とある少年の恋愛事情
このお話は幕間です。本編は『第1章1話 目覚める男』から始まります。
今現在、僕には大きな悩みがある。
勉強? 部活? バイト? 将来? いやいやそういうのではなくて、……どちらかというと対人関係的な話?
つまりなんというか、その、ふわふわした現状をなんとか変えようと思っているわけです。。
ただ、それが少々照れるというか恥ずかしいというか、頭の中で考えるだけでも叫び出したくなるような内容でして。
高校生の持つ恥ずかしい悩みなんて、たぶん想像がつくと思うのですが……。
「あ、松原さんおはよう」
「うぃーっす」
「今年もー、じゃない、今年度もよろしくー」
「おはよう、みんな。またよろしくね」
「!?」
その声が聞こえてきた瞬間、僕は余計な思考を全て放り出した。そして教室の入り口付近で行われている会話に耳をすませ、かつ気付かれないようにそろりと視線を向けた。
なぜなら、そこにあの娘がいるから。
そう、クラスメイトに囲まれながら談笑しているあの娘だ。他のみんなには申し訳ないが、今僕の眼には彼女のことしか映っていない。それほどまでに僕はあの娘のことを、ってああっ、佐々木君どいてっ、顔が見えないっ。
ここで少し、彼女について説明しておこう。その方がこの後の話がわかりやすいだろうから。
彼女を語る上でまず初めに触れければならないところ、それはなんと言っても眼だ。
女の子に対して少々失礼な形容かもしれないが、彼女の眼は中々に鋭い。人によっては気後れしてしまうこともあるほどだ。だがしかし、それは彼女の印象のほんの一面に過ぎない。
ほら見てほしい、クラスメイトと話している彼女の姿を。彼女の凛とした印象を強めるその鋭い眼は今、楽しく会話することによって目尻が下げられとても柔らかになっている。どうだろう、惚れ惚れするような表情ではないか。
よくツリ目は怖いなんて言う人がいるけれど、それは間違いだと僕は思う。むしろ普段が凛々しい分笑ったときの穏やかさが際立ち、ただでさえかわいい彼女がより一層かわいく感じられるのだ。ああ……かわいい。
さらに、彼女を語る上で外せないのが髪だ。
背中の中ほどまで下ろされた長い黒髪は一本の枝毛もなく艶やかで、彼女の動きに合わせてふわりと揺れる。まさに濡羽色と呼ぶに相応しい色艶だ。きっと指を通せば、抵抗など微塵もなくスルリと通り抜けてしまうことだろう。いまだにシャンプーのCMに使われていないのが不思議なくらいだ。
いやそれも当然か。市販のシャンプーを少々使ったくらいであの髪が手に入るはずもない。メーカーが誇大広告で訴えられてしまう。あの麗しい髪は、まさしく彼女だけが持つ至宝なのだ。きっと手入れにも相当な手間暇がかけられていることだろう。その不断の努力まで含めて、僕は称賛を送ることを惜しまない。ああ……麗しい。
そして、揺れる黒髪をより一層綺麗に見せてくれるのが、彼女のその姿勢の良さだ。
常に背すじがピンと伸びており、小柄なはずの彼女がまるで舞台上のモデルのようにも見える。しかしながら無理な力が入り過ぎているわけでもなく、その佇まいは落ち着いた自然体。おそらく人前だけでなく、普段からそのように心掛けてきたであろうことがうかがえる。
彼女の美しさ、それはなにも顔の造形の良さだけではない。本人の心根がそのまま表れているかのような立ち姿、そんな目立たない部分にもまた僕は魅了されてしまうのだ。ああ……美しい。
こうして今日も僕は、彼女の姿をこの目に焼き付ける。これで今日も一日頑張れます。ありがたや、ありがたや。
――――あ、ごめんなさい。こんな説明だけでは何が言いたいのかわかりませんよね? コホン、ではちょっと恥ずかしいけど、改めまして……。
そう、僕――井山春希――は、今登校してきた彼女――松原天音さん――に、恋をしているわけなのです。
松原さんとの出会いは去年、高校に入学してクラスが一緒だったという有りふれたものだった。
別に一目惚れとかではなかったと思う。綺麗な人だなあとは思ったけどそれだけで、特にお近づきになりたいとかは考えていなかった。
