神になる代償は、人生だった
傷は、跡形もなく消えていた。
昨日あれだけ腫れていた頬も、裂けた背も、湯に染みて悶絶した傷口も。
まるで最初からなかったかのように、滑らかな皮膚に戻っている。
食卓には、湯気の立つ料理が並んでいた。
白米。
味噌汁。
焼き魚。
煮物。
湯気がゆらりと立ちのぼる。
三人は座る。
箸が動く。
静かな食事だった。
もぐ、もぐ、と咀嚼の音だけが部屋を満たす。
そのとき、食がぽつりと問う。
「結局、神界で話は聞けたのかい?」
箸が止まる。
勇者が口を開いた。
「……こいつが犬助けたからな。神に囲まれてボコボコにされた。聞くどころじゃねぇ」
魔王は味噌汁をすすり、淡々と続ける。
「神というのは、どんな存在だ。最上位だと言っていたが……全く尊敬に値しない」
その視線が、食に向く。
静かな、しかし鋭い問い。
食は一瞬だけ苦笑いを浮かべた。
「神様はたくさんいるからね」
箸を置く。
「たくさんいれば、いろんな神がいるさ。優しいのも、冷たいのも、傲慢なのも」
間。
「……それにね、神になると過去の記憶がなくなるんだよ」
空気が、止まる。
勇者がゆっくり顔を上げる。
「過去の記憶が……なくなる?」
魔王の瞳が細くなる。
「何故だ」
食は、遠くを見るように微笑んだ。
「全員、過去を捨てて神になるんだよ。人だった頃の痛みも、愛も、怒りも、全部ね」
静かな声。
「だからあたしも、どうして食の神になったのかは分からない。覚えていないんだ」
箸が、かたりと音を立てた。
勇者の拳が、膝の上で握られている。
「……そんなの、おかしいだろ」
低い声。
魔王が続く。
「記憶を失い、痛みを忘れ、誇りだけを掲げる。……それで何が最上位だ」
勇者が立ち上がる。
「記憶を捨てて神になるとか、やばいだろ。決めたやつに言わねぇと」
魔王も、静かに立つ。
「同意だ」
二人の視線が交差する。
今度は、敵意ではない。
「どこに行くんだい?」
食が問う。
勇者と魔王は、同時に口を開いた。
「「天界」」
一拍。
勇者が横を見る。
「真似すんな」
魔王が睨む。
「貴様こそ」
だが、どちらも笑っていない。
本気だ。
食は、二人を見つめる。
しばらく、何も言わなかった。
やがて、静かに息を吐く。
「……戻ってきな」
それだけだった。
八百万荘の空気が、わずかに張り詰める。
神になるか。
それとも。
神を変えるか。
候補生たちの物語は、次の段階へと足を踏み入れた。




