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第49話:奇跡の一閃とライバルの涙

 ゴォォォォォォォォン……!

 『天鐘の守護巨神』の背中で、残された五つの鐘が狂ったように打ち鳴らされていた。

 鐘から放たれるのは、もはや青白い光ではない。

 すべてを呑み込み、圧縮し、押し潰す赤黒い重力嵐。

 祭壇の円形神殿の柱が次々と自重に耐えかねてへし折れ、舞い上がった巨石が重力波に触れた瞬間に粉塵へとすり潰されていく。

 迷宮そのものを空間ごと消滅させる、古代の自爆級超兵器の最終励起。


「逃げて……! アルト様、逃げてくださいまし!」


 瓦礫にへたり込んだセレスティアが、喉を嗄らして絶叫した。


「あれは……古代の空間崩壊波ですわ! いかなる物理装甲も、どんな至高の結界も、空間そのものの圧壊の前には無意味です! ここにいる全員、塵一つ残さず押し潰されますわ!」


 セレスティアの声は絶望に震えていた。

 王都魔道院で学んだ最高峰の知識が、即座に「生存確率ゼロ」という残酷な答えを弾き出していたのだ。

 だが――。

 暴風吹き荒れる祭壇の中央で、アルトは一歩も引かなかった。

 長剣を正眼に構え、その切っ先を巨神の胸部で脈打つ紅蓮の古代核へと寸分違わず定めている。


「……アルトさん」


 背後から、エルシアの静かで澄み切った声が届いた。

 アルトは振り返らない。だが、その背中越しに相棒の魔力の高まりを、自らの血潮のように正確に感じ取っていた。


「……光は通るか」


「はい。私の全部を込めて――アルトさんの道を架けます!」


 エルシアは胸の前で両手を組み、静かに祈りを捧げた。

 髪を結ぶ『蒼銀石の髪飾り』が、青空のような眩い光を放ち始める。

 ギルドでの受付嬢の日々。

 誰も信じてくれなかったアルトの剣。

 武者修行で培った戦況把握。剛岩のゴーレムの殻を砕いたあの日。黒曜の深淵を駆け抜けた夜。

 そして昨夜、ボロボロになりながら互いの弱さを認め合い、魂を預け合った温もり。

 押し寄せる赤黒い崩壊波は、迷宮を構成する空間そのものをすり潰す、数千数万の破滅の不協和音(ノイズ)の津波だった。

 どんな至高の結界であっても、正面から受け止めれば空間ごと押し潰される。

 だが――エルシアは怯えなかった。

 静かに目を閉じ、受付カウンターで何千人もの冒険者と向き合ってきた「澄んだ耳」を極限まで澄ませる。


(酒場の喧騒も、この神話の巨神の崩壊波も……同じです。乱れた音なら、私には全部聴き分けられます!)


 押し寄せる重力ノイズの周波数、振幅、三次元の歪み角、空間断層の周期。

 混沌とした破滅の轟音を、エルシアの耳はミリ秒単位で精緻に分解・解析していく。

 そして、その数万の空間ノイズのすべてを完全に相殺する――唯一無二の「完全逆位相の調律波」を瞬時に導き出した。


「大気の軋み、重力の歪み、空間の断層……。すべてを聴きました。すべてを凪ぎ払います!」


 エルシアの瞳が、黄金と蒼銀の光を宿して見開かれた。

 両手を天へと掲げ、相棒の信じるすべてを込めて、自らの全魔力を解き放つ。


「《調律・共振調和(レゾナンス・ハーモニー)》――ッ!!」


 キィィィィィン……!


 それは、大気すべてを清め洗うような、あまりにも美しい単一の鐘の音だった。

 エルシアの身体から放たれたのは、力任せの結界ではない。

 巨神の放つ空間崩壊波と寸分の狂いもなく重ね合わされた、完全逆位相の極大相殺波(ノイズキャンセラー)。

 荒れ狂っていた赤黒い重力の嵐が、エルシアの光に触れた瞬間、嘘のように波立ちを収めて消滅していく。

 雑巾のようにねじ曲げられていた空間が、アイロンを当てられた布のように真っ直ぐに伸ばされていく。

 そして――。

 エルシアの足元から、巨神の胸部の古代核へ向けて、一本の純白の『光の架橋』がまっすぐに架け渡された。

 あらゆる重力も、大気の抵抗も、空間の摩擦すらもゼロに均された、奇跡の疾走路。


「アルトさん、行ってください! 私たちの音を、あいつに届けて!」


「――応ッ!!」


 アルトが地を蹴った。

 光の架橋を滑走する。

 思考負荷ゼロ。恐怖ゼロ。迷いゼロ。

 世界で一番信じる相棒が切り開いた道の上を、アルトはただ己の剣の最速を信じて駆け抜けた。


「ガ、アァァァァァッ……!?」


 巨神が恐怖に似た咆哮を上げ、残された右腕を振り下ろそうとする。

 だが、遅い。

 光の道を走るアルトの速度は、すでに音速の領域を遥かに置き去りにしていた。


「断ッ――!」


 白銀の一閃が、虚空を走った。

 ただ一筋の、極限まで無駄を削ぎ落とした最短の軌跡。

 アルトの長剣が、巨神の胸部で脈動していた紅蓮の古代核を、外殻ごと真っ二つに両断した。


 ――カラン。


 澄み切った硬質な音が、静まり返った祭壇に響いた。

 次の瞬間。


 ドォォォォォォォォンッ!!


