11話
電車に揺られぼんやりしている間に、実家の最寄駅に到着した。駅のロータリーに見慣れた車が停まっている。親父が車から降りてきて、俺に駆け寄ってきた。
「久しぶりだな! 元気にしてたか?」
「まあまあ」
「未だにその姿に慣れないんだよ。女子高生にしか見えない。まことったら全然うちに顔出さないんだもんな。薄情な奴」
そう言いながらも親父は嬉しそうだった。
「兄貴がいるじゃん」
「あいつはいたりいなかったりだからなあ。今日も夜勤のバイトで遅くなるって言ってた。それに来年は家から出ていくから。もう新社会人だなんて時間が経つのは早いね」
そんな他愛もない話をしながら親父の車に乗り込む。
車が走り出すと、窓には以前と変わらない景色が映し出される。眺めているとこの街で変わったのは俺だけのような気がして、自分が異物のように感じられた。
「ただいま」
「おかえり。本当に久しぶりね」
玄関を開けると、エプロン姿のお袋が俺を出迎えた。
「そう言うけどお袋達、ばあちゃんちにちょくちょく来てただろ」
「それはそうだけど。でもどうしたの? 知り合いにばれる~とか騒いで頑なに帰ってこなかったあんたが」
「置きっぱなしの物あるから取りに来た。ついでに部屋の整理もしたいし」
「かわいくないわね。そんなこと言ってホームシックで帰ってきたんじゃないの」
「そんなんじゃない」
お袋の指摘はあながち間違いではなかった。
思えば4月からずっとばあちゃんの家で過ごしてきた。慣れない生活で溜まっていたストレスもあってか、住み慣れた実家はいつもより居心地が良く感じた。
「やだ、もうこんな時間じゃない! あんた急に帰ってくるとかいうんだもの。ほら手を洗ったら早く夕飯食べちゃって。今用意するから」
早口で捲し立て、お袋はバタバタとお勝手に向かっていった。
「先に食べてれば良かったのに」
「こうやってまことと食事なんて久々だからな。せっかくだしいいじゃないか」
親父とお袋も2人とも機嫌が良さそうで、食卓には俺の好物ばかり並んでいる。お袋がはりきって料理している姿が目に浮かび、親不孝な自分が申し訳ない気持ちになった。
「学校生活はどうなの? 受験勉強ちゃんとしてるんでしょうね」
「やってるよ。油断はできないけど、順調だと思う」
「しっかりね」
「うん」
「それにしてもまことは女の子にしか見えないな」
「何言ってるのよ、正真正銘女の子じゃない」
「ついこの間まで息子だったんだぞ。確かにまことなんだよな?」
親父が目を凝らして俺を見る。
「今更何よ。診断書まで出してもらったでしょうが」
「そうなんだけどさ、まこととはあれから数える程しか顔を合わせていないんだぞ。でも良く見ると目元はあまり変わっていないな。前は俺に似てると思ってたけど、母さんの若い頃に似てる」
「……2人とも前の俺の方が良かった?」
「なんか様子がおかしいと思ったら、そんなこと気にしてたの? 私は娘欲しかったから大歓迎よ。でもあんた娘になっても大して変わんないじゃない。外見が変わっただけというかね。だからどっちでも同じじゃない?」
お袋が呑気に答える。それから促すように親父の方を見た。
「俺はまだ現実味がないけど、そのなんだ、息子でも娘でもうちの子には変わりないんだから気にするな。父さんだって急に性別変わるかもしれないだろ? そうしたらお揃いじゃないか」
「急に中年女になっちゃったら反応に困るわよ」
「ははは」
前から思っていたが、この両親はあまり物事を深く考えていないよな。俺はこんなに悩みが尽きないのに。少し気が抜けた。
夕食を終えて風呂に入る。
女になったばかりの頃はどぎまぎしながら体を洗っていたが、今はもう何も感じない。
これが他人の体なら良かったのに顔が俺だから全く興奮できない。前よりは女顔なんだけど、確かに俺の顔だ。