変化があったのは少し経ってからで、学級委員を決める話になったときのことだ。まあこういうのは、相当やる気のある人でもいない限りすぐには決まらないわけで、うちのクラスも案の定誰も手を挙げず、誰かやれよっていう空気が教室全体に広がっていた。
こういうときは運次第というか巡り合わせというか、気の弱そうな人が押し付けられたり先生が適当に指名したりするわけだけど、このときは僕がそれに当たった。偶然先生と目が合った結果、この押しに弱そうな顔をいいことに見事指名されてしまったのだ。
別にどうしても嫌というわけでもなかったので、指名された以上はやろうかとは思っていたのだけど、その後が少し困ってしまって。
『男子は井山で決定として、女子、誰かやりたい奴挙手!』
なんて先生が言うものだから……。
先生、なんで男子は指名しておいて女子をまた立候補制に戻したんですか。女子相手に強制指名はやりづらかったんですか。直前まで誰も手を挙げていなかったのに、すぐさま挙がるわけがないでしょう。これだとなんか『井山と一緒にやるのは嫌』って思われているみたいじゃないですか。
僕がそんな風に心の中でクレームをつけている間、思った通り誰の手も挙がらなかった。別に僕が悪いわけじゃないのだけど、ずいぶん居た堪れない思いをしたことをよく憶えている。
ていうかあのときは、本当に僕のせいじゃないかちょっと不安になっていた。『まだクラスの女子とそんなに会話してないから好感度云々以前だし、そこまで嫌われるほどの容姿でもない……よね?』って感じで自問自答していた。
例えるなら、電車で自分の隣の席だけ空いているときのような気分だっただろうか。男子高校生にとって、女子に存在を許されているか否かは死活問題なのだ。
そんな風に気まずい思いをしていたときだ、後ろから声が聞こえてきたのは。
――――『私、やります』って。
メシア!
救い主様がいらっしゃったと、感謝の思いとともに振り向いた先にいたのが、そう、松原さんだった。あのときはリアルで後光が差していたかもしれない、それくらいの喜びだった。
だからこの気持ちを伝えようと、僕は『ありがとう』という思いを込めて視線を送っておいた。これは自己満足の行動だったので別に気付かれなくてもよかったのだけど、幸運にもこのとき松原さんと目が合った。
彼女は最初、『ん?』て顔をしていたのだけど、僕が手を合わせて軽く頭を下げると合点がいったようだった。返事をするようにこちらに向かって軽く手を振ってくれて、にこりと笑ったんだ。
――――その瞬間、僕の時間が止まった。
冗談でなく、松原さん以外のものが目の前から消えていた。周りの音が聞こえなくなって、でも自分の心臓の音だけやけに大きく聞こえて、彼女を見るだけでドキドキが止まらなかった。
後から思い返してみればこのときだったのだと思う、僕が松原さんに恋をしてしまったのは。
我ながらチョロ過ぎると思わないでもなかった。
というかこれじゃほぼ一目惚れだ。
そんなこんなで始まった高校生活。押し付けられたはずの役職はあの瞬間からご褒美になったわけだけど、だからと言って別に大きな進展があったわけでもない。松原さんは真面目なタイプで粛々と仕事をこなしていくし、僕も任された以上はいい加減なことはしたくなかったので真面目に励んだ。
でも連絡先は交換できたし、あいさつ以外でもちょっとした会話はするようになっていた。移動教室や食堂で偶然隣の席になっても、気まずくないくらいにはなれたと思う。
一緒に作業を行っているのだから当たり前と言えば当たり前。むしろ社交的な男ならもっと仲良くなれているだろう、と言われてしまえばその通りなのだけど、奥手な男子高校生としてはそれだけでも嬉しかった。
二人で委員会へ行くときは、移動から待ち時間に至るまで内心テンション上がっていたし、行事の打ち合わせのときは、事務会話とは分かっていても話が弾んでいることに喜んでいた。
……はい、気持ち悪いことは自覚しています。できるだけ表には出さないようにしているので許してください。
さてこうして真面目に仕事をしつつも、偶にテンション上げながら一年間過ごしてきたわけだけれども。
