悲痛な叫びが渦巻く極限の空間。
ある黒軍服の男が一歩前へ出る。
「シュミート大佐殿、ご遺体は我々の管理下の元適切な処置を行います」
その声には『逆らったらどうなるかわかるよな』という脅しが込められていた。
だが、彼こそが我らが指揮官だ。なぁヴェークテルン・シュミート、お前ならこの虫どもを追い出してくれるよな? こんな奴らをお前が許すわけがないよな? お前なら間違いなく権力を使って、せめて、せめて安らかに眠らせてあげるよね? ……ね?
大佐の声がした。
「かしこまりました。総員、この部屋から出ろ」
え?
え?
え?
誰かが声を漏らしていた。
「エ、ぁ」
「ッは」
大佐殿はもう一度命令を下す。
「聞こえなかったか? この部屋から出ろ」
一、二。
三秒、誰も動かなかった。
真っ先に動き出したのはアランだった。ぐいとカルロの腕を強引に引きながら、周囲の隊員の肩にわざとぶつかり靴をならして立ち去っていく。そんな彼らを上層部は睨むように眺め、さっそく処置の準備を始めた。
俺は、瞬きすらせず、息もせず、袋に詰められ運ばれていく姿をただ見ることしかできなくて。
なんで? どうして? お前は部下を守るんじゃなかったのか? そのためにこの箱庭を用意したんじゃないのか? シェルが日に日に弱っていったことを、お前も当然知っていたよな? 見殺しにしたのか? この子を? なんでこの子を見殺しにした? この子が何をした?
ジィッ、とチャックがしまる音がした。見えなくなってしまった幼すぎる顔。袋の中へと詰め込まれた、俺の世界で最も神聖な体。
完全に、俺とヴェークテルン・シュミートしかいない部屋となってから。
俺は、一歩、一歩、ゆっくりと動き出す。ハッキリと金色の目を見てから。ダンッ!! と足を踏み込み走り出した。狭い狭い室内で床を強く踏み締め、念力の渦を拳に纏わせ、ヤツの顔面に。
──ゴッッ!!
血飛沫が壁に散らばろうと無視して、壁にぶつかる音が聞こえようが無視して、俺はヤツによって与えられた箱庭の部屋へと戻る。
──部屋に戻り、扉を閉めた瞬間に。
「……ッ! は、ッ! ッ!」
扉に寄りかかり、髪の毛を掴み、床へずり落ちながら、息を殺した。
◇
翌日の朝、アランから扉越しに言われた。
「二日後、追悼式を行う。そこで重要な話がある、察しているかもしれないけど、どうか覚悟してのぞんでほしい」
ベッドにいた俺は念力で扉を開き、隙間だけ作ってあげた。入れ、という合図だよ。察したアランは扉を押して静かに閉めてくれる。
俺はベッドから足だけ下ろして、髪も整えず、衣服も整えず、軍服姿のアランへ目を向けた。
「反逆かな?」
「率直にお答えしますと、はい」
「まぁ“ヤツ”の性格を考えるとやるよね」
アランがハッと息を飲んでいた。ああそうだよ、俺はあの男を怨んでいる。どうせフランスに戻ったところで居場所なんて無いんだ、失敗しようと成功しようと俺は見殺しにしたあの野郎を絶対に許さない。
「アラン・ルフェーブル、君はあの大佐殿に敬意を持っているからね、あらかじめ伝えておくよ」
ぱさ、と俺の前髪が視界を塞ぐ。
「全てを片付け終えた最後の最後に俺がこの手でヤツを殺す」
髪の間から見えるアランの茶色い目は、苦しそうに歪んでいた。
「それでも、君は俺と同じ部屋にいられる?」
君はどっちを選ぶんだろうね? 男として敬意を持つ上官? それとも夜な夜な怪しいオカルト勉強会を開いていた一人の男? どちらを選んでも正解だと思うよ、なんせ大佐を選べば必然と愛するペネロペ・コスタも着いてくるんだから選択肢は一つしかないよね。彼女もまたシェルピェンを愛していた女性なんだからさ。
◇
【アラン・ルフェーブル視点】
大佐は部下を見捨てるような男じゃない。なんなら、全員が悔いなく生きるための二年間を用意してくれた、圧倒的に優しくて、究極と言っていいほど不器用すぎる男だよ。
クソッ。言ってやりてぇな『お前が思うほど最低な野郎じゃないぞ、あの男は』って。けどこんな理屈を言ったところで今のヨハネには何も伝わらない。愛するヒトを失った絶望を前に、ただの正論をぶつけたってなんの意味もない。間違いなく俺はヨハネの立場だったらそうなってる、俺も復讐の炎を燃やすね、ああ、間違いない。無能力者だろうとできることはあったんだからな。
けどそれ以上に今のヨハネは見ていられなかった。
大佐を殺すという宣告をしていらっしゃるが、それをわざわざ俺に言うのはつまり『俺から何も奪わないで、離れないで、お前だけは見捨てないでくれ』っていう祈りだろ? お前もなかなかに不器用な男トップツーだなぁ。孤高な貴族のふりして孤独は怖い男じゃんかどう見ても。完璧で傲慢だったお前が、明らかに髪の毛ボサボサで顔だって腫れてたし。
そんなお前を見捨てられるわけがねぇだろ、そこまで非情じゃないからな俺だって。もしもここで銃撃戦が始まったら真っ先に逃げるけど、今は違う。
俺には能力すらない。魔術の才能ってヤツも間違いなくお前には劣る。
けど、俺は人間だ。人間らしく傷ついてる友人がそこにいるのなら、ああ、側に居てやるよ。お前が大佐を殺すその日まで、もしくは、もしも奇跡が起こり、お前が大佐を許すその日まで。
その後どうするかは知らねッ。その時の俺が決めるわ。
俺は暗い部屋で軍靴を鳴らして、ヨハネの真っ黒な髪を見下ろす。
「俺は大佐殺しに関しては一切手伝わねぇよ? お願いされたってなんもしねぇよ? 脅されたらまぁ、それは縁切りってヤツですね」
動かなかった頭が上がり、淀んだ青い目が俺へ向く。
「ふっ、ひっでぇ顔。お前のファンに見せてあげたいわ、その顔。ああだめだ、余計狂うわな」
「複雑だよ。今でもあの男は俺の顔が好きだろうからね」
「ぐちゃぐちゃすぎるだろ関係図」
大佐はヨハネの顔が好きで?
ヨハネは大佐を殺すと決めて?
ヨハネはシェル様が大好きで?
大佐はシェル様をどう思ってるか……ここは謎だなそういえば。
シェル様から大佐も謎のままだな。
俺はヨハネがどうしようもなく放っておけなくなってしまって。
俺は大佐のことを本気で尊敬してて本気で命懸けてもいいと思えて。
俺はペネロペとは絶対に付き合うどころか結婚までいくからな見とけヨハネ。
しかし、ペネロペと大佐は妙に親密というか、お互いに『無いわ~』してるんだけど、だからこそ怪しくて。
なんなんだよこのカオス! 登場人物四人しか居なくてこれだぞ?
ふと。ヨハネは俺の腹に、そっと手を添えてきた。念力も使わず、添えられた手も弱々しく、彼は前屈みになって俺の後頭部と背中を見せてきた。
暗くて分からなかった、今更気づいた。ヨハネの背中には暗闇のような真っ黒な翼が飛び出し、ベッドの上で項垂れていたことに。能力すら制御しきれていなかったんだこの人は。
ヨハネは何一つ繕っていない、疲れきった声を揺らす。
「……まだ、すこし、一人にさせてほしい」
「持ってきてほしいものは?」
「大丈夫。メルシー」
そうか、まだ整理つかないよな。
俺は一歩後ろへ下がり、様子を見ながら部屋を後にした。
◇
【アラン・ルフェーブル視点】
我らが大佐殿を前に、百二十人が集う。
大佐殿は木箱の上で告げる。
「家族のために去ってもいい、愛するもののために去ってもいい。……もし、この場に集まった者の中に、今もなお国家への忠誠を誓う者が居るのならば、俺だけを撃て。俺を糧に上へ進め」
誰も動かなかった。誰もが大佐殿に目を向けるだけだった。
「……わかった。ならば、決行は二年後を予定する! それまでは命を謳歌しよう!」
大佐殿がグラスを手にする。
俺もグラスを掲げた。
「プロースト(乾杯)!」
各自、自分の言葉で共に乾杯!
