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【第一話 不死身の少尉】




【第一話 不死身の少尉】



 一九四三年。ヨーロッパ戦線はもはや人間の戦争ではなくなりつつあった。


 砲弾が大地を抉り硝煙が喉を焼く。夜明け前の東部戦線。月すら姿を隠した闇の中で、ドイツ軍第七特務大隊は三方向からの挟撃を受けていた。


「ザウェク少尉! 右翼の装甲車を止めろ!」


 ヴェークテルン・シュミート大尉の声が爆音を貫いた。金の瞳が前線を鋭く見渡す。低い声だ、命令というよりは信頼の確認に近い響きだった。


「了解です」


 シェルピェン・ザウェク少尉は一瞬だけ目を閉じた。銀色の髪が夜風に揺れ、金の目が右翼へ向く。

 次の瞬間、廃墟の鉄骨が宙へ舞い上がる。念力で引き剥がした鉄材が猛然と迫る装甲車の履帯に絡みつき、車体を横転させた。炎が上がる。黒煙が視界を塞ぐ。


「左翼、まだ来ます」

「わかってる」


 ヴェークテルンは右腕を空へかざした。指先から走る雷が夜の空を一瞬だけ白昼に変えると、左翼から押し寄せていた歩兵部隊が二十名まとめて焦土に沈んだ。

 どこかで誰かが叫んでいる。

 どこかで誰かが死んでいる。

 しかし二人の間には、言葉の代わりに呼吸だけがあった。



 戦闘が終わったのは夜が明けきる直前だった。

 撤退する敵を確認したヴェークテルンは壁によりかかり細い息を吐き出す。生き残った部下たちが負傷者の手当てをしていて、その傍らでシェルピェンは膝をついたまま乱れた息を整えていた。首に巻かれた黒いマフラーが朝靄の中で揺れ銀色の髪を隠している。銀は月夜では光を反射し目立ってしまう可能性が高すぎるからだ。

 そのマフラーは支給品にない私物。ヴェークテルンが戦地での防寒用にと押しつけた、くたびれた黒いウールのマフラーだ。

 ふいにヴェークテルンが彼女へ目線を送り、言葉を一つ。


「よくやった」

「ありがとうございます」


 彼女は顔を上げた。砂埃と血糊が頬に張りついている。それでもどこか安堵したような、穏やかな目をしていた。ヴェークテルンはその顔を一瞥し白い息を吐く。普段は部下の顔を道具として見るからこそ、その幼すぎる顔は扱いが難しすぎた。



◇



 ──それから十日後のことだった。


 通信が途絶した前線の村へ少人数での偵察任務が下った。

 ヴェークテルンとシェルピェン、それと四名の部下での作戦。廃村に踏み込んだ直後、伏兵の一斉射撃が始まった。

 最初の三秒で部下が二人倒れた。壁を背に伏せながらヴェークテルンは雷をバチバチと走らせる。感電の悲鳴や服が燃える炎の光はそれだけで伏兵に恐怖を与える。

 しかし数が多すぎた。

 背後から足音。ヴェークテルンが気づいた時にはもう、銃口が後頭部に押し当てられていた。乾いた音がした、しかし弾は来なかった。代わりに銃を持っていた男が地に伏し、眉間に鉄の破片が深々と刺さっている。鉄がひとりでに勝手に動いたんだ。こんな力を扱えるのは一人しか居ない。

