憎しみは解けないが、手は離れない
距離が、詰まる。
言葉より先に拳が出た。
砂利が跳ねる。
骨と骨がぶつかる鈍い音。
「うるせぇんだよ!」
勇者の拳が魔王の頬を捉える。
魔王はすぐさま腹に拳を叩き込む。
息が詰まる。
空気が抜ける。
だが止まらない。
殴る。
殴られる。
蹴る。
押し倒す。
砂利に背中を打ちつける。
戦場の匂いが蘇る。
「てめぇのせいで、何人死んだと思ってんだ!」
「貴様らの剣が奪った命を忘れたか!」
拳が頬骨を割る。
血が滲む。
ここは庭だ。
だが二人の目にはもう戦場しかない。
その時。
――ズン。
頭蓋を内側から叩き割られるような衝撃。
二人同時に、地面に叩き伏せられた。
視界が白く弾ける。
頭が、割れそうに痛い。
見上げる。
そこには、先ほど廊下で大の字に寝ていた男が立っていた。
酒瓶を片手に、片眉を吊り上げている。
「てめぇら」
声は低い。
「俺様の昼寝を邪魔するとは、いい度胸だな」
……なんだ、こいつ。
頭がガンガンする。
こんな重い拳、戦場でも食らった覚えがない。
視界が歪む。
意識が、沈む。
⸻
目を開ける。
天井。
見覚えのある木組み。
「いてぇ……」
頭を触る。
たんこぶ。
隣に、気配。
ゆっくりと首を向ける。
魔王。
「なっ……なんでこいつが」
その瞬間。
魔王も目を開く。
視線が交差する。
空気が凍る。
次の瞬間。
拳。
布団が吹き飛ぶ。
壁に叩きつけられる。
襖が裂ける。
紙と木片が舞う。
廊下に転がり出る。
「テメェのせいでどれだけ死んだと思ってんだ!」
「貴様らの侵攻で何人の同胞が散った!」
拳が顔面を打ち抜く。
肋骨に入る。
膝が腹にめり込む。
床板が軋む。
ここが神の宿だろうが関係ない。
目の前にいるのは、敵だ。
その時。
「おっ! いいとこ入ったぞ!」
声。
視線をやる。
さっきの酒男が、廊下の柱にもたれて腕を組んでいる。
にやにやと笑いながら。
「そうだ! そこだそこ!……ちげーよ!そこじゃねー!」
拳闘を観戦している。
まるで祭りの余興のように。
「なんで……」
勇者の拳が止まる一瞬。
「なんで笑っていられる」
目の前にいるのは、大量殺戮の元凶だ。
なのに。
男は、楽しそうだ。
⸻
「いい加減にしなさーい!!」
空気が、震えた。
振動が床を走る。
振り返る。
食。
割烹着の裾を翻し、鬼の形相で立っている。
目が、笑っていない。
「何してんのさあんたたち!」
指が震える。
「あ! 襖破れてる!壺も割れてる!さっきガラスも割ったでしょ!?」
一歩、踏み出す。
床が軋む。
「祭!」
怒鳴られた男が飛び上がる。
「な、なんだよ食さん!」
「なんで止めないの!」
「いや!今止めようと……!」
「止めてないでしょうが!」
空気が冷える。
祭と呼ばれた男の顔から血の気が引く。
「しゃーねぇな……」
祭が両手を合わせる。
ぱちん、と乾いた音。
その瞬間。
勇者の身体から力が抜ける。
魔王も同時に膝をつく。
拳が、重い。
「貴様……何をした」
魔王が唸る。
「てめぇらの戦闘力、封印したんだよ」
「封印……?」
勇者が拳を握る。
力が入らない。
筋肉が、空回りする。
祭が小声で耳打ちする。
「頼むから暴れんな。食さん本気で怒らせるとマジでやべぇから」
「貴様!邪魔をするな!」
「俺はこいつに用があんだよ!」
それでも、殴りかかる。
封じられた力でも、拳を振るう。
子供の喧嘩みたいな、弱い打撃。
だが殺気は本物。
食は、静かに二人を見る。
目が、完全に据わる。
次の瞬間。
両腕を掴まれた。
思い切り、引き寄せられる。
「封印」
低い声。
短い言葉。
その瞬間。
ぱちり、と音がした。
勇者の手と、魔王の手。
がっちりと、くっついている。
離れない。
引いても、振っても。
ぴたりと貼りついている。
祭の顔が真っ青になる。
「あ……終わった……」
勇者と魔王。
顔を見合わせる。
距離が、異様に近い。
殴れない。
離れない。
食は腕を組み、冷ややかに言い放つ。
「仲良くしなさい」
廊下には、破れた襖。
割れた壺。
そして、手を繋いだまま固まる勇者と魔王。
八百万荘は、今日も騒がしい。




