封印勇者と魔王、硫黄泉で沈む
片付けが終わった部屋は――綺麗だった。
襖の紙は全滅しているが、木枠だけが妙に誇らしげに立っている。
祭が食を呼ぶと、三人は正座した。
なぜか神妙な面持ちである。
食は部屋をぐるりと見渡し、ふむ、と一つ頷いた。
「やればできるんでしょ」
そう言って、割烹着のポケットから丁寧に包まれたハンカチを取り出す。中から現れたのは、小さな金平糖だった。
「夕飯前のご褒美だよ」
ぽい、と軽やかに放られた一粒が勇者の口に入り、続いて魔王の口にも収まる。
甘い。
小さな星が舌の上でほどける。
胸の奥に、じわりと温かいものが広がった。
頭を撫でられる。
「ご飯前にお風呂入っといで」
それだけ言って食は去った。
廊下に、祭の情けない叫びが響く。
「え!? 食さん!? 俺にはー!?」
返事はない。
⸻
風呂とは何だ、と勇者が首を傾げ、魔王が知らぬと吐き捨てる。いつもの調子で言い合いが始まりかけたところで、祭が額を押さえて怒鳴った。
やがて脱衣所へと連れて行かれる。
封印されているはずなのに、服だけは問題なく脱げた。理不尽な仕様である。
扉を開けた瞬間、ぶわりと湯気が立ち込めた。
ツン、と鼻を刺す匂い。
魔王が顔をしかめ、勇者は即座に「糞のにおいだ」と断じる。
押し付け合いをしていると、低い声が浴場に響いた。
「二人とも来い」
次の瞬間、体が勝手に動く。
ざばぁ、と頭から湯がかけられた。
「湯に入る前に体を洗うのだ」
どこからともなく桶が現れ、香りの良い液体をぶちまけられる。
「洗え」
言われるがまま片手で頭を擦ると、もこもこと泡が立った。
勇者が目を見開く。魔王も泡の増殖に驚く。
それは石鹸だった。
脂肪酸とアルカリが反応して生まれる界面活性剤。皮脂を浮かせ、汚れを分離させる仕組みだ。
勇者、初科学である。
スポンジも現れる。
泡はさらに増え、二人はなぜか楽しそうに体を洗った。
だが、背中に手が届かない。
適当に済ませようとした瞬間、再び声が落ちる。
「二人いるのだから、助け合え」
沈黙。
言いかけた文句は、遠くから響いた食の咳払いによって即座に消えた。
ぎこちなく、互いの背を洗う。
泡まみれの元宿敵。
⸻
洗い終えると、体は勝手に湯船へと導かれる。
ぽちゃん、と湯に沈む。
やはり匂いが気になる。
「糞のにおいがする」
湯気の向こうから、痩せた男が現れた。
「違う! これは硫黄泉だ!」
堂々たる名乗り。
「私の名前は湯の神・風呂である!」
彼は誇らしげに語り始めた。
この匂いは硫化水素。硫黄泉特有の成分だ。
硫黄泉には強い殺菌作用があり、慢性的な皮膚トラブルの改善に役立つとされる。血行を促進し、新陳代謝を高め、美肌効果も期待できる。
だが、長湯は禁物。
硫黄成分は皮膚から吸収されやすく、血管を拡張させるため、のぼせや湯あたりを起こしやすい。
「適度に入るのが作法だ!」
風呂は胸を張る。
しかし彼が何度二人の名を問うても、二人は無視を続けた。
勇者と魔王は互いに小競り合いを始め、風呂はひたすら「名前を聞いている」と繰り返す。
湯気の中、会話はぐるぐると回る。
そして――
⸻
現在。
湯船の縁に、真っ赤な顔をした勇者と魔王が並んで倒れていた。
手はまだ、くっついたままだ。
「なんでこの子達は倒れているんだい?」
食の声は呆れ気味だ。
「湯あたりだな」
風呂があっさり答える。
硫黄泉は浸透力が強い。入浴初心者が長く浸かれば、めまいや脱力を起こすのは当然だ。
食は大きなため息だけが風呂場に響いた。