ヨハネは「ア・ヴォトル・サンテ」と丁寧で綺麗なフランス語で。
俺はもちろんは「サンテ」と短く。
カルロは「チンチ~ン!」とイタリア特有の擬音で、俺のグラスにグラスをぶつけやがる。
ペネロペは「チンクアンタ」百年生きるくらい幸せに、とロマンチックに。ええ! 俺も百年は生きるつもりでペネロペを愛します! フラれても!
ルカは「サルーテ」と隣のカルロとグラスを合わせた。
なーんも揃ってないなぁ!
俺はグラスに口をつけ安いワインを喉に通した。あーあ、ヨハネ様が飲んでたヤツの方が美味しいわ、くそう。
その時だった。
──バンッ! と扉が開き、そのお方の輝かしい数多の勲章が照明の光を反射する。
屋内訓練場が、心臓の音しか聞こえないほど静まり返る。誰もが息を止めた、誰もが頭に死を過らせた。
現れたのはこの国唯一の《アイギス》ファフニール中将殿。
大戦で右目を失い、右手を失い、左手の指すらも失ったあのファフニール中将は、カツカツと軍靴を鳴らして真っ直ぐ大佐殿を見ていた。その白銀の眼はまさに竜の眼。その威圧感に俺は身震いし、かの方から感じる膨大すぎる《魔力》を感じとる。例えるなら、かの方の魔力は『噴火前の火山』のようにいつ爆発するか分からず、常に燃えたぎっていた。
ふと、よく見ると、ファフニール中将殿は左の三本指でワインのボトルを掴んでいる。
低い声が部屋を揺らした。
「話は伺った。私は耳がよくてね、壁越しでも他人の心臓の音が聞こえるんだ」
えぇっとぉ。これは味方ルートでいいのかな? いいっぽいなぁ、わざわざお高いワインボトルを持ってるし。
「この国は腐り果ててしまった。女性の遺体をどうしたと思う? まるで人魚の肉のように崇めながら焼いて食らい、この国の元首は幼い子供の姿となった」
……え? え? それって。
少女の肉を食った? おっさんどもが少女肉を、物理的に──ア。俺ってこういうのダメだったんだ、胃袋が悲鳴あげちまって、うわ、まって、吐きそう。助けてカルロ。
なにかが徹底的に拒絶してしまって、カルロの腕を掴みながら左手で口を押さえる。考えただけでダメだったなんて俺も思わなかったよ。はじめて知った。
カルロは静かに背中を撫でてくれる。今はどうにか耐えて、と赤い目が言っていた。
ぐちゃり、と。胃袋が激しく痙攣し背筋にべっとりとした悪寒が走る。ダメだ、どうしても生々しく想像してしまう。つい先日の深夜にヨハネに頼まれて彼女の部屋へ忍び込んだあの夜。俺は確かにベッドで眠る彼女の手首に指を添えた。ドクドクという脈こそ無かったけれど、そこには間違いなく『生きた人間の暖かさ』があった。あの小さな体温が、柔らかな肌の感触が、今も俺の指先に鮮明に残っているから、余計にッ。
あの暖かかったシェルピェン様の小さな身体が、切り刻まれ、焼かれ、権力と欲望に狂った老いぼれどもの胃袋へと収まり、ドロドロに消化されて、奴らの醜い血肉に成り果てた。
いや、いや、おぞましすぎるだろ……。
脳が『絶対的な異常事態』を認識してしまい、オロロ、と酸っぱい胃液が喉元までせり上がってくる。俺はそれを必死にゴクッと飲み込みながら涙目で床を見つめ、ひたすら荒い息を吐き続けた。
あ~~~ッッぶねぇ今のマジ。マジでやらかすとこだった。ああルカが水を差し出してくれた、メルシー。俺もビックリだわ、弱点あったわ。
ファフニール中将殿は口を開き、鋭い犬歯でコルクを開け床に投げ捨てた。
「天使の肉を喰った国に、未来はない」
中将殿は大佐殿にワインのボトルを差し出していた。ポトポトポト、と注がれていたのはドイツ産の高級ワイン。
「私も共に戦おう。愛する祖国が歴史の汚物となったまま朽ち果てる前に、共に壊してはくれないか」
大佐殿は、すぐにグラスをかがげる。
俺も部隊の皆も静かにグラスを掲げると、竜の一声が告げる。
「プロースト」
もう一度、俺達はバラバラな乾杯を交わした。
だが俺はなんだか酒を飲める気がしなくて、グラスはかかげたけども水しか受け付けられなかった。
ああ、将校の席に座るヨハネは静かに立ち上がって、静かに護衛の方を叩き退出。アイツも耐えきれなかった側だな。いや、何人か居るぞ静かに退出してるやつ。倫理的に受け付けられなかった、最も人間らしい人間たちだ。
俺とそうだわ、目の前で人が死んでも『あ、死んだ』で終わったのに、やっぱダメだな俺も出ます。ああ、カルロとルカもついてきてくれたわ。
──俺達は施設のすぐ外、中庭に飛び出す。ああ爽やかなドイツの夏だ。心の中は雪よりも冷えきって炎よりもドロドロしてるがな!
しゃがんだ俺の代わりに、ルカが叫んでくれた。
「ちげぇじゃん?! 戦場で死ぬのとカニバリズムで貪られるのは、根本的になんっかがちげぇじゃん?!!」
俺はがに股のままうつむき「それな」と返す。
「うまく言えねぇけど胸糞が悪すぎねぇ?!」
俺は「それな」と返す。
「血液すらアメリカに売ったん?! 金?! 金にした?! ドイツ人を治すでもなく?! ドイツ人を治してるならまぁギリギリ、ギリッギリ良しとする!」
いつの間にか居たヨハネが「わかるよ」わかる。
「私利私欲に走りまくりじゃねぇかクソすぎるだろクソ! クソ! クソ! 今すぐ俺単騎で突っ込んでやってもいいぜスイスまで逃げてやらぁ鬼ごっこしようぜぇ!!!」
ヨハネがルカの肩に手を添えた。ああ、念力でも押さえつけてるわルカの体を。マジで行こうとしてたんだなこのバカグリフォンは。
「落ち着け。殴るチャンスをご用意してくれるんだ、あのファフニール中将がね。中将の意思すら踏みにじるのか?」
ルカは変身しかかった耳を、人間の形に戻す。
ヨハネはいつもの冷静な頭と声で話していた。俺からしたら必死に繕っているように見えたけどな。
「思いもよらない大きすぎる後ろ盾を俺達は得たんだ。猫でも待てぐらいはできるよな?」
ルカは口を閉ざし、緑の目線を下げて泳がせた。
カチッ、と誰かがライターでタバコに灯をともす音がした。屋外へ逃げ出した何人かの下士官達が自然と輪になるように集まっていた。
軍曹が紫煙を吐き出す。
「こんな国に使い捨てされるよか、大義のため戦って死ぬ方が、まぁスッキリするなぁ……」
スイス人の女性将校も紫煙を吐き出す。
「かわいいロリが可愛そうだから、ではありませんよね。明るみとなった国の本性を知り、飼われるぐらいなら牙を向いてやる、それだけです。ま、私は傭兵なので帰ろうと思えば帰れるのですが」
彼女は能力階級『Ⅶ(七)』のバッチを輝かせ、大佐の居る方角を見た。
「大佐殿がご用意してくださる極上のフルコースを、四日に一度は食べられる待遇は、スイスに戻ってもありません」
ついてきたフランス人女性将校は、明らかにヨハネをガン見しながら告げる。
「ドイツが負けてくれないと私たちフランス人の立場はありませんからね。好きな子が死んだから、もいい理由ですが、好きな子と自由に心置きなく結婚すらできない世界を残したまま飼われる。のは頂けませんよねぇ?」
ヨハネは同郷の女性へ、すこし柔らかな目線で頷き返す。
「ええ、頂けません。俺は大佐殿に飼われてなんておりませんが、貴女の願いを叶えた先にある幸福は……ええ、俺が望んだそれと同じです」
あるハンガリー人の義勇兵中年女性も紫煙を吐き出す。
「子供もほとんど育ちきったし、金も貯まったし、二年間給料だけ貰って勝てそうなら乗るわ」
動機が全員バラバラすぎん?
