第12話 あんたら兄弟の言葉は今後一切信じない(最終話)
皇帝を擁護するマクドガル派の被害は、わたしが考えるよりもずっと少なかった。あのとき観客席にいたのは、ほとんどが死をも覚悟した勇敢なる騎士たちだったからだ。
彼らは自身の命運を悟りながらも、囮役を引き受けたのだ。むろんこの作戦に関しては、皇帝陛下や皇后陛下も存じ上げておられたらしい。
そういう王侯だからこそ、騎士たちは命を賭して守るのだろう。
被害が少なかったもうひとつの要因は、アレイスター派の騎士らが観客貴族に扮した騎士たちには目もくれず、王侯席だけを目指したことが挙げられる。おかげで護衛騎士に怪我人は多く出たが、それでも死人は最小限に抑えられたと言えるだろう。
本当は誰だって、帝国人同士で殺し合いなんてしたくはないのだから。手心も加えるよね、そりゃさ。ましてやマクドガル派の半数以上が、丸腰だったのだから。
星が多く、月が大きく見える夜だった。
わたしはヘメリア宮のバルコニーで夜風にあたりながら、レンドールを睨みつけた。
「……なんでもっと早く援軍を送ってくれなかったの! すぐ突撃させなさいよ!」
「多数の近衛騎士の集結をアレイスター派に知られるわけにはいかなかったから、距離を取っていた。コロセウムの側で待機などさせていたら、それこそ計画はすべて破綻しているだろ」
「そ、そうね。つかあんた、こんなところで夜風にあたってて平気なの?」
レンドールが肩をすくめる。
「病気もまた一種のアレイスター対策でもある。歩いたり、風にあたったり程度ならば平気だ。あえてそれすら難しいと、宮女を中心に数年前から噂を流させた。私自らがな」
「は……?」
「ああ、もちろんキミに嘘をついたわけではないぞ。生まれついてのままならん身体であることは本当だ。剣は振れん。馬にも乗れん。走ることもままならん。医者に止められている。だが、日常生活くらいは支障なく送れるさ」
確かに嘘ではないのだろう。顔色は悪く、男性にしては痩せすぎている。
健康体だったら今すぐこの場でイイのを一発顔面に入れてやるのに。ああ、腹の立つ。
「ランディ。あんたさぁ、人間には心ってものがあるって知ってる?」
「何が言いたいのかわからんが、よく知っているぞ。人間は心があるから読みやすい。昆虫の行き先など、私には皆目見当もつかんからな」
「……ぅぅ、もうヤダこいつ……」
怖い。心底怖いわ。知らない間に自分が分析されてしまっていそうで嫌だ。凪ぎの湖のように穏やかさを称えた視線でさえ、もう怖い。目潰ししたい。
「ああ、ちなみになのだが」
「な、何よ!?」
「キミの父、バルティエ卿には本来、アレイスター対策としてこの帝都に残ってもらう予定だったのだ」
「……へ?」
「しかし共和国の脅威が大きくなり、帝国としても辺境を強化せざるを得なくなった。そのとき、最初に辺境伯に名乗りを挙げたのは、アレイスターだった」
「は?」
「だが陛下は嫌がるレイノルド・バルティエを選んだ。なぜだと思う?」
見当もつかない。わたしは適当にこたえた。
「髭面が汚いから」
「……キミこそ人の心はないのか? まあいい。アレイスターを選んだ場合、やつは独自に編成した軍を率いて共和国へと先制攻撃をしかねないと判断したからだ。それは協調路線を掲げる陛下の理念に反する。だからバルティエ卿を行かせたらしい」
それでアレイスターに恨まれてたんだ。あの髭。
ま、辺境伯になれたら、アレイスターは伯爵位から侯爵位まで上げられるし、隠れて反乱を企てるのも、共和国に攻め入るのも自由になってしまうものね。
やるじゃん。陛下。
「ま、私に言わせればそれがそもそもの間違いだ。バルティエ卿とアレイスターは、互いを牽制しあっていてこそ、帝国の強力な二本柱だったのだからな。とはいえ、当時はまだ私も十に満たない子供。父に進言したところで聞かれはしなかっただろうよ」
「……あ、あんた、当時からそんなこと考えてたんだ……。……どういう子供時代だったのよ……」
