38. 封鎖作戦
その夜、俺は陣地の外れに立っていた。
南西の空に、煙はまだ見えていた。夜の闇の中で、ダンジョンの方角から、低い振動がかすかに伝わってくる。魔物がまだ出ている証拠だった。
イリアが、隣に来た。
「伯父上」
「なんだ」
「今日の交渉、見事でした」
「交渉ではない。調整だ」
「失礼いたしました。調整、でした」
俺は少し、笑った。
「伯父上」イリアは少し声を落とした。帝国標準語に切り替えていた。「深層の種が、サーキニアのダンジョンから出ていることについて、お考えはありますか」
俺は少し、黙った。
「ある」
「お聞かせいただけますか」
「カウラが言っていた。ダンジョンの入口付近の魔力濃度が、通常の三倍から四倍に跳ね上がっている、と。深層から魔力が噴き上がっている」
「はい」
「リードスゴートのダンジョンで深層の種が出るのは、珍しくない。しかし、サーキニアのダンジョンは、リードスゴートと比べて、深層が浅い。つまり、深層と呼ばれる部分の構造が、もともと違う」
「それなのに、深層の種が出ている」
「ああ。ということは、サーキニアのダンジョンの深層が、何らかの理由で、リードスゴートのダンジョンと繋がった可能性がある」
イリアの顔が、少し固くなった。
「繋がった、というのは」
「地下で、通路が開いた、という意味だ。自然に開いたか、あるいは、誰かが開けたか」
俺はそこで、言葉を切った。
誰かが開けた。
その「誰か」の候補は、限られていた。
「伯父上」イリアは小声で言った。「封印文書に書かれていた、魔王の残滓が、関係しているのでしょうか」
「わからない」俺は正直に答えた。「だが、可能性は否定できない」
南西の空で、煙が、風に流れていた。
幕僚としての仕事は、明日の合同作戦会議で、次の段階に入る。
しかし、個人としての疑問は、深まる一方だった。
翌朝の合同作戦会議は、青の団の本陣で行われた。
ルシウスが提案した。中立の場で話す方が、双方の面目が立つ、という判断だった。さすが、と俺は思った。
天幕の中に、卓を囲んで座ったのは、七人だった。
青の団から、ルシウス、俺、カウラ、ソートス。サーキニア軍から、第二師団長、参謀、それに師団長の副官が一人。
サーディアスは天幕の入口で立っていた。会議の間、外を警戒する。副官らしい仕事だ。
俺は昨日の折衷案を、改めて説明した。
カウラが入口の仮封鎖を担い、溢出の速度を落とす。その間に、サーキニア軍の主力が地上の魔物を掃討する。青の団は右翼の維持と、封鎖地点の護衛を受け持つ。掃討の目標期間は三日から五日。掃討が終わったら、封鎖を強化し、ダンジョン内部の調査に移る。
師団長は腕を組んで聞いていた。参謀はメモを取っていた。
説明が終わると、師団長が先に口を開いた。
「帝国傭兵団が封鎖を受け持つ、ということは、最も危険な位置に立つということだ。それで、よろしいのか」
「青の団には、カウラ・ダークスがいます」ルシウスが言った。「魔法による仮封鎖は、彼女の専門です。物理的な封鎖よりも速く、柔軟に対応できます」
「ダークス殿」参謀が言った。「仮封鎖の維持期間中、溢出を完全に止められますか」
「完全には止められない」カウラは正直に答えた。「ただし、溢出の量を、十分の一程度に抑えることはできます。十分の一なら、師団の皆さんが掃討に集中できる量のはずです」
参謀は少し考え、頷いた。
「合理的な計算です」
師団長も、頷いた。
「よかろう。この方針で行く。ただし、封鎖が破れた場合の退路を、事前に決めておきたい」
「ソートス」ルシウスが言った。
「はい」ソートスが帳簿を開いた。「退路は三案を用意しております。第一案は北東の街道への撤退、第二案は東の丘陵への移動、第三案は──」
ソートスの説明が、淡々と続いた。地図の上に、退路が描かれていった。師団長の副官が、それを書き写していた。
会議は、二時間で終わった。
サーキニア軍の三人が天幕を出た後、ルシウスが俺を見た。
「うまくいったな」
「師団長と参謀が、互いの面目を潰さずに合意できたのが、大きいです」
「お前が間に入ったからだ」ルシウスは言った。「あの二人に直接話をさせたら、また平行線だった」