 シェルピェンが、ヴェークテルンの前に立っていた。  


「大尉ッ」


 彼女は背中を向けたまま両腕を広げる。次の射撃がいつ来るかわからない場所で。


「下がれ少尉!」

「しかし!」


 能力が最大限に展開され廃村の金属という金属が浮き上がる。鉄扉、釘、砲弾の残骸、車両の骨格。それが一斉に、包囲網へ向かって飛び出した。


 轟音。包囲が崩れた。


 一瞬の隙に一発の砲弾が落ちる。

 ヴェークテルンは爆風に吹き飛び、壁に叩きつけられ刺激が走り視界が暗転。


 意識が戻ったその時──硝煙の向こうにシェルピェンの姿があった。


 倒れていた。動かなかった。頭部と胴体が、致命的な状態だった。黒いマフラーだけが焼け跡の中で無傷のまま残り、ああ、また一人部下が減ったか。

 ヴェークテルンは指示を飛ばす。


「回収しろ」


 彼の声はいつも通りだった。部下は静かに振り返ると彼はもう一度命令を下す。


「少尉の遺体を回収する」


 部下の一人が駆け寄る。

 シェルピェン・ザウェクは今年で二十歳の少尉。能力は『金属操作』戦場において最も兵器として適した能力であるため、十二歳の姿から成長しない奇病持ちだろうと、彼女は少尉の位を与えられた。彼女はその小さな体でどんな時だろうと足を止めずに食らいつき、味方にささやかな明るい笑顔を見せてくれる方だった。

 部下の一人もまた、彼女のひたむきさに救われていた。なのにこんな、顔すらわからなくなってしまったなんて。


「大尉……」


 部下はしゃがんで少女の体に手を──。



 遺体が、動きだす。



 砕けていたはずの頭部が音もなく再生されていく。



 組織が戻り、皮膚が戻り、呼吸が戻る。銀色の髪が血の中から現れ、パチッと、猫のような金の目が開いた。

 シェルピェン・ザウェクは、死んだはずの場所から、静かに起き上がった。


 ありえない!


 部下は夢としか思えない景色に急いで立ち上がる。その足元では死んだはずのシェルピェン・ザウェクが掠れた声と共に顔を上げた。 


「た……大尉、ご、無事ですか……」


 ヴェークテルンは答えなかった。十秒間、彼はその光景を見つめた。それから、口を開いた。


「捕縛しろ」



◇



 ──軍の施設に移されたシェルピェンは以来、実験体として扱われた。

 不死性の検証。再生速度の計測。能力の限界値の測定。黒いマフラーは最初に取り上げられた。人道という言葉は戦時下においてとうに形骸化していた。


 その三日後の早朝、カチャ、と扉が静かに開く。


 入ってきたのは見覚えのない男だった。

 少し癖のある茶髪に細い眼鏡。紫の目がシェルを無感動に一瞥して言った。


「時間がない。来い」

「……あなたは」

「どうもはじめまして《アーサー・E・テイラー》です」


 男は金属の鍵を取り出した。奇妙な光を放つ見たことのない形状の《銀の鍵》。それを扉の縁にあてがうと、空間の一点にひびが入り、黒い裂け目と共に《鉄の扉》が現れた。

 瞬間移動したとしか思えない光景、突然現れたアーサーと名乗る男。理解が追い付く前に現実が動き出す。


「フェイビアンに頼まれた。お前を守れってさ」

「フェイビアン……?」

「知らなくていい、後で全部話す。今は一つだけ答えろ」


 アーサーは振り返らずに言った。


「ここに残るか、来るか、選べ」


 シェルピェンは自分の手のひらを見た。死んで生き返った手。かばった上司に捕縛された小さな手。黒いマフラーはここにはもうなくて、誰もが私を『実験動物』として扱う冷たい世界。

 そこから逃げられるのなら、こんなところから救ってくださるのなら、ええ、私は貴方についていくしかありません。

 シェルピェンは立ち上がり、アーサーと共に扉の向こうへ走り抜けた。



 ──これが私の逃亡劇と本当の戦争のはじまり。

 ──この救いようのない死と鉄の匂いだらけの世界で、私は武器を握り続けるしかなかった。




◇◇◇




【シェルピェン・ザウェク視点】


 扉の向こうは古い石造りの屋敷だった。


 は? は?!


 後ろを振り向くと扉の縁の向こうは私が閉じ込められていた牢屋で、今立っている場所は整ったお屋敷の室内。


 部屋を見渡すと、エッ誰?! 誰か居る! 二人も居る!