美味しいご飯のため、自由に結婚するため、金のため、大義のため、憎き国家を壊すため、倫理的に受け付けないため、あまりにも欲望に忠実で、一切の嘘のない集団じゃん。下手に愛国心やら自己犠牲謳うスローガンより何億倍も信頼できる。
そんな中、俺のとなりでしゃがんだカルロは、相変わらずポカポカな日和のような魔力を漂わせ、ゆるゆるすぎる動機で決意していた。
「俺は大佐殿が好きだから参加する~」
お前……お前ってヤツは。
ルカが代わりに言ってくれた。
「お前、逆に一番眩しいよ」
「大佐殿だけだったからね、俺が下手くそなドイツ語喋ってても殴らなかった上官」
ルカはなにも言わずしゃがみ、後ろからカルロをハグしていた。男の友情というよりは、愛玩動物への愛の一種だなこれ。
だがカルロの気持ちはわかる。他の指揮官にとってフランス人、イタリア人は『使い捨ての駒』でしかない。制服にシワがあったらぶん殴り、文法を間違えたらぶん殴り、もちろんやらかしたらボッコボコにする。
けど大佐殿は東部前戦の時から、カルロがドイツ語をうまく使えなくても『敬語を覚えろ』とか『文法を学び直せ』とか指示を出すだけだったな。まぁ俺はペネロペ様を口説こうとした時はさすがに静電気浴びましたし、ペネロペ様の全裸大公開に大盛り上がりした時も電気を食らいましたが。あれは軍人として正当だと今でも思うよ。
次から次へと顔見知りになってきた隊員がきた。それぞれ思うことがあったようで、開けた場所で雑談するかのように、お互い『動機』を話していた。
もはやこれは『追悼式』じゃないな。『結団式』ってやつだな。
◇
【翌日】
【ヨハネ・ド・ブジョワ視点】
俺の朝は、ペネロペ・コスタの怒号によって切り裂かれた。
「十分以内に緊急極秘集会を執り行う! 場所は執務室、全員集まれ。質問は一切許可しない。遅れた者は置いていく。動け!」
廊下に響き渡る切羽詰まった声。俺は無言のままベッドから立ち上がり《魔術》を展開した。しゅるり、と魔力の帯が俺のパジャマを剥ぎ取るように、シワ一つないフィールドグレーの軍服へと一瞬で着せ替える。ほんっと便利だなぁ魔術って。思考を放棄した頭でも一瞬で着替えが終わるんだから。
足早に執務室へと向かう。何かイレギュラーが起きたのかな? だが、部屋に足を踏み入れた俺は、自分の目を疑った。
部屋の中央に、不自然な『空模様の扉』がポツンと立っていた。開きっぱなしになったその扉の向こう側には、どこまでも続く青々とした野原と、雪を頂く美しすぎる山脈が広がっている。
……え? ちょっと待て。ここ、地下数十メートルにある窓一つない執務室、だよな?
「入れ! 質問は一切許可しない。入れ!」
扉の横に立つシュミート大佐殿が有無を言わさぬ声で命じている。続々と集まってきた隊員たちも、全員が俺と同じように目を丸くしては「は?」「え?」と間抜けな声を漏らし、それでも命令通りに扉を潜っていく。俺も訳が分からないまま、その列に続いた。
一歩、足を踏み出す。
途端に、肌を撫でる冷たくて澄んだ風。肺を満たす草花の匂い。
「は?! 山?!」
「アルプスかよ?!」
「は?! は?!」
ざわめきが広がる中、十分が経過し。
ヴェークテルンは無造作に拳銃を空へ向けると、引き金を引いた。
──バンッ!!
乾いた銃声が青空に吸い込まれていく。
「ここはスイスの山奥だ。銃声が響いても誰にもバレない」
いや待て?! どういうことだ?! 俺達はさっきまで間違いなくドイツの地下に居た。なのに、扉の向こうが本物のアルプス? なんで?
しかし頬を撫でる風も、冷たい空気も、空の色も、なんなら大気に満ちる魔力すら本物の大自然のそれだ。幻覚じゃない。全てが現実だ。 見渡す限りの美しい大自然の中むさ苦しい黒軍服の軍人が百二十人、ぽつんと立ち尽くしている。なんてシュールな光景だろうか。
呆然とする俺たちを前に、大佐殿が淡々と告げた。
「五分以内に解説する、決断しろ。これは『空間移動』魔術でも幻覚でもない、物理的な移動だ。解説は以上」
……ハッ? なんで『転移魔術』が、こんなに簡単に現実になっているんだ? いや、大佐は魔術ではないと言った。だが確かにそう表現するしかない現象だ。え? 頭が追いつかない。
「これより多数決を取る」
大佐の金色の目が俺たちを見渡した。
「この力を用いて、今夜のうちに元首の寝室へ侵入し、暗殺を完了させるか。あるいは、この力には頼らず、我々自身の計画通りに泥臭く勝ち取るか。……ちなみに、この扉の所有者であるシェルピェン・ザウェクは」
その名前に、俺の心臓が激しく跳ねた。 周囲の若い兵士たちも騒然となる。
「エッ、生きてる?!」
「本当に生きてるんですか?!」
大佐はうるさいとばかりに、空砲をもう一発撃ち鳴らした。
「所有者は! あの扉を皆で海へ遊びに行くための休暇用、もしくは故郷訪問のために使いたいとほざいている!」
そう言って、大佐殿は隊列の一番端へ手を向けた。 俺は弾かれたようにそちらを見た。 視線の先。青々としたアルプスの草花の中に。
ああっ。なんで。どうして、一度完全に消え去ったはずの、眩しすぎる太陽のような《魂》を宿したシェルピェン・ザウェクが、そこに立っているんだ。彼女は生きていた。息をして、脈を打ち、確かにそこに存在していた。
膝から崩れ落ちそうになる俺を置き去りにして、ヴェークテルンは容赦なく続ける。
「彼女のバカげた案に賛同し、神の奇跡による力に頼らず、自分達の泥臭い手で戦争を終わらせたい者は、挙手しろ」
空白の時間が生まれた。こんな能力があれば、今日にでも憎き元首の首を取れる。安全に、誰一人血を流すことなく戦争を終わらせられる。
一、二、三秒。沈黙が降りた。
ふと、シェルピェンが小さな手をスッと空へ掲げた。すると。
一人、二人。
十人、二十人。
アランが、ルカが、カルロが。数えきれない黒軍服の腕が、次々と青空に向かって真っ直ぐに突き上げられていく。こんな便利な力を暗殺なんかに使ってたまるか。そうだね、ああそうだよ、海に行こうね。君が望むならそのためだけの扉だ。
誰も言葉にはしなかったが、百二十人の意思は完全に統一されていた。俺も、震える手で、訳がわからないまま手をあげていた。
「残り三秒! 二、一!」
全員、挙手。
満場一致で突き上げられた腕の森を見た大佐は、やれやれと深くため息をつき、即座に解散命令を出した。
「……多数決は終わった。お前たちのバカさ加減には頭が痛くなる。では各員、速やかに元の区画へ帰還しろ。この扉とスイスの空気は今すぐお前たちの脳内から完全に消去しろ。寝言でアルプスと口走った者は即座に銃殺する。撤収!」
シェルピェンが手元の《銀の鍵》を空中でひねる。ギィィ、と現れた新たな扉が開くと、その先はドイツ地下施設の、誰も居ない食堂の倉庫に繋がっていた。
「行け! 入れ! 十人ずつ行け!」
大佐の怒号が響く中、隊員たちが次々と倉庫へ吸い込まれていく。
列に並びながら、チラッと視線を向けると、扉の横に立つシェルピェンと目が合った。彼女は明らかに俺を見て、両手でちぎれんばかりに全力で手を振ってくれていた。
生きてる。生きてる。あの子が、生きている。
俺は必死に心を落ち着かせ、いつも通りの足取りで彼女に近づいた。あと三歩。あと二歩。
──バッ! と。理性のタガが弾け飛んだ俺は軍規も大佐の目も全てを無視して走り出し、小さなシェルピェンの身体を腕の中に閉じ込めるように強く、強く抱きしめた。
太陽のように温かい彼女の体温と魔力が、俺の凍り付いていた胸の奥を瞬時に溶かしていく。
「……ッ」
言葉すら出なかった。ただ、生きていてくれたことへの圧倒的な感謝だけが溢れてしまって。
三秒も経たないうちに俺は身を翻し、誰にも表情を見せないまま逃げるように隣の扉へと姿を消した。あれ以上近くに居たら、俺は、俺は!!
