第五十四話 凶夢
――なんだろう、この異様な冷たさは。
身体にエーテルでも流し込まれているようだ。もしくは、グランディに凍らされているか。
身体を起こし、辺りを見回す。
すると、床で短剣を研いでいるメルクリオの姿があった。
少し様子がおかしい感じがするが……。
……どうやら僕はメルクリオのベットで寝ていたらしい。
「あー……悪かったなメルクリオ。まさか、僕があの植物に飲まれるとは思わなかったんだよ」
申し訳なさそうに言葉を口にしたつもりだったが、こちらを無視し研ぎ続けている。
そんなに気に触れちゃったかな。もしかして、このまま殺されてしまうのか……。
「なぁ、メルクリオ。無視しないでくれよ」
側に寄り、肩に触れようとした時だった。
――自分の手が、すぅっと消えたのだ。
「えっ……どういう?」
手を引き戻すと、確かにそこに手はあった。触れようとすると消えるのだろうか。
……どうなっている? 思考が全く追いつかない。
僕、メルクリオに見えていないのか? 声も届いていない?
「死んだのか……?」
ジャーダは「昏睡状態になる」と言ってはいたが、死ぬなんて聞いてない。
そんな簡単に死ぬのか? 数々の拷問に耐え抜き、致死量の出血をしても奇跡的に生きてきた僕が? こんな雑草ごときで?
まぁ、死にたかったから死んでも良かったんだけどさ、なんか拍子抜けしちゃうなぁ。
あーあ、阿保らしい。何なんだよこの人生は。
「――殺す」
メルクリオは妖しい光を放つその短剣をしまうと、机の上に合ったアンプルの中の液体をを3本飲み干した。
アンプルを雑に放り投げ、ガシャンと割っていく。
明らかな殺意――というより、この世の全ての憎悪を身に纏っているような様子である。
ここまで恐ろしい姿は見たことがない。一番怖かった時でも魔法で封じれば何とかなると思ったが、そんなどころではない。
例えるならば悪魔……いや、そんな生半可なものじゃないかもしれない。
「な、なにを殺すつもりだよ……」
声が届くはずもなく、虚ろな目をしたメルクリオは廊下へと出た。
不気味なくらい足取りはしっかりとしており、確実に獲物を刈り取る意志が感じ取れた。
そして、メルクリオは何の躊躇いもなく、僕の部屋のドアを触手のようにうねらせた水銀で木っ端微塵に破壊した。
「はっ……? 僕を殺すのか?」
メルクリオに恨まれる筋合いは何個か思い付くけど、僕はもう死んでるしな……。
しかし、この世界は僕が思っている以上に壊れていた。
「――っ!? メルクリオっ!?」
今、この言葉は確かに僕が叫んだ。
だが、僕ではない。矛盾しているが、僕じゃないのだ。
あの部屋にいる僕が叫んでいたのだ。
それに、メルクリオにはその姿ははっきり認識されている。つまり、向こうが真正だ。
じゃあ、僕は誰だ……?
「待て、メルクリオ。どうしちゃっ――」
言葉を遮るように水銀で首を締めあげる。
手加減など全く感じられないほど殺気が彼を支配していた。
「ぐぁっ……!? や……」
『僕』は受け身もろくにとれず本棚へと叩き付けられた。
あんなの当たりどころが悪かったら普通に死ぬぞ……。あそこまで怒らせるような真似をしたのか?
『僕』はふらふらとよろつきながら「ごめんね……ごめんなさい……」と泣きじゃくりながら謝っていた。
頭を打っているのか視点があやふやである。
そんな『僕』を見ながら短剣を取り出すと、胸ぐらをつかみ首に刃を添えた。
「……せめて、我が血肉となれ」
綺麗に『僕』の頸動脈を引き裂き、おびただしい量の血が噴き出る。
そして、声にもならない叫びが耳の中でこだました。よくいう断末魔だ。
こんなにも一瞬で命が尽きる――知りたくもない情報だ。
さすがに僕でも耐えかねない光景である。自分が殺されているのだから。
メルクリオは淡々と『僕』の肉体を裂いては肋骨を折り、楽しんでいるように見える。
この時ばかりは僕でも狂っているとしか思えなかった。
逃げ出したかったが、身体が思うように動かない。
まるで、壁に貼り付けられているかのように。
……この演劇が終わらなければ出れないのだろう、と察しは付いていた。
これは、夢だ。夢の中で金縛りにあっている。
「……さて、いただこうか」
メルクリオの目線の先にあるのは、もう脈打っていない心臓だ。
あぁ、やめてくれ。こんな夢早く覚めてくれ。オスクリタの方がマシに見えてくる。
肋骨を折っていたのは、心臓を喰らうためだ――
魔術師の心臓を喰らうとより強力な力を手に入れることができるとされている。
が、実際のところ眉唾物である。もし本当であれば、魔術師は全員殺し合っているはずだ。
まさか、そんなことのために僕を喰らうというのか……?
――獣の如く心臓を引きずり出し、恍惚そうな表情を浮かべながらかぶりつく。
嗤いながら滴る血を飲み干す姿はもう、普段のメルクリオとは全く似ても似つかないものだった。
顔を血が染め上げようと構わず貪り尽くし、ものの数秒で全て体内に入れてしまった。
「あぁ……あっははははははっ!! 皆、死ねばいいんだよ。こんなポンコツども使い物になりゃしない。何一つとして意味を成さない――」
嫌だ……嫌だ……。こんなメルクリオは知らない。知りたくもない。
どうか、元のメルクリオに戻ってくれ――!