いっそ巨乳だったら色々と開き直れたのかもしれないが、残念ながら控えめである。
風呂から上がり自分の部屋のベッドに寝っ転がっているとき、ふと思い立ってクローゼットの奥に厳重に隠した箱を開けた。
成人向けの雑誌だ。気恥ずかしくてあまり買っていないので数冊しかない。
手にとってぱらぱらと捲る。女になってからこの手の本を見るのは初めてかもしれない。
見ている内に、俺はショックを受けた。
何がって全然欲情しないことに。転校して女子の着替えを見たり佐伯に抱きつかれたりして、いやらしい目で見ていることがばれたらどうしようか不安だった。
でも実際はいやらしくもなんともなかったんだろうか。
じゃあこの違和感はなんだろう。もしかして、女子は性的な対象じゃなくなってしまったんだろうか。恋愛感情は抱くけど、それだけで満足みたいな。違う。俺は佐伯を女子として見ていたし、エロいことだって想像した。
だけど男としての何かが確実に失われている。この部屋の何もかもが過去の俺なのに、今は他人の部屋のように思えた。
「そうだ、千春に会わなきゃ……」
「ちょっと外出てくる」
玄関で靴を履きながらお袋に声を掛けると、怪訝な顔をされた。
「今から? 今夜の10時よ。 いくらあんたに色気がなくても一応女なんだから危ないわよ」
「余計なお世話だ」
「心配してあげてるのに。どうしてもっていうならお父さんと行きなさいよ。変質者が出たらどうすんのよ」
「大袈裟だよ。そこのコンビニ行くだけだから大丈夫だって。すぐ戻るから」
「本当でしょうね。何かあったら大声出すのよ」
「わかったわかった」
まだ何か言いたげにしていたが、無視して家を出た。前はこんなに過保護じゃなかったはずだ。もう高3なのに、女だっていうだけで外出もままならないなんて面倒すぎる。それもこれも千春のせいだ。
いやこっちで会うって言い出したのは俺だった。まあいい。早く済ませて切り上げよう。今日は体調もいまいちだし。
待ち合わせ場所である住宅街の一角にある公園に向かってとぼとぼ歩いていると、後ろから気配を感じた。
もしかして誰か付いてきてる?気のせいかと思ったが、間違いなく俺の後方にいる。こんなことならお袋の言うとおり親父を同伴させるべきだったのか。変質者だとしたら逃げなければ。
走り出した瞬間、変質者が控えめに叫んだ。
「ちょっと待ってよ白崎くん! 」
「……なんだ、千春だったのか」
千春は俺に追い付くと、言い訳じみた説明を始めた。
「前にいるの君だろうなと思ったんだけど、声を掛けるには距離があったしどうしようかと思ってたら」
「思ってたら?」
「白崎くんが警戒したような素振りを見せた後走り出したから、あ、不審者だと思われてるなって」
「なるほど。間違ってない」
「それはさておき、無事に帰ってこられたんだね。安心したよ」
「親父に迎えに来てもらったから」
「そっか」
こいつもお袋も何がそんなに気に掛かるんだろうか。さっきの変質者は俺の勘違いだったし、俺みたいな中途半端な奴誰も襲わないだろう。
目的地にはすぐに着いた。ベンチに二人で腰掛ける。地面にはうっすら雪が積もっていた。
「ごめんね、こっち来てもらっちゃって。それもこんな時間に。大丈夫? 寒くない?」
「寒いけどこのくらい平気。早く用件を話せ」
「白崎くんはいつもせっかちだよね」
「うるさい」
「ねえ、なんでそんなに離れて座るの」
「男とくっつきたくない」
「隣に座るくらいで気にしすぎだよ……」
千春は不満げな様子を隠そうともせず、むくれた顔をした。
「わざわざ電話してきたくらいだ。さぞかし重要な話なんだろうな」
「重要かは……正直わからない」
「ふざけんな。どうでもいいことなら電話で話せよ」
軽く睨み付けると、目を逸らされた。
ややあって、千春が躊躇いがちに口を開いた。
「吉野くん、白崎くんのことが気になるんだって」




