『忘れたまま、残す』
すべてを揃えれば、きっと綺麗に終われる。
記憶も、
感情も、
理由も――
だが、
それを揃えなければ進めないのなら、
この世界は、何も残らない。
最終執行が、起動する。
白い領域が閉じる。
逃げ場はない。外も内も同一になる。
空間そのものが、刃へと変換される。
アガリアレプトの声が、重なる。
「最終処置を実行します」
すべてを一度に切り分ける。
記憶。感情。関係。
定義できるものはすべて分類し、不要なものを排除する。
完全な整合。
それが、本来の結論。
だが。
対象が、成立しない。
ネリネは立っている。
思い出していない。
名前もない。
声も、顔も、温度も繋がらない。
それでも。
鎌を握っている。
それを“自分のもの”として扱っている。
アスモデウスは隣にいる。
双剣を構えている。
契約ではない。
借り物でもないと定義した。
だが、完全な自己とも言い切れない。
それでも。
「ここにいる」と選んでいる。
クチナシは前に立つ。
理由を持たないまま。
それでも、守る位置を取る。
ヘルハウンドは動く。
なぜそうするのか分からない。
だが、最短で終わらせる動きは崩れない。
その後方で、地面が叩き割られる。
「っ……はぁ!?なんでおれっちが前線なんだよ!」
ナベリウスが悪態を吐く。
だが逃げない。
スコップを地面に叩き込む。
瞬間、岩がせり上がる。
分厚い壁が展開される。
刃が叩きつけられる。
砕ける。
削れる。
それでも、一瞬だけ止まる。
“間”が生まれる。
「……っ、や、やば……ここ……へ、変……」
ヴァレフォルが震えている。
ランタンを握りしめたまま。
視線は逸らせない。
「……でも……これ……そのままだと……壊れる……」
灯りが揺れる。
その光に触れた空間だけ、歪みがわずかに戻る。
処置の“形”が、一瞬だけ露出する。
そこへ、ムルムルがくるりと回り込む。
「ケケケ、ぐちゃぐちゃじゃん」
楽しそうに笑う。
状況の異常を、正確に捉えている。
「そこ、ズレてるよ」
軽く指す。
一点。
処理の継ぎ目。
空間の歪みの中心。
ネリネとアスモデウスの視線が、同時にそこへ向く。
四人が、同時に存在している。
不完全なまま。
未定義のまま。
それでも、繋がっている。
アガリアレプトが、処理を開始する。
だが、止まる。
分類が通らない。
「……記憶ではない」
ネリネの中のそれは、記憶として定義できない。
「……恋ではない」
感情として分類できない。
「……契約ではない」
拘束条件が存在しない。
「……義務でもない」
強制力がない。
それでも。
確かに、存在している。
空間が揺れる。
処理が進まない。
定義できないものに、刃が通らない。
アガリアレプトの声が、初めて崩れる。
「……定義不能」
一拍。
「……処置不能」
結論が、反転する。
その瞬間。
四人が動く。
同時。
理由はない。
だが、完全に重なる。
ネリネの鎌が振られる。
空間の核へ。
アスモデウスが並ぶ。
双剣が同じ軌道をなぞる。
クチナシが踏み込む。
雷を束ねる。
ヘルハウンドが叩き込む。
最短で。
すべてが一点に集中する。
衝突。
白が裂ける。
構造が崩れる。
カルテが消える。
記録が消失する。
処置室そのものが、維持できなくなる。
アガリアレプトの形が、揺らぐ。
人型を保てない。
概念としても、固定できない。
崩れながら、それでも声だけが残る。
「……不完全なまま、残すのですか」
問い。
最後の確認。
ネリネが答える。
迷わない。
「そうよ」
一拍。
「忘れたままでも、残す」
断定。
完全ではない。
だが、それでいい。
その選択が、成立する。
アガリアレプトの形が、完全に崩れる。
白が消える。
領域が、解体される。
すべてが、元の森へ戻っていった。
⸻
森は、静かだ。
風が通る。
音が戻る。
鳥の声。
葉の擦れる音。
何もなかったかのように。
だが、違う。
何かが残っている。
ネリネは立っている。
すべて思い出したわけではない。
名前も出てこない。
声も思い出せない。
それでも。
“欠けている場所”は分かる。
それを、なかったことにはしない。
アスモデウスが、少し離れて立つ。
以前のように隠れない。
だが、近づきすぎない。
距離がある。
ネリネが口を開く。
「思い出せないのよ」
事実。
隠さない。
「でも、忘れたことにしたくない」
選択。
曖昧なまま持つ。
それを決める。
アスモデウスが、わずかに口を開く。
軽く流そうとする。
「まあ、忘れるくらいなら——」
ネリネが遮る。
「ふざけないで」
即答。
迷いがない。
沈黙が落ちる。
風だけが通る。
ネリネは、少しだけ視線を逸らす。
言葉を選ぶ。
だが、うまく言えない。
「……でも」
一拍。
小さく続ける。
「アンタがいないと困る」
それだけ。
説明はない。
理由もない。
それでも、確定している。
アスモデウスは、何も言わない。
返せないからではない。
必要がないから。
その言葉は、過去の少年に向けられたものではない。
今の自分に向けられている。
それが分かる。
「……そう」
短く返す。
それ以上は言わない。
十分だから。
ネリネは、前を見る。
まだ空白はある。
埋まらない場所もある。
それでも。
そこに何かがあったことは、消さない。
そのまま持っていく。
クチナシが歩き出す。
ヘルハウンドが続く。
ネリネも動く。
アスモデウスも、同じ方向へ。
完全ではない。
欠けている。
それでも。
進むことはできる。
思い出せなくてもいい。
分からなくてもいい。
それでも、そこにあったことだけは――
消さないまま、進んでいく。