俺はスタスタと靴をならして、レンガの壁に──ゴンッ! と額を打ち付ける。ビクッ! とアランが肩を跳ねさせた気がした。
「……ッ、ぶねぇキスするとこだった……」
いっそのことしてしまえばよかったか? ダメだろ。強引すぎる野郎は恐怖、女性の気持ちを尊重できないのはゴミカス、好きでもない男からのキスはゲロ以下、俺が求めるのは合意の上での相思相愛だ、わかったか俺。
強く言い聞かせたけれど、やっぱり俺ってどうしようもなく、男だった。
◇
【金庫破りの現場、捕捉】
【ヨハネ・ド・ブジョワ視点】
執務室の扉が閉ざされた直後、鼓膜を劈くような下品極まりない高笑いが響き渡った。
「イーヒッヒッヒッヒッヒッ!! に~ッ、に~ッハハハハハハハハハハッ!!!」
麻袋を抱え腹を抱えて爆笑している金髪の男、ヴェークテルン・シュミート大佐だ。
……悪党か? 絵に描いたような三流の悪役の笑い方に、俺は心底からの軽蔑と嫌悪を抱きながら壁に寄りかかっていた。
ま、今の俺にとってあの男の狂態なんてどうでもいいよ。俺の視線は、呆れたように大佐を見ている小さな少女の姿に釘付けになっていた。
生きている《シェルピェン・ザウェク》がやはりそこにいる。息をして、呆れた顔をして、確かにそこに存在している。俺は瞬きをすることすら惜しかった。彼女の姿を、その温かな魔力を、ただ静かに網膜と魂に焼き付けていたかった。
ふと、彼女がこちらに気づき視線を交差させる。
ああ、神よ。俺はどれほどの感情を今、目から垂れ流しているのだろうか。見苦しいと分かっていても彼女への安堵と崇拝を隠すことなどできなくてさ。
だが、隣でまだ「ヒャーッハッハッハ!」と下品に笑い続けている野郎が視界の端に入る。俺は無言のまま視線をスライドさせ、あのクソ野郎へ絶対零度の殺意を込めて見下ろした。
……お前を許したわけじゃないからな。彼女を救うための計略だったと理解しても、俺にあの絶望を味わわせた罪は一生許さない。
ヴェークテルンは俺の視線など気にも留めず、「まだ金庫に金塊があったなァ!」と騒ぎながら、他の悪党たちを連れて再び《空模様の扉》の向こうへと消えていった。
静寂が戻った執務室。俺は壁からゆっくりと背中を離し、再びシェルピェンへと向き直る。
「全部君のドルだから、君が使いたいように使って。あの上官のモノではないからね?」
俺は可能な限り柔らかく、彼女に念を押すように声を作った。あの大佐が主導した強盗とはいえ、この金は彼女の《銀の鍵》があってこそのものだ。何より、彼女が流した血と、尊厳と、あらゆるすべてに対する正当すぎる対価だ。あんな金髪の悪党の私物になんてさせてたまるかよ、なんでアイツが我が物で奪っているのか理由を問い詰めたいところだ。
シェルピェンは足元に重たい麻袋をドンっと置き、小さな胸を張って真っ直ぐに俺を見た。
「はい! 私が管理する予定です」
彼女は思いもよらない言葉を続けた。
「みんなで楽しむ共通資産です。ヨハネもしっかり使ってくださいね、これは私からの命令です」
……は? 俺は一瞬、目を丸くしてしまった。少佐である俺に対し、中尉である彼女が「命令」を下すという軍紀違反の可愛すぎる冗談。いや、驚いたのはそこではない。あれほどの地獄を味わぅて、自分の命すら理不尽に奪われかけたのに、彼女は一切の私欲を見せずただ『特務機関みんなの共通資産』だと言い切った。
本当に彼女は……どこまでも、あまりにも、美しい。
俺は堪えきれず、ふわりと笑みをこぼしてしまった。ああ、やはりこの少女は俺の世界で最も神聖で、最も尊い青い太陽だ。
俺は胸に右手を当て、最上級の貴族の礼を執りながら深く頭を下げる。
「メルシー、思う存分に使わせてもらうよ」
彼女が少しでも罪悪感を持たないよう、喜んで受け入れる意志を示した彼女と微笑みを交わした、その直後だった。
──バンッ!! と背後の扉が乱暴に蹴り開けられ、鼓膜を破るような中佐の怒声が響き渡る。
「奥に隠し扉があったぞッッ!!!」
……ったく。あの上官はどこまでも貪欲なハイエナだな。俺は静かにため息をつきながら『空っぽな麻袋』を手に取る。
別に根こそぎ奪わないとは言ってないからね? 全部シェルピェンのものだからね? そこにある全てが彼女のものなのだから俺が協力するのはなんの矛盾も存在し(割愛)。
俺は一生懸命に麻袋を運ぼうとする下士官に指示を出す。
「それ金塊? なら俺が運ぶ、そこ置いといて」
「はッ!」
俺はもう一度扉の向こうへ行き、隠し金庫の中に詰め込まれた黄金を念力で取り出してやった。やはり本物は重いね。
金塊を麻袋に入れるため、床に散らばった輝きを一つ手に取る。
なんか……純金にしては《魔力》に混ざりもの? を感じる。金の魔力って『ずっしりと重たく密度の高いモノ』なんだってはじめて分かったけれど、半分『全く異なる別の密度の高いモノ』がある。
合金? それでもまぁ価値はあるし、純度はおそらく高いだろうね。
大佐は満たされた袋をもって「金塊あった~」とニコニコな声扉の向こうへ。すると、シェルピェンの声がした。
「大佐、それ混ざりモノですよ」
「エッ? どうしてわかる」
「金属ってモノによって感覚が違うんです、五割ぐらい金ですね」
「だが売れるだろ?」
「かなり売れます」
やはりシェルピェンも《魔力》を感じ取れるらしい。
「ん? どうしてそんなこと知ってる」
「私の家は『クストシュ』……えーと、貴族の芸術品の管理人? でしたので、貴金属はもちろん守っておりました」
貴族の資産と秘密を代々守護してきた、極めて優秀で裕福な富裕層の名家、の娘だった?!
この場に偶然居合わせた兵士たちがザワザワと騒ぎ出す。
「聞かせて?!」
「なんで黙ってたんですか?!」
俺の家にも居たよそりゃあいたよ。自分たち貴族の財産を守ってくれていた教養ある専門家一族が。それと同じだったなんて!
