そして、もう一度だけ包丁の音がした
「貴様が我を殴るせいだぞ!」
「はぁ? 元はと言えばてめぇが――」
片手がくっついたまま、なおも拳を振り上げる二人。
拳は弱い。
だが目は本気だ。
「おいおい! もう辞めろって!」
祭が間に割って入る。
しかしその瞬間――
「二人とも」
空気が凍る。
食の声。
低い。
静か。
「片手じゃなくて、両手にするかい?」
ぴたり。
二人の動きが止まる。
ゆっくり振り向く。
食は腕を組み、にこりともしていない。
「仲良くなるまで封印は解かないよ」
間。
「わかったね?」
沈黙。
「返事は?」
「「……はい」」
即答だった。
⸻
「祭! あんたはこの子たちと部屋の片付けをしなさい! いいね!」
「なんで俺もなんだよ!」
食の眉がぴくりと動く。
「……いいね?」
「はい!!」
条件反射だった。
⸻
食が去る。
足音が遠ざかる。
三人はしばらく無言。
祭がゆっくり二人を睨む。
「てめぇらのせいで食さんに怒られちまったじゃねーかよ……」
勇者が即座に言う。
「そもそもこいつが――」
魔王も返す。
「貴様の挑発が――」
「お前らのせいだろ!!」
三人同時に言い合いになる。
その瞬間。
――コホン。
遠くから聞こえる、たった一度の咳払い。
包丁の音が一瞬だけ止まった。
三人、完全停止。
ゆっくり互いを見る。
小声。
「……やばい」
「片付けるぞ」
「今すぐだ」
⸻
壊れた襖。
割れた壺。
飛び散った破片。
勇者が木片を拾う。
魔王が壺の欠片を集める。
しかし。
「我はあちらを片付ける」
「いや! 俺はこっちを――」
ぐい。
片手が繋がっている。
引っ張り合う。
「離せ!」
「離れておるわ!」
「くそ、てめぇ力抜け!」
「貴様が引くからだ!」
また揉み合い。
祭が額を押さえる。
「てめぇら……」
振り向く。
遠くの廊下の角。
食の影が、ぴくりと動いた気がした。
「……もう黙れ」
祭が低く言う。
「食さんはな、この八百万荘のボスだ。最高権力者だ。怒らせるとマジで終わる」
勇者と魔王が同時に振り向く。
「王か?」
「王などではない」
祭は真顔で言う。
「鬼だ。
暴れたら終わる。」
沈黙。
遠くからまた包丁の音が響く。
トントントン。
規則正しい。
……なのに、背筋が冷える。
三人は無言で掃除を再開した。
ぎこちなく。
不器用に。
片手のまま、破片を拾い襖を立てかける。
その様子はまるで、
喧嘩した兄弟の強制お手伝いだった。
八百万荘は今日も騒がしい。
そして台所から、もう一度だけ包丁の音がした。




