第三話 白鴉の使者
次の日の朝、ノクティアはまた自らの店を開けた。二日ぶりの開店。昨日は結局あのあと店には戻らなかった。
誰もが匙を投げた命を救った。
何度も胸の中で反芻した。救ったのだ。
ノクティアの薬が騎士の傷口を治した瞬間の周りの目を思い出す。感嘆の言葉を思い出す。
(やっぱり私は無能じゃなかった)
父に対する勝ち誇ったような気持ちを抱えながら、薬草の根を切り刻む。
ザク、ザクと小気味のいい音と共に薬草独特のツンとする匂いが部屋に充満した。刺すような痛みを感じ、ノクティアは目を擦る。
「いけない、窓開けなくちゃ……」
両開きの窓をあけ、ノクティアは大きく息を吸い込んだ。新鮮な空気が胸いっぱいに入り込む。
快晴。澄んだ青空が遠くまで広がっている。
「……あら?誰か来たのかしら」
ぐるりと視線を巡らせたとき、眼下に黒い馬車を見つけ、ノクティアは独りごちた。馬車は狭い道に何とか収まる形で停車している。路地裏にはちょっと違和感のある艶のある黒。
その時、来客を告げるベルが鳴り響いた。
「はーい」
作業部屋を出ると、二人の男がノクティアを待ち構えていた。一人はかなりの高身長。白鴉の仮面をかぶり、ドアの横から1歩も動いていない。もう一人は自分の仮面を外し、端正な顔に人の良さそうな笑みをたたえてノクティアの方に近づいてきた。
「どうも。朝早くにすみません」
「いえ……」
どうやらお客さんじゃ、無さそうだ。ノクティアは少し身構えた。客じゃないなら、一体誰だ。
「ーー昨日の奇跡を拝見させていただきまして」
男は笑みを深くした。その話か。ノクティアはじりりと一歩さがる。嫌な予感がする。
「まぁそう怖がらないでください。私たちは悪人ではないのですよ」
冷や汗をかくノクティアに、男はそう声をかけた。しかしこれではいそうですかと警戒心を解く訳にはいかない。ノクティアは深紅の目で笑う男をじっと見つめた。
「なんの用ですか」
「おや、存外警戒心の強いお嬢さんだ」
「……」
ノクティアは沈黙を選んだ。時刻を告げる鐘が遠くでぼぉーんと鳴った。二人は見つめあう。沈黙を破ったのは来訪者の方だった。
「失礼、あまり時間が無いもので。私たちは王の遣いです。単刀直入に言わせていただきます」
王の、遣い……?ノクティアは想定外の言葉に唖然とした。まさか、かの国王陛下の家来がこんな路地の隅の薬屋に来たというのか。しかし、状況をふまえる間もなく男は続けた。
「我が王は、あなたの力を価値あるものと認め、是非とも王家へ尽力してほしいと仰っております」
「……え?」
それは、つまり王宮に務めて欲しいということか。ノクティアは驚きのあまり上手く返事をすることすらできなかった。
(無能の、私が……?)
世間から無能と言われてきた彼女にとって、王宮勤めなんて夢のまた夢だった。これは現実のことか。ノクティアは唖然とする。
答えはもちろん、是だ。
父の顔が一瞬脳裏に浮かんだが、ノクティアはその不安をかき消した。王宮勤めを恥と思う親が、駄目だと拒む親がどこにいるだろうか?きっと彼も喜んでくれるはずだ。自分の判断が間違っていたのだと、愛娘は才能に満ちていたのだと、ノクティアのことを認めてくれるはずだ。
ノクティアは何も言えず、しかしその代わりにしっかりと頷いた。
「それはよかった!お父上もさぞお喜びになるでしょう。ノクティア・アルセリオン様ーー」
「待って。なぜ、私の名前を?」
名乗った覚えは無い。
「我が王は多くのことをご存知ですよ。アルセリオン家の一人娘のことも、大変心配していらっしゃいました」
男は眉尻を下げてそう語った。王への底知れない敬愛と信頼が伝わってくる。ノクティアは納得し、頷いた。
無能と言われて世間から忘れられている存在にすらこころを割いてくれるなんて、なんて素晴らしい方なのかと。
従者の言葉が、ノクティアの疑問に答えていないことなど、気づくことさえなかった。
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「だから言っただろう!」
激昂。アルベルトは手にしていたワイングラスを地面に叩きつけた。ガラスの割れる音とともに、真っ赤な液体がテーブルクロスを汚す。
ノクティアはとっさに目を瞑り、体を縮こまらせた。
まさか、ここまで怒るとは思っていなかった。ノクティアの顔いっぱいに失望の色が広がる。
今日は週に一度、家族で食事をとる日であった。薬の研究で忙しいアルセリオン家の面々にとって、それが唯一家族全員が揃う場だった。
今朝言われた誉あることを父に伝える絶好の機会だと思ったのに。
昨日のことは伏せて、店をやっていること、王家の使者が来たことだけ伝えた。ひねくれた父の事だ。素直に褒めてくれないかもしれないとは思った。しかし、まさかここまで怒るとは。
全てを聞き終わる前に、アルベルトはその拳でテーブルを殴りつけた。
「今、なんと言った!」
父の後ろに控えていた侍従がぴくりと肩を揺らすのが見えた。ノクティアは眼差しを揺らす。
「ですから、私の薬の才が王家に認められたとーー」
「店を出すことを許した覚えはないが」
アルベルトの冷たい声が説明を遮る。ノクティアは諦め、唇を噛み締めた。鉄の味が口の中に広がる。
認めてくれない。
何も言わなくなったノクティアを見て、アルベルトは大きなため息をついた。
「ノクティア。お前に謹慎を命じる。王宮勤めになることは許さぬ」
まさしく鶴の一声。その言葉によりノクティアの希望は完全に閉ざされた。
「何故ですか。陛下は私の功績を認めてくださったというのに!」
「質問は許さぬ。セバス!」
アルベルトの呼び声に後ろに控えていた侍従が1歩前進する。彼はアルベルトの忠実な配下であった。ノクティアを軽んじる従者たちの筆頭。ぴっちりと整えられた灰色の髪からも分かる、几帳面な性格。
「ノクティアを、彼女の部屋へ連れて行け」
「はい、承知致しました。……お嬢様」
ノクティアは嗤った。結局自分の才能が認められることはないのだ。
「参りましょう」
「……わかりました」
そしてノクティアは、いつも通りに諦めたーー。