 暖炉の前では黒髪に青い目の生真面目そうな男が腕を組んで立っていた。窓際には金髪に青い目をした、いかにも紳士然とした男が静かに外の灰色の空を眺めていた。

 紳士の男は振り向いて、私を見た瞬間にほうと胸を撫で下ろす。


「はじめまして、私は《フェイビアン・エイムズ》」


 フェイビアン、と名乗るその金髪の男は暖炉前の男へ向かって告げた。


「その子です。その子が《覚醒》した時、ようやくこの戦争の世界が終わる」


 私は問い返した。


「助けていただいたことには感謝致しますが、こ、ここは一体? 貴方達は一体何者なのでしょうか?」


 フェイビアンは答えなかった。

 代わりに暖炉の前の黒髪の男が、明らかに不満そうな声でフェイビアンを睨む。


「いい加減《覚醒》などという物語脳な現象はどうやったら起こるんだ詳しく答えろ」

「そこの黒髪は《エドワード・バイロン》」


 エドワード・バイロンは明らかに不満そうな顔のまま言った。フェイビアンに向ける青い目がじわじわと圧を増していく。


「そこまではまだ視えなくて」

「お前が匿えと言ったのだろう?!」

「言ったけど」

「根拠を出せ根拠を! 覚醒するとして、いつ、どこで、何をしたらいいんだそこまで観ろ!」

「観えたら苦労しないんだなー」


 フェイビアンは椅子に腰掛け完全に人の話を聞いていない顔をしていた。

 アーサーが立ち上がる。


「あー……とりあえずタバコ吸ってくるわ」


 そんな彼にエドワードが即座に舌打ちを返した。


「チッ」


 アーサーは振り返らないまま扉へ向かう途中で、肩越しにエドワードを見る。唇に指を当てるとふざけた声でふざけ出した。


「あらやだ、ちゅ」


 アーサーが投げキッスを飛ばすとエドワードに眉間にシワが寄る。


 私は三人を交互に見る。

 状況を整理しよう。私は前線に居たのに大尉を庇ったら一度死んだようですぐに軍の施設に連れていかれた。一日目は何度も何度も腕やら足やらを切られ、二日目は薬を投与されたのか記憶がなく、そして本日三日目には何が来るのかと両手を震わせていた矢先に──先ほどタバコを吸いに向かわれたアーサーと名乗る男がどこからともなく現れた。それも瞬間移動? を可能にする扉を使って。背後を見たらあの扉がないし、というか……。

 整理できた頭で私は二人を指差す。


「それで! 貴方達は一体何者なんですか?」


 フェイビアンが答えた。


「イギリスの《アイギス》おっさん三人衆です」


 エッ。


 え。


 あ。あ、あ、あああああ?!?!


 脳裏に新聞の写真が映る。《アイギス》は私達『能力者』にとって最高峰の称号を持つまさに化け物、各国にわずか三名しか選ばれない化け物、特に大英帝国の《アイギス》は有名で、情報通りであれば。

 私は金髪のおじさまを指差した。


「あッ、ア、貴方が、フェイビアン・エイムズ! 未来予知の能力者?!」

「よろしく」


 よりによって自分を助けに来たのがこの三人らしかった。世界大戦を動かしている『別格で破格で化け物で誰も太刀打ちできない能力者《アイギス》』が、私の目の前に居る?!


「それで私は……こ、ここはそもそも」

「イギリス」

「あぁぁぁ私は国を裏切った売国奴!!」

「違うよ」

「一週間耐えきれば釈放されると!!」

「それはありえない」

「私は逃亡者!!」

「正解」


 私はその場で床に手をついた。

 終わった……終わったよ……これで私の家族は殺され、私は母国に狙われる逃亡者となり、おまけにここはイギリス本土、帰る手段も帰れる家も無い、無職の女。

 私は何度も、何度も息を吐きながら己を呪った。どうして三分前の私は助けてくれるのならと飛び込んでしまったんだ。だってだってだってずっと痛くて苦しくて体が何故だか治る化け物になってしまっていて。


 ああ……神様、私はこれからどうしたらいいのでしょうか。




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