俺は麻袋なんてその場に置いて扉へ向かい、執務室に居たシェルピェンと、彼女を見下ろす大佐を見た。
大佐の目線が俺へ向くと『やはり来たな』と少々呆れ混ざりの顔をする。
俺はヤツを無視してシェルに話しかけた。
「隠していたんじゃなくて、言えなかったんだね?」
管理人という一族の特性上、自分の身分や知識をひけらかすことは管理している貴族の秘密を危険に晒し、自分自身が狙われる原因になる。そんな話をペラペラと他人に話せるわけがないだろ。
金庫の中に居たペネロペも顔を出し「知らなかった……」親友にすらシェルは伝えなかったのか。なんて口の堅い子だ、さすがだね、何百年も『貴族に忠誠を誓った一族』は伊達じゃない。
「まぁ、はい。言いふらしていいことではありませんから。ですが、もう、秘密を抱える必要なんてありません」
だから突然言ってくれたんだ。ここにいるのは共に反逆を決めた同胞たち、シェルは心の底からの信頼を向けてくれたからこそ、今、ようやく自分の話をするようになった。
彼女は執務室のソファに座り、手に入れた札束を数えながら話してくれる。その席なら、金庫の中に居る奴らにも声が聞こえた。
「小さな頃はいつも、お父様の仕事エリアで遊んでましたね、旦那様の息子と娘達と一緒に。特に美術品の収蔵室はまさに冒険の場所です、色々ありましたよ、ドレスに合わせるための宝石類から絵画に、貿易で手に入れたであろう謎の置物とか」
ああわかった。札束を置きながら言葉を返す。
「東の海にいる謎の民族のアレソレかな?」
「たぶんそれだと思います」
彼女は嬉しそうに続けた。
「父親の仕事部屋の隅や、屋敷の庭園、時には子供部屋で、身分を忘れて一緒に駆け回りました。私は木登りが大好きだったので、お父様からは常に怒られてましたね」
大佐が「フッ!」と鼻をならしながらパンッパンな麻袋を床に置く。
「バカと竜は高いところが好き」
「なんですか!」
「は?」
金庫の奥から低い声がした。
大佐は無視して、納得した顔でシェルを見下ろす。
「だからお前は、ロシア語も、ドイツ語も、ラテン語も、全部分かると」
「ええ、はい」
シェルは俺へ振り向く。
「フランス語を学ぼうとした九歳の時に能力が判明し、早めにドイツの幼年学校へ行きました」
そのまま士官学校を卒業。送られた戦地は東部前戦、次にドーヴァー海峡、そして地下への軟禁生活開始。これが彼女の履歴書だ。
「英語は十歳から始める予定でしたね。それまでは主にドイツ語やロシア語と、計算……の毎日でした……最悪でした……」
ああっ金色の目が遠くを見ている。フォロー入れとこう。
「言語学習能力は高いよね」
「お父様も頭抱えたと思います。なので言語特化でみっちりと教わる方針に変わりました」
「柔軟なお父様だ」
「それでも最低限はやれと。ふふっ!」
一族の恥だと見捨てずに才能があるならそっちを伸ばそうとしたと。だから文字は綺麗だし書類のミスはないが、計算は壊滅のまま育ち、士官学校では理数系教科のみ卒業ギリギリのボロボロ。そういう背景ね、理解した。
大佐殿は突然、執務室の出口へと軍靴をならす。彼はドアノブに手をかけながらブツブツと話していた。
「意味が分からないな……“ウンターメンシュ“なんて……」
パタン、と閉ざされた扉。だが、同じ部屋に居た俺とシェルだけは聞こえてしまい、静かに目を合わせる。
今のは彼のただの独り言だ。おそらくこれだろ?
『気高く教養ある女性が劣等民族で、女性の肉を貪り食う老いぼれどもが優秀な民族? 意味が分からないな』
その気持ちにだけは賛同しましょう。
金庫の奥から下士官の、カルロの声がした。
「確かにめーっちゃくちゃに、シェル様は空気がお上品ですよね~! なんかとっても他とは違いますもんね!」
「バカがとってつけたように言いやがってる」
「そんなこと今まで一度も言ってなかったろお前」
カルロは「いや! お前らは分かってないシェル様の周りだけ空気がドイツの春!」おぉ、君も《魔力》を分かってたんだ。
シェルはくすりと肩を揺らす。
「ありがとうございます」
すると《空模様の扉》縁から、ひょこりとカルロが顔を出す。
「本気で言ってます!」
「ええ、受け取りましたよ。カルロは暖炉のようです」
カルロはひゅっと倉庫の奥へ。
「ダハッ!! だはっうはっおほほほほ」
「バカ! 反響してる!」
「閉めろ閉めろ閉めろ閉めろ閉めろ」
俺は念力で麻袋を浮かして室内へ。ついでに棚にも力をかけ、リズムよく金属棚が閉まっていく。バタン! と扉を閉ざしてから、俺は念力でカルロの頭をぶっ叩き床に叩き落とした。
「げはっ!」
「バカ野郎お前!」
「バカ! バカ! ヨハネが居てよかったなこのっバカ!」
俺もカルロを床に押し付け身動きも発言も一切許さず、俺自身わかるほど低い声で言ってやった。
「何事もなければいいね? 君の笑い声一つで全員の悲鳴を聞くことになりそうだ」
念力で少しだけ首をギュッと閉めてから、解放してあげる。
「ッッ!! ガハッ! げは、げはっ!」
その時丁度大佐殿がお戻りになった。
「どうした?」
アランが代わりに報告開始。
「カルロがバカやって金庫の中で笑い声を響かせたのでヨハネが念力で制裁を与えました」
「カルロ・モレッティ、アメリカ旅行ではお前の軍資金は一ドルだわかったな?」
「ハイッ……!」
子供のおこづかいで済んで良かったね。俺なら一文無しで旅行をさせて、何も買えない苦しみを味合わせるよ。
◇
【シェルピェン・ザウェク生存確認後、アメリカとイタリアと旅行後】
【アラン・ルフェーブル視点】
港町特有の潮風は、記憶にあるものよりも幾分か湿っぽく感じられた。
シェル様が繋いでくれた扉を抜けると、そこは以前と変わらないフランスの港。ただ、あの時とは違って空には分厚い雲が垂れ込め、今にも雨が降り出しそうな鈍色をしている。
ヨハネはシェルへ手を振っていた。
「メルシー、また二時間後に」
俺も彼女へ「メルシー」を告げて、彼女の「お気をつけて」の笑顔を見送る。
パタン、と閉ざされると《空模様の扉》は電気のような光を下から上へ走らせ、パッと姿を消した。何度見ても不思議な、まるで魔術のような光景だ。
俺は首をかしげながら靴をならした。
「……こっちだよね?」
俺達は記憶を頼りに歩き出す。隣を歩くヨハネはいつもの優雅さを崩さず革靴を鳴らしていた。だが、その横顔がやけに硬いことに俺は気づいていた。
大通りから外れ、あの薄暗い路地へ足を踏み入れる。
「……あ?」
真っ先に声を漏らしたのは俺だった。
記憶にあったはずの古びた骨董屋は跡形もなかった。
黒く焦げた木材が瓦礫となって積み重なり、崩れた壁の一部だけが辛うじて建物の輪郭を保っている。焼け跡特有の煤の匂いが湿った空気に混じって鼻を突いた。雨がまだ降っていないおかげで、崩れた瓦礫の輪郭ははっきりと見て取れる。
「……嘘だろ」
俺は立ち尽くす。隣のヨハネは何も言わず、燃え尽きた店の前でしゃがみ込んだ。
「随分と綺麗に燃えているね」
「え?」
振り替えると、ヨハネは青い目で辺りを観察。その目はまるで探偵のようだった。
「不自然なほどにね。火災というのは本来、燃え方に偏りが出るものだ。風向き、燃料の質、建材の種類によって焦げ方も違ってくる。けれど、これは」
ヨハネは瓦礫の一部を指先でつまみ上げ、灰の中に混じった木片をじっと見つめた。
