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アーク・ノヴァ――天球の音楽――  作者: 道詠
鹿砦の罠
9/19

酸っぱい怒りの葡萄 X【防御する】→【選択肢2】

ヘンペルのカラスの続きです。

【……もう、どうでもいいや……】


(……しゃべるのも、しんどい。やば……これ、まじで死ぬ……さすがに、なにか食べないと……水も飲んでなかったな……)

 這うようにして上体を持ち上げるが、気持ちが悪くて吐き気が込み上げてくる。鳩羽は口許を押さえ、片手でベッドを進む。

 どたんっとベッドから落ちた。ベッドから降りられなかったのだ。脚に力が入らず、立とうとすると横に倒れ込む。脚は使い物になりそうになかった。

 手の平が、爪先が、床を掴むように齧り付く。ずるずると這った彼女は、ペットボトルに手が届いた。

 そして、絶望する。力の限りを尽くしても、ペットボトルの蓋が開かない。親指と人差し指の間が熱く火照って嫌になる。手はもう真っ赤なのに、蓋はビクともしなかった。

 燃えるように熱い。蓋と手が擦り切れて血が出た。それでも、やっぱりビクともしなかった。

 目の前に水があるのに、開かないのだ。それだけに渇望は絶え間なく溢れ出す。水が欲しい。飲みたい。目の前にあるのに、手が届かない。欲しい。ただ、欲しい。

(水、水、水、水水水水水水水水水水なんでどうして水水水水水水水水水水水水水水水水水水水水みずみずみず、みず、みず……のどかわいた……みず、どうして、なんで……)

 ぽろっと瞳から涙が零れる。飢え乾いているのに涙は出る、それが鳩羽には不可解だった。何度、蓋を回しても開く気配は一向にない。

 仕様が無かった。だから鳩羽は次に水分を補給出来そうな食べ物を探す。唇はかさかさに荒れ、口腔は唾液も出ずに干乾びている。

(ない、ない、ない、ない、うそ、うそだ、ない、なんでだ、みあたらない、どうしよう、ない、ない、あるはず、あるはずだ、あるはずなのに、あるはずなんだ……)

(らくになろうよ)

 痛ましげに鳩羽を見る少年の顔はくしゃくしゃに歪んでいる。ぼろぼろと泣いていた。耐えきれない、そう言いたげに鳩羽を抱きしめる。もちろん彼の肉体は、彼女の身体を通り過ぎたけれど。

 彼女は食べ物の入った袋の封を千切る力も残っていない。だから、食べ物の傍には鋏が転がっていた。

 彼女は鋏を持ち上げ、ペットボトルに振り下ろす。だが、それは刃を跳ね返すだけだ。何度も何度も試してみたが、傷が出来るだけで何も始まらないし、変わりもしない。道具は他にない、だからこその絶望が鳩羽の首を締め上げていった。

(いっそ、このまま、しんじゃおっかな)

 少年の甘い誘惑にふらふらと誘われて、鳩羽は顔を上げる。少年はにっこりとほがらかに笑った。少年は、彼女の抱擁を求めるように両手を広げた。

(やっと、キミといっしょになれるんだね……うれしいよ、あやめちゃん)

 はは、と鳩羽は乾いた笑みをこぼす。何を期待していたのだと己を嘲笑った。自分を引き留めてくれる者は、この世に居ない。自分から切り離してしまったのだから、あたりまえだった。

(ばかだな……救いようがない……だから、死んでもしかたのないやつなのかな、わたしは……)

 ふいに、おもいついた。鳩羽はクローゼットまで這って移動し、両手でクローゼットの扉を開けようとして、顔を歪める。開かない。

 両手で片方の扉を何とか開けたところで、彼女は息を切らした。呼吸を整え、ある物を探す。

(あった……)

 シルバーに光るメタリックなヘアピン。ヘアピンにはギザギザした部分がある。これは、カッターナイフの代わりになる物だ。

 鳩羽はペットボトルの所まで戻る。ペットボトルを持ち上げる力が無かったからだ。それから、鳩羽は地道にヘアピンを走らせる。

 衰弱しきったせいでまともに思考が働かないのか、それともそのような衰弱した状態では誰が相手でも殺されると無意識的に理解していたからだろうか、外に助けを求める発想は思い浮かばなかった。

(がんばる……がんばれ……どうしようもないやつでも、私は……生きるんだ)

 目が霞む。本格的に危うくなってきたところで、彼女は懸命に力を振り絞る。この試練さえ乗り越えれば、もう少し計画的に生きられる事だろうと思いながら。

 上下に揺らす。揺らす。揺らす。傷は付いている。大丈夫だ、間に合う。自分に言い聞かせ、弱まる力に無理を言って聞かせた。

 真っ白な霧が世界を覆う。呼吸が覚束無い。何故だか、ふわふわとした浮遊感が込み上げてきて、心地好い。至上の快楽が身を包み込む。ああ、暖かく、優しく、それでいてとてもタノシイセカイ。

(あやめちゃん)

(だめだ、負けるな……私は諦めないって決めたんだ……!! 何が何でも絶対に生きてここから出てやるんだッ!!)



