第五十話 不可能
「ん……あれ?」
メルクリオはバツが悪そうな表情を浮かべながらアンヴィを見やる。
場を紛らわすために緑色の宝飾の施されたバレッタを取り出して雑に髪をまとめた。
いつもは銀のヘアクリップなのに、あんな綺麗なものを持っていたのか。
そして、左手を軽く短剣に当てていた。
アンヴィを殺さないとは思うから、おそらく自らを――
ビーネは「あー……」と小さく声を漏らしながら首を掻いている。ごまかす時によくやる仕草だ。
これはもう、一つしかないよな。
「おまじないだ」
腕を大きく広げ大袈裟なポージングをし、目を瞑りながらバレバレの嘘を吐く。
4歳にはどういった行為か分からないだろうし、賭けに出たのだろう。
「なんのおまじない?」
「えっ……一族の繁栄を願っただけだ」
「すごいね! おどりながら宙に浮いてるピエロさんみたいだった!」
これは皮肉なのか、それとも特に含んだ意味はないのか……。
ビーネと真っ先に目が合った。お互い、深い意味はなくても「これはヤバい」と勘付いていた。
一瞬場が凍り付いたが、僕たちの思案とは裏腹に、メルクリオはその場を壊すように吹き出して笑い出した。
「ふ……あっはははははっ!! 俺がピエロか、言い得て妙だな! まだ諦めるのは早そうだ」
「いーえてみょー?」
アンヴィはきょとんとしていたが、僕たちは内心ほっとしていた。
本当にこの場で首を短剣で掻き切るかと思ったよ。アイツはやりかねない。僕より怖いことするもの。
しかしまぁ、アンヴィが来てから笑うようになってくれたな。
「アンヴィちゃん、言い得て妙っていうのはね、とても上手な表現という意味だよ」
「じょうずだった? わーい! やったー!」
アンヴィは全身で喜びを表現している。
……若いっていいね。僕もこれくらいで大喜びしたいものだ。
「希望をもたらす者……。やはり、面白いものだな」
小声でメルクリオが呟いたかと思うと、腰に付けていたアンプルをビーネに手渡した。
「……ようやくできたから試しに使ってみてくれ。傷に塗るといい」
「おっ、ラッキー! じゃあ、デュンケルのお話ということでいい?」
「俺は興味ないけど、仕方ないな」
ビーネは子供のように輝いた目でアンプルを眺めている。
中は特に何も変哲のない透明の液体が入っているだけである。
「……何作ったんだ?」
「簡単に言えば、虫専用の治癒薬だな。長年まともな薬がなかったから作ってやった」
「なんで敵を強化してるんだよ……」
「製法は教えてないからな。俺から買うしかない」
「なるほど、理にかなっているんだな。……というか、アイツら人間じゃなくて虫なのか?」
「人間でも虫でもないぞ。混合だ。だから血が赤くない奴がいるんだぞ」
「そういうことなのか……。知らなきゃよかった」
何度かシュピネの奴らと争ったことがあるが、血じゃなくてべっとりとした透明な体液が出てきたりするから怖かったんだよな。
「で、デュンケルのことだよね。相変わらずまぁまぁヤバいことやってるよ。……アンヴィちゃんにはちょっと刺激が強すぎるかも」
「じゃあ、俺はアンヴィに生誕の儀の締めを教えておくか」
メルクリオは有無を言わさず軽々とアンヴィを持ち上げると、抱きかかえながら自分の部屋を後にした。
本来、出るのは僕たちの方なんだけどな……。
扉が完全に閉じ切ったのを確認して、ビーネはすぐさま話題を切り替えた。
「……お前んところの血族は死にたがりしかいないのか? でも、俺が助けに入ろうとした瞬間、首吊ったまま当人に蹴り飛ばされたぞ」
「嘘つけ、首吊った状態でどうやったら動くんだよ……」
「本当だって! ピンピンしてたよ。だからアンヴィはピエロって言ったんじゃないか?」
「にわかに信じがたいがな」
「俺だってびっくりしたよ! アンヴィちゃんの目の前で首吊ってるんだぞ!? 暇だから城の周り旋回してたけど、心臓止まるかと思った」
「諜報してただけだろ! お前も敵だか味方だかよく分からない奴だな……」
話し方からしてだましている感じではない。
全部本当なんだろうが、人間じみた挙動ではないし何のために吊っていたのか説明が付かない。
メルクリオは確かに頭がおかしい(いい意味で)。おかしいとはいえ、理由がないことはやらないはずだ。
「怖い、アルジェント怖すぎる。オーロが理由付けて殺したくなるのも分かる」
「アイツらは理由なく殺していると思うが」
「マジでトラウマものだよ……あんなの。よく考えてみたら、窓が開いてたのはわざとだったのか……?」
さっきよりビーネの血の気が引いているのが見て取れる。
僕が同じ立場だったら、足がすくんで動けないだろうな。
「デュンケルの話は今度するよ……。今日はもうダメだ。災難だ」
ビーネは蜂に変化すると、力なくよろよろと空に飛んで行った。
なんか、こんなに寒いしちょっとした風で死んじゃいそうだな……。