「興味があるのか?」
「ない! 聞きたくない!」
だめだ。これ以上ランディと話していると、こっちの頭がおかしくなりそう。
わたしは標的を変えてアルを睨む。
彼は困ったように愛想笑いを浮かべた。
「アルはなんであらかじめ教えておいてくれなかったの!?」
「言う機会がなかったんだ。婚約を破棄して以降、キミは僕を避けていただろ」
「あたりまえでしょ! なんでわたしがそんな苦行をしなきゃならないのよ! カルディナとよろしくやっていればいいじゃない! あいつ、無罪放免でしょ!」
アルが顔を歪めた。
「カルディナは無罪だけれど、それより、僕といるのが苦行て……」
それを見てレンドールが笑う。
「くく。おまえ、女性から初めて言われた言葉じゃないか。よかったな、アル。私はこのような身だから、稀にあることだが、おまえにとっては女性に罵られることも貴重な社会経験だ」
「はは。新鮮な気分さ。むしろ上がるね」
わたしは叫んだ。
「気持ち悪いこと言うなっ、この酔っ払いどもっ!」
右にアルフレッド、左にレンドール。どちらも果実酒の入ったグラスを手に持っているけれど、わたしは未成年ということでただの果実の絞り汁だ。おいしいけど。
バルコニーからダンスホールへと視線を向ければ、多くの着飾った紳士淑女どもが雁首揃えて談笑をしている。
マクドガル派有力貴族の祝勝会だ。
わたしはパニエの入ったドレスなんて持っていないし、髪を巻くつもりもない。香水だってつけないし、貴金属も欲しいと思ったことはない。だから出席を拒否したというのに、筋肉バカのアルに荷物のように担がれて連れてこられてしまった。
ここから見えるガラスの向こうは、まるで別世界だ。
そんなわけで、早々にバルコニーへと逃げ出したわたしに、なぜか別世界の主役がふたりくっついてくる。腕が触れそうな距離にまで、ぴったりと貼り付いて。
なんでよ。
「なに!? あまりくっつかないでよ!」
わたしはバルコニーの手すりにグラスを乱暴に置くと、右手でアルグレッドを、左手でレンドールを押して下がらせた。
「な、兄貴。僕はこういうところに、たまらなく上がるのさ」
「私にはない感覚だが、ルチカの困った顔は嫌いじゃないな。実に愛らしい」
こ、こ、こ、この野郎ども……! バカにして! でもいまは陛下の御前! わたしだって子供じゃないんだから、殴りつけるわけにもいかない!
ここは一発、キツい言葉をお見舞いしてやる!
「両陛下の他国との協調路線を目指すという国家運営は大いに賛同できるけれど、どうやらおふたりとも、子育てに関しては二回とも失敗したようねえっ!」
どうだ!
レンドールが肩を震わせて笑っていた。
「……く、くっくっく」
「ね、こういうところだよ、父さん。最高だろ、彼女」
アルグレッドがわたしの背後に視線をやって、両手を広げる。
釣られてわたしが振り返ると、そこにはウィリオン・マクドガル皇帝陛下とマリアーナ皇后陛下、そのご両名が立っていた。
「ぅ!?」
皇帝陛下は腕組みをし、遙かな高みからわたしを見下ろして。
皇后陛下は真顔で、わたしを見つめて。
「……」
「……」
ぶわっ、と全身の毛穴が開く。
いくらわたしでも、皇帝陛下に対しての礼儀くらいは弁えている。だがゆえに。
「あ、ああ~……あ……あ、あぁぁ…………っ」
だめだ。不敬罪で捕まったわ、これ。
そも、色々ありすぎて忘れかけていたけれど、アルとランディだって王侯一族だ。やり過ぎたのだ、わたしは。
涙出てきた。
皇帝陛下が咳払いをされた。わたしは驚いて肩を跳ね上げ、罪人になった気分で彼の言葉を待つ。
陛下はアルグレッドに鋭い視線を向けながら、地の底から響くようなやたらと渋く重々しい声で言い放った。
「……控えめに言って……最高だな……」
にんまり笑いながら、気持ち悪いことを。
「だろ?」
皇帝陛下の後頭部を、皇后陛下がパァンと叩いた。
わたしは驚きのあまり、眼球が落ちそうになるほど目を見開く。
なに? なにが起こったの!?
