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第63話:恋する乙女は異世界で運命の相手を錬成するようです・1

【4/1 6:00】


 ピピピ……


「朝っ!」


 覚醒した花梨の腕が跳ねた。鳴り始めた目覚ましを一発で止め、足をベッドから垂直に振り上げる。


「起きろーっ!」


 勢いを付けて上半身を起こし、遮光カーテンを思い切り引いた。朝六時の眩い光が雑然とした部屋を満たす。

 そしてダブルベッドを覆う大きな布団を引きはがした。それを被って寝ていた切華がビクンと震えて手足を縮める。何度見ても石の裏に隠れていたダンゴ虫のようだ。


「おき……沖の宮……」

「どこだよ」

「オキ……シ……クリーン……」

「昨日使ったね」


 切華は訳の分からないうわ言を呟きながら何かを求めて手をばたばたと空に広げるばかりだ。

 切華は朝に弱い。絶望的に弱い。常に凛と振る舞う切華の唯一の弱点がこれだ。

 起き抜けは意志疎通すらできず、何度揺すったところで絶対に覚醒しない。あんまりにもあんまりな状態を一度録画して見せたことがあるが、「誰しもが弱点の一つ二つはあろう」と全く取り合わなかった。太陽光を浴びせていればじきに起動するのでそれを待つしかない。


「先に降りてるからね!」


 朝の時間は貴重だ。

 悶える切華を尻目に、花梨は朝からトップスピードで動く。顔を洗って身支度をして制服に着替えるまで十分もかからない。階段を駆け下りて広いキッチンに飛び込んだ。

 四人分の朝ご飯を作らなければならないが、準備は昨日寝る前にだいたい済ませてある。今ちょうどタイマー通りに炊飯器が米を炊き上げたところだ。

 まずは花梨と切華の分。二人ともレパートリーにはそれほどこだわらない方だ。レシピは毎朝だいたい同じでいい。

 鍋二つに水を入れて火にかけ、その隣でハーフベーコンを二パック開けて大きなフライパンに並べる。焼いている間にレタスを千切って梅紫蘇味のドレッシングを回しかけた。ヨーグルトを皿に移してブルーベリージャムを投げ込む。

 続いて茶碗一杯分の米をしゃもじで取り、沸騰した鍋で茹で始める。昨日の夕食で余った鮭の身をほぐし入れ、卵を割り入れてから塩で味を調える。昨日は夜泣きが酷かったし、あまり眠れず疲れているだろうから身体に優しい味付けにしてあげよう。

 棚から箸やコップも出していくとそろそろキッチンが一杯になってきた。出来た分から一旦ダイニングテーブルに運んでいく。

 両手に皿を持ってリビングに歩き始めたところで、ふとリビングのカレンダーが目に入った。


「あれから一年か……」


 今日は四月一日。大型トラックに轢かれてからちょうど一年が経った。花梨も無事に進級して今日からは高校三年生だ。

 テレビ台の隣に置かれた姿見に映る自分の姿を見る。自分で見ても変わったのは制服のネクタイの色くらいだが、周囲からは「ずいぶんたくましくなった」とよく言われる。もっとも、高校一年生の頃に比べればかなりマシだとは自分でも思う。


「やばっ」


 よそ見しながら歩いていたらコードに足を引っかけた。部屋がすぐ汚れるので掃除機を出しっぱなしにしているのだ。

 宙に浮いた身体が床に向かってダイブする。両手が皿で埋まっていてどこかに掴まることもできない。


「花梨!」


 階段を三段飛ばしでジャンプしながら切華が叫んだ。

 風のように床を駆け、三角飛びで壁を蹴って花梨の前に飛び出す。片手の指で皿を二枚それぞれ挟んでキャッチし、ついでに余った手で花梨の腰を抱きかかえた。


「怪我はないか?」

「ああうん、ありがとう」


 颯爽と助けに入った切華の歯がきらりと光るが、さっきまでの醜態と相殺してプラマイゼロというところ。

 切華は制服ではなくカジュアルなスーツを纏っていた。レース状のアクセントが入ったシャツに薄いストライプ柄のズボン。長身ですらりとした体型によく似合っており、麗人らしい格好にはAAの姿を思い出す。

 切華は今日から大学生だ。学期が変わるだけの花梨とは違って隣町の大学に通学することになる。家を出て一人暮らしも考えていたらしいが、櫻家にはまだもうしばらくは人手が必要だ。


