第四十六話 憎悪のフレーバー
「ん……ディマ?」
アンヴィは目をパチパチさせながら、僕の方をぼーっと見ている。
まだ事を理解できていないようだ。
普通、あの場で死んだと思うよな。僕も死ぬ気で演じたからね。
今思い出すだけでもゾッとするよ。あれが数時間前だったことさえも……。
「ディマだよアンヴィ。寂しかったね」
声を上げ、泣きじゃくりながら抱き着いてきた。
僕はただ背中を撫でながら懺悔の言葉を心の中で呟いていた。
あぁ、これから何度彼女を傷つけることになるのだろう。神よ、赦してくれ。
「もう、いなくならないから。安心して」
それに答えるようにわぁわぁと泣きながらより強く体にしがみついてきた。
あの城で会ったとはいえ、寂しさはそう消えないものだな。
大丈夫さ……。何かしらの意図があってここに預けたのだから。
虐待から逃れるため以外の、何かが――
彼女が泣き止むまで、虚無を感じながら欠けた月を見上げていた。
*
――香るミントのフレーバー。
夜風にあたりながら一人煙草を吹かす男。
気怠そうに果ての海を見つめ、時間を溶かしている。
ははっ、俺が人間じゃないなんて疑われるとはな。
パチモンがいるせいで変に疑われる。
……その前に、人間というものが存在しているのかも微妙ではあるが。
こんなことを考える俺は、本当に人ならざるモノかもしれないな。
「いやぁ、君は煙草が映えるねメルクリオ。黒檀に銀細工を施した煙管なんて君くらいしか似合わんよ」
尊敬するようなまなざしでランポが独り言を言っている。
別に、好きで吸っているわけではない。暇だから吸っているだけだ。
この煙管だって、アイツから貰わなければ使ってない。使っていることを証明するために目の前で吸ってあげているだけだ。
「どうだい? 新しいフレーバーは」
悪くはない。興味はないが。
ちょっとツンとくる感じだから煙が目に入ると痛い。
若干後に引く甘さもあるので飽きる感じはしないな。
「……吸ってくれているってことは気に入っているんだろうと信じておくよ。表情を見る感じ、煙の匂いは分かるんだね」
何も言うもんか。誰のせいでこうなったと思っている。
お前らが興味本位で――
……いや、魔術師自体が悪だ。
俺だって生きたくて生きてるわけではない。死ねないから生きているだけだ。
こんな身を、誰が望んだという?
俺は決して望んでいない。お前らが勝手に施しただけだ。
本来なら皆殺しレベルだよ。俺の半生はずっと殺意しかない。
「そう睨まないでくれよ。僕らを殺したい気持ちはありありと伝わってくるけど、君は――」
自己保身は聞き飽きた。さっさとこんなもの壊してくれればいいのに。
自己と他己が入り混じるこの身を、形だけのこの俺を葬っておくれよ。
「……本当に、頑なだね。あれから一切口を利いてくれないけど、よく頑張ってくれていると思うよ。あんな破天荒なディマを育て上げたわけですし、魔術師としても申し分ない。月と同じくらい美しいよ」
風にさらされ冷え切った頬を、細く滑らかな指で撫でられる。
……屈辱でしかない。今すぐにでも殺してやりたい。
まだその時ではないから殺らないだけだ。
耐えろ、メルクリオ。過ちを繰り返してはならない。
「君の心は、どこへいってしまったんだろうね……」
恋に破れた乙女のように、諦めた表情でランポは一人実験室へ戻っていった。
心……か。
唯一、あの時に入れ忘れたんだろうな――