 だが、現実は非情だ。愚昧なる彼女にはもう、運命に抗う力さえ、残されていなかったのだから。




 彼女が自発的に引き籠ったなら、それはそれで自己責任、構わなかったのだろう――田中始は頭の片隅で、そう考える。

(問題は、我々が彼女を追い込むようにしてしまった事、だろうか。アレックスがこの惨劇を止めようと彼女の部屋へ赴いたが、返事は無かった。

拗ねているのだろうか。僕達の惨状にも知らず、独り箱舟の中で――? すべてが手遅れになり、終わりかけているとも知らずに!)

「はっ、はっ……はあっ、はぁっ……!!」

 誰かもわからぬ影に怯え、彼は走っている。地面を見ずに前へ前へとのめるように走っていたからだろうか、脚が何かに躓いた。

「ぐッ――!?」

 びたんっと引っかかって危うさを覚えた時にはもう時既に遅し。彼の両手は顔を庇うだけの物になっていたのだ。

 ぜーひゅーと荒さを増すばかりの呼吸に、彼は喉を毟りたくなるほど苦しさを覚える。それは物理的な意味だけではない、それは心理的な意味だけではない、すべてが蛇のように執念深く妄執的に彼の身体に絡み付いて、手首も足首も腕も膝も締め付けていくからだ。

 首に巻き付かれたと悟ったときには、もうラッパは吹かれていた。頭か、目か、耳か、何処が悪かったのか、今はもう悔やむばかりだ。

 彼は肘をつき、手をつき、立ち上がろうとする。彼の下には、死体がゴミのように転がっていた。

 塵芥のように床へ落ちた死体は、最早単なる物と化している。否、他ならぬ自分たちの手でそうしてしまったのだ。

(共同生活を続ける事自体が、誤りだったのか? 家に居る事が好きな人間でさえ、軟禁されれば外へ出たくなる。それを理解していなかった事が悪かったのか?)

 彼は立ち上がり、死体を踏み付け、踏み越え、また走り出す。すぐ傍まで迫っているように感じられたが、自分の呼吸と足音のせいで、追いかけてきているのかさえ判断が付かない。

 いいや、頭が真っ白いせいなのか。せっかくの贈り物も処理出来ないこの脳が、限界だと叫んでいるのか。

 人殺しからの贈り物は、まだまだ続く。このおいかけっこが終わるまで、この生の鼓動が鳴り止むまで、彼の全身が訴える悲鳴が息絶えるまで。


 だが――それは、錯覚だった。


「……あ……あぐっ……がふっ……ひぃー、ハァーゥッ……アァッ……」

 ずるずる。ずるずる。大理石の床にレッドカーペットが敷かれたように、赤い飛沫が川のように流れていく。向かうは上流、天国かと見紛うばかりの白い密室。

 彼に襟首を掴まれて身体を引きずられながら、彼は申し訳程度の呼吸をして、虚ろに濁りかけた眸をぐりぐりと回しながら、揺れに身を任せている。

「げほっ、げほっ、がぁっ、がっ、はっ……ぅ……ぁ……ひっ、ぐっ、い゛っ゛……!」

 まるでぜんぶが悪夢だったかのように、彼は今、死のうとしている。だが、もうすこしだけ、彼は生きなくてはならなかった。

 儚い追いかけっこは呆気なく終焉を迎え、此度は終末を迎えようとしている次第だ。彼はまだ生かされている。用済みになるその瞬間を待つばかりの生命。

 絶望する感情すら持つ事を赦されない彼の身は、血は、無情な現実に訴えかける。即ち、【My God,Why have you forsaken me?】と。

 虚無に消えゆくこころの灯火は、ゆらゆらと揺らめく。彼の身体の揺さぶりに鼓動して、呼応して。


「ァッ、ヒッ、ァァッ……ウ゛ッ゛バァッ゛……ヒギッ……イ゛ッ゛……」


 太陽はいつも“わたし”を見つめている。だけど、“わたし”は解らない。“それ”は悪魔の遣いだからと認知しているからだ。

 太陽の眼差しは燃えるように熱い。赤い女のせいか、滾る輝きのせいか、燃える蛇のせいか。


 ああ、怒りの葡萄が拡がった。


【 アレックス 0票

  オシロサマ 0票

  カルマ   0票

  田中始   11票

  茶雀璃寛  0表

  テグス   0票

  トリボロス 0票

  ハト    0票

  鶸柚菜種  0票

  海松若菜  0票

  山鳩緑   0票 】


【投票の結果、コスモスの勝利が確定しました!

これからカオスの私刑に移行します……】





 ――そして、だれもいなくなった。




 …………――――GAME OVERE――――…………


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