17 その後
高城さんsideの後書きよりも前の設定です。
付き合いはじめて早一週間。
高城さんは、今日もせっせと人の部屋にマーキング中。
玄関のマイスリッパからはじまり、洗面所にマイ歯ブラシ、キッチンにマイコップ、リビングにマイ空気清浄機、窓辺にマイ観葉植物……と、人の部屋を自分の部屋のような快適空間へと染めていく。
だれが同棲すると言った。
いや、これは寄生か。
「観葉植物はいらないでしょう」
「かわいくないですか? この子たちは空気を綺麗にしてくれる、素晴らしい植物です。月さんも愛でてあげてください」
「……。ドライの方が――」
「水やりに来ますから! 枯らさないで!」
そのために持って来たのだろうに。
「わたしが高城さんの部屋に行くという選択肢はなかったんですか」
「あ、大丈夫です。月さんのお泊りセットは常備しておきましたから」
全然大丈夫じゃない。
まだお泊まりする関係ではない。
「今日は付き合いはじめて一週間記念日なので、夕食に腕を振るいたいと思います。常々思っていたんですけど、月さんの食生活は雑で適当ですよね? 夕飯に切っただけの野菜とあんぱんとか、バランスが悪いですよ? 今は若いからそんな食生活でも健康を保てていますけど、のちのち後悔することになりますよ」
なんで人の食生活を存じているのか。
昨日の夕飯をまんま当てられていて、こわい。
一応恋人なのに、盗聴器や盗撮カメラが設置されている可能性を否定できないのが悔しい。
「というわけで、うちに行きましょうか」
結局そっちに行くのかと思っていると、こめかみに軽くちゅっと口づけられてから連行された。
高城さんのくせに、手慣れているのが少々気に食わない。
高城さんは料理がうまい。そしてやはり調味料にもこだわりがあって、その点のみ、うちの家族と気が合いそうだった。献立も健康的に野菜が中心で、品数も多くて、おいしい。
「いいお嫁さんになりそうですね」
わたしの軽い嫌味は高城さんを大いに喜ばせた。
「プロポーズですね!」
はいはい。適当にあしらって、そういえば……、と幸せそうな彼を見やる。
「最近あの子は? 萌衣ちゃん」
「え? いくら僕でも、つき合いはじめのカップルの家に入り浸らせるほど優しくないですよ。もともと兄と親子ゲンカしてプチ家出してきていたので、仲直りさせて、家に帰しました」
そのむしゃくしゃの犠牲になったのか、あのあんころ餅は。……過ぎたことは仕方ない。
「ちなみにそのケンカは、萌衣がドローンの操縦を誤って、兄の頭に墜落させたことが原因だったらしいです」
すべての元凶が、わたしの目の前にいた。
「……」
「今度兄からも謝罪があると思います」
「結構です。あんなオフィスものの俺様ヒーローが来られても困ります」
「オフィスもの?」
「こ、こっちの話です。――あ、高城さんは、会社で主になにをしているんですか?」
「社畜です」
いえ、そうでなく。
そうかもしれないけれど、そうじゃなくて。
「所属、ということですか? 今のところ肩書きは秘書課ですが、兄の個人的な第三秘書をしています。もしくは……雑用係か」
切ない。わたしの好きな人は、あまりにも切ない仕事をしていた。第一秘書を目指してこれからも精進してほしい。
「そんなコネ入社の将来性のない男とは付き合えないとか、言いますか……?」
「いえ、真面目に働いているだけで十分です。――それと。ずっと聞きたかったんですけれど、高城さんって、いくつですか?」
「今年二十五です」
え……。
思ったより、若かった。
「あの、その顔は……?」
「……なんでもありません。高城さん、年上なんだから敬語はやめたらどうですか?」
「それを言うなら、月さんだってつき合っているのに敬語で、しかも名字で呼ぶじゃないですか……」
しょんぼりしつつも、目だけが期待を込めてちらちらわたしをうかがっている。……やむおえない。
「惇稀、さん」
どうしよう、恥ずかしい。呼び捨てよりさんづけの方が断然、気恥ずかしい。
「月……!」
わたしに合わせて、一歩距離を詰めてきた。
別に、呼び捨てでも構わないけれど、一気に馴れ馴れしい。
「名前は心の中でいつも呼んでいたのですんなりと変えられますが、敬語は普段から慣れているので、今さら変えにくいというか……」
心の中で呼び捨てだったのか。
「だったら、徐々にで」
少しずつ距離を縮めていくことに決まった。
「あの、僕も聞きたかったことがあるんですけど」
「なんですか?」
「キスしてましたよね? あの男の子と」
まだそれを持ち出しますか。
「してませんって。あれは大家さんの孫で、ただの友達で、それ以上でも以下でもないです。だいたいわたしのファーストキスは高城さんで……って、あ」
しまった。隠していたのに、自分から暴露してしまった。
案の定、高城さんは感涙する。大の大人が泣き癖をつけるのは、どうなんだろう。
「ファーストキスどころか、もうラストキスまで誰にも譲らない! 独占します!」
死に際に?、キス?