「ウィ~ル~?」
「う、うむ。ももちろん、おまえの次にだとも。愛するマリィ。た、ただ彼女を見ていると、少しだけ昔のおまえを思い出して、ね」
「まあ、うふふ」
呆然としたままのわたしの前で、皇帝陛下は、両殿下がかけたわたしに対する迷惑をわびるだけわびて、奥方を伴いガラスの向こう側の世界へと戻っていった。
去り際に皇帝陛下は「息子を頼む」という、とんでもない言葉を、そして皇后陛下は「アルでもランディでもご自由にどうぞ」という、さらにとんでもない言葉を残して。
あまりの緊張状態になかなか立ち直れないわたしの左右で、アルとランディは大笑いしている。
わたしはバルコニーの手すりに突っ伏して、ドレスの袖で涙を拭った。
勝てない、この非常識な一族には。だって全員おかしいんだもん。
「う、ううう、アルもランディも、そうやってずっと、わたしのことをバカにしていればいいんだわ!」
「ほう? 聞いたか、アル。今彼女は、ずっと、と言ったぞ」
「ああ、聞いたよ、兄さん。それは僕ともう一度婚約を結んでくれるということかな」
「お断り! 婚約ったって、あれだってどうせランディの企ての一環だったんでしょ!」
ランディがふいっと目線を逸らした。
ところがアルは満面の笑みで首を左右に振ったの。
「はは、僕は最初から本気さっ。十年前に視察に行ったレムリカでキミを見かけた日からねっ。僕がキミを婚約者として見定めた日、兄もまたキミを戦力として見定めていただけのことだからっ」
わたしは両手で耳を閉ざす。
「あーあー、うっさいうっさい。信じない。あんたら兄弟の言葉はもう今後一切信じないもん。だからノーカンよ、ノーカン」
ところがアルはまるで話を聞いてくれず、馴れ馴れしく楽しそうにわたしの肩に腕を回してきたりして。
「そうなればルチカの将来は大公妃だ。ああ、退屈が嫌なら右腕として女性騎士団長というのもおもしろいかもね。剣の腕前も大したものだったし」
「勝手に他人の将来設計をするな! なんでそうなるのよ! 婚約者に戻るなんて一言も言ってないし! 耳に筋肉でも詰まってんじゃないの!?」
ランディがたまらず噴き出した。
「はーっはっはっは! その通りだ。アルは脳の筋肉が耳にまで達しているからな。私よりも重傷だ」
「笑うな、ランディ! 人間的には、あんたの方がよっっっっっぽど、性質悪いんだからねっ!!」
けれどランディは平然と。
「おや、嫌われてしまったか。これは困ったな」
「何がよ!?」
「私はキミのような女性が好きだからね。弟が嫌なら、いつでも私の部屋に逃げてきてかまわん。食客でも、それ以上の関係でも歓迎しよう。皇后になるも、女将軍として生きるも、私の下でなら自由だ。ま、大公妃とは違って多少の責任は伴うことになるがね」
わたしは両手でもう一度バカどもを押して下がらせる。
「う、自惚れるなー! どっちも絶対に嫌! 言っとくけどこれ、照れて逆ギレかましてるわけじゃないからね!? 心の底から本気で言ってんだからね!?」
今度はアルとランディの両方が盛大に噴出した。
「ふふ、本当におもしろい女性だ」
「だよね! 上がるよね!」
もうヤダ。
なんでこいつら、こんなにハートが強いの? 王侯一族ってみんなこうなの?
でも、まあ。退屈はしないか。
こういう関係だって、それなりに楽しい。そう思った。いつかは手ひどくやり返してやりたいしね。うん。
ヘメリア宮、案外いいとこかも……?
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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