第62話:根暗陰キャは異世界で友達を増やしたいようです・9
「陣痛だよ、撫子さん」
「何が?」
「その腹痛が。理李ちゃんの『加速』は自分の時間を全部まとめて加速するんだ。体内時計も、胎内時計も」
「……」
「たぶんもともと妊娠一ヶ月くらいだったよね? 病院で切華ちゃんは『先週妊娠がわかった』って言ってたし、つわりも特に来てないみたいだったしね。そこから九ヶ月も進めれば出産月が来る」
遠くからサイレンの音がする。一つではない。いくつかわからないほど重なっている。
無理もない。付近のトラックが同時かつ大量に故障する事故が起きた直後だ。一応トラックは可能な限りゆっくり停車するように操作したし、エンジンもなるべく延焼しないように破壊したが、何件かは交通事故が起きているだろう。
「この感じだと救急車が来るまで時間かかるかもだし、準備しておいてよかった。ここに来る前に図書館で自然分娩のやり方を調べておいたんだ」
気付けば花梨はマスクと手袋を付けてブルーシートを敷き、水が入ったタライや大量のタオルをそこら中に並べていた。アルコール消毒薬やガーゼまである。今まで戦っている間、花梨は無人レンタル所のテント裏で持ち込んだ出産道具を準備していたのだ。
花梨が下着を脱がせると、もう赤ちゃんの頭が半分出てきていた。今日はたまたま着ているのがスカートで良かった。花梨が片手に持った本と見比べながら落ち着いて撫子に声をかける。
「もう分娩第二期かな? 無理やり進めたから早いね。どう、大丈夫そう?」
「……大丈夫……ではないけれど。まあ、あなたよりも小さいときに一人産んでるしね……それに比べればだいぶ楽……」
「そっか。何でも言ってね」
花梨は撫子の手を優しく握り、タオルで額を拭く。人の手に触れているだけでだいぶ気分が楽になる。
かつて切華を産んだときを思い出す。思えばあのときは緊急入院して手厚い待遇を受けていたが、それでも不安で胸が圧し潰されそうになっていたものだ。
今は三日前に会ったばかりの素人の女子高生に河川敷で介助されているという実に心許ない状況だが、気持ちはだいぶ落ち着いている。一度経験したからとか、年を取ったからとか、変に身構える時間がなくて唐突なのが却って良かったとか、理由は色々あるだろう。
あとは、花梨の顔を見ていると安心するとか。花梨の落ち着いた雰囲気はベテランのそれにも匹敵するものだ。出産に必要な圧迫や塗布を淡々と進め、表情にも手付きにも動揺が一切ない。撫子を安心させようと努力した結果なのか、それとも単に非常時にも強い性格なのかはよくわからない。
いずれにしても、こんな状況でも他人を安心させる振る舞いが出来る人はとても希少だ。
「あなたって……本当に太陽みたいな人なのね。お姉さんに頼らなくても、きっと一人で周りを幸せに出来る人……」
「それ女神様にも言われたよ。あ、もう産まれた」
「うそ?」
「ほんと。見える?」
大きな産声が聞こえた。
身体を起こしたとき、堤防の上に止まる救急車が見えた。車から降りてきた救急隊員に花梨が手を振って場所を伝えるが、ここまで降りてくる階段は少し迂回した場所にしかない。現場に到着するまでにはもう少し時間がかかるだろう。
花梨が笑顔で赤ちゃんを抱きかかえている。元気そうな女の子だ。
「ありがとう。なんてお礼を言ったらいいか」
「どういたしまして。ところで、零時五分まではまだ少し時間があるけど」
花梨が空を指さした。万天時計が示す時刻は零時四分を回ったところだ。AAは依然として文字盤の上に腰かけていた。
「あと五十八秒だけ、私たちはチート能力が使える」
「そうね。今のうちにお姉さんを蘇生しておく?」