「均一すぎる」
俺は背筋が冷えるのを感じた。事故ではない、ということか。
「探そう。何か残っているかもしれない」
ヨハネはそう言うと立ち上がり、優雅な仕草からは考えられないほど無造作に瓦礫をひっくり返し始めた。念力でドン!! とまるで叩くように。俺も慌ててそれに続く。焦げた木材、割れた陶器の欠片、原形を留めていない金属の塊。かつて『アンティークの掃き溜め』と呼ぶに相応しかったあの店内は、今や本当にただの掃き溜めと化していた。
オルトロスの毛皮も、あの希少な幻獣の素材も、跡形もなく灰になっているのだろう。
しばらく無言で瓦礫を漁っていた俺達だったが、ふと、ヨハネの手が止まった。
「……アラン」
その声には、これまで聞いたことのない緊張が滲んでいた。俺は彼の視線の先を追う。
崩れた棚の残骸の下、燃え広がった炎から逃れるように『一冊の本』が転がっていた。
黄ばんだ表紙。あの日、フランス語で書かれていたそれは今、確かに文字を保ってそこにいた。
「……嘘だろ」
俺は思わず呟いた。周囲の瓦礫は炭化して崩れ灰になっているのに、その本だけが、まるで昨日そこに置かれたばかりのように無傷でそこにあった。
ヨハネは静かにそれを拾い上げる。手袋越しにでもわかるほど、その表紙は冷たいままだった。まるで、この場に渦巻いた熱をすべて拒絶していたかのように。
「やっと『下巻』は手に入れたけど」
彼はページを捲る。歴史書としての前半部、そしてあの奇妙な魔術記述の後半部。すべて、あの日のままだった。
「誰かが意図的に残した? ああ、そうかもしれない」
ヨハネは燃え尽きた店の残骸を見渡し、それから手にした本へと視線を戻す。
「これは、俺達に見つけさせるためのものだね」
冷たい風が、焼け跡の匂いを運びながら吹き抜けていった。
◇
【ヨハネ・ド・ブジョワ視点】
地下の自室に戻ってすぐ、俺は本をテーブルの上に広げた。アランは向かいのソファに腰掛け、身を乗り出すようにしてページを覗き込んでくる。
俺は表紙をめくった。前巻で見たものと同じ、教科書然とした構成。だが今度は、あの日見ることのできなかった続きが、確かにそこにあった。
『【準ライ級魔術──転移式・長距離転移】
本式は空間と空間を直接接続する術式であり、術者と対象地点との物理的距離に一切依存しない。すなわち、理論上は地球上のいかなる二点間においても等しく発動が可能である』
アランの声が僅かに掠れた。
「距離無制限……?」
俺も同じ箇所を目で追う。
俺はページを捲る手を止めなかった。この本の真の恐ろしさは、まだこの先にある。
『ただし、本式の発動に要求される魔力量は、初級魔術のそれとは比較にならない。目安として、フォノ・エズ級における単純な水属式生成一回分──百リットルの水を生成する魔力量を基準とした場合、本式にはその一万リットル相当の魔力を要する』
一万リットル???
えーと、バスタブはおおよそ一杯で二百リットルだから、この魔術を使うとしたら。
「バスタブ五十回分……?」
アランが本を覗き込み、指でその数字をなぞる。まるで見間違いでないかを確認するかのように。
「お前、バスタブ十回分で余裕って言ってたけど限界は?」
「二十三回」
アランがバスタブ二杯を満たしただけで意識が朦朧としていたのに対し、俺は二十三回まで耐えた。日を跨いだ合計値だけどね。それでもこの式が要求する量には遥かに及ばない。
アランは俺に聞いてくる。
「じゃあ、あの鍵はなんなんだよ」
「毎回毎回、俺ですら確定で気絶する量の魔力を使って、瞬時に空間を繋いでいるということになるね」
俺はページを捲り術式を確認する。式の長さそのものは決して極端に複雑ではない。むしろ、これまで見た他の準ライ級魔術と比較すれば単純ですらある。問題は純粋な魔力量の桁が違いすぎることだった。
アランがぼやきながら本を覗き込む。
「……というか式だけで五ページ分って、もはや計算させる気ねぇだろ」
俺はページをさらに捲った。
「他の魔術も破格の魔力量、演算量だね。見てコレ《完全変身魔術》だって。動物にも変身できるらしい」
「使う魔力少ないのに式……なにこれ……」
式の分量と要求される魔力量は必ずしも比例していない。俺はその事実に、ある種の違和感を覚えていた。理論の緻密さと消費されるエネルギーは、全く異なる体系なんじゃないか?
「これが《準ライ級》ね。何もかもが破格の難易度、こんなものをどう学べと」
「便利なものばかりだけどもさぁ」
俺は椅子に深く座り直しテーブルの上の本を見つめた。気になる魔術ばかりだったけど、俺達のレベルはせいぜいファブ級の二級までってところかな。これ以上になるとそれこそ《魔術》を教える『先生』が必要になってくる。で? どこにいんだよその『先生』は。さすがに独学でこれ以上はきつい、ファブ級の計算式すら一部難解すぎて俺もアランも発動できないのに。
アランが両手を上げ降参とばかりに言う。
「ファブ級が俺の限界っす」
「俺も」
俺は静かにそう答えた。
この本を持ってきた誰か、あるいは何かが、俺達にどこまでの理解を望んでいるのかはわからない。だが少なくとも一つだけ確かなことがある。
あの《鍵》は決して単純な道具ではない。
俺は燃え跡から拾い上げた本の表紙を、もう一度そっと撫でた。
アランは俺に手を差し出す。本を貸すと彼はペラペラと捲り始めた。
「ファブ級は実用性はあるけど、攻撃系ぜんっぜんないからなぁ。魔力を強引に炎やら水やらに変えるか、単純な構造の結界やるか。えっなにこれ《連鎖爆裂式》?? えー! 魔術の爆弾ってことかすげぇなこれ」
しかしアランは目をそらした。その項目に記載された式の量に『あっこれ無理だわ』と顔で語る。
「準からようやく戦闘でも使えるよね。《反転結界式》とか《連鎖庇護式》とか、使えたら夢のような話」
「使えたら俺でも戦えますね」
「使えたらね」
だが使えなければ意味はない。
「アラン、俺は考えていたことがあってね、ペネロペ・コスタに魔術を教えるのはどう?」
「エッなんで?! アッ天才だから?」
「理解が早くて助かるよ」
ペネロペの成績は『オールS』正直、俺よりも素晴らしい成績だった。雰囲気だけ見たらオールマイティなイメージはないかもしれないが、言葉の節々からそれを感じることは多々あった。
「大佐殿には絶対に言わず、理数系科目が得意で、なおかつ士官学校時代は『教科書を持ち運ぶのがめんどうで全て暗記して挑んでいた』らしいからね」
「天才ってマジで意味がわからないぐらい天才だよなぁ……高嶺の竜はやっぱり最高」
盲目だなぁコイツ。
俺はアランを見た。
「反逆するならせめて自衛してくれないと」
「でもペネロペは多分オーパーツ使うの反対派かなと」
えっ。あぁ、君がそう思うならその路線が強そうだな。普段見ている子の考え方はなんとなく把握できるものだからね。
「あー、いや? でも? 意外と実用性あるなら使いたいでしょうね特に《衣装変更》は」
「女性だもんね」
「女性だからさ」
幻獣種にとって瞬時に早着替えだなんて夢のような話。ルカも下着まで脱いで変身、かのファフニール中将殿すら脱いで変身、当然ペネロペも脱いでから変身する。服が破れるからね。女性の幻獣種は毎回大変な思いをしているよ確実に。
アランは首をかしげながら聞いてくる。
「でも大佐殿に言ってもいいんじゃ」