そりゃね、あるわけですよ、あれが。松原さん美人だし優しいし、周りが放っておかないよねって話です。つまり告白的なイベントが、そこまでは行かなくとも軽いアプローチが、そこそこの頻度で行われている……らしい。
らしい、というのは伝聞だからである。だって聞けないもの、ただのクラスメイトだもの、ヘタレだもの。
正直、男子の中では自分は距離が近い方だよね、という根拠のない希望的観測はあったのだけど。もちろんそんなものは吹けば飛ぶような儚いもの、思春期男子の思い込み。
良いな、と思う男子にアプローチされたら距離が縮まってしまうかもしれない。そもそも今の時点で、僕の知らない仲の良い男子がいたっておかしくない。いや、その方が自然だ。あんな魅力的な子が、男子に縁がないと思うほうがおかしい。むしろ彼氏の一人くらいいて当然だ。
あ、自分で言っててダメージが……。
ゴホン。ともかく、個人的に今の距離感も嫌いではないのだけど、そろそろ勇気を出して次の一歩を踏み出すべきではないのか。春休み中からこのように思い始め、そして始業前の今もあれこれと考え続けていたのだ。
いや、真面目に考えないと。どうしたものか。いきなり告白は唐突過ぎるし、やはり好意をもっていることをアピールしていくべきか。しかし露骨過ぎるのも……うーん。
「おはよう、井山君」
「ふぁい!? おお、おはよう松原さん。いい朝だね!」
考えに没頭していたら、いつの間にか近くまで来ていた松原さんに話しかけられていた。動揺し過ぎて変な返事をしてしまったぞ。
「え? 今日曇りだけど?」
「あ、ああ曇りが好きなんだよ。紫外線対策的な?」
僕は一体何を言っているんだろうか……。せっかくの松原さんとの会話なのに、三回に一回はこんなグダグダな受け答えをしている気がする。
しかし僕の頓珍漢な返答にも、松原さんは柔らかく笑って返事をしてくれる。
「ああー。肌綺麗だもんね、井山君」
「え、そう? 早寝早起きのおかげかな?」
「ふふ、うらやましいかも。あ、先生来た。じゃあね」
そして最後に手を振りながら、彼女は自分の席へ歩いていった。
――――はあああああ、焦った。まずは動揺せずに会話することを目標にするべきかもしれない。
それにしても僕のつまらない会話にもちゃんと付き合ってくれるなんて、松原さんは相変わらず優しい。そう思いながら窓際のほうを見ると、彼女は友人たちと和やかに話していた。はにかみながら喋るその姿はとても可憐だ。
「ああもう、…………好きだなあ」
溢れだす想いが止められず、つい小さくこぼれてしまった。声に出したことで改めて自覚する、やっぱり自分は彼女が好きなのだと。
ふふ、この想いはもうしばらく誰にも知――――
「好きなのか?」
「ふおおおおっ!?」
小さく呟いた独り言に対して返事があったことに驚き、今まで出したことのないような声が出てしまった。
「井山ー、出欠の返事にそんな気合い入れなくていいぞー」
「は、はいっ、すいません……」
先生に怪訝な顔をされ、皆にもすごく笑われている。松原さんにも。あ、やっぱり笑っているところもかわいい、ってそうじゃない! さ、さっきのは!?
僕が慌てて後ろを振り返ると、鋭い目つきの男子がこちらを見ていた。
この人が先ほどの発言者だろうか?
ならば探りを入れなければ! 初対面の、しかもちょっと怖い系の人と話すのは苦手だけど、今はそんなことは言っていられない。冷静に対処するのだ。
「い、い、今、そ、あ、聞こえて?」
全然駄目だった。動揺しすぎて噛みまくる。
「えーと、ホームルーム始まるから、後でな?」
「あ、うん……」
見た目とは裏腹な落ち着いた声で諭され、つい頷いてしまった。
それ以上追及するわけにもいかず僕は仕方なく前を向いたが、頭の中は荒れ狂ったままである。
(聞かれた!? 聞かれてない!? 馬鹿にされる!? からかわれる!? 言いふらされる!? 僕の生活どうなる!?)
そのままホームルームが始まったが、連絡事項はほとんど頭に入って来なかった。
学級委員は去年からの持ち上がりになった。そこだけは意識が働いてよかった。
やった、これでまた一年松原さんと一緒だ、えへへへ。
うん、わかってる……。人はこれを現実逃避と呼ぶんだ……。




