表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
1/8

第1話 窒息

 「逃げなくていいんだよ」と彼は言った。逃げ道なんて最初から与えてくれないくせに。

 どんな拒絶も、どんな抵抗も、井土(いづち)くんにとっては無意味でしかない。


 ♢


 ひと言で表すならば、井土くんは素敵な人なんだと思う。少なくとも学校のみんなはそう言っている。


 成績はいつも学年上位で、先生からの信頼も厚い。運動部の助っ人に呼ばれるくらい運動もできて、誰にでも分け隔てなく接する。


 文化祭では実行委員長を務め、生徒会にも所属している。そして誰もが認める顔面の良さ。


 だから女子から人気があるのは当然だし、男子からも嫌われていない。


 つまりどうやら私だけらしい。


 井土くんを見るたびに、背筋が寒くなるのは。


 理由を聞かれても困る。特段なにかされたわけではない。暴言を吐かれたこともないし、嫌がらせを受けたこともない。


 むしろ逆だ。困っていれば助けてくれるし、忘れ物をすれば貸してくれる。躓いたら当然のように支えてくれて、重い荷物を持っていれば、「手伝うよ」と微笑む。


 だから誰に相談しても同じことを言われる。


「考えすぎじゃない?」


 そうかもしれない。私だってそう思いたい。


 ――だけど。


 井土くんは私を見つけるのが上手すぎる。


 朝、昇降口で靴を履き替えていると、横から声をかけられる。


「おはよう」

「おはよう。井土くん」

「今日も早いね」

「うん」


 短く返すと、それ以上は続かない会話。それなのに井土くんは気まずそうな顔ひとつせず、私の隣を歩き始める。


 教室までの廊下が異様に長く感じる。沈黙が嫌いな人ならなにか話すのだろうけれど、私は無理に話題を探すのが苦手だ。


 井土くんは黙ってただ隣を歩く。一定の歩幅、一定の距離で。まるで、それが当然みたいに。


 教室へ入ると、数人の女子がこちらを見て笑った。


「また一緒じゃん」

「ほんと仲いいよね」


 私は一瞬否定しようとしてやめた。否定すると余計に面白がられると分かっているからだ。


「付き合ってるの?」

「違う違う」


 笑いながら返すと、隣で井土くんもくすくす笑っていた。


「やめろよー」


 そうやって否定はする。どこか曖昧に。井土くんはいつもそうなのだ。否定が否定を帯びていない。


 そのとき、またゾワリとしたものが私の背中を這った。



 ――昼休み。

 購買へ向かう途中で財布を忘れたことに気づく。


「あー、しまったなあ」


 仕方なく教室へ戻ろうとすると、後ろから声をかけられる。井土くんだ。


「どうしたの?」

「財布忘れた」

「はいこれ」


 なんの躊躇いもなく千円札が差し出された。


「いいって、悪いし」

「返してくれればいいから」

「……じゃあ、ありがとう」


 人の目もあり、私は断りきれず受け取ってしまった。サンドウィッチを買って戻ると、クラスの女子がニヤニヤしながら絡んでくる。


「彼氏に奢ってもらった?」

「違うって」

「またまたあ」


 下世話な笑い声が私を襲う。私は適当に笑って席へ着いた。井土くんは少し離れた席で友達と話している。


 こちらを見ていない。なのに、見られている気がした。そんなことを思う自分がおかしいだけなのかもしれない。


 自意識過剰、だろうか。



 ――放課後。


 部活に入っていない私は、友達にバイバイしてからそのまま帰宅する。校門を出たところで、ふと後ろから近づく足音に気づいた。


「一緒に帰ろうよ」


 井土くんだ。


「ごめん、用事あるから」


 私はとっさに嘘をつく。井土くんは「そうなんだ」とあっさり引き下がった。


 私は少し安心して駅とは反対方向へ歩き出す。もちろん用事なんてない。


 十分ほど住宅街を歩いてから、大回りして駅へ向かう。そして改札に着いたときだった。


「あれ」


 聞き慣れた声が、耳を撫でる。


「また会ったね」


 そこには井土くんが立っていた。

 私は目を丸くし、思わず足を止める。


「帰ったんじゃ?」

「少し本屋に寄ってたんだ。今日雑誌の発売日だから」


 そう言って笑う。


「同じ電車だよね? 乗ろうか」


 うちの学校の生徒はだいたい同じ方向だから、電車が同じことはおかしくはない。


 偶然だ。そう、偶然。私は自分に言い聞かせる。


 最寄り駅で電車を降りると、井土くんも同じ駅で降りる。


「それじゃあね」


 私は会釈だけして、早足でその場を去る。途中で振り返るともう井土くんの姿は見えなかった。私はどっと疲れ、思わず大きく息をついた。


 家に着くと、母が言った。


「今日は彼氏と帰らなかったの?」

「彼氏なんていないけど」

「見かけたのよ。背の高い男の子と一緒にいるの」

「たまたまでしょ」

「そう?」


 母は深く気にしていない様子だったので、私もそれ以上の説明はしなかった。


 夕食を食べて、宿題をして、お風呂に入る。髪を乾かしていると、不意にスマホが震えた。


 画面を見ると知らない番号からのショートメッセージが入っている。


『今日は遠回りして帰ったんだね』


 ぴくりと指先が止まる。何度確認しても知らない番号。間違いメールかもしれないと思って画面を閉じようとしたその時、続けてもう一回スマホが振動する。


『おやすみなさい。髪はしっかり乾かして』


「なに、これ」


 表示されるのは知らない番号だけ。送信者の名前は表示されない。私はスマホをベッドに投げて、部屋の隅で壁を背にへたり込んだ。


 このメッセージの送信者は、私が髪を乾かしていることを知っている?

 なぜ、どうして?


 どこかから見ているとでも?


 体の震えが止まらない。私は慌てて部屋の明かりを消して布団を被った。それっきりスマホが震えることはなかった。


 その夜はおかしな夢を見た。


 私はぴったりサイズの箱の中に寝かされていて、体は動かないのに目だけは動く状態だ。


 ただの真っ白な空間をキョロキョロ見渡していると、視界に井土くんの姿が入ってきた。


 井土くんは白い花束を持っていて、嬉しそうに頬を染めて私の胸の上に花束を置く。


 そして私にキスをした。私は動けない。井土くんは私の顔を両手で挟み、口付けをさらに深くする。


 動けない。逃げられない。井土くんの手が私の首にかかった。


「、う……っ」


 井土くんは涙を流す私を見て、笑っている。


 

 翌朝、登校すると井土くんがいつものように昇降口に立っていた。


「おはよう」


 それは夢と同じ笑顔で、私はつい目をそらす。そしてふと昨夜のメッセージを思い出した。


 もちろん犯人の証拠はどこにもない。それなのに、なぜか私は彼の顔を見た瞬間に思ってしまった。


 あのメッセージを送ったのは、この人だと。


 根拠なんてない。ただその考えだけが、教室へ向かう廊下を歩く間も頭から離れなかった。

  

 首筋が、やけに寒い。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