「ノン」
それはダメだよアラン・ルフェーブル。
「俺に隠していた野郎に、俺達の秘密を明かす義理はない」
もちろん、作戦を円滑に進めるためにも、俺に黙っていた方がよかったことは客観的にはわかる。けれど、個人的には許せないねそんなこと。だから個人的に抱えている秘密はあの男には何も伝えない。
今は大佐を殺すかどうかは保留にしておくよ。あの時の絶望も、感情も、お前を殺してやりたいという衝動も、全てが本物だからね。
アランは複雑そうな顔を俺へ向ける。
「まぁ正論っちゃあ正論ではありますが」
「ペネロペの頭脳なら、この難解すぎる概念と数学の理論が融合した学問を理解できる。これは体系としてしっかりと構築された『勉学』だからね。あと《魔力》多い」
暫定三位だからね彼女。俺の次に魔力が多いのは確実にあの竜姫だ、適任すぎる。
俺はシェルの部屋の方角を見た。そこに彼女は居ないけれど、彼女は《アイギス》よりも強大すぎる魔力を持っていた。しかし。
「本音はシェルを呼びたいところだけど……理数系が……」
「そこポンコツなのかわいいよな~?」
「んふっ」
──アランは内心思った。シェル様大好きだなぁコイツ、と。
そういうわけで、我らが竜姫ペネロペを呼ぶことにした。
ペネロペは俺と屋内訓練施設で手合わせしてくれているからね、ただし監視付き。俺は『血清』の生産元だから、結局あの男が用意した箱庭でしか自由がないんだ。
汗まみれになりながら、カラスのような漆黒の翼を背中にしまいペネロペを誘う。
「この後、あの部屋でお食事でも?」
今日は彼女の番ではない。しかし、何かを察したペネロペは黒と白のオッドアイを柔らかく歪め、訓練用の水筒を手に頷く。
「ええ、頂く」
機転の回る女性だよね。俺の一言で疑問すら思わず、言わず、当然のように頷ける。しかしアランは自分より格上の女性がいいだなんて、女性からしたら見向きもされないだろう。女性が自分より低ステップの旦那を選ぶとはあまり思えないんだ俺は。ああ君そのものを貶してるわけではないよ、ペネロペが格上すぎるってだけ。
共に地下室への通路を進み、俺の部屋にペネロペを通す。
扉を開くと、ピタ、とペネロペは足を止め、揺れ動いていた黒い尻尾も止まる。
「アラン・ルフェーブル?」
立ち上がったアランは敬礼を返していた。
ほら、お入り、と俺は念力でペネロペの背中を押す。彼女からしたらどう見えているんだろうね? 突然俺から部屋に案内されて、そこにはアランという定期的に自分を口説いてくる下士官の男がいた、だなんて。
ペネロペは俺とアランを交互に見た。
「二人で密談をするかと思った。えっ? 貴方達はどういう関係性? 同じフランスのよしみにしても、変……」
まぁそらそうなるだろうね。特に俺なんて他人と関わる姿を誰かには見せない、彼女が目撃している俺の友人候補はせいぜいルカだけ、それぐらい狭い交友関係だよ俺は。だからこそ、下士官で、無能力者で、同じフランス人と言えど農家出身の男と深く関わっていただなんて誰も思わないだろう。ああ、大佐は知ってるけど。
ペネロペはアランに手をさしのべるように、俺を見た。
「雑用係?」
「んッハ!! ああそうだね雑用係かもしれないね!」
アランが明らかに俺を見て『くっそ』の顔をしてた。こら、その顔はそと行きの時はやめろよ、俺は君の腹に一発ぶちこむ必要が出てくる。
俺はしっかりと扉を締め切ってから、ペネロペにアランを改めて紹介した。もちろん彼が恥ずかしくなってくれるように芝居じみたセリフでね。
「今から話すことは誰にも他言せぬよう。ご紹介致しますは、実在する『魔法使い』アラン・ルフェーブル」
「あのっやめてもらっていいですか?」
そういいつつアランはポケットに忍ばせた紙を取り出し、魔力を流し込む。
《エズ級魔術──衣装変更》
ジジッ、とインクをなぞるように炎が走り《魔術展開》灰色の帯がアランをぐるぐると包み込み繭となり、しゅるりとほどけ空気へ溶けると。
そこには、軍服から私服に早着替えしたアランがいらっしゃり、ソファの上には脱け殻のように落ちた軍服一式。
ペネロペは一言。
「……は?」
ふふは!
「……は?」
んふふ!
「はぁ?!」
三回も驚いてくれたペネロペに俺は腹から声を出して笑ってしまった。
「だから言ったろ魔法使いだって!」
彼女は尻尾をブンブンと荒ぶらせながら「あり得ない! あり得ない! あり得ない!」と連呼し、驚きすぎてアランのもとへ駆け寄ると胸ぐらを掴んで「何をしたのか一から全て説明して!」どうして喧嘩腰なんだろうね? 混乱したらとりあえず攻撃に転ずるタイプかな。
アランは必死に両手を上げ降参のポーズ。
「話します! 一から全て百まで全部お答えします! 一時間ほど俺とヨハネの説明をじっくり聞いてくださればすぐにわかります!」
ペネロペはパッと手を離し、さぁ話せとソファへドスッ! と腰掛け足を組んだ。頭からニュキッと竜の角まで出ている、もはやこれは一種の臨戦態勢だ。俺でも本気の彼女の腕力には敵わないから、どうかそのまま落ち着いて聞いてくれ。
俺はアランの隣に腰掛け、ベッドの下に隠した『魔術書』を念力で引き寄せる。ふわりと浮かんだそれをペラペラと捲り、魔術についてのページをペネロペへ見せつける。
「貴女の場合は話すより“教科書”を読んだ方が速いでしょう。最初の二十ページまで読んだら教えてください、その後に実演して見せます」
ペネロペは本を両手で受けとると、俺とアランへ鋭い目を向けてから視線を落とす。一旦は俺の指示に従ってくれるようだ。
その間にアランへ指示を出す。
「アランお願い《衣装変更》、《圧縮》、《拡大》の紙持ってきて」
「わかりました、ポピュラー三種ね」
おそらくこの三つが代表的な《エズ級魔術》子供でも算数さえわかればこなせる、三級の初級者コース魔術だろう。もしもこの本が実用的かつ義務教育の範囲であればね。
アランはタンスの棚から紙を三枚取り出して、俺のとなりに戻る。ペネロペは真剣に読みすぎていてアランに見向きもしない。
しばらく待っていると、ペネロペが顔を上げた。
「……もし、これが事実なら、能力者の《能力》は《魂》由来だと確定する。遺伝子の突然変異ではなく個の《魂》による発露」
さすがペネロペ・コスタ、そこまでたどり着いてくれたか。
「その場合、じゃあ、ヨハネの『血清』による人工能力者は一体なんなの?」
……目をそらしていたことについて言いやがって。しかし当然の疑問だね。そこには教科書にはない未知の理論『X』がある、俺達が持つ本だけでは解明できないナゾだ。
「そこまでは俺達もわからない。けれどお分かりでしょう? 確実に《魔力》は存在していることは、人間だろうと頭と努力さえあれば《魔術》を扱えることは」
ペネロペは頷いて、アランを見る。
「ええわかった。さっき見せてくれたのが《衣装変更》? 《水属式》の魔力変換率を計算してみたけれど、百八十ミリリットルだった、コップ一杯程度ね。貴方は何リットル分の水を扱える?」
な、なんって速すぎる頭の回転、理解力、暗算力。《水属式》による魔力を水へ変換する計算式は俺では暗算すらできない。
え? やば。アラン、君だいぶかなりハードル高い恋だね、アルプスの山脈の頂上で咲き誇る高嶺の竜だよ彼女。同レベルの竜じゃないと厳しいんじゃない? 《完全変身魔術》頑張って覚えて竜になる?
