12話
「はあ……」
これで何度目の溜息だろう。ベッドでごろんと転がる。
吉野とはお互い絵を描くこともありなんとなく馬が合って、1年の時からつるんでいた。
お調子者な面もあるが良い奴だ。すごく。
俺が女になって転校してからしばらくは、吉野から毎日のように連絡が来ていた。
病気の関係で会えないことや返信もあまりできないことを伝えていたから、一方的なメッセージが来るだけだった。
次第にその頻度もだんだん減ってきて、もしかしたらもう会うことはないのかもしれないと思い始めていた。
その矢先に昨日の話である。
千春によると、吉野は俺のことが異性として気になっているらしい。
それで俺の従兄弟ということになっている千春に、連絡先を教えてくれないかとしつこく頼み続けているということだった。なんでも一目惚れだとか。わざわざ大事な話なんて言うから何事かと思ったが、確かに俺からしたら泡を吹いて卒倒しそうになるくらいにはインパクトのある話だった。
そして吉野には非常に申し訳ないが聞いた瞬間悪寒が走ってしまった。
もちろん俺は吉野を友達としてしか見たことがない。恋慕されるなどと誰が予想できただろうか。
口癖のように彼女が欲しいとは言っていたがよりによって俺はないだろう。冗談であってほしい。
一目惚れということは、千春の嫌がらせによって着飾った姿のせいで惑わされてしまったのかもしれない。男の時は一目惚れされたことなどないのだから、複雑な心境である。
というか俺に似ているなんて言っていたのにどういう神経をしているのか疑問だ。俺への恋しさで何か惹かれるものがあったのか。いやそれはない。自分で言っていて吐き気がした。
大体受験前に何浮ついてるんだよ、勉強しろよ。
ただでさえ佐伯のことでショックなのに、とどめに吉野の話をされた俺は頭がくらくらしてきて、そこに下腹部の痛みが重なった。後はもう気絶である。意識を失った俺は気が付くとベッドにいた。お袋から千春が俺を家まで運んできたと聞いた。もちろん色々と問い質され、最悪という外なかった。
再び溜息を吐いた時、ノックの音がした。
「具合どう?」
お粥を手に入ってきたお袋が、ベッドに浅く腰掛ける。
「まだ痛むけど昨日よりマシ」
「あんたが生理痛とか信じられないわ。本当に女の子になっちゃったのね」
「女になってからうんざりするほど規則正しく来てるよ。今回は予定より早かったみたい。未だに慣れないし、この体になってからろくなことない」
言いながらチクチクと痛む腹を擦る。
「明日学校休んだ方がいいんじゃない? 今日おばあちゃんの所に帰ることになってたけど、倒れたんだから安静にしていた方がいいわよ。疲れも溜まってたんだと思うわ」
「んー……そうしようかな」
3年のこの時期は授業らしい授業もない。調子もいまいちだし、1日くらい休んでも支障はないだろう。
「その方がいいわよ。おばあちゃんには連絡しておくから」
「お願い。そういえば兄貴は?」
「真斗ならあんたが寝てる間に帰ってきてまた出てったわよ」
「忙しいんだな」
「どうだかね。これ置いておくわね。まだ熱いから気を付けて食べて」
「うん。ありがとうお袋」
「それにしても、まさか千春くんに話したとはねえ……」
お袋がしみじみと言った。
「好きで話した訳じゃねえよ」
「なーんか怪しいわよね。特段仲が良かったようにも見えないけど。昨日こっそり会ってたんでしょ。絶対何かあるじゃないの」
「たまたま会っただけだって言ったじゃん」
ふーん、とお袋はニヤニヤしながら俺を見た。
「そうだ、いざとなったら」
「嫌だ」
「まだ何も言ってないじゃない」
「あいつのことでからかわれるのはうんざりしてるんだよ」
「冗談よ冗談。それはさておき、千春くんにお礼くらい言っておきなさいね。お姫様抱っこで運んできてくれたんだから」
「そんな情報いらない……」
あいつに軽々運ばれたなんて、情けなさで凹む。
「いい? わかったわね?」
「ハイ」
ばあちゃんといい、お袋もおっかないところがある。
お粥を食べ、歯を磨いてからベッドに潜り込む。普段は何かしていないと落ち着かないタイプだが、今日は何もやる気が起きない。
ベッドでだらだらしている内に夕方になった。
飽きてきたので流石に起きることにした。
「お袋、ちょっと散歩してくるけどついでに何か買ってくるものある?」
「具合はもういいの?」
「ヘーキヘーキ」
「昨日と違ってまだ明るいから大丈夫よね」
「心配しすぎなんだよ……」
「知り合いに会うかもしれないわよ」
「もういいよ。どうせ俺だってわかんないし」
誰も男が女になったなんて思わないだろう。気付いた奴なんて千春くらいだ。今まで気にしすぎていたのかもしれない。
「まあ、あんたがそう言うなら」
お袋から食材のメモを受け取り、スーパーへ向かった。
自転車で行こうかと思ったが、そんなに重いものは買わないし歩くことにした。
住宅街から大通りに出る。歩行者の姿はまばらだった。地方都市の外れの地区ということもあって、車の方が圧倒的に多い。
最寄りのスーパーまでは歩いて約30分かかる。この頃めっきり歩かなくなったからいい運動だ。
中に入ると大勢の客で賑わっていた。
何人か見知った顔があったが誰も俺を気に留めない。
やっぱり杞憂だったのかもしれない。
お袋に頼まれたすき焼き用の肉を探していると、背後から声を掛けられた。
「あのーちょっとそこいいですか」
どう見ても吉野だった。ここまで偶然が続くとは、もはや運命なのか。なんで今来るんだよ。狙ってるのか?
