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Αの女神とΩの娘  作者: 真咲 楓
本編
27/38

27 運命の女神の前で

 ぎり、と四肢の枷を睨み付ける。

 まずは、右手の枷から。

 断ち切れないと考えるのではなく、断ち切るまで打ちつけ続ければいい。

 鈍い金属音が、その場に鳴り響く。



「ユカリ……、と言ったか。人の子よ、無駄だ」



 プロメテウスがくつりと笑う気配がしたが、ユカリは気にせず鎖に短剣を打ちつけ続ける。ヘファイストスの一品はさすがに丈夫で、何度金属に打ちつけても欠けることはなかった。


 何度も何度も繰り返しているうちに、鎖に亀裂が入ってきた。もう少しと自分を奮い立たせ、ユカリは大きく腕を振りかぶる。



(――えいっ!)



 きん、と澄んだ音と共に、鎖が砕け散る。

 肩で息をしながら額の汗を拭うと、休む間もなく左側にとりかかった。


 左側が終わったら、左足。

 それが終わったら右足。


 短剣は一向に刃こぼれしない。途中で何度もアキレウスの様子をうかがったが、彼も疲れたのか、だんだん動きが鈍くなってきているようだ。


 早く、早く、早く! アキレウスだって、あんなに頑張ってくれているんだから!!



「その短剣……もしや、ヘファイストスの」



 プロメテウスの呟きにうなずき、ユカリは黙々と作業を続ける。


 汗で視界がにじむ。

 短剣を持つ手は、すでにしびれて感覚が麻痺している。

 呼吸をするのもつらい。


 けれど、それが何だというのか。プロメテウスの今までの苦痛や、アキレウスがしてくれていることに比べたら、ちっともつらくなどなかった。


 少し視線を落とせば、だくだくと脇腹から流れる血が見える。

 先程彼は、肉体が毎日再生すると言っていた。だとすれば、いくら血が流れようとも、内臓を喰いちぎられようとも、眠って起きればまた同じ苦痛が待っているのだ。


 なんて酷い、罰。なんて傲慢な、神の罰。


 鎖に細かなひびが入り始めている。あと少しで、この枷を完全に壊すことができる。

 疲れと緊張でわき出る手の汗を服にこすりつけて、もう一度と短剣を振り下ろしたその時。





「――ユカリ!!」





 アキレウスの絶叫と強い衝撃、そして灼熱の痛みが訪れた。

「ユカリ! ユカリ!!」



 アキレウスの悲痛な声が、どこか遠い。ただ、腹部が暖かいとぼんやり思った。

 プロメテウスはどうなったかと聞こうとしても、何故か手が動かない。じゃらりと小さい音がして、影が一つ増えた。その時点で、ユカリはようやく自分が倒れていることに気づく。



「……仕留め損ねたか、アキレウス」

「捌ききれなかった……っ!!」



 冷静なプロメテウスの声に、アキレウスの絞り出すようなそれが重なった。ユカリには逆光で、二人の表情が見えない。


 どうしたの、どうしてそんなに苦しそうな声なの?

 仕留め損ねるって、何を?


 声が出ないとこんな時に不便だと、場違いな感想をユカリは抱く。光のまぶしさに目を細めると、視界まで霞む。

 そんな中、一際まぶしい光を感じた。身体を動かす気力もなく視線だけをそちらに向けたユカリの耳に、アキレウスの小さな呟きが聞こえる。



「……運命の女神達(モイラ)



 温かな気配。ぼやけたユカリの目にも微かに見える姿は、三人の女神。

 その中の一人が、彼女の胸の上に何かを近づけた。



「やめろ!! そいつはまだ生きてる!」



 アキレウスの声が遠い。どうしてそんなに焦っているんだろうか。



「これは定め。いかなゼウスといえど、変えることのできぬ定め」

「この娘はここで命を終える、そう定められた」

「諦めなさい、英雄よ。誰もこの娘を救うことはできないのです」



 何の話をしているのか、当人らしき彼女自身にはさっぱりわからない。それでも、何か嫌な予感がその背筋を這い上がった。


 銀色の何か――ハサミがユカリの胸の上に掲げられる。

 動こうとしたアキレウスは、突然人形のようにぎしりと動かなくなった。

 そんな彼を、プロメテウスが静かな目で見ている。



「ユカリ!」



 アキレウスの大きな声。ハサミがゆっくりと閉じられる。

 同時に、何かがぷつりと切れる音がした。意識はゆったりと、温かな闇の中へ。


 ああ、私は死ぬのか。これが死ぬということなのか。

 最後に、アテナ様にお会いしたかった。


 そうして、ユカリの意識は闇に沈んだ。

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