「そうしたい気持ちもけっこうあるけどね。でも、お姉ちゃんにはもう頼らないって決めたから」
「私も『模倣』を使う気力なんてもうないわ。今から何ができるわけでもないわね。お互いに」
「そうでもないんだ。言ってなかったけど、私の『蘇生』って実は姉属性の人なら誰でも蘇生できるから。弟か妹がいる女の人なら誰でも」
「そうなの。まあ、もう味方を蘇生して増やしたところでどうなるわけでもないけれど……」
「確かにもう味方を蘇生しても意味ないけど、敵を蘇生するっていう選択肢もあるんだよ。こうして色々な人ときちんと話してみる気持ちが無かったらそれには辿り着かなかったと思う」
「敵を蘇生する……?」
撫子の呼吸が止まる。今この瞬間、大前提が変わったことに気付いたから。
そして、いまや全ての説明が付いてしまうことにも。三人の死亡、出産の意味、そして戦いの結末。
「一度は席に座った人を立たせる方法が一つだけあるんだ。私の『蘇生』だけはそれができる」
「……まさか……いやまさか、そういうこと? そんな勝ち方って思い付く?」
ようやく理解する。全ては作戦通りだったことを。
きっと想定外のアクシデントや即興のアドリブは無数に有りつつも、最終的にはこの状況に持ち込むために花梨も理李も小百合も霰も動いていた。このバーベキュー会場に来た時点で撫子に『加速』をコピーさせて胎内時計を進めさせ、子供を出産させることまで想定していたのだ。
それがチート能力『蘇生』の発動条件だから!
「気付いてみれば簡単なことだったんだ、逆の手順でもいいんだって。姉属性の人を探して蘇らせるんじゃなくて、蘇らせたい人を姉にしちゃえばいいってさ。いま妹が産まれた瞬間から切華ちゃんは姉になった。『蘇生』の対象に入った」
万天時計が終わりを告げるまで、残り十秒。花梨が地面に滴る肉片に手の平をかざす。
「蘇生対象者は異世界からでも、異世界の一つである天国からでも魂を引き戻されてこの世界に戻ってくるんだ。それはお姉ちゃんを蘇生したときに確認した」
残り五秒。『蘇生』が発動し、白い光が河川敷を包んだ。
「そして転移できるかを判定するのは零時五分で、そのときまでには死んでないといけない。これはAAに確認したこと」
残り三秒。散らばる肉片が消滅し、代わりに切華の身体が形を成した。
「それってつまり、零時五分の時点で蘇生してる人は転移の条件を満たさないってこと」
万天時計が零時五分を指した。最後に舞った金粉の余韻を残して時計盤が宙に溶けていく。
「これで条件をクリアして異世界転移できるのは理李ちゃん、小百合ちゃん、霰ちゃんの三人だけ。だよね? AA」
「仰る通りです。このたびはお手数をおかけしました。それでは失礼します」
AAはいつも通りに無機質な声を発して軽くお辞儀をした。そして大きく翼を広げると、その姿は一瞬で見えなくなった。
同時にチート能力と女神の祝福も消滅する。ここにいるのはもうただの女子高生が三人と、赤ちゃんが一人だけだ。
ようやく救急隊員たちが臨時出産場に辿り着き、撫子と赤ちゃんを担架に乗せて運んでいく。命を奪うトラックではなく、命を救う救急車へと。
花梨も未だ混乱している切華の手を引いて救急車に乗り込んだ。
「いつかはきっと、妹だって一人立ちするときが来るんだ。でも、せめてそのときまでは隣にいてあげよう。甘えたいときにお姉ちゃんがいないのはすごく寂しいから」
こうして異世界転移を巡る戦いは幕を閉じた。
死亡者七名。朧月夜、阿久津リール龍魅、石落灯、相良涼、廿楽姫裏、病羽穏乃、神庭霙。
生存者三名。廿楽花梨、櫻撫子、櫻切華。
転移者三名。雨之理李、綾小路小百合、神庭霰。