「そこの商品取りたくて」
「すみません」
「いや、失礼しました」
どうやら俺があの時の女だと気付いていないようだ。吉野は肉を手に取ると、さっと通りすぎていった。今日の俺は着古した男物のパーカーにジーンズといった格好で、念のため伊達眼鏡までかけている。髪も下ろしっぱなしなのですぐに同一人物だと思わないはずだ。
安心して胸を撫で下ろしていると、去ったはずの吉野がちらちらとこちらを振り返っていることに気付いた。
嫌な予感しかしない俺は、素早く肉をかごに突っ込み速やかに会計した。
帰り道、茜色から濃紺に染まる空を眺めていてふと思った。
本当にこのままでいいんだろうか。
この先俺が打ち明けない限り、吉野が白崎まことに会うことはきっとない。
俺が周りと衝突した時は、いつも吉野が間に入ってくれた。
学校だけじゃなく休みの日も2人で絵を描いた。連休には遠くまでスケッチに行ったり、美術館に行ったりした。
結局、俺は逃げているだけだ。好奇な目で見られたり、気持ち悪いとか思われるのが嫌だから。
本当はずっとわかっていた。
あいつは俺の秘密を知ったって、誰かに不用意に話したりからかったりする奴じゃない。
スマホを取り出し、電話をかける。
すぐに繋がった。
「白崎くん!? 具合はもういいの? ごめん、僕のせいで……」
「お前のせいじゃない。気にすんな。昨日は迷惑かけたみたいで悪かった」
「迷惑なんて思ってないよ」
「それで吉野のことだけど」
「うん」
「俺が直接言う」
電話越しに、千春が息を呑むのがわかった。
「それって」
「あいつに全部話す」
「でも、あんなに知られたくないって言ってたのに」
「吉野はずっと俺の事心配してたみたいだから。ケリをつけなきゃ駄目なんだ 」
「………そっか」
「今すぐって訳じゃない。受験前だし動揺させてもいけないから卒業した後に言う」
「それまで僕は、吉野くんに何て言っておいたらいいの」
「本人から連絡するから待っててくれとか?」
「そんなのどう考えても向こうは期待するでしょ。それとも、君は吉野くんと付き合うつもり?」
「そんなわけないだろ……」
「あのね、彼推薦で合格してるんだって。だから卒業まで待たなくたって大丈夫だよ。どうするかは白崎くんの自由だけど」
「わかった。確かに変に間空けない方がいいよな。なんか妙なことになったけど、千春は気にしなくていい。後は俺と吉野の問題だから」
しばらく、千春は黙り込んだままで反応がなかった。電話が切れたのかと思ったが繋がったままだ。
「どうかした?」
「あ……ぼーっとしてた。ごめん」
「とにかくそういうことだから。じゃあな」
「あ、あの」
「何」
「この先もし困ったことがあったら、連絡して」
俺は首を傾げた。
「どういう魂胆だよ」
「別に変な意図とかなくて、何か力になれたらって思って」
「相変わらずお前の考えてることはわからん」
千春が俺に親切にする理由が全く見当がつかない。嫌がらせとか復讐とかならともかく。
「信用ないよね僕。……当たり前か。吉野くんとうまくいくといいね。それじゃ」
千春は抑揚のない声でそう言って、俺の返答も待たずに電話を切った。




