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第47話:決戦の地へ――正統派の限界

 翌朝、夜明け前。

 ラディスの街を覆う空は、禍々しい赤紫色の魔力雲にびっしりと塗り込められていた。

 灰鐘の森の最深部から届く鐘の音は、もはや単なる不協和音ではない。地殻を揺るがし、大気そのものを物理的に震わせる怒号のような轟音へと変貌していた。

 未踏古代迷宮『天鐘の回廊』――その奥底に封じられていた空間魔力津波の決壊が、最終段階へと達したのだ。


 その最深部『鐘楼の祭壇』。

 巨大な円形神殿の床は無残に砕け散り、空間の断層が鏡の破片のように宙をぎらぎらと漂っていた。

 祭壇の中央に君臨するのは、神話の時代に作られたとされる古代超兵器。

 『天鐘の守護巨神』。

 体長十メートルを超える白銀の巨体。その背中には六つの巨大な鐘が不吉な光脈を明滅させながら鎮座し、両目と胸部の古代魔力炉からは、空間を物理的にねじ曲げる青白い重力波が間断なく噴き上がっていた。


「カイン、陣形を第二防衛線へ! 怯んではなりませんわ!」


 祭壇の前庭で、セレスティアが豪奢な白銀の長杖を掲げ、甲高く鋭い声を響かせていた。

 背後には、護衛騎士カインをはじめとする王都直轄の精鋭重装騎士たちが盾を並べている。

 重傷のアルトを宿屋に残し、手柄を独占して自らの神聖魔術の至高性を証明するため、彼女たちは夜明け前に先行して最深部へと突入していたのだ。


「セレスティア様、しかし昨日のアルト殿の傷の様子は尋常ではありませんでした! この古代迷宮の歪みは、我々の常識を逸脱して――」


「戯言を! あの男の怪我は、地方の元受付嬢による小細工で魔力脈が変質していたから治せなかっただけですわ!」


 セレスティアは苛立ちを隠さずに吐き捨てた。


「王都神殿魔道院の筆頭候補である私が、未踏迷宮の一体ごときに遅れを取るはずがありません。王都の正統なる神聖魔術こそが世界で最も完成された奇跡であると、この手で証明してみせます!」


 その時、巨神の背中の六つの鐘が、不吉に共鳴し始めた。


「くっ……来ます! セレスティア様、巨神の背中から超高密度の魔力反応!」


「聖なる天上の光よ、悪しき歪みを平伏せよ! 幾重の帳となりて絶対の守護を刻め――《神聖剛殻・極光陣》ッ!」


 セレスティアが莫大な魔力を一気に解放した。

 大聖堂に伝わる最高峰の広域防御結界。教科書通りの完璧な発音、寸分の狂いもない長文の定型詠唱。

 王都魔道院で「完璧な模範解答」と讃えられてきた黄金の光膜が、幾重にも重なり合い、巨神を封じ込めようと空中に幾何学模様を描く。


 だが――。


 ゴォォォォォン……!


 巨神の背中の六つの古代鐘が一斉に打ち鳴らされた。

 大気が、まるで雑巾のように激しくねじれ曲がる。

 空間そのものが物理的にひしゃげたのだ。


「な……っ!?」


 セレスティアの喉から、息が詰まるような悲鳴が漏れた。

 王都魔道院が誇る定型詠唱とは、大気中の音波と魔力波長が「完全に平坦であること」を前提に組み上げられた、極めて精緻な魔導の楽譜だ。

 無風の静謐な大聖堂で、調律された楽器のように寸分の狂いもなく奏でることで初めて成立する天上の一曲。

 だが――空間そのものがひしゃげ、音波すらねじ曲がる古代の戦場において、その「完成された楽譜」はあまりにも硬く、脆すぎた。

 発声された定型詠唱の音波が、大気のねじれによって位相を無残に引き裂かれ、巨神の撒き散らす空間ノイズと衝突して激しい不協和音を巻き起こす。

 黄金の光膜を編み上げるはずだった魔導陣の幾何学線が、自身の莫大な魔力衝突に耐えかねて、蜘蛛の巣のようにピキピキと亀裂を走らせていった。


「嘘でしょ……!? 術式の魔力線が結像しない……!? 詠唱の波長が、空間のねじれでことごとく千切れていく……!?」


 ドォォンッ! と激しい魔力逆流(バックファイア)がセレスティアの全身を撃ち抜いた。


「きゃあぁぁぁっ!?」


 黄金の大結界は完成に至ることすら叶わず、空間の歪みに沿ってガラス細工のように粉々に爆散した。


「セレスティア様、後ろへ! ぐ、うわああぁぁぁっ!?」


 カインが叫び、身の丈ほどの大盾を両手で構えて前に飛び出した。

 巨神の放つ青白い重力光刃が、容赦なくカインへと振り下ろされる。

 歴戦のAランク騎士による全力防御。平時の物理攻撃や並の魔法であれば、決して突破されないはずの誇り高き大盾だった。


 だが――ザンッ!