「幕僚の仕事です」
「ああ。そして、幕僚がいなければ、戦団長は動けない。お前がいる、ということの意味を、改めて感じるよ」
俺は軽く頭を下げた。
作戦は、翌日から実行に移された。
カウラがダンジョンの入口に向かい、仮封鎖の魔法を展開した。サーディアスが護衛として付き、青の団から精鋭の二十名がその周囲に展開した。
ソートスが後方で兵站を回し、食料と水の供給線を維持した。
ルシウスは右翼の防衛線の指揮を執った。
俺は本陣と、サーキニア軍の陣地と、封鎖地点を行き来して、情報の中継と調整を行った。イリアが俺の補佐として、各拠点との伝令の管理を担った。
初日は、順調だった。
カウラの仮封鎖が機能し、溢出の量が激減した。サーキニア軍の主力が、地上に散らばっていた魔物の掃討を開始した。青の団の右翼は、安定していた。
二日目も、順調だった。
掃討は進み、地上の魔物の数は、目に見えて減っていった。カウラは疲労を見せはじめていたが、仮封鎖は維持されていた。サーディアスがカウラに茶を運んでいるのを、俺は一度だけ見た。
「約束通りだな」俺は小声でサーディアスに言った。
「茶を淹れるのも、副官の仕事ですよ」サーディアスは笑った。
三日目の夕方、掃討がほぼ完了した。
地上に残っている魔物は、散発的なものだけだった。サーキニア軍が残敵の処理を続けている。
俺はカウラの元に行った。
封鎖地点は、ダンジョンの入口の手前、二十歩ほどの位置に設営された陣地だった。カウラは椅子に座り、両手を前に伸ばして、透明な壁のような魔法を維持していた。壁の向こうに、ダンジョンの入口の暗闇が見えた。
「カウラ」俺は声をかけた。
「なに」
「状態は」
「あと二日は持つ。ただし、中から来る圧力が、少しずつ上がっている」
「上がっている、というのは」
「魔力の噴出量が、初日より増えている。封鎖しているから、行き場を失った魔力が、壁に押し寄せてくる。今はまだ大丈夫だけど、五日目にはきつくなるわ」
俺はダンジョンの入口を見た。
暗闇の奥から、生温い風が、カウラの壁を叩いていた。
「カウラ。一つ聞いていいか」
「どうぞ」
「この魔力の質は、通常のダンジョンのものか」
カウラは少し、目を細めた。
「よく気づくわね」
「違うのか」
「違う」カウラは言った。「通常のダンジョンの魔力は、自然発生的なもの。石に染み込んだ残留魔力のようなものよ。しかし、この魔力は、方向性がある」
「方向性」
「上を向いている。地下の深いところから、意図的に押し上げられているような感覚。自然現象ではないわ。何かが、下から、押し上げている」
俺は、しばらく黙っていた。
意図的に押し上げている。
それは、誰かが、あるいは何かが、ダンジョンの深層で動いている、ということだった。
「カウラ。その話を、俺以外に、話したか」
「まだ」
「戦団長と、ソートスにだけ、伝えてくれ。サーキニア軍には、まだ言わない方がいい」
「なぜ」
「深層で何が起きているか、確かめてからの方が、混乱が少ない」
カウラは少し俺を見た。それから、頷いた。
「あなたの判断に従うわ。ただし、私に情報を隠さないでね。大魔法使いの家系は、魔力の異常に対して、とても敏感なの。知らされないまま何かが起きたら、私が一番困る」
「約束する」
「よろしい」
俺は封鎖地点を離れ、本陣に戻った。
夜の陣地で、篝火の光を見ながら、俺は考えた。
何かが、深層から、魔力を押し上げている。意図的に。自然現象ではなく。
封印文書に書かれていた、魔王の残滓。
初代皇帝は、六王家の血の中に、魔王の力の欠片が混じっている可能性がある、と書いた。その残滓が、目覚めることがあるかどうか、わからない、と。
しかし、もし残滓が目覚めるのではなく、残滓とは別の何かが、深層で動いているのだとしたら。
魔王は、倒された。
しかし、魔王が残したものは、倒されていないのかもしれない。
俺は空を見上げた。
星が、出ていた。サーキニアの空は、旧魔王領の空より、少し明るかった。しかし、足元の地下では、何かが静かに動いている。
幕僚の仕事は、あと数日で区切りがつく。
しかし、その先にある問いは、幕僚の仕事ではなかった。
皇族の仕事だった。