「俺はバスタブ満タン二回分、おおよそ四百リットルだとわかってますよ。ヨハネは二十三回」
「さっすがヨハネ・ド・ブジョワ、四トンの水を軽く扱えたら戦車すら流せる」
アランから突き刺すような目線を送られた。最初から目に見えていただろうに、君と俺はあまりにも差がありすぎる。
俺は一言「メルシー」とだけ返すと、ペネロペの好奇心はテーブルの紙へ向いた。
「じゃあこのテーブルにあるのが?」
アランがニッコニコで答える。
「はい、こちらが《記述式》の魔術です」
「え! じゃあ、私もできるの? でも《魔力》? をガソリンとして着火するとはあるけど、これって感覚の話……よね?」
「それに関しちゃあほんっとうに感覚の世界の話なので、どうにか理解して貰うしかないですね。俺は『体内の熱を動かす感覚』だと思うけど、ヨハネは『血液を動かす感覚』らしい」
ペネロペはモノクロ写真のように固まった。
「……えっと?」
ああ、彼女は意外と理屈で考えてしまうヒトだ。俺もアランも直感と勘で理解したけど、彼女はこういう場面ではロジックで組み立てていく女性らしい。普段は直感と感情に任せて動くのにね。
ペネロペは頭に『?』を浮かべながら、本を見ながら“頭”で考えていた。
「感覚の話なのに、組み立てるときは数字と理論が存在するってナニ?」
ああたしかに。俺が頷くとアランも似たようなことを言う。
「確かに? 感覚の世界を理解する必要がある上で、さらに数学が必要だ、なんて脳の使う場所違うし同時に使ってる感じある」
「一旦もう一回見せて?」
アランが机上の《縮小》の紙を右手に、左手には万年筆を手にした。魔力をゆっくりと流して、インクに宿る炎もゆっくりと灯り、見せつけながら《魔術展開》万年筆はグググと段階を踏んで縮まりマッチサイズへ。
ペネロペは目を輝かせ拍手を送る。
「おぉ~!!」
「メルシー、メルシー」
もしもアランに尻尾があれば、それはそれはブンブンしていたことでしょう。
「物資輸送に革命が起こる!」
やっぱそうなりますよね。
俺はアランへ手を差し出し、マッチサイズの万年筆を受け取った。
「しかしこの魔術には色々と欠点がありまして、一つは衝撃に弱いんです」
言いながら、俺は万年筆を机に投げる。カツンッと小さな金属が机にぶつかると、勝手にボンッ! と水蒸気と共に元の大きさへ。
もしもこれが銃弾や爆弾で発生した場合、部隊が爆発と共に壊滅したり、線路の上であれば一種のテロ行為だ。こんな不安定なモノ、事故のリスクそのものでしかない。
俺は腕を組みながら万年筆を見た。
「おまけに『金属』もしくは『植物』には効果がありますが、リンゴはダメ。しかしウールはセーフ」
「……便利だけど万能ではないのね」
「安定しているのはやはり衣服。衣服を変えながら縮小してポケットに忍ばせる、が楽です。アランは紙がないと使えないので問題点だらけ」
ああごめん、アランを貶してたね今のは。そういう意味ではないよ。
「俺は感覚で実技での《魔術》は扱えますが、高度な演算が混ざってくるとやはり紙が便利。一長一短、センスと理論、どちらも必要な高度な学問ですこれは」
「頭でっかちの堅物じゃあ厳しいわね」
ペネロペは納得したように本を捲る。確かに、彼女が頭に浮かべたであろうドイツ人は特に苦手そうだ、理論では構築できるだろうけど実技は不向きかもしれない。実技の場合はかなりイメージの世界で展開される、が、高度な魔術は《式》そのものに変数が必要で、ここで頭打ちとなり難易度が跳ね上がる。
ただ火を出すだけなら熱を動かすイメージで済むけれど、そこに『距離』『温度』『連鎖反応』などの変数が組み合わさった途端、イメージの世界の中で複雑な数式をリアルタイムで解かなければならなくなる。だからこそ脳のキャパシティがパンクして「紙(記述式)」が必要だった。
ペネロペも俺と同じ結論にたどり着く。
「これ教科書ってことは、教えられる先生どっかに隠れてるとかありえそうじゃない?」
「俺もそう思いました」
「俺達も『先生』が欲しくなりました」
「あーね、独学が厳しくなったから私を召集ってわけ」
ペネロペはしばらく考えると、アランを見て人差し指を立てる。
「……もう一回見せて?」
「《魔力》は頭でこねくりまわしても分かりませんよ、体感の話なんで」
ああ、彼女はやはり《魔術》を物理現象と同じ目線で解読しようとしている。自転車にはじめて乗るときは理論ではない、ひたすらやるしかないんだ。けれど彼女は理論で考えようとしてしまっている。
アランはそれがわかったから、別のアプローチで教えていた。
「もういっそ勉強的な理論的なあれやそれ一旦おいといて。ペネロペ様、シェル様の近くにいたら何か感じません?」
「何か? ……めっちゃいいにおいする」
なにも言わんとこ。
ペネロペは真顔で続けた。
「めっちゃめっちゃ、お日様みたいなにおいする」
「それは竜だから嗅覚が鋭いゆえの感覚?」
「わかんないけど、ねこちゃんみたいな、いいにおいする……」
な、なにも言わんとこ。
「では隣のヨハネ様どんなニオイします?」
「テメェ。は??」
なんってことを女性に聞いてるんだお前!!
しかし相手はペネロペ・コスタ。ド直球に突撃できる女性だった。
「表現最悪だけど許して。ドブみてぇにドロッドロな油と腐敗した肉の混合物」
「許さない」
は? 許さねぇよ? 何を言ってんだこの【──差別用語──】。
「わかる」
俺はアランを見る。裏切り者が。裏切り者が。裏切り者が。貴様も俺に対して内心そう思っていたんだねああそうかい俺は君を買いかぶり。
「俺もヨハネの《魔力》は深海の底のようだと思ってました。俺の言葉だとそうなります」
ハッ。ああ、そういうことか。二人の意見をまとめると、俺の魔力は他人目線では『重くて濁った闇のよう』ってことか。
アランはペネロペの感覚に補助輪をつけてあげていた。
「ペネロペ様は《魔力》を嗅覚として既に認識してたんじゃないですか? では大佐殿は?」
「腹立つんだけど、近づくとバニラみたいに豊潤、でもよっぽと近づかないとわからないわ、バニラってそうじゃない?」
「そんな甘くてお上品なニオイするんですかあのヒト」
「例えるならね」
「俺の例えは『透き通った水晶玉』みたいな感覚です」
俺からしたらあの男は『外にあまり漏れず、濃縮されていて、近づかなければわからない魔力』だ。
アランは確信を得たように《衣装変更》の紙をペネロペへ差し向ける。
「それを一旦《魔力》と仮定して、試しに流して欲しいです。使う時にどの服に着替えたいのか、外したいのかをイメージしながら」
ペネロペは机上の紙を手に取った。ジッ、と睨み付けた彼女の手元に──ああ、《魔力》が動いている。
ジジッ、と紫と黒が混ざりあう毒々しい炎が、インクに走る。だが流し込む《魔力》そのものの量が多すぎて炎がインクの線を外した、その時。
──ぼわっっ!! と紙が紫と黒の炎に飲み込まれ、灰すら残らず消し飛んだ。
ペネロペは口を半開きのまま瞬きを繰り返す。手元にあったはずの紙を見て、アランを見て、俺を見た。
「わかった」
なにより。
「細すぎる電気の導線に私のを流すのね」
俺達は同時に頷く。
「私こういう繊細な作業が一番嫌いなの」
俺達は同時に天井の照明を眺めた。
アランとヨハネが実はかなり仲いいの知ってるの大佐とペネちゃんぐらいだし、アランは一般(だと思い込んでいる)成人男性です。