わたしよりも長生きする気なのか、この男は。
そしてやっぱり結婚まで持って行く気なのか。
「別れる可能性は」
つき合いはじめでこんなこと言っていいのか微妙だったけれど、高城さんは悲しそうにしながらも真面目に答えてくれた。
「僕からはないです。絶対に。だけどもし、月さんが嫌になったと言うのなら……身を引きます。――ですが、前にも言った通り、その場合も遠くから見守り続けますから、そのつもりでよろしくお願いします」
安定のストーカーっぷり。
「じゃあもしも……もしもですよ? 高城さんに理解があって無害な人で、わたしよりもかわいくて性格もいい人がいたら、どうしますか?」
「それ、人間ですか? 人工知能の搭載された人型ロボットじゃなく?」
なんで今AIロボットの話になる。
「月さんの皮をかぶって月さんの性格をインプットされた人間なら、少しよろめくかもしれませんけど」
「わたしの皮はぐ気ですか。本体血みどろで死んでますから、それ。そうじゃなくて、もっとかわいい――」
「僕の目には、月さん以外みんな同じに見えます」
「……」
「昔は確かに、顔やスタイルのいい女性に目がいきました。そういう子とばかりつき合っていたり。でも自分から好きになったのは、あなただけです」
「それは……ありがとうございます」
「それに、月さんは自己評価が低いですけど、世間一般的に言えばかわいい部類ですよ? しかも、わりとスタイルいいですよね? 抱いたとき、そう思いました」
抱っこしたときと言え。
まだ抱かれてはいない。
「……だけど、高城さん前に言いましたよね? わたしが無害でなく無理解な人だったら、好きになっていないって」
それってその部分を取り除いたわたしのすべてを否定されたようで、悲しかった。
「あの、違います、それ」
「違う?」
「はい。あなたを好きになったのは、ただ、あなたが優しかったから」
「優しい……?」
わたしが?
「そう。優しいから。それに、隣に僕みたいな人間が越して来たらきっと、口では言わないけど生活を変えてくれたんじゃないですか? 僕が暮らしやすいように」
「それは……、うーん……」
違うと言えないのがなんとなく悔しい。
「僕が治ることはないし、月さんはそんな僕をわかってくれている。心配しなくても、あなたの代わりはいません。責任を持って大事にさせていただきます。と、はじめて家に上げてくれた日に、そう約束しましたから」
あれは歯ブラシの話じゃなかったのか。
「どうしてもと言うのなら、月さんの気が済むまで、いくらでも愛の言葉を紡ぎます」
なぜ嬉しげ?
「そこまではいりません。……のぼせそうなので」
高城さんは歯の浮く台詞を平気で言いそうだから困る。
「介抱しますか? あまえてもいいんですよ?」
「じゃあ、膝枕で」
冗談だったのに、嬉々としてわたしを介抱する高城さんは幸せそうで、わたしはまだ特に言わなけれども、心の中でだけ、あまえてみた。
恋に落とした責任、ちゃんと取ってくださいね。
帰宅すると、猫耳カチューシャを手にした変態がいた。
いつの間に合鍵を、と思ったけれど、それよりも。
「……それは?」
サングラスマスク姿の高城さんは、それらを静かにテーブルへと置き、手と首を振って否定する。
「違います。月さんにつけさせて楽しもうという魂胆ではありません。子供にこわがられると相談したら、これを渡されました」
相談相手の人選。
人のいい高城さんは、考える気もなかったのだろうその相談相手に、適当にあしらわれたことに気づいていない。
「……」
興味本位で、ためしに猫耳カチューシャを高城さんの頭にすぽっと装着してみた。
「似合いますか?」
「……」
「えっ、泣くほど似合いませんか!?」
これをかわいいと思えるわたしは、その適当な相談相手に負けた気分だった。
***
最後の最後までおつき合い、ありがとうございました!