「あと作るのは離乳食か?」


 切華はキャッチした皿の中身とキッチンを一瞥し、朝食の進行状況を把握する。


「そう、諸々ミキサーかけるだけ。もう一歳だし粗めでいいけど」

「応、任せておけ。芋はどこだ?」

「冷凍庫の右のほう」

「応」


 電源が入った切華は頼りになる。起き抜けの惨状が嘘のような身体裁きで残りの料理を進め、少し固めに作った芋ご飯を味見して頷く。

 二人いると作業も早く、ちょうど朝の食卓が完成したところで和室の扉が開いた。


「おはよー……」


 撫子が目を擦りながら起きてきた。

 案の定、足取りはもそもそと重い。目の下にはうっすらと隈が出来ているが、その腕に抱かれた赤ちゃんは満足げに寝息を立てていた。


「おはよ。昨日は大変そうだったね」

「まあね~……この子もあんまり寝てないし、やっぱり出かけるのは無理そうね。悪いけど入学式はオンラインで見てるから」

「応、録画配信もある。食べたらまた寝ておくといい」

「そうね……悪いけど、書類は学校に出しておいてもらえるかしら」


 花梨は撫子から休学周りの書類を受け取った。

 撫子は高校を無期限で休学し、一歳になってもまだまだ手がかかる赤ちゃんに付きっ切りの暮らしを送っている。このまま退学してしまってもいいとは言っているが、きちんと身の振り方を考えるのはもう少し育児が落ち着いてからでいいだろう。

 これでリビングに四人が集まった。三人が席に着き、赤ちゃんをベビーチェアに乗せてようやく朝食が始まる。


「いただきます」


 この一年の間に、花梨はすっかり櫻家の一員として家族同然に馴染んでいた。

 転移争奪戦が終わってから判明したことだが、廿楽家と櫻家は意外と距離が近かった。細い道を二本挟んでいるだけ、歩いて三分もかからない。

 花梨は姉がいない家で一人過ごすのも寂しく、子供が産まれたばかりで忙しい櫻家を訪れては色々と手伝うようになった。やれることはいくらでもある。家事をこなしたり病院に付き添ったり食事を作ったりしているうちに泊まることも多くなり、荷物もだいぶ運び込んでしまった。今では元の家に帰る方が珍しい。だいたい櫻家で生活しているような状態だ。

 妊娠一ヶ月だったはずの撫子が元気な赤ちゃんを出産した件については病院でも散々不思議がられたが、もう現に生まれてしまっていることに対してどうこう言っても仕方がない。新しい生命には辻褄が合わないことも吹き飛ばしてしまうエネルギーがあり、よく似た別人の悪戯だろうという苦しい結論に落ち着いた。

 しかし、そう乱暴に片付けられないのは治安維持方面だ。転移候補の多くは死亡や行方不明の扱いになった。幸いにも無関係の市民に死者はほとんど出ていないとはいえ、怪我人や器物損壊や建造物破壊はいくつもある。今も市内では他県からも増員した警察のパトロールが強化されている。

 一応警察にも出頭はしてみたものの、まともに相手をされなかった。チート能力がどうこうと言ったところで通じるはずもない。三人揃ってこっぴどく叱られて追い返されてそれきりだが、切華は月夜を偲んで毎晩手を合わせている。

 朝食を済ませた花梨と切華は分担して食器を洗ったあと、揃って玄関に並んだ。


「あれ、そっちももう出るの? 入学式は昼からでしょ」

「小道具を返し忘れていた。後輩に届けるついでに高校まで送っていく」


 切華は大きな刀を軽く振ってみせた。

 もちろん真剣ではなく演劇用の模造刀だ。アルミ製で刃の入れようもないが、それでも切華が持つと竹くらいは切れそうでヒヤッとする。

 争奪戦の後、切華は演劇部に入った。もともと容姿やスタイルが優れている上に体幹が強く体力もあり、声もよく響いて物怖じしない。文化祭では女性陣からの黄色い歓声が絶えず、まるで宝塚のような有様になっていた。大学でも既に演劇サークルから声がかかっているらしい。血は争えないとはよく言ったものだ。


「んー、いい朝」


 花梨が家の前で大きく伸びをすると、目の前を大型トラックが通り抜けていった。思えば、ここで足を踏み出したところから全てが始まったのだ。

 そして終わりはどうだったか。結果だけ見れば、知り合いが何人も死んで、復活した姉を喪った悲惨な三日間だったかもしれない。

 それでも花梨にとっては悪い思い出ではなかった。別に誰が悪かったわけでもない。黒幕も悪役もいない。皆が自分のために戦っただけだ。

 席が限られているなら、納得尽くで殺し合うことくらいはあるだろう。ぶつかり合う中で理解できることもあって、こうして新しい人間関係が生まれたりもする。姉がいなくても世界は回っていくし、それでも日は昇るのだ。

 ようやく新品の革靴を履いた切華に向かって、振り返った花梨の目には細い黒縁の眼鏡がかかっていた。


「あれ、目が悪かったか?」

「伊達眼鏡だよ。そういう気分なんだ。今日はね」

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