 空間ごと断ち切る重力の一撃は、カインの大盾を、そして纏っていた白銀の重装甲冑ごと、まるで豆腐のように真っ二つに両断した。


「ぐああぁぁっ……! セレスティア、様……お逃げ……くだ……!」


 カインは鮮血を噴き出しながら石畳を何十メートルも転がり、壁に激突して動かなくなった。

 従っていた精鋭騎士たちも、全方位に放たれる空間歪曲の衝撃波に呑み込まれ、一瞬のうちに壊滅した。


 残されたのは、祭壇の瓦礫の上にへたり込むセレスティアただ一人。


「カイン……! そんな……嘘でしょ、カイン……!?」


 セレスティアの瞳から、ボロボロと大粒の涙がこぼれ落ちた。

 魔力は底を突き、長杖の宝珠はひび割れ、手足は激しい魔力逆流の激痛で痺れて指一本動かない。


「大聖堂の神童と呼ばれ……主席で卒業した、私の完璧な魔術なのに……! どうして……教科書には、すべて書いてあったはずなのに……! なぜ、なぜ空間の歪みに届かないの……!?」


 正統派神聖魔術の完全な限界。

 完璧な楽譜を忠実に再現することしか教わってこなかったエリートの知識は、楽譜そのものが引き裂かれるような未知の戦場においては、あまりにも無力だった。


「嫌……死にたくない……! 誰か……誰か助けて……!」


 巨神が冷酷な蒼い眼光をセレスティアに向け、巨大な右腕を振り上げた。

 胸部の古代炉が不吉に発光し、セレスティアの頭上へと即死級の空間歪曲重力波が凝縮されていく。

 逃げ場はない。防ぐ術もない。

 セレスティアは絶望に瞳を閉じ、震える両手で頭を抱えた。


 ――その時だった。


 ドゴォォォォォォンッ――!


 祭壇の背後――高さ十メートルを超える神殿の大扉が、凄まじい衝撃によって木っ端微塵に爆砕された。


「な……っ!?」


 セレスティアが涙で濡れた目を見開く。

 舞い散る石煙と粉塵を切り裂いて、一陣の漆黒と白銀の閃光が祭壇を一直線に駆け抜けた。


 ギィィィィンッ!


 火花が夜明け前の薄暗い祭壇を真昼のように照らし出す。

 セレスティアの頭上へ振り下ろされようとしていた巨神の巨腕が、横合いから滑り込んできた一振りの長剣によって、真正面から強烈に弾き飛ばされた。


「ガ、アァァァッ……!?」


 巨神が激しい衝撃に体勢を崩し、巨体を軋ませて数歩後退る。

 セレスティアの前に立ちはだかっていたのは――黒の外套を鋭く翻し、長剣を正眼に構えたアルトだった。


「……どけ。目障りだ」


 アルトの低く冷徹な声が、凍りついた祭壇の大気を切り裂く。

 胸の包帯には、もはや一滴の血も滲んでいない。

 その佇まいは、昨日までの張り詰めた過保護の緊張感など微塵もなく、澄み切った絶対の静寂を纏っていた。


「ア……アルト様……!? なぜ……あなたは致命傷を負っていたはずでは……!?」


 セレスティアが呆然と声を震わせる。

 そこへ、鈴の音のように凛とした声が重なった。


「《調律・小聖護》――通します!」


 柔らかな光の波が祭壇一帯を瞬く間に包み込んだ。

 エルシアの放った微細な調律の光膜が、セレスティアと倒れ伏すカインの周囲を満たし、空間の歪みによる呼吸困難と魔力酔いを綺麗に中和していく。


「セレスティア様、カインさん! 下がっていてください、ここは危険です!」


「エルシア……!? あなた、なぜ……昨日はあんなに絶望して泣いていたのに……その手は、震えていないの……!?」


 セレスティアの問いに、エルシアは足を止めず、アルトの真後ろ――半歩下がった唯一無二の定位置へと、滑らかに足を踏み入れた。


「はい。もう二度と迷いません」


 エルシアの声には、昨日までの焦燥も自責の震えも、何一つ残っていなかった。

 あるのは、相棒への絶対の信頼と、自らの役割に対する揺るぎない誇りだけ。


「私は、アルトさんの隣に立ち続けると決めましたから。――遅くなりました、セレスティア様。ここからは、私たちの調律の時間です」


 アルトが腰をわずかに沈め、切っ先を巨神の古代核へと定めた。

 アルトは背後のエルシアに視線を向けない。だが、その背中からは一切の無駄な力みが消え去り、全霊で背後の相棒に命を預けていた。


「エルシア。……テンポを合わせる」


「はいっ! アルトさんの剣の通り道、全部開けてみせます!」


 巨神が怒号を上げ、背中の六つの鐘を狂ったように打ち鳴らす。

 だが、二人の瞳には、恐れの影など微塵もなかった。

 真なる調律舞踏の幕が、いま切って落とされようとしていた。


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