 巨神の体内から眩い白光が噴き出した。

 背中の五つの鐘が砕け散り、十メートルを超える巨体が内側から崩壊していく。

 光の粒子となって霧散していく巨神を見上げながら、アルトは光の架橋の終着点へ軽やかに着地した。

 迷宮を覆っていた赤紫色の魔力雲が、まるで嘘のように吹き飛んでいく。

 神殿の天井の亀裂から、清らかな朝の陽光が一筋、祭壇の中央へと降り注いだ。

 青空が、ラディスの空に戻ってきたのだ。


 ゴゴゴ……と祭壇の中央の石台がせり上がり、二つの宝物が光を放った。

 一つは、澄み切った蒼い光を放つ拳大の宝石『天鐘の蒼光石』。

 もう一つは、古代王国の紋章が刻まれた純金の『古代王国の踏破証』。

 前人未踏の古代迷宮『天鐘の回廊』――完全踏破の証だった。


「終わった……の……?」


 瓦礫の中で、セレスティアが呆然と呟いた。

 信じられない奇跡。

 空間崩壊波を消滅させ、神話の巨神を一刀両断してみせた二人の姿。

 手足の震えが止まらないセレスティアの視界に、トタトタと小走りで駆け寄ってくる少女の姿が映った。


「セレスティア様! ご無事ですか!?」


 エルシアだった。

 肩で息を切らし、額に汗を浮かべながらも、その瞳には一切の驕りも敵意もなかった。

 エルシアはセレスティアの前に膝をつくと、迷うことなくその両手を優しく包み込んだ。


「今、魔力循環を整えますからね。《調律治癒》――通します」


 柔らかな温かい光が、セレスティアの体内に流れ込んできた。

 激しい魔力逆流で焼き切れる寸前だった魔力脈が、まるで冷たい泉水で洗われるように鎮まり、呼吸の苦しさが一瞬で消え去っていく。


「あ……っ……」


 セレスティアの喉から、声にならない吐息が漏れた。

 そして、エルシアは倒れ伏していたカインの元へも駆け寄り、両断された鎧の隙間から《調律治癒》を注ぎ込んだ。


「カインさんも、息の通り道を開けました! 傷口の空間のねじれはもう消えましたから、すぐに意識が戻ります!」


「う、ぐ……セレスティア、様……?」


 致命傷のはずだったカインが、奇跡のように荒い息を吐きながら瞼を開けた。

 それを見たセレスティアの瞳から、大粒の涙がとめどなく溢れ出した。


「どうして……」


 セレスティアは震える声で絞り出した。


「どうして……私を嘲笑わないの……? 私、あなたを『我流の受付嬢』と見下して……あんなに酷い言葉で侮辱したのよ……!? アルト様を奪おうとして……足枷だと嘲笑ったのよ……!?」


 セレスティアは両手で顔を覆い、しゃくり上げた。

 自分の傲慢さ、浅ましさ、そして目の前の少女の圧倒的な高潔さ。

 その差が、胸を締め付けてたまらなかった。

 エルシアは困ったように小さく微笑むと、首を横に振った。


「嘲笑う理由なんて、どこにもありません。セレスティア様が誇りを持って戦ってくださったから、私、もっと強くなれましたから」


「エルシア……」


「それに、私……元受付嬢ですから。困っている冒険者さんを見捨てるなんて、絶対にできません!」


 悪戯っぽく笑うエルシアの眩しさに、セレスティアは完全に打ちのめされた。

 セレスティアは涙を拭うこともせず、地面に頭を垂れるようにして告げた。


「……私の完敗よ」


 王都神殿魔道院の筆頭候補としてのプライドをすべて脱ぎ捨て、一人の少女として告げた言葉。


「技術も、精神も、何もかも敵わなかったわ……。アルト様の隣に立てるのは……世界中で、あなたしかいないわ……」


 その言葉を聞いて、エルシアの頬がほんのり桜色に染まった。

 そこへ、背後から無骨な足音が近づいてきた。

 アルトが長剣を鞘へと納め、祭壇の二つの宝物を手にして立っていた。

 アルトは『天鐘の蒼光石』をエルシアの掌の上に無言で乗せ、自らは『古代王国の踏破証』を懐に収めた。


「エルシア。……帰るぞ」


「はいっ! アルトさん、街のみんなが待ってますね!」


 エルシアが満面の笑みで頷き、カインの肩を貸して立ち上がらせた。

 朝の眩い光に包まれながら、四人は迷宮の出口――歓喜に沸くラディスの街へと歩み出した。


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